歴史の世界

進化:適応と自然淘汰(自然選択)について

適応

1.ある生物のもつ形態、生態、行動などの性質が、その生物をとりかこむ環境のもとで生活してゆくのにつごうよくできていること[1]。[中略]

適応がいかにして起きているのかについての説明としては、生物学史的に見ると様々な説が提示されてきた過去があり紆余曲折があったが、現在では、自然選択が唯一の自然科学的なものであると考えられている。ただし、適応と自然淘汰の関係をどのように定義するかは研究者によって異なっている[1]。

1の意味の適応についてもう少し解説すると、たとえばアザラシやオットセイは手足がヒレ型であり、明らかに水中生活に都合のよい形をしているが、他方で頭蓋骨などの特徴からは食肉目に属するもので、イヌやネコと近縁と考えられる。この場合、陸上生活のものが先祖型と考えられるから、その手足は歩脚型であったはずで、それが現在のヒレ型になったのは、水中生活で便利なように変化したのだと生物学では考える。オットセイは両手両足を歩行に利用できるが、アザラシはそれもできなくなっており、後者の方がより水中生活への適応が進んだ(そのぶん陸上では適応的でなくなった)ものと考える。

出典:適応<wikipedia([1]生物学辞典 第四版 p.958 【適応】)

自然淘汰(自然選択)

一般に生物の繁殖力が環境収容力(生存可能数の上限)を超えるため、同じ生物種内で生存競争が起き、生存と繁殖に有利な個体はその性質を多くの子孫に伝え、不利な性質を持った個体の子供は少なくなる。このように適応力に応じて「自然環境が篩い分けの役割を果たすこと」を自然選択という。

出典:自然選択説wikipedia

ある生物(種)は制限されなければ幾何級数的に(例えば、2,4,8,16…のように)増加する。

→しかし自然環境の食糧は算術級数的に(例えば、1,2,3,4…のように)しか増加しない。

→食糧不足のため生存競争が起こる。

→突然変異によって偶然に生存と繁殖に有利な形質(生物のもっている形や特徴)を持った個体あるいは群は多くの子孫を残す。生存競争に勝つ。

生存競争に勝って多くの子孫を残した種は生活している環境の中で「適応している」という。

参考

幾何級数(=等比数列):a_{n} = ar^{n-1} (aを初項、rを等比という)

算術級数(≒等差数列):a_{n} = a_1 + (n-1)d (a_{1}を初項、dを等差という)

注意すべき誤解

自然淘汰が働く大前提は、生き物の間に遺伝的な変異があることです。それらの変異の中にあるものが、他のものよりも環境に適しているとなると、自然淘汰が働きます。しかし、そもそも生き物の間に存在する変異は、環境とは無関係に生じてくるものです。変異は遺伝子の配列に生じるものですが、遺伝子は、まわりの環境がどうなっているかなど知るよしもありません。

変異はランダムに無方向に生じます。したがって、たとえば、寒い海の中に住んでいる生き物にとって、血液が凍らないような性質があればいいなあということになっても、凍らない血液を作ることのできるような変異が遺伝子の中に生じていなければ、それが自然淘汰で拾い上げられることはありません。寒い海の中に入ったからといって、凍らない血液を作るような変異が、そのときになってうまい具合に生じてくるわけではありませんし、寒い海に入っていくことを見越して、あらかじめそのような変異が備わっているというわけでもないのです。

確かに、北極海に住んでいる魚の中には、凍らない血液を持っているものがあります。しかし、それは、その魚がたまたま、北極海に住むことで有利となり、自然淘汰によって広まったものです。自然淘汰の結果として適応が起こると、あたかもそのような素晴らしい適応を起こすように、目的をもって淘汰が働いたかのように見えますが、それは、あとから見るとそう見えるだけで、自然淘汰の材料となる変異は、目的などとは関係なく生じているのです。

出典:長谷川眞理子/しんかとはなんだろうか/岩波ジュニア新書/1999/p50-52



自然選択説の考えはマルサスの『人口論』の考えがベースにある。人口論の考えとは「人口は制限されなければ幾何級数的に増加するが生活資源は算術級数的にしか増加しないので、生活資源は必ず不足する」*1というものだ。