歴史の世界

進化:進化にまつわる歴史② 分類学


1623 スイスのギャスパール・ボアン、『植物対照図表』の一部で二名法を採用。
1686 イングランドのジョン・レイ、『植物誌』で種の概念を発表する。
1694 フランスのジョゼフ・ツルヌフォール、『基礎植物学』で種の上に属、目、網を立てる。
1735-59 スウェーデンのカール・リンネ、『自然の体系』で生物の分類を体系化した。二名法を本格的に採用し、分類学の祖と言われるようになる。
1802 イギリスのウィリアム・ペイリー、『自然神学』でデザイン論を発表。
1809 フランスのジャン=バティスト・ラマルク、『動物の哲学』で獲得形質の遺伝による進化論を発表。
1844 スコットランドのロバート・チェンバース、匿名で『創造の自然史の痕跡』を出版。進化論が注目を集める。
1858 イングランドのアルフレッド・ラッセル・ウォレスとチャールズ・ダーウィンの共同論文を発表。自然選択による進化論を世に出すが、あまり注目されなかった。
1859 ダーウィンの『種の起源』が出版される。注目を集める。
1861 フランスのルイ・パスツール、『自然発生説の検討』を著し、従来の「生命の自然発生説」を否定。
1865 オーストリア帝国のグレゴール・ヨハン・メンデル、『植物雑種に関する研究』を発表。発表当時は反響がなかったが、後世に「メンデルの(遺伝の)法則」として有名になる。
1940年代 ネオダーウィニズム(総合説)が成立。
1968 遺伝子の「分子進化の中立説」をNatureに発表。


スウェーデン博物学者カール・リンネ(Carl von Linné 1707-1778)は『自然の体系』(1735)を著し、生物の分類を体系化した。現在の分類も彼の体系の改良されたものだ。リンネは分類学の祖と言われている。

以下のような功績により、「分類学の父」と称される。

・それまでに知られていた動植物についての情報を整理して分類表を作り、その著書『自然の体系』(Systema Naturae、1735年)において、生物分類を体系化した。その際、それぞれの種の特徴を記述し、類似する生物との相違点を記した。これにより、近代的分類学がはじめて創始された。

・生物の学名を、属名と種小名の2語のラテン語で表す二名法(または二命名法)を体系づけた。ラテン語は「西洋の漢文」であり、生物の学名を2語のラテン語に制限することで、学名が体系化されるとともに、その記述が簡潔になった。現在の生物の学名は、リンネの考え方に従う形で、国際的な命名規約[2]に基づいて決定されている。

・分類の基本単位である種のほかに、綱、目、属という上位の分類単位を設け、それらを階層的に位置づけた。後世の分類学者たちがこの分類階級をさらに発展させ、現代おこなわれているような精緻な階層構造を作り上げた。

出典:カール・フォン・リンネ<wikipedia

リンネ以前に既に膨大な動植物のデータが西欧に集積されていた。そして分類方法をどうすべきかも案は出されてきた。

自然界のさまざまな存在を収集して命名し、体系化を試みた博物学者は、リンネが最初ではなかった。古代ギリシャの哲学者アリストテレスは、動物を「無血動物」と「有血動物」に分類した。16世紀のドイツの植物学者レオンハルト・フックスは、500種類の植物をアルファベット順に並べて解説した。英国のジョン・レイは、1686年に発表した『植物誌』で「種」という概念の確立に貢献した。レイと同時代に活躍したフランスの植物学者ジョゼフ・ピトン・ド・トゥルヌフォールは、花や実といった部位の形を基準にして、世界の植物を700あまりの種類に分類した。

出典:特集:リンネ 植物にかけた情熱の人<ナショナル・ジオグラフィック日本語版<2007年06月号/p2

上に名前は出ていないが、初めて二名法を公表したのはギャスパール・ボアン(Gaspard Bauhinまたは Caspar Bauhin、1560年-1624年)だった(二名法については後述)。『植物対照図表』(Pinax Pinax theatri botanici、1623)の中の多くの植物の名前に二名法を採用した。この二名法は属と種を使って表した*1が、ボアンの頃の属や種は近代のそれとは違う独自のものだったようだ。

種の概念を初めて確立したのはジョン・レイ(1627-1705)の『植物誌』(Historia generalis plantarum 、1686)。レイの定義はいわゆる生物学的種だった。つまり「同地域に分布する生物集団が自然条件下で交配し、子孫を残すならば、それは同一の種とみなす」というもの。

トゥルヌフォールツルヌフォール、1656-1708)は属・目・網の分類を確立した。彼が考案した分類は現在の分類学に受け継がれている*2

リンネはこうした伝統から出発し、その伝統を越えていった。1735年に刊行された『自然の体系』は他に類を見ない特異な書物で、二つ折りにされたページが十数ページ続く大型本だった。リンネはその中で、自然界を構成すると考えていた三つの世界、植物界、動物界、鉱物界に存在するすべてのものを分類する方法を概説している。[中略]

リンネの命名法も、科学の発展に貢献した。新種の植物が次々に発見されるようになると、種の分類と同様に、命名法にも問題が出てきた。“リンネ以前”は、形容詞や参考情報を延々と書き連ねる命名法しかなかったので、ひどく使いにくいものだった。そこでリンネは『植物の種』という著作で、植物の属と種の名前だけをラテン語で記述する二名法を確立した。1758~59年に大型の2巻本として刊行された『自然の体系』第10版では、二名法を植物だけでなく動物にも適用した。こうしてヒルムシロ科のエゾヤナギモという水草は、Potamogeton caule compresso, folio Graminis canini……という長たらしい名前から、簡潔なPotamogeton compressumになり、私たち現世人類は「知恵のあるヒト」という意味のHomo sapiensと呼ばれるようになった。

