地政学はGeopoliticsの訳語。Geoが地理学を、politicsが政治学を表す。だから地政学とは地理学を応用して政治に使う学問である、と言っても間違いではないとは思うが、この説明では誰も納得しないだろう。
この記事では、地理学とは何かについてと、日本における地政学と地理学の歴史について書いていきたい。
地理学
地理学の源流は古代にまで遡るが、近代の地理学が出来上がるのは大航海時代以降の地理的視野の拡大や近代諸科学・科学技術の発達が必要だった。
地理学の分野は大きく分けて「系統地理学」と「地誌学」に分けられ、「系統地理学」はさらに「自然地理学」と「人文地理学」に分けられる。
- 自然地理学:植生、地形、気候などを扱う。
- 人文地理学:産業、文化、集落、交通、人口などを扱う。
- 地誌学:多種の系統地理学的知識を用いて特定の地域の性格について考察する。 *1
近代地理学は19世紀後半から20世紀前半にかけて確立するわけだが、この時代は欧米による世界侵略競争の時代と重なり、地理学は軍事の一役を担ったと言える(そして地理学と戦争の関係から地政学が生まれる)。
日本の「地理」と欧米の「地理」
奥山真司氏によれば、日本人の「地理」のイメージと欧米のそれは全く違う。
私自身は「地理」といえば学校の授業科目の一つで、無味乾燥な暗記科目というイメージが最初に浮かぶ。その他に思い浮かぶのはせいぜい「土地や気候などを学ぶ科目(学問)」くらいだろうか。
しかし、奥山氏によれば、《日本人は「地理」の意味を決定的に勘違いしている》と書いている。
欧米で「地理」といったときに、日本の感覚とは決定的に違うことがひとつある。それは、地理には「人間の心理」が絡んでくるという理解がある点である。
欧米の学者は、そもそも「地理学/ジオグラフィー」という言葉には、もともとの意味に「地球の表面に展開される、すべてのことを描き出すこと」というニュアンスがあることを知っている。なぜなら「ジオグラフィーgeographyという言葉には、もともと「(人間が)地球(ジオ)を(主体的に)描く(グラフィー)」という、人間の主観の働きが介入している、という意味が暗示されているからだ。
よって、欧米の学者には、地理学という「地球描き」には、地球の表面の地形や天候だけではなく、そこに住んでいたり観察したりする人間(の感覚)も含まれてくると知っているのである。
上記の考えに私たち日本人が違和感を持つ理由の一つとして、ユダヤ・キリスト教という素地を持つか持たないかの違いが考えられる。
旧約聖書の創世記の第1章26節には《神はまた言われた、「われわれのかたちに、われわれにかたどって人を造り、これに海の魚と、空の鳥と、家畜と、地のすべての獣と、地のすべての這うものとを治めさせよう」》 *2 とある。
また、近代地理学が確立した19世紀後半から20世紀前半はヨーロッパの世界侵略競争の時代であったことも関係してくるだろう。「世界は人間(ヨーロッパ人)によって支配されるべきもの」だったのだろう。
こういった地理の部分、つまり「無味乾燥」ではない生々しい「支配したい」という人間の欲望の部分が政治(軍事を含む)とつながって地政学という学問が確立(独立)したのだが、キリスト教に疎い私のような日本人には上記のような考え方を骨の髄まで理解することはできない。
敗戦後、GHQに「地理」の授業を禁止された
日本の地理学・地政学の受容
日本が地理学を輸入したのは明治期だった。近代化の一環、西洋文明の受容の一部として地理学も輸入した。
特に興味深いのはアメリカからの輸入の方だ。アメリカ海軍に所属していた戦略家 アルフレッド・セイヤー・マハン(1840-1914)は司馬遼太郎『坂の上の雲』に登場する人物なので知っている日本人も多いだろう。この小説の主人公 秋山真之はマハンに師事して、地政学を日本に持ち帰り、日露戦争の勝利に貢献した。その後日本海軍はマハンの「忠実な実行者」となった *3。
一方、ドイツから「ドイツ地政学」と呼ばれる系統のものが導入された。こちらのほうが日本では主流だったらしく、「地政学はゲオポリティークGeopolitikの訳語だ」という紹介のされ方をよく見る。マハンが海軍つまりシーパワー側の観点の地政学だったのに対し、「ドイツ地政学」は陸軍ランドパワーの観点が主力(のような気がする)。
禁止された地政学・地理学
現在の日本において、地政学と聞いて違和感を持つ人が多いであろう。それは、戦前日本の地政学が、ドイツ地政 学を導入することにより、大東亜共栄圏を根拠付け日本の膨張政策を推進したとして、戦後 GHQ により禁止され、その後、学会においてもネガティブなものとしてタブー視されたためである。
正確に言うと、GHQは修身・国史と共に地理の授業を禁止した。戦後直後のアメリカ(というかマッカーサー)は日本を二度とアメリカに歯向かうことができないように、徹底して戦争ができない国にしようとした。そのことについて詳しくは以下の動画を参照のこと。
戦後直後に禁止されたのは分かるが、ではなぜ今の今まで地政学が復活しなかったのかと言えば、戦後直後の既得権益者の系譜が現在まで続いているからだ。その一部が菅(すが)政権発足後に有名になった日本学術会議で、彼らはずっと大学に軍事研究をさせないように圧力をかけてきた。ぜんざいの日本人の地政学の理解が低いのは彼らに原因の一分がある。
*1:自然地理学 - Wikipedia
人文地理学 - Wikipedia
地誌学 - Wikipedia
*3:奥山氏/前掲書/p64