第ⅢB期の都市国家ラガシュの歴史を書く。この時代の文字史料が他の都市国家に比べて突出して多く、他の都市国家の情報が少ないからだ。
都市国家ラガシュ
シュメール南部の都市ラガシュの主地区ギルスは、1877年からフランス対によって発掘された。発掘が開始されてまもなく、前3000年紀後半の諸時代に作られた彫像、浮彫り、碑文、粘土書版などが多く出土して、シュメール文明が実在した確証がはじめて得られたのである。
発掘は1930年代まで断続的に行われた。これらの遺物の幾つかはパリのルーブル博物館が所蔵している。シュメール文明研究の黎明期から研究され続けたこの都市国家は、よくまとめられた形で参考図書に紹介されている。
初期王朝期Ⅲ期、おそらく前2500年頃、シュメール都市国家の一つラガシュでウル・ナンシェが王朝を立てた。ラガシュでは彼以後、彼の子孫たち5人、ついで彼らと直接的な血縁関係にはない3人がつぎつぎに即位して(上図)、たくさんの政治碑文をのこしている。他都市から出土した碑文の数は多くないから、ラガシュの支配者たちの記録はシュメールの有力都市国家が覇権をめぐって争った時期の歴史を知るうえで、もっとも大切な史料である。ラガシュとは、ウル・ナンシェ以前の時代にギルス、ラガシュ、ニナそしておそらくニンマルの4独立都市が連合して生まれた都市国家の名前である。ただし、連合の敬意はわかっていない。当時のシュメールのなかではもっとも巨大であったが、前二千紀〔ママ〕はじめに最終的に成立した「歴史」テキスト(シュメール王朝表)では、ラガシュはいっさい言及されていない。
- 上にある「シュメール王朝表」は「シュメール王名表」のことを指す。
- 王名表に載らなかったラガシュの王朝は後世の人間が別に王朝表を作った。
上の説明よりラガシュは第ⅢB期前期のもっとも巨大な都市国家だった。ラガシュは隣国ウンマと長い闘争を繰り広げるがウンマのほうも、史料は多くないが、強国に違いない。後世シュメール地方(南メソポタミアの南部)を統一したルゲルザゲシはウンマの王だ。
初代:ウル・ナンシェ
ウルナンシェ王朝(ラガシュ第1王朝とも呼ばれる)を立てたウル・ナンシェは多くの石製の奉納板を残しているが、その中で最も有名なのが下の奉納板。
楔形文字解読例(ウルナンシェ王の「家族の肖像」) 神殿に奉納した石製の額で、真ん中の孔に神殿の壁面から突き出た棒状の突起をさし込んで掲げた
この奉納板は上下2つのシーンを描いたもので、両方とも大きな人物が王だが、上段が神殿の建設者としての王、下段が宴を楽しんでいる王を表す。
三代目:エアンナトゥム
エアンナトゥムはウル・ナンシェの孫で王朝の3代目。
「エアンナトゥム王の戦勝碑」
(左)人間たちの戦い
(右)神々の戦い出典:シュメル/p135
左側の右上には、敗れたウンマ兵の斬られた首をハゲワシがついばんでる様子が描かれている。この様子に因んで日本では長らく「禿鷹碑文」と言いならわされていた*1。ハゲワシの拡大図はwikipediaのこちらのページで見ることができる。
上の戦勝碑の重要な点を挙げていこう。
最古の戦争記録と言われている。「ウルのスタンダード」やウルナンシェ王の「家族の肖像」の戦闘のシーンは具体的な戦争にもとづいているかどうか分からないが、この戦勝碑はラガシュ・ウンマ戦争の様子を表している*2。
この戦勝碑が作られた頃にシュメール語の正字法(正書法)が確立した*3 *4。これより後は意味を把握しがたい表現のテキストが少なくなった。
右側の神々の戦いにある人物像はラガシュの都市神ニンギルスを表している。戦争は実際には人間が戦っているのだが、シュメルの人々は「都市神は先頭に立って戦っている」「この戦争は都市神どうしの戦いだ」と思っていた。
- 左側の人間たちの戦いでは、槍兵・盾兵の密集戦団(ファランクス)が描かれている。彼らの足元には敗兵たちの死骸だ。先頭に立っているのがラガシュ王エアンナトゥムだ。実際に盾も取らずに先頭に立って戦ったら真っ先に殺られるので、これは王が戦場で指揮をしたことを表現していることを伝える図像なのだろう。
(以上、列挙おわり)
この戦勝碑以外の文字史料(碑文)によれば、「エアンナトゥムはエラム、ウルア、ウンマ、ウル、ウルク、ウルアズなどの都市と戦って勝利を収めたという。具体的な経過については凡そ知られていない」(エアンナトゥム<wikipedia)。
四代目/五代目:エンアンナトゥム1世/エンメテナ
ラガシュ・ウンマ戦争
Map showing the extent of the Early Dynastic Period (Mesopotamia)