出典:特集:リンネ 植物にかけた情熱の人/p2-3

リンネは百年以上前に考案された二名法を動植物全てに一貫して採用した。ただ採用しただけでなく、リンネは「属名と種小名」という組み合わせの命名法を考案した*3

これらの分類と二名法の考案が現代の分類学の創始となる。よってカール・リンネは植物学の祖あるいは植物学の父と呼ばれる。

しかしリンネは近代学問の学者ではなかった。

リンネにはもっと深遠な目的もあった。植物を分類する「自然法則」を見つけることで、神が生物を創造した摂理を解明できると考えていた。

出典:特集:リンネ 植物にかけた情熱の人/p3

彼は進化論以前の人だった。キリスト教的な世界観を持ち天地創造説を信じていた。

進化:進化にまつわる歴史① ダーウィン以前

ダーウィン自然淘汰説が出る以前は聖書に書いてある天地創造説と古代文明の頃からあった自然発生説が信じられていた。

この世にある全てのものは神によって創造されたという天地創造説は中世西欧では当然のこととして受け入れられていたが、科学的知識が増加してくるに比例して、これに疑念を抱くようになる。これに対応しようとした教会側は自然神学を持ち出してきた。

いっぽう、自然発生説は古代より信じられていた説でアリストテレスもこの考えに基づいて『動物誌』や『動物発生論』を著している。


1623 スイスのギャスパール・ボアン、『植物対照図表』の一部で二名法を採用。
1686 イングランドのジョン・レイ、『植物誌』で種の概念を発表する。
1691 ジョン・レイ、『神の英知』で自然神学を説く。
1694 フランスのジョゼフ・ツルヌフォール、『基礎植物学』で種の上に属、目、網を立てる。
1735 スウェーデンのカール・リンネ、『自然の体系』で生物の分類を体系化した。二名法を本格的に採用し、分類学の祖と言われるようになる。
1802 イギリスのウィリアム・ペイリー、『自然神学』でデザイン論を発表。
1809 フランスのジャン=バティスト・ラマルク、『動物の哲学』で獲得形質の遺伝による進化論を発表。
1844 スコットランドのロバート・チェンバース、匿名で『創造の自然史の痕跡』を出版。進化論が注目を集める。
1858 イングランドのアルフレッド・ラッセル・ウォレスとチャールズ・ダーウィンの共同論文を発表。自然選択による進化論を世に出すが、あまり注目されなかった。
1859 ダーウィンの『種の起源』が出版される。注目を集める。
1861 フランスのルイ・パスツール、『自然発生説の検討』を著し、従来の「生命の自然発生説」を否定。
1865 オーストリア帝国のグレゴール・ヨハン・メンデル、『植物雑種に関する研究』を発表。発表当時は反響がなかったが、後世に「メンデルの(遺伝の)法則」として有名になる。
1940年代 ネオダーウィニズム(総合説)が成立。
1968 遺伝子の「分子進化の中立説」をNatureに発表。


自然発生説

自然発生説とは、「生物が親無しで無生物(物質)から一挙に生まれることがある」とする、生命の起源に関する説の1つである。一般にアリストテレスが提唱したとされている。近代に至るまでこれを否定する者はおらず、19世紀までの二千年以上にわたり支持された。

フランチェスコ・レディの対照実験を皮切りに自然発生説を否定する実験的証明が始まり1861年ルイ・パスツール著『自然発生説の検討』に至って、自然発生説がほぼ完全に否定された、とされる。

アリストテレスによる観察・判断・考察

紀元前4世紀ころのアリストテレスは、様々な動物の出産の様子(親の体から産まれる様子)なども観察した人物であるが、彼は多種多様な生物をじっくりと観察した結果、生物の中には親の体からではなく物質から一挙に生まれるものがある、と判断し、自著『動物誌』や『動物発生論』において多数の動物を自然発生するものとして記述した。例えば、ミツバチやホタルは(親の体から以外に)草の露からも生まれ、ウナギ・エビ・タコ・イカなどは海底の泥から産まれる、と記述した。

アリストテレスのこれらの観察はルネサンス期まで疑いなく人々に受け入れられており、疑う人はいなかった。

出典:自然発生説<wikipedia

天地創造と自然神学

聖書には唯一神が生命を含む万物を創造したと書かれており(天地創造)、長く信じられてきた。しかし西欧では17世紀の科学革命あたりから天地創造の物語に疑念を持つ信徒が急増し、協会側は対応を迫られていた。

18世紀初めの哲学者と進学者にとっての大きな問題は、科学が知的生活を支配し始めて以来そうであったが、理性と信仰とを調和させることであった。とりわけ、苦境にあったキリスト教会側は、キリスト教の教義と科学とを調和させることの必要性を痛感した。自然神学はそうした目的にかない、教会にも知性のある人々にも受け入れやすく、17、18世紀を経て19世紀半ばに到るまで自然神学全盛の時代となる。

