歴史の世界

人類の進化:ホモ属の特徴について ⑧脳とライフスタイル その3(ダンバー数 前編)

前回からの続き。

人類進化の謎を解き明かす

人類進化の謎を解き明かす

今回はダンバー数を扱う。ダンバー数は社会脳仮説を元にダンバー氏が開発した指標で、この指標は霊長類において有効だ。

ダンバー数

ヒトを含む霊長類が、互いを認知し合い、安定した集団を形成できる個体数の上限。1993年に英国の人類学者ロビン=ダンバーが提唱した、霊長類の脳を占める大脳新皮質の割合と群れの構成数に相関関係があるという仮説に基づく。ヒトの場合は平均150人程度とされる。

出典:デジタル大辞泉小学館コトバンク

この主張は、ご多分に漏れず学界において批判はあるが(ダンバー数wikipedia参照)、知識不足の私には納得しがたいものだ(進化心理学全般が理解できない)。とりあえず、ここでは、ダンバー数はダンバー氏の主張を数値化したものと考えて話を進めよう。

現代人におけるダンバー数

ダンバー数wikipedia」によれば、上記の「互いを認知し合い、安定した集団」とは、現代人においてはどういうものか、幾つか載っている(ダンバー氏の著書を参考にしている)。これを簡単な言葉で「社会集団」あるいは「共同体」としている。

  • ある個人が、各人の事を知っていて、さらに、各人がお互いにどのような関係にあるのかをも知っている。
  • 「もしあなたがバーで偶然出会って、その場で突然一緒に酒を飲むことになったとしても、気まずさを感じないような人達のことだ」(ダンバー氏自身の言葉)。
  • 知り合いであり、かつ、社会的接触を保持している関係。

ダンバー数の重要な点は、同記事によれば、

  • ダンバー数の境界部分には、高校時代の友人など、もし再会すればすぐに交友関係が結ばれるであろう過去の同僚が含まれる。
  • ダンバー数を超えると、大抵の場合で、グループの団結と安定を維持するためには、より拘束性のある規則や法規や強制的なノルマが必要になると考えられている。ダンバー数については、150という値がよく用いられるが、100から250の間であろうと考えられている。

狩猟採集民におけるダンバー数/血縁関係

ここでは人類史における農業の誕生より前のヒトの狩猟採集民に限定して話を進める(この時代のヒトは全て狩猟採集民だった)。

狩猟採集民の生活は いつも餓死の危険と隣り合わせだった。狩猟に失敗して獲物ゼロになった時の予備の食糧くらいは どうにかなったが、万一の厄災(天災や紛争)の時は瞬時に死の淵に直面する。このような場合に備えて、狩猟採集民は避難する場所と援助してくれる仲間を確保する。ダンバー数の定義では厄災時に迎え入れてくれる仲間の範囲を社会集団とか共同体という言葉で表している。

ただし、避難民を迎え入れる側に立つと、迎え入れるリスクがある。彼らも約際に巻き込まれるリスクを持ち、余剰の蓄えは多くはなく、避難民に縄張りを取られる可能性も考えなくてはならない。

このような場合を考えると、形式的な友人は社会集団の内には入れられない。社会集団の核となるのは血のつながりがある集団で、その周りに定期的に会う友好関係にある小集団が来る。

血縁関係は、だれかに対してどう振る舞うか決めねばならない時に、さほど時間を無駄にせずに複雑な関係を処理するための早道である可能性がある。親族についてはたった一つのこと(つまり、互いに血縁関係がある、そしてたぶんその関係の深さ)を知るだけでいいが、友人に対してどう振る舞うかを決めるには、過去にその友人とどのようなやり取りがあったかをたどらねばならない。血縁関係にある人にかんする決定は処理量が少なくなる分、そうでない人にかんする決定より速く、より少ない認知コストですませられる。このことは、心理学的には、血縁関係が暗示的な(自動的な)過程であるのに対して、友情は明示的な(それについて考える必要がある)過程であることを意味するのかもしれない。小規模共同体のように集団内の全員に血縁関係がある場合、親族名称は共同体の構成員を「すばやく低コストで」特定するのに役立つだろう。

外婚制の社会(一方の性別の人が共同体外の出身であるのに対して、もう一方の性別の人は生まれた共同体内に生涯をとおしてとどまる)において、二世代前の一組の夫婦(曾曾祖父母)に連なる、生存する子孫の数(現在生きている三世代、すなわち祖父母、父母、子ども)と、150人という数字がほぼ同一であるのは偶然とは思えない。それは、共同体のだれもが全員の親子関係を個人的に知っていて断言できる範囲なのだ。親族名称の体系のなかに、150人の共同体という系統の自然な狭隘を越えて血縁関係を特定するものが一つもないのは驚異的なことだ。私たちの親族名称体系が人間の自然な共同体の構成員を追跡し、その知識を維持するためのものであるのは明らかだ。

出典:ダンバー氏/p256-257

叔母(おば)や従兄弟(いとこ)のような親族名称があるのは、血縁関係(共同体)の内か外かを瞬時に選別するためのツールになっている。そして血縁関係の内にいる人が厄災にあった場合、自動的に、つまり理屈なしに、無条件に助けるように、ヒトの頭はできている、という。

