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エジプト文明:古王国時代④ ピラミッドと宗教 その2 ピラミッドと太陽信仰

この記事では、ピラミッドと太陽信仰について書いていく。

最古のピラミッドと太陽信仰

最古のピラミッドは、第3王朝初代のジェセル(ネチェリケト)王の王墓だった。

ジェセル王の王墓は階段ピラミッドと呼ばれ、私たちがイメージする綺麗な四角錐のものではなかったが、ピラミッドの起源として重要だ。

もう一つ重要なことはこのピラミッド建設の立案者についてだ。その人物とはジェセル王の宰相イムホテプ。彼は建築、神学、医学、天文学などあらゆる分野に造詣が深かったのだが、決定的に重要なのは彼が太陽信仰の総本山であるヘリオポリスの神官だったということだ。

イムホテプは国家神を太陽神に変えたきっかけを作った一人と言っていいだろう。

高宮いづみ氏は以下のように書いている。

古代エジプトの王は時期によってさまざまな神々と結びつけられ、初期王朝時代にはホルスの化身にもなれば、古王国時代には太陽神ラーの息子や新王国時代にはアメン神の息子にもなったが、常にこうした神話によって、巧みに宇宙と世界観のうちに特別な存在として位置づけられていたのである。

出典:高宮いづみ/古代エジプト文明社会の形成/京都大学学術出版会/2006/p116

有名な「ナルメルのパレット」にもあるように、初期王朝時代の国家神はホルス神であった。

そして古王国時代の間に太陽神ラーに代わる。ただし、ホルス神を捨てたわけではなく、ラーとホルスを同一視(習合)した。

「ラーの息子」とは「ホルス名」と同様、王名(称号)である。ホルス名と一緒に使われ続けた。

太陽信仰と四角錐

かつてナイル川は夏に増水した。20世紀初頭に、上流のアスワンにダムが建設されて以後、反乱することはなくなってしまったが、それ以前に撮られたモノクロの写真を見ると、広大な水面から、耕作地の一部や椰子の木がところどころ水草のように浮かんでいる。毎年繰り返されるこの景色は、すべての生命は広大な水から大地が盛り上がり始まるというイメージを古代エジプト人の心象に植え付けた。(p131)

19世紀後半に活躍したフランス人写真家ボンフィスが撮影したギザの写真は、古代の景色を彷彿させる。ナイルの氾濫がギザ大地の麓まで押し寄せ、鏡のようになった水面に大ピラミッドが映っている(図6-2)。

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(p133)

4500年前の氾濫時には、遠方から見る大ピラミッドは、さながら創世神話にでてくる海から盛り上がる原初の丘のようだったに違いない。(p134)

出典:ピラミッド・タウンを発掘する/河江肖剰(ゆきのり)/新潮社/2015

  • 当時の川の水位の上下は古代エジプト人の常識だったので、「氾濫」の箇所はすべて「増水」に変換して読むべき。

ここで創世神話と原初の丘について書いていこう。これが太陽神話につながる。

エジプトの創世神話は幾つかあり似通っているが、ここではピラミッドに直結するヘリオポリス創世神話を紹介する。ただしヘリオポリス創世神話には幾つかのバリエーションが有るようだが、以下はその中の一つ。

ヘリオポリス創世神話によれば、世界の最初には「ヌン(原初の海)」と呼ばれる混沌があった。その混沌の中からある時「原初の丘」が出現し、そこに太陽神アトゥムが現れた。アトゥムは自慰行為を行って、大気の男神シュウと湿気の女神テフネトという男女ペアの神々を生み出した。そのシュウとテフネトが次の世代として、大地の男神ゲブと天空の女神ヌトを生み、さらにその二柱の神々が、男神オシリスとセトおよび女神イシスとネフティスを生んだという。これらのうちオシリスとイシスが婚姻関係を結んで、その間に生まれたのが男神ホルスであり、王が化身とされたのはこのホルス神であった。

ヘリオポリス創世神話は、古代エジプト人にとって、宇宙の始まりとその構造とをよく説明したいた。[以下略]

出典:高宮氏/p216-217

引用文に登場するホルス神を除く神々はヘリオポリス九柱神と呼ばれる。ホルスの化身である王は彼らと交流できる唯一の人間であった。王は祭儀を行って、混沌からこの世の秩序(マアト)を護り維持することを義務とした。