『図説メソポタミア文明』(p26)によれば、ラガシュとウンマはウル・ナンシェが即位するしばらく前から「グエディン(おそらく、ウンマ、ラガシュ西方に広がる巨大な平野の東端部)」をめぐって争っていた。この争いは百数十年に及ぶが、一部の様子がエンメテナが回顧した王碑文に残っている。小林氏はこれを以下のようにまとめた。
昔、キシュ市のメシリム王の調停によってラガシュ市とウンマ市の国境は画定し、境界石が立てられていた。ところが、ウンマ市の右手王が境界石を壊してラガシュのエディンに攻め込んで来た。これをラガシュはよく食い止め、ウンマ兵の死骸の山を築いた。その結果、エアンナトゥム王はウンマのエンアカルレ王との間に国境を定め、メシリム王の定めた境界石を元に戻した。
ウンマの人はラガシュの大麦を借りたが、利子が膨大な量となって返せなくなったために、ウンマのウルルンマ王は運河から勝手に水を引き、境界石を壊し、境界を守る神々の聖堂を破壊した。しかも、いくつかの都市がウルルンマに加担し、国境の運河を越えて攻め込んで来た。エンアンナトゥム1世はこの侵攻を受けて立って戦ったが、どうやら戦士したらしい。
この非常時に跡を継いだエンメテナはよく奮戦し、父の仇(かたき)ウルルンマを敗走せしめた。ウルルンマ亡き後のウンマのイル王とエンメテナは再度協定を結んだ。
出典:シュメル/p140-141
- 王たちの名の最初の二文字「エン」はシュメール語で「王、支配者」を意味する。
- この時代のキシュは大国と見なされていた。ラガシュはキシュを宗主国とみなしていたそうだ*8。ウンマもみなしていたのかもしれない。
ラガシュとウンマの戦いはウンマ王ルガルザゲシがラガシュを滅亡させるまで続く。
粘土釘/ウルクとの同盟
「エンメテナ<wikipedia」によれば、上述のウンマ王ウルルンマとの戦いの前にウルク王ルガルキギンネドゥドゥと同盟を結んだ。下の粘土釘がその証拠の「文書」である。
エンテメナの粘土釘(紀元前2,400年頃)。現在知られているものの中では世界最古の外交文書のひとつである。
粘土釘というものがどういうものなのか、いちおう貼り付けておこう。
粘土釘は、紀元前三千年紀になって シュメールやメソポタミア文明で使われはじめた太い円錐状の釘である。粘土で作った釘の円錐面に楔形文字で銘文を刻み、神殿などの建物の壁面に打ち込んだ。銘文には、誰が、誰のためにその建物を建てるのかが刻まれており、たとえば、王が神に奉納することが記されている。
出典:粘土釘<wikipedia
『シュメル』(p131-132)によれば、この粘土釘はエムシュ神殿の壁面に多数打ち込まれていたようで、内容の同じものが30本以上も出土した。またエムシュ神殿は、ラガシュとウルクの中間あたりにあるバドティビラ(Bad-Tibira)(都市?)にある。バドティビラとラガシュの関係がどのようなものかは分からなかった(ラガシュの支配化にある?)。
奴隷解放
[エンメテナは、]内政においては徳政令を実施し、債務奴隷の解放を行った事が碑文に記録されている。これは知られている限り最も古い債務免除の記録であり、神殿の建設などの記念行事に伴って実施された。
出典:エンメテナ<wikipedia
徳政令というより、恩赦と言ったほうがしっくりくる。王だけに。
『シュメル』(p152-153)によれば、上述のバドティビラ市にエムシュ神殿を建設(または再建)して、その落慶(落成の慶事)に伴って開放を実施した。
(長くなってしまったので「ラガシュの歴史」は次回へ続く。)
メシリム王の頃のキシュ市はラガシュに宗主国と認めさせるほどの大国だったが、残念なことに、ラガシュのように詳細な文字史料は残っていないようだ。
*1:前川和也(編著)/図説メソポタミア文明/河出書房新社(ふくろうの本)/2011/p22
*2:シュメル/p134-144
*4:シュメル/p135
*5:ダウンロード先:https://en.wikipedia.org/wiki/File:Stele_of_Vultures_2.jpg
*6:ダウンロード先:File:Stele of Vultures detail 01-transparent.png - Wikipedia
*7:著作者:Zunkir/ダウンロード先:https://en.wikipedia.org/wiki/Early_Dynastic_Period_(Mesopotamia)#/media/File:Basse_Mesopotamie_DA.PNG
*8:シュメル/p133。ラガシュ市の他にアブダ市もみなしていた
*9:ダウンロード先:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Foundation_nail_Entemena_Louvre_AO22934.jpg#/media/File:Foundation_nail_Entemena_Louvre_AO22934.jpg