出典:門井昭夫/ジョン・レイの『天地創造の御業に明示された神の英知』/健康科学大学紀要 第11号/2015(pdf)/p2

そもそも本来の自然神学とは聖書の文言や神の啓示に頼らずに、自然環境などの客観的事実の考察・判断からキリスト教の真理性を証明しようとする神学である。

中世西欧ではイスラム圏から輸入されてきたアリストテレスなどの古代ギリシアの知識が聖書と相反することが多く書かれていたためこれに対応するために自然神学が持ち出された。中世西欧の自然神学ではトマス・アクィナスが有名。

そして17世紀以降は上述のとおり、科学革命に対応するために自然神学が持ち出された。

ジョン・レイの『神の英知』

17世紀末と18世紀初めに代表されるのが上述したジョン・レイの『天地創造の御業に明示された神の英知』(通常『神の英知』で通用する)である。レイは「イングランド博物学の父」とも呼ばれるように科学者としても有名だが、この書の目的は科学的研究の発表ではなかった。

当時かなりの科学者たちが無神論者であり、それらの人々に神の御業の偉大さと英知とをつぶさに証明し、侵攻へと導くことがこの講話の目的であった。

出典:門井氏/p5

そして博物学者としての知識を披露し、とりわけ人間が如何に完全で申し分ない出来であるかを長々と説明し、その後に「神に感謝を捧げよう」と説く*1。また神を少しでも疑うことは「人を惨めにする」とした(門井氏/p19)。

[『神の英知』]は18世紀には、科学と神学の権威ある書物として広く読まれ、版を重ねて非常に大きな影響を及ぼした。その内容の多くがペイリー(William Paley)の『自然神学』(Natural Theology)に取入れられて、『神の英知』はさらに寿命が延び、その影響は後の時代にも及んだ。

出典:門井氏/p2

ペイリーの『自然神学』では『神の英知』からの無断借用が後半に見られ、剽窃と言われている。*2

ウィリアム・ペイリーのデザイン論

イギリスの聖職者、ウィリアム・ペイリー (William Paley 1743-1805)が『自然神学』(1802)*3という本を書いた。

この本の中に有名な時計職人の例え話がある。

この例え話の内容を手短に書くと、「時を測ろうと、という目的をもった時計職人が、上手く時が測れるようにデザインした」ように、「生き物がうまく生きられるようにと神様が目的をもってデザインした」*4というもの。

ペイリーは、『自然神学』という本を書き、その中で目の作りの精巧なことなど、たくさんの例をあげて、デザイン論を展開しています。これは、それ以後、主流の考えとなりました。しかし、本書でも少し指摘しましたが、生き物はたいへんうまくできてはいるものの、必ずしも完璧ではありません。でも、ペイリーは、そのような生き物の不備なところには目をつぶっていたようです。

出典:長谷川眞理子/進化とはなんだろうか/岩波ジュニア新書/1999/p194



*1:門井氏/p13

*2:門井氏/p4

*3:Natural Theology or Evidences of the Existence and Attributes of the Deity 自然神学、あるいは自然の外観から収集された神性の存在および属性の証拠

*4:長谷川眞理子/進化とはなんだろうか/岩波ジュニア新書/1999/p194

進化:進化について

厳密な学問上ではなく、一般的な進化は、ある種(生物)から別の新しい種ができることをいう。時々は新しい属もできる(種・属については記事「「種」「属」について/生物の分類について」参照)。この進化は生物学上、適応進化と言うらしい。

これ以外の進化に中立進化と言われるものがある。

この記事では一般的な進化のみについて書く。中立進化については「中立進化説<wikipedia」などを参照。

進化のプロセス

進化のプロセスについて説明するために必ず必要な用語は突然変異と自然淘汰の二つ。突然変異については記事「突然変異について」参照。自然淘汰については記事「適応と自然淘汰(自然選択)について」参照。

  1. 突然変異というのは周りの環境に関係なくランダムに起こる。多くの突然変異は生存に不利に働くので突然変異した種の個体は子孫を残せない。

  2. しかし、突然変異の中には生存に有利に働く場合もある。ある種が生活している環境が変わった場合(例えば気候変動の変化や個体激増による食糧難など)に突然変異によりたまたま生存と繁殖に有利な形質(生物のもっている形や特徴)を持った個体が生存に有利になる。この場合はその個体は子孫を多く残すことができる。そして生存に有利な突然変異を受け継いだ集団が出来上がる。

  3. ある種の中で、生存に有利な突然変異を受け継いだ集団が個体を増やし、そうでない集団が個体を減らす、このような状況を自然淘汰または自然選択という。

  4. また、個体を増やした集団は生活環境の中で有利な特性を得てより生活しやすくなっている。このような状態を適応という。

  5. ある種に自然選択を仕向ける要因(自然環境変化)を選択圧という。

  6. 突然変異から適応までのプロセスを進化という。

大進化と小進化

上で書いたように一般的な進化は、新しい種がうまれるできることだが、これを大進化という場合がある。これに対応するのが小進化と言う。

同じ種の中で生じる小規模な進化的変化。大進化の対語。新しい種が誕生するような中規模の進化もこれに含めることがある。小進化の例としてまず挙げられるのは,同じ集団内に生じる遺伝的変化である。工業地帯におけるガの工業暗化型の増加,殺虫剤の使用にともなうハエやダニやシラミの薬剤抵抗性系統の出現などがその好例である。前者の例では煤煙(ばいえん)で汚れた環境内では,暗化型の方が鳥などの捕食者によって食われにくいことから有利になり,増加したらしい。

