今回も建築技術云々は すっ飛ばして宗教の話をする。ただし政治の話が少なからず混じってしまった。
ギザの三大ピラミッド(第4王朝)
私たちがイメージするピラミッドはギザの3つピラミッドだろう。
上空から見た三大ピラミッド[左から、クフ王、カフラー、メンカウラー]
この中で一番古いのピラミッドは第4王朝2代目クフ王のものだ。
クフ王の先代スネフェルの王墓はダハシュールにあるが、クフ王がギザに王墓建造を決めた最重要の理由は「太陽神の総本山ヘリオポリスが拝めることであったと考えられる」。「ダハシュールからはナイル川東岸のモカッダムの丘が邪魔してヘリオポリスが望めないのである」*1。
出典:河江肖剰/ピラミッド・タウンを発掘する/新潮社/2015/p80の図の一部
- 古王国時代の王たちのピラミッドの場所
強力な中央集権体制と巨大建築技術の飛躍的発展のもとで、ギザの三大ピラミッドはピラミッド建造のピークと言われている。
太陽神殿(第5王朝)
第5王朝で、太陽信仰はさらに隆盛したが、ピラミッドは小さくなった。
これは中央政府の権力が弱まったからではなく、宗教自体の変化ということらしい。
第5王朝初代ウセルカフ王はサッカラにピラミッドを建造した他にアブシールに太陽神殿を建造した。
太陽神殿は、ピラミッドの複合施設に似た造りになっているが、ピラミッドのあるべきところにオベリクスが鎮座する形になっている。オベリクスの頂部はベンベン石の形(四角錐)になっている。
The sun temple of Nyserre Ini at Abusir
- 第6代ニウセルラー王の太陽神殿。
オベリクスの前の祭壇では「パンやビールの他に、毎日1頭の雄牛が屠殺され、ラー神への供物として奉納された」(馬場匡浩/古代エジプトを学ぶ/六一書房/2017/p107)。
ピラミッドの大きさは小さくなったものの(第2代サフラー王の王墓の底辺の面積はクフ王の1/8)、複合施設の葬祭殿は大きくなり、装飾も凝ったものになった。
以上、太陽神殿建造とピラミッドの小型化の2つで分かることは、第5王朝の人々はピラミッド自体よりも祭儀の場のほうを重要視するようになった、ということ。祭儀の場にはヘリオポリスの勢力(神官たち?)が進出してきたようだ(エジプト第5王朝 - Wikipedia )。ヘリオポリス(とその勢力)の重要性が一段と増したようである。
この時代における行政上の最も目立った発展は最高位の官職から王族が撤退したことでした。もう一つの注目すべき特徴は太陽神殿が国の経済システムに組み込まれた見事な方法でした。太陽神殿の神官職への任命はあるものは純粋に名目的で、そのような官職から得られる恩恵を受け取る権利を官職保有者に与えるためになされました。これらの恩恵は職権上賃貸された神殿領を含んだかもしれません。同じことはピラミッド施設の職員への任命にもあてはまりました。神々と死者の世界の要求と生者達の必要との間に紛れもない矛盾はありませんでした。国家の生産物の大部分は理論上故王たち、彼らの太陽神殿、地方神たちの諸神殿の必要のために指定されたけれども、実際にはエジプトの住民の大部分を養うために使われたシステムを思い浮かべることができるでしょう。
第4王朝までの官職の座は基本的に王族が埋めていたが、王族が撤退した後はおそらくヘリオポリスの勢力が埋めたのだろう。
この時期に宗教組織と官僚組織の複雑化・肥大化して官僚や神官の数が増えたと言う。さらに官僚たちの銘文や図像で装飾された多数の墓が建造された*2。このことからヘリオポリス勢力の増長がうかがえるだろう。
太陽信仰の後退とオシリス信仰
オシリス神は冥府の支配者であり、現世における死者に対して閻魔大王のようにさばきを下す神の一人だった。
冥界の支配者とみなされる前は穀物神だったらしく、「各地の神話において冬の植物の枯死と春の新たな芽生えを象徴」する神だった(オシリス - Wikipedia )。
第5王朝の王たちは太陽神ラーに寄進することに熱心だったが、前掲の西村氏によれば*4、他の地方の神々にも寄進していたという。一神教のように他の神を認めないのではなく、王たちは統合してまとめようとした。その結果が神話体系だ。
さて、第8代ジェドカラー王は太陽神殿を造らなかった。これは大事件だ。
王は太陽礼拝を放棄し、太陽神殿を建造しませんでした。そのため、ラー神の礼拝は重要性が減少し、オシリス神の礼拝が表立つようになりました。一方、アブシールでの諸王の葬祭礼拝の再編成を行いました。その結果、諸王の葬祭礼拝に関わる官職とその特権は今や下級官吏たちに与えられました。
出典:西村氏/同ページ
これはヘリオポリス勢力の既得権益にメスを入れたと考えていいだろう。肥大化した勢力が中央行政を弱らせるまでになったことに対する動きだ。そして太陽信仰が後退した隙間をオシリス信仰が埋めた形になっている。ジェドカラー王が故意にそうしたのかどうかは分からない。
ちなみに、オシリス信仰の聖地(中心地)と言われているアビドス(アビュドス)は、『ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典』によれば*5、「第5王朝には,オシリス神がアビドスと結びつき,まもなくアビドスはオシリス祭儀の中心地となった。」
ピラミッド・テキスト
次の第9代ウナス王(第5王朝最後の王)は、別の意味で画期的な要素を誕生させた。ピラミッド・テキストである。
ピラミッド・テキストは一続きの文章ではなく、王の来世における再生と復活を保証するいくつもの呪文が並べられた呪文集であった。(p155)
古代エジプト人にとって、毎夕沈んでは毎朝再び昇る太陽は、再生復活の象徴であった。太陽は日没後に冥界を旅した後、夜明けに再び復活するが、その力を冥界においてオシリス神から受け取ると考えられていた。(p156)
また、王が「冥界の支配者」オシリス神と合一することも重要なテーマであった。(p157)
ピラミッド・テキストは中国王時代の「コフィン・テキスト」と新王国時代の「死者の書」という葬祭文書と並んで、古代エジプトの宗教観を見出す貴重な資料として重要だ。
宗教面では上の通りだが、政治面においては、ちゃっかり王を冥府の支配者に合一させているところがポイント。
The Pyramid Texts inscribed on the walls of Unas' burial chamber
第6王朝
古王国時代最後の王朝である第6王朝では定式化された第5王朝の小型ピラミッドおよび複合施設とピラミッド・テキストを踏襲した。
第6王朝では、神官や官僚の肥大化が中央政権の弱体化を招いた原因の一つとして挙げられている。ジェドカラー王の「改革」は実を結ばなかったか、一時的なもので終わってしまったのかもしれない。
当初の思惑とは違って、政治関連のことを少なからず書くこととなった。
しかし、政教一体の古代エジプトでは、これを完全に分けることは不可能だろう。