前述したように、古王国時代の王は「太陽神ラーの息子」を名乗ったが、ホルスの化身であることはやめようとしなかった。

私たちが良く知っている「太陽神ラー」の名はヘリオポリス神学ではアトゥムと同一視される。

さて、話がそれてしまったので原初の丘の話に戻る。

アトゥム神はどのようにその静止した世界を動き出させたのだろう?「ピラミッド・テキスト」[エジプト最古の宗教文書。第5王朝末。引用者注]には、それは彼の「自慰行為」によってだったと書かれている。

アトゥムはヘリオポリスで勃起し自らを生じさせた。彼は陰茎を握り、射精し、そしてシュウとテフネトという双子が生まれた(P475)

この創造神アトゥムの精液が石化したものが、ピラミッドの原型である四角錐の聖なる石ベンベンだった。聖なる石ベンベンの名前は、生殖に関連するベン(〈勃起する〉や〈射精する〉)から派生した言葉である。この言葉は、元々、〈膨らむ〉や〈盛り上がる〉を意味する語根からきている。つまりベンベンとは、創世以前に存在した混沌の海から盛り上がった丘の具体的なイメージであり、さらに後には〈太陽が昇る〉を意味するウェベンという言葉を派生し、そこから太陽とも関連付けられた。

古代エジプト人は、創世を単に太古に起こった出来事として捉えていたのではなかった。その明確な現れはナイル川の氾濫である。毎年起こるこの現象は、創世時に迸(ほとば)った凄まじいエネルギーの余波によるものだと信じていた。

出典:河江氏/p133-134

聖なる石ベンベンはベンベン石と呼ばれることが普通のようだ。ベンベン石はつまりは原初の丘のイメージである。

初期王朝時代の神殿には、(ベンベンとは言われていなかっただろうが)「原初の丘」と呼ばれた四角錐が祀られていた(河江氏/p131)。これがヘリオポリスでは以上のような物語の中で語られたのだ。

そしてヘリオポリスの太陽信仰はこのベンベン石を太陽信仰の象徴とした。

そしてさらに一歩進んで重要なことは、最後の段落にあるように、「単に太古に起こった出来事」とは捉えていなかった。ナイル川の水位の上下はエジプト人に「滅亡と再生」のイメージを与えた。

つまり「原初の丘」=「ベンベン石」=「ピラミッド」は「創造の象徴」だけではなく、「再生復活の象徴」でもある。「ベンベン - Wikipedia」によれば、ベンベン石は「再生と復活をつかさどる精霊が宿る」とされている。

ということで、太陽信仰は、太陽を再生復活の象徴として崇める信仰だった。太陽信仰はヘリオポリスの土着の宗教だったろうから古代エジプトの来世観を共有していただろう。

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出典:ベンベン - Wikipedia*1

  • エジプト第12王朝のアメンエムハト3世のピラミッドのキャップストーンとして造られたベンベン石。

なぜピラミッドは建造されたのか(建造の目的)

強固な中央集権国家の確立は、古王国時代のピラミッドを取り巻く墓地にも顕著に現れている。官僚たちはできれば来世の支配者となる王の近くに立派な墓を築いて埋葬されることを望んだが、王墓に近接する官僚墓の位置は当時の王の裁量で決められた可能性が大いに高い。そのことは、第4王朝クフ王のピラミッドおよび第6王朝テティ王のピラミッドに近接する官僚たち墓地の様子からうかがい知ることができる。

出典:高宮氏/p239

ピラミッド建造の目的については諸説あるが、難しく考えなかれば以下のような結論になるだろう。

基本的にピラミッドは王墓だ。王以外の墓だったり墓ですらないピラミッドもあるが、基本的には王墓だ。官僚たちは墓をピラミッドにすることはタブーだったのだろう。上の引用は「官僚墓の位置=来世で再生復活した時の序列」ということだ。古代エジプトの来世観(前回参照)は新王国時代まで(あるいはそれ以降)続いた。

なぜ四角錐か。それはピラミッド=ベンベン石だから。太陽信仰を採用した王家の墓の形にふさわしいと思ったからだろう。

なぜあのように巨大にしたのか。それは王の威勢を示すためだろう。ただし、官僚たちの墓と比較して大型の墓にしたということで、各王の威勢に比例しているわけではない。

歴代の各王によって趣向が違うが、基本的には上のような説明でいいと思う。



*1:著作者:Jon Bodsworth