出典:世界大百科事典 第2版<株式会社日立ソリューションズ・クリエイト<コトバンク

進化は進歩ではない

進化とは、生物が時間とともに「変化」していくことであって、その変化は必ずしも「進歩」であるとは限りません。第一、「進歩」という言葉には、悪いものから良いものへという価値観が入っていますが、なにが良くてなにが悪いのでしょう?「下等動物」・「高等動物」という言い方は、細菌のように、からだの体制が単純で神経系がよく発達しているものを「高等」とする価値観に基づいています。そして、その考えではもちろん、もっとも高等で優れた存在が「人間」ということになります。

しかし、自然淘汰に目的はないのだし、進化は、人間という「高等な」生き物を生みだすように進歩を重ねてきた過程なのではありえません。図9を見てください。進化は、左のような梯子ではなく、右に示したような枝分かれの過程です。現在、この地球上に見られるすべての動物は、ミミズでもハトでもイチゴでも、人間と同じように進化の最先端にいるのです。

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最初に生じた生物が単純な単細胞生物だったので、多細胞の複雑な生物は、確かに、あとになってから生まれました。しかし、寄生虫になって他の動物の腸の中で一生を送るようになった生き物の中には、祖先が持っていた内蔵を失ってしまったものもいます。つまり、彼らは、進化の結果、より単純なからだになりました。進化は、単純な一つの梯子にそった進歩の過程ではなく、さまざまに異なる環境に適した、さまざまに異なる生き物を生みだす枝分かれの過程なのです。

出典:長谷川眞理子/進化とはなんだろうか/岩波ジュニア新書/1999/p52-54

進化:適応と自然淘汰(自然選択)について

適応

1.ある生物のもつ形態、生態、行動などの性質が、その生物をとりかこむ環境のもとで生活してゆくのにつごうよくできていること[1]。[中略]

適応がいかにして起きているのかについての説明としては、生物学史的に見ると様々な説が提示されてきた過去があり紆余曲折があったが、現在では、自然選択が唯一の自然科学的なものであると考えられている。ただし、適応と自然淘汰の関係をどのように定義するかは研究者によって異なっている[1]。

1の意味の適応についてもう少し解説すると、たとえばアザラシやオットセイは手足がヒレ型であり、明らかに水中生活に都合のよい形をしているが、他方で頭蓋骨などの特徴からは食肉目に属するもので、イヌやネコと近縁と考えられる。この場合、陸上生活のものが先祖型と考えられるから、その手足は歩脚型であったはずで、それが現在のヒレ型になったのは、水中生活で便利なように変化したのだと生物学では考える。オットセイは両手両足を歩行に利用できるが、アザラシはそれもできなくなっており、後者の方がより水中生活への適応が進んだ(そのぶん陸上では適応的でなくなった)ものと考える。

出典:適応<wikipedia([1]生物学辞典 第四版 p.958 【適応】)

自然淘汰(自然選択)

一般に生物の繁殖力が環境収容力(生存可能数の上限)を超えるため、同じ生物種内で生存競争が起き、生存と繁殖に有利な個体はその性質を多くの子孫に伝え、不利な性質を持った個体の子供は少なくなる。このように適応力に応じて「自然環境が篩い分けの役割を果たすこと」を自然選択という。

出典:自然選択説wikipedia

ある生物(種)は制限されなければ幾何級数的に(例えば、2,4,8,16…のように)増加する。

→しかし自然環境の食糧は算術級数的に(例えば、1,2,3,4…のように)しか増加しない。

→食糧不足のため生存競争が起こる。

→突然変異によって偶然に生存と繁殖に有利な形質(生物のもっている形や特徴)を持った個体あるいは群は多くの子孫を残す。生存競争に勝つ。

生存競争に勝って多くの子孫を残した種は生活している環境の中で「適応している」という。

参考

幾何級数(=等比数列):a_{n} = ar^{n-1} (aを初項、rを等比という)

算術級数(≒等差数列):a_{n} = a_1 + (n-1)d (a_{1}を初項、dを等差という)

注意すべき誤解

自然淘汰が働く大前提は、生き物の間に遺伝的な変異があることです。それらの変異の中にあるものが、他のものよりも環境に適しているとなると、自然淘汰が働きます。しかし、そもそも生き物の間に存在する変異は、環境とは無関係に生じてくるものです。変異は遺伝子の配列に生じるものですが、遺伝子は、まわりの環境がどうなっているかなど知るよしもありません。

変異はランダムに無方向に生じます。したがって、たとえば、寒い海の中に住んでいる生き物にとって、血液が凍らないような性質があればいいなあということになっても、凍らない血液を作ることのできるような変異が遺伝子の中に生じていなければ、それが自然淘汰で拾い上げられることはありません。寒い海の中に入ったからといって、凍らない血液を作るような変異が、そのときになってうまい具合に生じてくるわけではありませんし、寒い海に入っていくことを見越して、あらかじめそのような変異が備わっているというわけでもないのです。

確かに、北極海に住んでいる魚の中には、凍らない血液を持っているものがあります。しかし、それは、その魚がたまたま、北極海に住むことで有利となり、自然淘汰によって広まったものです。自然淘汰の結果として適応が起こると、あたかもそのような素晴らしい適応を起こすように、目的をもって淘汰が働いたかのように見えますが、それは、あとから見るとそう見えるだけで、自然淘汰の材料となる変異は、目的などとは関係なく生じているのです。

