歴史の世界

エジプト文明:初期王朝時代③ ナルメルのパレット

ナルメルのパレットは「エジプト文明の始まり」を話題にするときに常に登場するモノ。とても有名な遺物の一つ。

しかしこれが重要なモノであることは分かるが、その中身や何が重要なのかについては語られない。なのでここで書いていこう。

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出典:ナルメル - Wikipedia

重要性

このパレットの何が重要なのか。3つだけ挙げておこう。他にもあるだろうがとりあえずこれだけ。

  • ナルメルが第一王朝の初代王であること、つまり、王朝時代の最初の王、上下エジプトを統一した王であることを証明する遺物の一つ。

  • 統一時に武力を使ったことを証明している。

  • 王朝時代の図像表現の確立

それではこのパレットがそもそもどういったものかを書いた上で中身の話に移ろう。

概要

  • 1898年、イギリスの考古学者 James E. Quibell と Frederick W. Green によって、ヒエラコンポリスのホルス神殿で発見された。
  • 材質はシルト岩、長辺(縦)63cm。パレットとは化粧用のパレットのことだが、神殿への奉納用のため、大きく作られている。
  • 二匹の首の長い獣が円を描いている所のくぼみが化粧用の顔料を磨りつぶす所なので、こちらがオモテ面ということになっている。

ウラ面

上段

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上の左右の出張っている箇所の図像。角が生えた人面はバト神かハトホル神だと考えられている(両者とも先史時代から崇められていた雌牛の神)。

この間にある四角の図像は王名を表す。四角い囲いはセレクと呼ばれ(王宮を表している)、この中に書かれているのが王名となる。
この中に書かれている変な図像は、実はヒエログリフ(聖刻文字)上がナマズ、下が大工道具のノミを表している。これらはそれぞれ「ナル」「メル」と読めるため、この王はナルメルと呼ばれる。

中段

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中央に大きく描かれている人物がナルメル王。

王がかぶっているボーリングのピンのようなものは白冠と呼ばれ、上エジプトを象徴するもの。

右手に持っているのがメイス(棍棒)。メイスの先の部分が棍棒頭(メイスヘッド)。着用している短い腰巻きと「雄牛の尾」と呼ばれるアクセサリーは王の儀礼用の装いで、これらは のちに王の象徴になる。付け髭も同様に王の象徴になる。

ナルメルに髪を鷲掴みにされている人物は下エジプトの支配者(デルタかファイユーム地方か)であったという説がある。外国人という説もあるが、右上の、これまた異様な図像が下エジプト説を補強している。

右上の図像の鳥はハヤブサの神ホルスで(おそらく上エジプトの)王を表し、その下の6つのえのき茸のようなものはパピルスで、パピルスが育つ湿地帯つまり下エジプトを表している。これに鼻フックをされた頭部を表す図像は、全体として、(上エジプトの)王が下エジプトを武力によって征服したことを表していると考えられている。

ナルメルに神を鷲掴みにされている人物の右にあるヒエログリフは「銛」と「池」を表すのだが、何を表しているかは分かっていないようだ。

ナルメルの後ろの人物は王のサンダルと水差しを持っている。サンダルも高貴な人物の象徴を表す。

水差しについて。大城道則氏は「聖水あるいは儀式用のワインがいれられていたであろう」と書いている*1。素人の私にはサンダルを履く前に砂を洗い落とすための水差しじゃないかと思うのだが、違うか。いちおう書き残しておこう。

この人物が首からぶら下げているモノは円筒印章(円筒印章 - Wikipedia参照)と考えられている。このことからかなり重要な人物であることが分かる。

さらに、頭上に書かれているロゼット文様は王権を象徴する図像の1つなので、この人物は王太子か王子のような王に近い存在だと考えられている。

下段

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逃げ惑う二人の人物が描かれている。髪型からアジア人と考えられているが、それぞれの顔の左側に異なる絵文字が書かれている。左はパレスチナの都市の周壁、右はトランスヨルダン(ヨルダン川の東側)のカイトと呼ばれる(放牧した羊などを追い込む)施設を表すという説があるが、この説はそれほど通用していないらしい。

とりあえずナルメルはパレスチナまで影響力を及ぼしていたことはこの地域で発掘されるナルメルの名前が刻まれた土器などの遺物から確認されている、とだけ書いておうこう。

オモテ面

最上部

ウラ面と同じなので省略。

二段目

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学芸会舞台のような場面。

一番大きく描かれているのがナルメル。顔の前にナルメルのヒエログリフがある。着用している腰巻きと尻尾のようなアクセサリーはウラ面と同様に儀礼用の装い。しかし冠が違う。これは赤冠と呼ばれ下エジプトの象徴。下エジプトの王として描かれているということ。

右端の2列の横になっている10体は、ナルメルが倒した敵の死体。それぞれの股の間に斬られた首が置かれている。

左端にはウラ面でも描かれているサンダルを持つ人物。説明は省く。この人物の上に書かれているマークについては分からない。

ナルメルの前にいる豹柄の服を着た人物。首からぶら下げているものは筆記用具。頭上のヒエログリフはチェトあるいはチャティと読むらしい。これは宰相を表す*2

宰相の前に描かれている小さな4人が持っているのは旗竿で、この旗竿は王朝に属する町または部族の旗で、つまりはナルメルは従属する集団がこの場面にいたことを表す。

三段目

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首の長い豹の顔を持つ獣が首を交差させる図像。西アジアによく見られる図像らしい。よって、この図像表現は西アジアの影響を受けていると言われる。

国家の統一を表しているのかもしれないが、ただ単にパレットの窪みにちょうどいいからこの図像を使っただけかもしれない。他の部分の図像と違いすぎるし。

四段目

王の化身である雄牛外国人であるアジア人あるいはリビア人を踏みつけ、角で町の周壁を壊している。

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  *   *   *

以上、図像の説明(?)の主な参考文献は、大城道則『ピラミッド以前の古代エジプト文明』*3(p68-74)。かなり省略して書いた。私の理解が間違っているところがあるかもしれないので、詳しくは同書を参照。

美術史的な説明

第1王朝初代の王に比定される「ナルメル王のパレット」は、王朝時代の美術様式がほぼ完成されたことを表す例として名高い。[中略]

このパレットの図像は、後世まで続く王朝時代の美術の主要な特徴をすでにほぼまんべんなく取り入れていた。描写は水平のセインで区切られた段に配置されており、人物像を上述のような横からと正面から見た像の組み合わせとして描写する方法も用いられている。また、王を他の人物よりも大きく描くという、王朝時代に特徴的な図像の大小の規則も現れている。さらに、棍棒を手にして敵を打ち据える王の姿は、その後3000年にわたって繰り返し神殿等の王の描写の中で用いられることになった。[以下略]

出典:高宮いづみ/古代エジプト文明社会の形成/京都大学学術出版会/2006/p269

このパレットの図像表現はナカダ文化の半ばから使われていたものが散りばめられているので、高宮氏の「完成」とはナカダ文化期の図像表現の「集大成」を意味する。



*1:ピラミッド以前の古代エジプト文明/創元社/2009/p70

*2:高宮いづみ/古代エジプト文明社会の形成/京都大学学術出版会/2006/p164

*3:創元社/2009