歴史の世界

人類の進化:ホモ属各種 ⑦ネアンデルタール人(ホモ・ネアンデルターレンシス)

ネアンデルタール人(ホモ・ネアンデルターレンシス Neanderthal、Homo neanderthalensis)は以前はホモ・サピエンスの直系の祖先と言われていたが、近年の研究により、共通祖先を持つ別系統の種であるとされている(前回の記事参照)。

歴史教科書では「旧人」と紹介されている。

生息年代

「Neanderthal<wikipedia英語版」によれば、25-4万年前。ただし、進化は複数の特徴となる部分が別々の年代に進化したので、学者の意見は分かれているようだ。

シマ・デ・ロス・ウエソス(Sima de los Huesos)洞窟で43万年前の頭蓋骨などが見つかったが、これらの骨を「初期ネアンデルタール人」という人もいれば*1、ホモ・ハイデルベルゲンシスと言う人や*2、「その両方の特徴を持っている」とする人もいる*3

まあ、人類の進化や他の種の進化を思い起こせば、これは当然のことだと理解できるだろう。進化は時間がかかるものだ。

そして、典型的な特徴を一揃え揃えたネアンデルタール人は71000年にようやく現れる*4

また、これも「Neanderthal<wikipedia英語版」からだが、ネアンデルタール人の化石は13万年以前のものは極端に少なく、それ以降は多くなる。

13万年を境に、それ以前を早期ネアンデルタール人、以降を典型的ネアンデルタール人(おそらく後期ネアンデルタール人)と呼ぶらしい。

特徴

重複するが、13万年を境に、それ以前を早期ネアンデルタール人、以降を典型的ネアンデルタール人(おそらく後期ネアンデルタール人)と呼ぶらしい。

早期ネアンデルタール人は大きく平たい大臼歯、大きな顎、突き出た鼻、太い頬骨、隆起した眉、脳容量が小さいなど、原始的特徴を残している。

後期ネアンデルタール人は後頭部が異様に出っ張っているのが目立つ。このでっぱりのことは記事「人類の進化:ホモ属の特徴について ⑫脳とライフスタイル その7(脳とライフスタイルの進化 後編)」で書いているが、ここでも書いておこう。

ネアンデルタール人(ホモ・ネアンデルターレンシス)とホモ・サピエンスの脳の大きさはそれぞれ、1170-1740cc、1100-1900cc(ダニエル・E・リーバーマン/人体 600万年史 上/早川書房/2015(原著は2013年に出版)/p169)。「ネアンデルタール人wikipedia」にあるように(おそらく)平均値ではそれぞれ1600cc、1450cc とネアンデルタール人の方が脳が大きいようだ。

しかし、脳が大きい=頭がいいと即断できないことをダンバー氏の本は示している。

ダンバー氏曰く、ネアンデルタール人の脳の発達は、視野系を発達させるため、すなわち弱い日差しの中で(生息地は高緯度のヨーロッパ)、遠くまで見える能力の発達の結果だということだ。

高緯度地帯では日差しが弱いので、遠くのものを見づらいのだ。これは狩人にとって深刻な問題で、子どものサイを仕留めようとしているときに、母親のサイが暗い森のはずれにひそんでいるのを見逃すというミスを犯す訳にはいかないからだ。日差しが弱い地域での暮らしは、たいていの研究者が考えるより大きな負担を視覚に強いる。

出典:ダンバー氏/p190

このために後頭葉の最後部にある第一次視覚野が発達した。そのために後頭部が異様に出っ張っているような形になっている。

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出典:ネアンデルタール人wikipedia*5

簡単に言うと、ネアンデルタール人は視野系を強化するために脳の大きさを発達させたが、社会認知を高めるための脳の前方領域の発達は無かった。いっぽう、ホモ・サピエンスは低緯度地域アフリカで視野系を発達させない代わりに前方領域が拡大した(ただし、現代人も高緯度に住んでいる人びとは比較的視野系が発達しているらしい(これによる前方領域の脳の犠牲は無い) )(p192-194)。

これにより、ネアンデルタール人は思考・判断などを司る前方領域の脳の拡張が制限されかもしれない。これがホモ・サピエンスとの生存闘争に負けた原因の一つとなった。記事「先史:ホモ・サピエンスの「親戚」、絶滅する -- ネアンデルタール人とホモサピエンスの運命を分けたもの」参照。