出典:長谷川眞理子/しんかとはなんだろうか/岩波ジュニア新書/1999/p50-52



自然選択説の考えはマルサスの『人口論』の考えがベースにある。人口論の考えとは「人口は制限されなければ幾何級数的に増加するが生活資源は算術級数的にしか増加しないので、生活資源は必ず不足する」*1というものだ。


進化:突然変異について

進化の重要なキーワードの一つ、突然変異についてまとめておこう。

突然変異の説明に必要な用語たち

「何となく分かりそうな用語」をもう少し詳しく理解するために整理しておく。

遺伝子

遺伝子

遺伝形質を規定する因子。本体はふつうDNA(デオキシリボ核酸)で、染色体上のある長さをもつ特定の区画をいう。

出典:遺伝子<デジタル大辞泉<小学館<コトバンク

  • 遺伝形質とは、「生物のもっている形や特徴のなかで遺伝するもの」*1。これに対して獲得形質はふつうは遺伝しない。これは「後天性遺伝形質ともいう。先天性遺伝形質に対する言葉。すなわち,生物が生れたのちに,外界の影響によって得た形質。たとえばナイフによる切り傷や学習による知識など。」*2 *3

  • 一部のウイルスではRNA(リボ核酸)がDNAの代わりをする。

DNA

DNA

地球上の多くの生物において遺伝情報の継承と発現を担う高分子生体物質である。

f:id:rekisi2100:20170923134300g:plain

出典:デオキシリボ核酸wikipedia

  • 生体物質とは、「生物の体内に存在する化学物質の総称。」*4

染色体

染色体

元来は細胞核の中に含まれ,細胞分裂が始まると,塩基性色素によく染まるひも状の構造を指したが,その後の分子遺伝学的な知見に基づき,現在では,細胞内の遺伝情報を担うDNA(およびヒストンなどのタンパク質分子が結合した)の巨大な糸状分子を指す。

出典:染色体<百科事典マイペディア<株式会社日立ソリューションズ・クリエイト


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ヒト細胞の分裂期染色体(左)とその拡大図(右)。バーは1 μm。

出典:染色体<wikipedia*5

突然変異

突然変異(とつぜんへんい)とは、生物やウイルスがもつ遺伝物質の質的・量的変化。および、その変化によって生じる状態。

核・ミトコンドリア葉緑体において、DNA、あるいはRNA上の塩基配列に物理的変化が生じることを遺伝子突然変異という。染色体の数や構造に変化が生じることを染色体突然変異という。

細胞や個体のレベルでは、突然変異により表現型が変化する場合があるが、必ずしも常に表現型に変化が現れるわけではない。 また、多細胞生物の場合、突然変異は生殖細胞で発生しなければ、次世代には遺伝しない。

表現型に変異が生じた細胞または個体は突然変異体(ミュータント[1])と呼ばれ、変異を起こす物理的・化学的な要因は変異原(ミュータゲン[2])という。

個体レベルでは、発ガンや機能不全などの原因となる場合がある。しかし、集団レベルでみれば、突然変異によって新しい機能をもった個体が生み出されるので、進化の原動力ともいえる。

出典:突然変異<wikipedia

  • 遺伝物質とは遺伝子、DNA、RNA、染色体のこと。

  • 表現型とは、「ある生物のもつ遺伝子型が形質として表現されたものである。その生物の形態、構造、行動、生理的性質などを含む。」(表現型<wikipedia

突然変異は大きく分けて、遺伝子突然変異と染色体突然変異(染色体異常)の二つがある。

  • 遺伝子突然変異は、基本的にDNAの複製(細胞分裂する時にDNAも複製される過程)*6のミスにより起こるが、その他の原因として化学物質によるDNAの損傷および複製ミス・放射線照射によるDNAの損傷などがある*7

  • 染色体突然変異(染色体異常)は、《染色体の、欠失・逆位・転座・重複などによる構造の変化や、染色体数の増減などの変異。また、それが原因で起こるダウン症候群などの病気》*8

突然変異は、基本的にDNAの複製のミスで起こるので、自然環境の中では周囲の環境に関係なくランダムで起こる。

しかし、放射線照射により人為的に突然変異を起こすことができる。*9

突然変異の影響(有害か有益か)

突然変異のほとんどは、個体の生存にとって有害です。タンパク質はアミノ酸がならんで作られる分子ですが、突然変異によって遺伝暗号が変化すると、たいていは意味のない配列になってしまうので、どんなタンパク質も作られなくなってしまいます。また、不適切なタンパク質が作られることにもなります。そうすると、そのような変異を持った個体は、生存や繁殖に不利になります。[中略]

有害な突然変異は、そういう変異を持った個体の適応度が低くなるので、自然淘汰によって除かれてしまいます。いったん除かれても、変異はランダムに起こるので、また同じような変異が生じてくることがあります。

出典:長谷川眞理子/進化とはなんだろうか/岩波ジュニア新書/1999/p65


体細胞の突然変異は腫瘍の発症につながることがある。 詳細は「悪性腫瘍#がん発生の機序(メカニズム)」および「発癌性」を参照

生殖細胞が突然変異を起こし、それが無事に発生・成長すれば、その個体の全細胞のDNAが変異した状態となり、部位によっては親と異なる遺伝形質が発現する事がある。さらにそれが子に遺伝し、幾世代に渡って変異が累積していけば、ついには別の種へと変化する事になり、これが進化のプロセスの一つと考えられている。

