歴史の世界

前漢・武帝⑩:算緡令・告緡令/均輸法・平準法/桑弘羊

前回の記事経済関連その1において塩鉄専売という商人の一番の利益を謂わば横取りするようなことをして利益を得たが、今回の増税策でも商人たちがターゲットになっている。前漢の経済官僚として有名な桑弘羊は商人出身だが、このような政策を推進したのは彼だった。約2300字。


前123年 対匈奴戦争7年目のこの年、財源不足に陥る。
前119年 塩鉄専売。算緡令。
前118年 告緡令を出し、財産隠匿の告発を推奨する。*1
前115年 均輸(法)、試行開始。
前114年 再び告緡令を出し、告発者に対して没収財産の半分を与えることにする。*2
前113年 五銖銭以外の貨幣を廃止し、貨幣発行を中央政府独占とした。
前110年 均輸(法)、本格的に施行。平準(法)施行。


増税策。算緡令と告緡令

算緡令は財産税の増税。これを脱税した者を告発することを推奨したのが告緡令。

前漢の税の項目の中に算貲(さんし)がある。貲は財産の意味で算貲は財産税を意味する。これの課税は一般には一万銭につき120銭を課した。

前119年に算緡令を出して、商人に対して一般の5倍の二千銭につき120銭、手工業者に対しては2.5倍の四千銭につき120銭を課した。申告漏れが有った場合は、財産没収の上に一年の辺境防備を課した。

告緡令は上記の通り。重いペナルティにもかかわらず、正確に申告する商人がわずかだったため、二度にわたって告緡令を出した。告発者には没収金額の半分を与えられた。この告緡令のせいで中産以上の商人の大半が破産したという。*3

その他の増税策としては算車令・算船令(馬車と船のオーナーに課せられる税)がある。一般人の増税に関しては口賦(7~14歳までに課した人頭税)を20銭から23銭に増税した。*4

以上の税制改革によると、増税の対象は主として商人であり、農民に対してはごくわずか、または自宅品を対象とするものだけである。このことは、専売制や均輸・平準とも共通するものがあり、秦以来の重農抑商策をいっそう強化して、商業利潤を国家に吸い上げることによって財政の安定を実現しようとする意図は明らかである。

出典:太田氏/同著/p413

均輸法・平準法の実施

均輸法は前115年に桑弘羊(そうくよう)が建議して試行され、前110年に施行された。

これが施行する前は中央政府が必要とする物資の調達を各地方の商人に依存していたが、均輸法により、全国の各県に均輸官を設置し、大農(財務省に相当)には数十人の専門官を置き、物資の調達を国で扱うことにより、それまで商人たちが手にしていた利益を国が得ることとなった。

平準法は前115年に施行された。こちらも桑弘羊によって指揮された。

大農の下に平準官を設置し物資を中央に集積し、ある地域である商品が供給過剰になると均輸官を利用してこれを安値で購入し平準官の倉庫に納入する。逆に供給不足で高騰した場合は倉庫から搬出して高値で売る。こうして国が利潤を儲けると同時に物価安定の役目も果たした。

均輸法・平準法は表裏一体のものであった。この政策の成功により財政は改善したが、商人らは大打撃を受けた。*5 *6

経済官僚・桑弘羊

前回の記事経済関連その1に初期の経済政策を主導したのは酷吏として有名な張湯だったことは書いた。張湯は前115年に自殺した。その直後かどうかは分からないが、彼の後に経済政策を主導したのは桑弘羊だった。

洛陽にて商人の子として生まれる。13歳の時にその計算上の神童ぶりにより宮廷に入り、武帝に侍中に任用される。武帝が連年軍事行動を起こし財政危機に陥ったが、元狩3年(前120年)、商人の孔僅等とともに財政建て直しとして、塩・鉄・酒の専売制を実施し大きな効果を挙げる。その功績により大司農中丞に任命され、任命後は均輸法を推進した。

元封元年(前110年)、孔僅が船車税の反対により失脚すると、治粟都尉に登用され、中央に平準官、地方に塩鉄官、均輸官を設置してその政策を具体化し、各地の物流を調整して財政収入を向上させ、左庶長の爵位を与えられた。

出典:桑弘羊<wikipedia

・当時の治粟都尉は大農(財務省に相当)の実質的統括者*7

塩鉄専売と均輸法・平準法の両方の主要人物となって働いた。武帝の時代は彼のような庶民あがりの秀才が武帝の専制を背景にして活躍できる時代だった。



*1:松丸道雄他 編/世界歴史大系 中国史1 先史~後漢山川出版社/2003年/付録p39(年表)

*2:松丸道雄他 編/世界歴史大系 中国史1 先史~後漢山川出版社/2003年/付録p39(年表)

*3:松丸道雄他 編/世界歴史大系 中国史1 先史~後漢山川出版社/2003年/p413-414/引用部分は太田幸男氏の筆

*4:太田氏/同著/p413

*5:太田氏/同著/p412

*6:西嶋定生/秦漢帝国講談社学術文庫/1997年(同氏著/中国の歴史2 秦漢帝国講談社/1974年の文庫版)/p247-248

*7:西嶋氏/同著/p232