手足の特徴↓。

四肢骨は遠位部、すなわち腕であれば前腕、下肢であれば脛の部分が短く、しかも四肢全体が躯体部に比べて相対的に短く、いわゆる「胴長短脚」の体型で、これは彼らの生きていた時代の厳しい寒冷気候への適応であったとされる。

出典:ネアンデルタール人wikipedia

発見・公表

ここでは3つだけ化石を挙げておこう。

Neanderthal 1

最初に科学的研究の対象となったネアンデルタール人類の化石が見つかったのは1856年で、場所はドイツのデュッセルドルフ郊外のネアンデル谷 (Neanderthal) にあったフェルトホッファー洞窟であった。これは石灰岩の採掘作業中に作業員によって取り出されたもので、作業員たちはクマの骨かと考えたが念のため、地元のギムナジウムで教員を務めていたヨハン・カール・フールロットの元に届けられた。フールロットは母校であるボン大学で解剖学を教えていたヘルマン・シャーフハウゼンと連絡を取り、共同でこの骨を研究。1857年に両者はこの骨を、ケルト人以前のヨーロッパの住人のものとする研究結果を公表した[11]:217-219。ちなみにこの化石は顔面や四肢遠位部等は欠けていたが保存状態は良好であり、低い脳頭骨や発達した眼窩上隆起などの原始的特徴が見て取れるものである。

出典:ネアンデルタール人wikipedia

ネアンデル谷 (Neanderthal)で発見された化石が基準標本で、Neanderthal 1 。45000-40000年前。

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Neandertal 1856 - Neanderthal 1 - Wikipedia

La Ferrassie 1

1909年、フランスのドルドーニュにあるLa Ferrassie遺跡でLouis Capitan と Denis Peyrony によって発見された。50000年前。

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出典:La Ferrassie 1 - Wikipedia*6

ほぼ完璧な頭蓋骨で、典型的なネアンデルタール人の形状を持っている。つまり、ボールが上から潰されたようになっていて、後頭部の方向に伸びている。

Altamura Man

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出典:Altamura Man - Wikipedia

イタリア南部のAltamuraの近くの洞窟で1993年に発見された。128,000 - 187,000年前。

眼窩上隆起や矢状稜など早期ネアンデルタール人の特徴を持つ。

生活様式

ネアンデルタール人は、イスラエル南部からドイツ北部までの遺跡調査で、ウマ、シカ、ヤギュウなど、大型から中型の哺乳類をとらえる狩猟生活にほぼ完全に依存していたことがわかっている(地中海沿岸では貝も食べていた)。植物も少しは口にしたようだが、植物を加工して食べた痕跡が見つかっていないことから、スタイナーらは、ネアンデルタール人にとって植物は副食にすぎなかったとみている。

ネアンデルタール人のがっしりした体を維持するには、高カロリーの食事が必要だった。特に高緯度地方や、気候が厳しさを増した時期には、女や子どもも狩猟に駆り出されただろう。

出典:特集:ネアンデルタール人 その絶滅の謎 2008年10月号 ナショナルジオグラフィック 7ページおよび8ページ

狩猟のやり方は待ち伏せて槍で仕留める方法をとった。

ネアンデルタール人は有能で成功した狩猟採集民だった。もしもホモ・サピエンスがいなかったら、彼らはいまでも存在していたのではないだろうか。ネアンデルタール人は複雑で洗練された石器を作り、それをもとに掻器や尖頭器など、さまざまな種類の道具をこしらえた。火を使って食物を調理し、野生のオーロックス(原牛)やシカウマなどの大型動物をしとめた。

出典:ダニエル・E・リーバーマン/人体~科学が明かす進化・健康・疾病 上/早川書房/2015(原著は2013年にアメリカで出版)/p165

  • 掻器は皮なめしに使う石器。毛皮についている脂肪や肉を掻き取るために使用された。
  • 尖頭器は字のごとく先端を尖らせた石器で槍先につけた。

また、他の人のブログ記事「ネアンデルタール人の人口史 雑記帳/ウェブリブログ」では、「複数の小規模集団に細分化されていき、集団間相互の交流は稀だった、との見解を提示」する論文が紹介されている。

ホモ・サピエンスはネットワークを作って天災などの緊急事態に対して保険をかけていたが、ネアンデルタール人はそのような保険をかけていなかったかもしれない。

ネアンデルタール人の絶滅については、記事「先史:ホモ・サピエンスの「親戚」、絶滅する -- ネアンデルタール人とホモサピエンスの運命を分けたもの」で書いた。

おもな参考文献