細菌やウイルスは突然変異によりワクチンの型変化や治療薬への抵抗力を獲得する事があり、治療・予防を困難にしている。ただし細胞や個体が突然変異を起こしたとしても、細胞なら分裂能力、個体なら繁殖能力を持たない場合も多く、変異したものがその個体のみで終わってしまう場合も少なくない。また個体の場合は、繁殖能力を持っていたとしても、必ずしも変異したDNA部分が遺伝されるわけではないので、やはり変異が遺伝されるとは限らない。

出典:突然変異#影響<wikipedia

分子時計

分子時計(ぶんしどけい、英: Molecular clock)とは、生物間の分子的な違いを比較し、進化過程で分岐した年代を推定したものの仮説。分子進化時計とも呼ばれることがある。[中略]

1955年頃から、アメリカのライナス・ポーリングとエミール・ズッカーカンドル[1][2]は、ヘモグロビンのα鎖を構成するアミノ酸に注目した。ヘモグロビンα鎖は141個のアミノ酸からなることが知られていた。また、動物により配列が異なることから、ポーリングらはいろいろな動物間でこのアミノ酸の配列の異なる個数を調べたところ、以下の結果を得た。

ヒト - ゴリラ:1個[3]
ヒト - イヌ:23個[4]
ヒト - イモリ:62個[要出典]
ヒト - 鯉:68個[4]

生物の類縁度が高いほどアミノ酸の配列が異なる個数は少なくなることが分かった。これ以外にも色々な動物間のアミノ酸の配列の違いを測定。さらに、化石上ですでに分岐時期が判明しているものとの相関関係を取ると、アミノ酸α鎖の配列の差と分岐時期に直線関係があることが分かった。

これらのことからアミノ酸配列の突然変異が常に一定速度で発生すると仮定すると、生物間の分子構造の違いと分子構造の時間あたりの変化量から進化系譜が構築できるのではないかという考えが生まれた。1962年、ポーリングらはこれを分子時計と名付けた[5]。

出典:分子時計wikipedia

分子時計については、ほかに、「パラダイムシフト:分子進化の中立説<宮田 隆の進化の話 - JT生命誌研究館/2005」なども参照。



関連記事


進化:「種」「属」について/生物の分類について

前回の記事で種(しゅ)・属について少し書いたが、この記事では少し詳しく書く。

種(しゅ)・属(前回のおさらい)

前回の記事に書いたものを再び書く貼り付ける。

種(しゅ)

生物分類学上の基本単位。
共通する形態的特徴をもち、他の個体群との形態の不連続性、交配および生殖質の合体の不能などによって区別できる個体群。

出典:[種(しゅ)<デジタル大辞泉(小学館)<goo辞](https://dictionary.goo.ne.jp/jn/102993/meaning/m0u/)書(抜粋)

人間(ホモ・サピエンス)、チンパンジー、ゴリラ、オランウータンなどがそれぞれ別々の「種」である。

人間とチンパンジーは一見しただけで違う動物だと分かる。これが「共通する形態的特徴をもち、他の個体群との形態の不連続性」による区別(分類)。

そして仮に人間とチンパンジーが交尾しても子供は産まれない。これが「交配および生殖質の合体の不能」による区別。

ほかにも分類の方法は数十もあるそうだが割愛。

「属」は「種」の一つ上の分類単位。「基本的な体の構造や性質がほとんど共通であり、些細な部分でのみ区別できる種のまとまりを真っ先に考える。これが属である。」(属<wikipedia

それ以上の分類の単位は「生物の分類<wikipedia」などを参照。

種の分類の仕方は数十もある。何故そんなにあるのかと言えば、それぞれの分け方に問題点があるからだ。

以下に代表的なものの中から2つだけ挙げておく(ほかの有力なものは種 (分類学)#種の定義<wikipedia参照)。

形態的種

上で書いたような人間とチンパンジーの区別はこの形態的種による分類である。つまり「生物の形態によって種を区別する」方法。

問題点としては、「形態的な差を種の同定の基準に用いることは分類が主観的になりすぎる問題がある」「生物個体のどのような特徴を判断の基準とするかがあいまいである。また性的二型のような多型を別種と誤解する可能性がある」。(種(分類学)#形態的種の概念<wikipedia

生物学的種

同地域に分布する生物集団が自然条件下で交配し、子孫を残すならば、それは同一の種とみなす。しかし、同地域に分布しても、遺伝子の交流がなされず、子孫を残さない(=生殖的隔離が完了している)ならば、異なる種とされる。たとえば、ヒョウとライオンを強制的に交雑することによってレオポンと呼ばれる雑種が生まれるが、レオポンはほとんど繁殖力を持たない。よって、ヒョウとライオンは同一の種ではない。ラバ(ロバとウマ)についても同様である。

それぞれの生物集団が異なる地域に属していたり、違う時代に属している場合、生殖的隔離の検証が出来ないため、その生物の形態の比較、集団レベルでの交配および受精の可能性の検証、雑種の妊性(稔性)の確認を通じて、同一の種であるかが検討される。

ただし雑種が全て生殖能力に劣るわけではない。特に、植物では従来の見解では異種であった個体群を交配させて園芸品種を作ることは頻繁に行われている。このようなときは、この定義を厳密に当てはめた場合種ではなく亜種として分類しなおすことになる。野生下での交配可能性のみを問題にする立場からしても、イヌ属やカモ属、キジ属などの場合は亜種として扱うことになる。

