歴史の世界

メソポタミア文明:テル(遺丘)とジッグラト

テル(遺丘)

メソポタミア文明の建造物の代表であるジッグラトに、触れる前にテル(遺丘)について触れる。

遺丘(いきゅう、英語: tell)とは、ある場所に繰り返し集落や都市が築かれた結果、その場所が丘のように盛り上がった状態、又はその場所。集落や都市の形成、放棄、整地の繰り返しにより形成されるため、層状の遺跡となる。

遺丘が形成されるのは、人々の居住に適した場所がある程度限定されるためであるが、特に乾燥地では水利施設による制約があるため、形成されやすい。

遺丘は、世界各地に分布しているが、具体的な例としては、西アジア各地にみられるタル(アラビア語: تلّ tall または tell)、テル(ヘブライ語: תֵּל tel)、テペ(ペルシア語: Tepe)、ホユック(トルコ語: höyük)と呼ばれるものが挙げられる。また、アンデス地方では、ピラミッドや巨石などを含めて、このような遺丘のことをワカ(Huaca)と呼ぶ。そのため、こういった地域の遺跡名は、テペ某、某テペ、ワカ某という遺跡名が多く、実際に遺丘を形成している場合が多い。

遺丘は、いくつもの文化層が重なった結果、「丘」のようになっているのでその場所の歴史のタイムカプセルになっている。 典型的な層位発掘調査が期待できる。文化層の遺物を共伴遺物と考えることができる。ほかの遺丘の調査結果と比べることにより、その遺丘が集落ないしは都市として機能していたのか否かなどを含めてその地域の歴史を知ることができる。

出典:遺丘<wikipedia

建て替える時は取り壊した瓦礫をどかして再建せずに、その瓦礫の上を(?)地ならしをしてその上に建てられた。

例としては、テルアビブ(イスラエル第二の都市)、ギョベクリ・テペ(トルコにある1万年前の神殿)、チャタル・ホユック(ヒュユク)(先土器新石器時代の遺跡)などが挙げられる。

ジッグラト

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ウルのジッグラト復元図。三層構造で基壇上に月神ナンナルの至聖所があった。基幹構造は日乾煉瓦、外壁は瀝青で仕上げられていた。

出典:ジッグラト<wikipedia*1


ジッグラト
シュメールに起源し,前3千年紀以降,メソポタミアエラムの古代諸都市に築かれた方形のプランをもつ数層の塔。神にささげられた聖塔で,塔上に神殿がある。遺跡は,メソポタミア地方に20余ヵ所発見されており,旧約聖書の《創世記》ではバビロンのジッグラトを〈バベルの塔〉として伝えている。

出典:ジッグラト<百科事典マイペディア<株式会社日立ソリューションズ・クリエイト<コトバンク

シュメール地方は木も石もロクに無い沖積平野のため、泥を固めた日干し煉瓦を積み上げ、アスファルトを接着剤としていた*2

神殿は住居同様に、時の経過とともにほころび、いたんでくるため、立て替える必要が生じる。先行する建物はいったん取り壊されて、静置後に同じ場所(聖域)に新しい神殿が建て直されていった。もともと高いところに建っていた神殿は、建て替えの連続により重層的に「上へ」伸びていく。いわば遺跡の中にプチ遺跡があるような構図となる。古い神殿の瓦礫が基壇(プラットホーム)として残り、最新版の神殿が上書きされていった。

出典:小泉龍人/都市の起源/講談社選書メチエ/2016/p62

下は以前にも貼ったエリドゥの神殿の遺跡の層

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出典:大津忠彦・常木晃・西秋良宏/西アジアの考古学/同成社/1997/p102-104

エリドゥやウルクなど古い集落では建て替えの神殿の層が10層を超えて塔のようになっている。これがジッグラトの基となる。

ウル第三王朝時代(約4100年前)には、ランドマークとしての神殿の進化形が出現する。数段の基壇上に神殿の建つジッグラト(聖塔)である。ジッグラトという言葉そのものは、アッカド語で「頂上に一つもしくは複数の神殿が設置された階段状ピラミッド」を意味する。[中略]

約4000年前までには、ウルを典型例として、主要な都市のテメノス(聖域)にジッグラトが建立されるようになる。ジッグラトの出現は、視覚的効果として強烈な街の焦点をもたらすことになり、都市プランの在り方を大きく変えていった。たいていジッグラトは、すぐそばに都市神を祀る神殿を伴い、独立した前庭をもつ区画の中に建てられている。街を守護する都市神は神殿に祀られて、ジッグラトは都市神の神殿を補助する役割があったとされる。

ジッグラトの起源に関して、おもに三つの仮説がある。一つ目は、農作物の保管施設としての利用が想定されている。毎春、雪解け水がユーフラテス・ティグリス両大河を下り、南メソポタミアの平野は洪水で溢れる。そこで、ムギ類をはじめとした穀物を冠水から避け、保管するためにつくられた設備がジッグラトだったという説である。

二つ目は、出身地の山岳地に似せてつくった人工の山という説である。シュメール人の出身は、南西イランの山岳地帯であったとされる。故郷から遠く離れて暮らしていたシュメール人は、自分たちの出身地の山に見立ててジッグラトをつくったというものだ。

三つ目は、ジッグラトは天に通ずる階段であるという考え方で、もっとも広く受け入れられている。ジッグラト頂部の神殿は、祭司が神々に近づける場所として配置されたという説である。ジッグラトに隣接して都市神を祀る神殿が配置されていることから、神が天からジッグラトに降りてきて、隣接した神殿に入る(居る)と想像されている。

ジッグラト内部はエジプトのピラミッドと異なり、たいてい排水用の縦坑以外に部屋や空間は作られていない。外側に階段やスロープが設けられていること自体、頻繁な昇降を示唆していて、明らかにピラミッドと違う。さらに、ウルのジッグラトに見られるように、ジッグラト外面は焼成レンガで被覆され、基底面付近はビチュメン(天然のアスファルト)が塗られて耐水構造になっている。

ジッグラトなどの基壇頂上にそびえる神殿は、洪水時に人々の緊急避難所としても利用されたであろう。遠目に見ると、洪水に覆われた平原に屹立する神殿は、あたかも海原に浮かぶ舟のごとく映り、洪水伝説の「箱船」の景色となる。洪水伝説は、大河の氾濫時に人々がジッグラトなどの基壇頂上へ避難する光景がもとになり、その描写が物語の一部として伝承されていったのかもしれない。

出典:都市の起源/191-192

ジグラトはシュメルの都市を特徴づける聖塔で、はるかかなたからも見ることができた。アッカド語ではジグラトだが、シュメル語ではウニルという。その起源についてはいくつかの説があるが、ジグラトは天に通じる階段で、頂上の神殿は神々に近づける場所であるとする考え方が最も受け入れられている。

出典:小林登志子/シュメル/中公新書/2005/p261

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