血縁淘汰/血縁選択説

上のような反応(親族を無条件に助けようとする反応)が起こるのは、「それは血縁淘汰によって生まれるというのが自然な見方だろう」(p255)という。

wikipediaからの引用。

従来の自然選択説がある個体自身の繁殖成功(直接適応度)のみを考えていたのに対して、血縁選択説はその個体が、遺伝子を共有する血縁個体の繁殖成功を増すことによって得る間接適応度も考慮に入れる。そして、この2つを足し合わせた包括適応度を最大化する形質が進化すると予測する[1]。

血縁選択説では、血縁者に対する利他行動を促進する遺伝子を想定し、その頻度が世代を経るにつれて増えるか減るかを考える[4]。そのような遺伝子は、利他行動を行う個体自身の繁殖成功(直接適応度)を下げるために、次世代では頻度を減らすように思われる。しかし、利他行動が同じ遺伝子を持つ個体の繁殖成功を高くするのであれば、利他行動を受ける個体が多くの子孫を残すことによって、合計ではその遺伝子の頻度は増えていく(自然選択において有利になる)可能性がある。

出典:血縁選択説<wikipedia

著書の注によれば、「一般に、人が親族を助けたいと思う度合いはその相手との類縁度に応じて変わる。この度合いはその人がだれの子であるかによってかなり正確に計算できる」(注のp10)とある。

氏族について

ダンバー氏は上のような血縁関係の共同体を氏族(クラン、clan)と呼んでいる。

小学館日本大百科全書(ニッポニカ)から引用しよう。

氏族 しぞく clan 
単系出自集団unilineal descent groupの一つ。単系出自集団とは、特定の祖先から、男性または女性のみを通じて親子関係がたどれる子孫たちのつくる集団である。父系出自集団は特定の男性祖先から男のみを通じて出自がたどれる子孫、母系出自集団は逆に、特定の女性祖先から女性のみを通じて出自がたどれる子孫からなる。このような集団のうち、成員が互いの、あるいは共通祖先との系譜関係をはっきり知っているような集団はリネージとよばれるが、これに対し、伝説上の、あるいは神話上の共通祖先をもっているという信仰のみで、その共通祖先との、あるいは成員相互の系譜的関係がはっきりとはたどれないような集団を氏族またはクランとよんで、リネージと区別するのが普通である。

氏族は固有の名称をもち、しばしば特定のトーテムとも結び付いた集団で、父系の場合、子供たちは父親の氏族に所属し、氏族の成員権は、息子からまたその子供たちへと継承されていく。母系の場合、子供は母の氏族に属し、成員権は娘の子供たちへと継承される。しばしば氏族は、その内部に亜氏族やリネージなどの内部区分をもつ包括的集団となっているが、このような内部区分をもたない氏族もある。また氏族が胞族phratryや半族moietyなど、より高次の単位に組織されていることもある。

同じ氏族の男女の結婚を禁ずる外婚規制が広くみられ、同じ氏族の成員は、互いの系譜関係がたどれぬ場合でも、互いを血縁者とみなしている。氏族は共有財産をもったり、特定の領土単位と結び付き、比較的地理的なまとまりを示すこともあるが、多くの場合、広い地域に分散して全体としては地理的まとまりをもっていない。このような場合にも、成員相互には、もてなしや援助、互いを親族名称で呼び合うなどの形で、一種の連帯感が伴うことが多い。[濱本 満]

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)コトバンク

親族と友人の違い

ここで一旦、現代人を含めたヒトの話に戻そう。

異なる距離(友人や家族との隔たりが近いか、遠いか)にある家族や友人に対して利他的に振る舞う意欲について、私たちや他の研究者多数が研究したところ、いずれも人は友人より家族に対して利他的であり、それは相手との社会的距離(社会ネットワーク内の層)が同じでも変わらないことがわかった。私たちには親族を優先して助けようという本能的な反応があるらしく、おそらくそれは血縁淘汰の結果と思われる。

出典:ダンバー氏/p256

血縁関係にない友人は卒業や転職などで合う機会(交流頻度)が減ると途端に親近感は薄れ、その友人はダンバー数の限界の外に追いやられる(親族は交流頻度が低くても関係性が維持されやすい)。親密な友好関係を維持する基本は直接会って話すことだが、近所・学校・会社などで会うような機会がなければ、友好関係を維持するコストは高く付くことになる(p294)。

現代人が形成する個人的な社会ネットワークでは、50人の層で友人の割合がかなり高く、いちばんその側の150人の層で拡大家族の割合がかなり高い。拡大家族は友人より投資(社会資本)が少なくてすむので、最外層は内側の層より維持が楽なのだ。外層の家族と同じくらいの時間しか友人に割かないと、友人はただの知り合い、出会えばうなずきあう程度の人間になり、まさかのときの頼りにはならない。

出典:ダンバー氏/p294

(つづく)



脳とライフスタイルについて書く前段として「人類進化の謎を解き明かす」の内容を書き留めているのだが、おそらく本題の内容は「前段」より文章量が少なくなる。

それはこの本が、人類進化より著者の主張(時間収支モデルと社会脳仮説)が前面に出ているから、とも言えるが、実のところ、著者の主張を書き留めながらでないと、その主張が理解できないので書き留めている。

そして次回もダンバー数の続きとなる。