生物学的種を普遍的なものとして扱いたい場合に最も根本的な問題となるのは交配せず無性生殖のみを行う生物である。この定義を適用すれば全ての個体の系統が異なる種に分類されることになり、現実的ではない。はるか昔に絶滅した種を扱う古生物学にも適用できない。また実際的な問題として、無数の生物の組み合わせ全てで実際に交配が行われるかどうかを確認するのは不可能である。

さらに輪状種の存在は生物学的種に困難をもたらす。輪状種とは近接して生息する個体群AとB、BとCが交配可能であるが、離れて生息する個体群AとCの間に生殖的隔離が存在する亜種の混合個体群のことである。この場合AとCは生物学的に別種であるが、AとB、BとCは定義上、同種である。全ての種は時間的には連続した存在だが、輪状種はそれを空間的に見ていると言うことができる。

出典:種(分類学)#生物学的種の概念<wikipedia

この分類方法の問題点を整理すると、

  1. それぞれの生物集団が異なる地域に属していたり、違う時代に属している場合、生殖的隔離の検証が出来ない
  2. 生殖能力のある雑種について説明できない。
  3. はるか昔に絶滅した種を扱う古生物学にも適用できない。つまり化石には適用できない。
  4. 無性生殖生物、自家受粉をする植物、兄弟姉妹どうしで交配する動物(ダニなど)には適用できない。
  5. 輪状種の問題。

このように多くの問題が挙げられる。

ただし、「自然界では、異なる種間での交雑が普通はうまく回避されている」から、上の4番目の問題を除けば、生物学的種の概念の核心である生殖的隔離は保たれる。

生物を分類する時のカテゴリ(ディレクトリ?)の一つ。

生物はそれぞれに一定の特徴を持ち、それ以外のものとはある程度以上明確に区別できる種という単位からなっている(というのが一応の一般的判断である。異論はあるが)。それらを比較し、体系的にまとめようとするのが分類学であるが、このとき、基本的な体の構造や性質がほとんど共通であり、些細な部分でのみ区別できる種のまとまりを真っ先に考える。これが属である。

この場合、どのような形質が基本的であり、どのような形質が些細であるかはその分類群により異なっており、より自然分類に近づくようにそれらを選ぶのが分類学者の判断である。たとえば種子植物であれば、一般的には花の構造や雌しべの内部の構造、維管束の配置などはより基本的なものであり、花の色、葉の形などはより些末な形質であると見なされている。つまり植物全体の姿や花の構造がほぼ同じで、花の大きさや色と葉の形が違っていて、それらに中間型がなければそれらを同属の別種と考える。

もっとも、この部分に恣意性が入るのを問題視し、できるだけ多くの形質を抽出し機械的な操作に任せる分岐分類学や、外部形態よりもより直截な系統関係が明らかになると考えられる分子遺伝学的方法も取り入れられつつある。しかしいずれにせよ形態的特徴は重要なものと見なされる場合が多く、新たな方法でそれまでの判断とは異なった結果が出た場合には、それらの種の形態について洗い直されるのが普通である。

出典:属 (分類学)<wikipedia(文字修飾は引用者)

生物の分類

属の上にも「科」というカテゴリーがあり、その上にも複数のカテゴリーがある。このように生物を体系的に分類する学問を分類学または生物分類学(taxonomy)という。

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出典:生物の分類<wikipedia

門・綱・目・科・属・種などのような階層を分類学では階級または分類階級という。

階級と似た言葉でタクソン(分類群)という用語がある。《たとえば「棘皮動物門」「哺乳綱」「甲虫目」「キュウリ属」「ミヤコヒキガエル亜種」などがタクソンの例》だが、《タクソンが認められたとして、それをどの階級に位置づけるかは本質的には任意である。生物の階級には門・綱・目・科・属などがあるが、あるタクソンをどこに置くかに明確な基準はなく、ほとんどの場合に経験的・伝統的に決められる。》(タクソン<wikipedia

学名

学名(がくめい、ラテン語: binomen)は生物学(かつては博物学)的な手続きにもとづき、世界共通で生物の種および分類に付けられる名称。英語では二名法による名称という意味で binomial name、あるいは科学的な名称という意味で scientific name という。命名には一定の規則があり、ラテン語として表記される。この規則は、それぞれの生物分野の命名規約により取り決められている。動物には「国際動物命名規約」があり、藻類・菌類と植物には「国際藻類・菌類・植物命名規約」が、細菌には「国際細菌命名規約」がある。日本語独自の和名(標準和名)などと異なり、全世界で通用し、属以下の名を重複使用しない規約により、一つの種に対し有効な学名は一つだけである。ただし、過去に誤って複数回記載されていたり、記載後の分類の変更などによって、複数の学名が存在する場合、どの学名を有効とみなすかは研究者によって見解が異なる場合も多い。

種の学名、すなわち種名は属名+種小名(細菌では属名+種形容語)で構成される。この表し方を二名法という。二名法は「分類学の父」と呼ばれるリンネ(Carl von Linné, ラテン語名 カロルス・リンナエウス Carolus Linnaeus, 1702 - 1778)によって体系化された。

属名と種小名

種名の初めの部分である属名とは、分類上の位置が近い種をまとめて取り扱う分類単位である属の名称で、同じ属に分類されている全ての種で共通の名前である。

第2の部分である種小名は、属名と結合させる事によりその種に固有のものとなる。例えば、タイリクオオカミ、コヨーテは同じイヌ属 Canis に分類されている別種なので、学名はそれぞれ Canis lupus、Canis latrans となる。なお、これ(たとえば lupus)を「種小名 specific name」というのは、属名と種小名を合わせた「種名 species name, name of a species」(たとえば Canis lupus)と区別するためである。[中略]

下位分類

生物分類の基本単位は「種」だが、さらに亜種・変種・品種と、細目に分類することがある。

亜種名等は、種小名と同様の形式(一般にイタリック体ですべて小文字)で表記し、属名+種小名の後に続けて書く。

  • 属名+種小名+「ssp.」または「subsp.」+亜種名(ssp, subsp: subspecies の略)
  • 属名+種小名+「var.」+変種名(var: variant の略)
  • 属名+種小名+「f.」+品種名(f: forma の略)

この表記を「3名法」とよぶ。ssp. 等の符号は属名や種小名の字体(一般にイタリック体)にしない。なお、亜種や変種の無かった種に新たにそれらが作られた場合、元になった種には、種小名の後ろに基本亜種(変種)を示す亜種名(変種名)としてもとの種小名が繰り返される。これは新亜種(変種)の記載によって自動的に生じるものである。

なお、動物の場合、上に示した ハイイロオオカミ Canis lupus lupus のように、subsp. 等の符号抜きで亜種小名を記すのが通例である。

出典:学名<wikipedia

ハイイロオオカミタイリクオオカミ)は通常Canis lupus と二名法で表記されるが、他の亜種と区別する必要がある場合は、上記の法則に従って、Canis lupus lupus と表記される。

同様に、ホモ・サピエンスホモ・サピエンス・イダルトゥと区別する必要がある場合、ホモ・サピエンス・サピエンスと書く。

おまけ:イヌとネコについて

イヌ

イヌはオオカミが家畜化された動物だとはよく知られている。

少し詳しく書くと一般的なオオカミであるタイリクオオカミハイイロオオカミ、Canis lupus)が「種」であり、これが家畜化されたのがイヌ(イエイヌ、Canis lupus familiaris)という「亜種」である。

亜種名 familiaris はやはりラテン語で、「家庭に属する」といった意味。(オオカミ<wikipedia、イヌ<wikipedia

ネコ

「ネコ(猫)は、狭義には食肉目ネコ科ネコ属に分類されるヨーロッパヤマネコが家畜化されたイエネコ(家猫、Felis silvestris catus)に対する通称である。」(ネコ<wikipedia

ヨーロッパヤマネコ(Felis silvestris)が「種」でイエネコ(Felis silvestris catus)が「亜種」。(ヨーロッパヤマネコ<wikipedia

「catus」は「cat」つまりネコの意味。「Felis」もネコの意味で、「silvestris」は「野生の」を表す。(ネコ<wikipedia



種・属と人類との関係は また別の機会に。

進化:【用語の変更のニュース】「優性遺伝→顕性遺伝、劣性遺伝→潜性遺伝」はいいが、「突然変異→変異」は混乱を招くのではないか

生物学の用語の変更の動きのニュースがあった。

遺伝の「優性」「劣性」表現を変更へ 教科書の変更も

遺伝の研究者などで作る日本遺伝学会は、遺伝子の特徴を示す「優性」や「劣性」という用語について、一方が劣っているかのような誤解や偏見につながりかねないとして使用しない方針を決め、今後、教科書の変更を国に求めることになりました。

遺伝学には、ある遺伝子が関係している特性について、実際の現れやすさを示す用語として「優性」と「劣性」という表現が使われています。

日本遺伝学会はこの用語について、一方が劣っているかのような誤解や偏見につながりかねないとして、今後は使用しない方針を決めました。今後は「優性」は「顕性」に、「劣性」は「潜性」という用語を使うということです。

このほか、遺伝子に何らかの変化が起きる「突然変異」という用語は「突然」を除いて「変異」とするなど、100ほどの用語について表現の変更を提案しています。[以下略]

出典:NHK NEWS WEB (2017年9月15日 5時25分)

まず、「表現を変更へ」と書いているが、現段階では提案しているだけだ。「へ」で止まる見出しの記事のイベントは結果的にそうならないことがよくある。自戒もこめて要注意。

さて本題。

優性・劣性は長く言われていたことで問題ないと思うが、《「突然変異」という用語は「突然」を除いて「変異」とする》のはいかがなものか。

長く「突然変異」が使われてきた一方で「変異」は「多様性」という意味で使われてきた。 朝日新聞の記事*1によれば 《「バリエーション」の訳語の一つだった「変異」は「多様性」に》するように提案されている。

誤解を招かないように適切な表現を提案することについては「何故もっと早くにやらなかったのか」とすら思うが、「変異」という一つの言葉が現在・過去と未来で変わってしまったら混乱を招くだろう。

日本遺伝学会がそこまで頭が回らないほどの集団だとは思わないので、混乱を招く可能性についてどのように考えているのか、を知りたいのだが、日本遺伝学会のウェブサイトにはこのニュースが載っていない。

学会の見解を自サイトで発表して欲しい。



「変異」はvariationの訳語で「突然変異」はmutation。だから「変異」が「多様性」に変わっても「突然変異」が「突然多様性」に変わることはない。