歴史の世界

エジプト文明:初期王朝時代④ 王権の維持

王権について

まずは権力とは何か。

一番簡潔な定義は「他人を支配し従わせる力。特に国家や政府が国民に対して持っている強制力」(権力とは - コトバンク/三省堂 大辞林第三版 )。

上をふまえて、王権を王の権力と言ってしまえばいいのだが、少しネット検索で見つけた興味深いところを貼っておこう。

王権【おうけん】
ある程度規模の大きな社会で,政治権力が一人の世襲制リーダーに集中し,継続的な行政司法制度とその執行機関とを有する場合,これを王権と呼ぶ。王権は政治的力だけでなく宗教的力も持つとされることが多い。こうした神聖王権における王は,作物や家畜など自然の豊饒を司り人間に秩序と安寧をもたらす一方,人間には制御困難な破壊的で危険な力を帯びているとされる。それゆえ王の身体に触れてはならないなどの禁忌がある。王の生命は共同体全体の運命と同一視されるので,老化したり病んだ王がそのまま死を迎える前に息の根を止め,元気な王を新たに即位させる〈王殺し〉の伝承も各地にある。フレーザーの《金枝篇》はその研究で有名。初代の王は共同体外部から来た〈異人〉であったという伝承を持つ王権も多く,王権はそれによって共同体内部の拮抗(きっこう)からの超越を主張するといえる。

出典:王権とは - コトバンク/株式会社平凡社 百科事典マイペディア

初期国家の主権者は多くの場合「王」であり、王は、ほとんどすべての民族社会において、国家の成立とともにその最高権力を保持する者として出現する。この「王」のもつ権力が王権であり、王権の起源は、神に出自するという信仰や伝承に由来することが多い。ここから「王は神の子」というような王の神聖性の観念が生まれ、王は宗教的に神格化されることとなる。太陽神と同一視される古代エジプトの王ファラオはその典型であり、日本においても天武天皇の時代には「大君は神にしませば」で始まる和歌が盛んに作られた。古代の王はまた、司祭者的性格を有することも多く、メソポタミア文明におけるシュメールの諸王[2]や古代イスラエルの王にその典型が認められる[3]。

出典:王権 - Wikipedia

上の2つの引用にあるように、王は「臣民とは全く別の目に見えない力を持ち、神格化された存在」である。このような抽象的な考えを(少なくとも形だけでも)臣民に受け入れさせることができれば、抽象的な力は具体的な強制力に変換できる。

このような権力・王権は、武力と経済力に支えられている。武力には警察が、経済力には臣民を富ます政策能力が含まれている。

王の役割

王権を認めることに対する対価として、初期王朝時代の王は何を求められたのか。

神々との仲介者

古代エジプトの王に科せられた最も重要な役割は、神々と人間との仲介であった。[中略] 古代エジプトの王は、人間としてやがて死すべきこの世の存在であると十分認識されながらも、神々の化身あるいは子孫として神聖性を帯び、他の人間とは明確に異なる特別な存在であった(畑守 2003; 尾形 1980)。またそれゆえに、公式に神々と交流できるこの世で唯一の仲介者=司祭であると考えられた。この司祭的な性格においては、古代エジプト王は、日本の天皇に近いであろう。

出典:高宮いづみ/古代エジプト文明社会の形成/京都大学学術出版会/2006/p115-116

ナルメルのパレット(前回参照)にあるように、初代王ナルメルから初期王朝時代の国家神はホルス。ホルスは元々先王朝時代のヒエラコンポリスの守護神でハヤブサあるいはタカの神。アビュドス出身のナルメルがヒエラコンポリスの守護神を なぜ国家神にしたのかは私には分からない。

初期王朝時代の王たちは「ホルスの化身」とされ、上のように神々の仲介者となった。

ただし、地方には地方の古来からの守護神の神殿があり各地方の宗教上の中心だった。これらの神殿の建設には、中王国時代以降になるまで、王や国家はあまり関わらなかった(高宮氏/p227)。その代わり、神話体系を作って国家神の優位性を演出したようだ(p217)。

秩序を守る

神々との仲介者である王が行うべきことは、宇宙の秩序(エジプト語で「マアト」)をこの世において維持することであった。神々が創造した宇宙の外側には無秩序が存在しており、それはこの世においてもしばしば現れる。そこで王の役割は、天候不順、外敵の侵入あるいは社会的混乱等の形でこの世に現れるさまざまな無秩序を排することであった。したがって王には、外敵(無秩序)からエジプト(秩序)を守るための肉体的・軍事的能力や、社会において正義(エジプト語でやはり「マアト」)を行って国を安定させるための政治的・経済的能力を期待された。

出典:高宮氏/p116-117

「宇宙の秩序=マアト」 は臣民の安定した生活だけでなく、自然や神々など、考えられるもの全てが安定している状態のこと。

王の本質的な役割はこの「マアト」を維持することであった。

ここで、初期王朝時代の王が「マアト」を維持していることを示す行動を3つ挙げよう。

神殿での儀式

王は神との仲介者として、日々神殿で儀式を行うことになっていた。これも秩序を支持する活動の一環(馬場匡浩/古代エジプトに学ぶ/六一書房/2017/p202)。

この儀式とは簡単に言えば神(守護神)のご機嫌取りだった。供物を供えるだけでなく神像の衣服を交換したりする作業を毎日朝晩2回行うので、実際は神官が代行していたとのこと(p194)。

新王国時代になると専従の神官が多数いたが、古王国時代までは神官は世俗の行政職が兼任していた。つまり神官はパートタイムの仕事であった(高宮氏/p227)。

カバ狩り

ナカダⅠ期からカバ狩りの図像があり、王朝時代には王がカバ狩りをしている図像資料が遺されている。

カバは自然界の脅威の象徴だった。しかしなぜカバなのか?それは当時のエジプトはナイル川の両岸が砂漠と断崖に囲まれた環境なのでカバが一番の脅威となったわけだ。またナカダ文化から王朝時代まで発掘される「象牙」製品のうちのほとんどが実はカバの牙であった。王朝時代にはカバは脅威の対象であると同時に豊穣の象徴としての崇拝の対象になっていた。

王のカバ狩りは、自然の無秩序を除去すると同時に、肉体的あるいは呪術的力を表現する高位であった可能性が高い(高宮氏/p119)。

伝承では、第一王朝の初代メネス(ナルメル)がカバに踏み潰されて死んだと言われ、2代目のアハもカバに殺されたという。カバ狩りと関係があるかもしれない。

セド祭

セド祭は第1王朝にはすでに挙行されており、その後王朝時代の終わりまで絶えることなく継続された。セド祭の詳細には不明な部分が多く、時代によって内容も移り変わったらしいが、資料が豊富に残された新王朝時代以降には、王が即位してから30年目に初回の祭が行われ、基本的に王が統治能力を維持していることを改めてします機会であったらしい。

出典:高宮氏/p130

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King Djoser running for the Heb-Sed celebration (relief from the underground galleries)

出典:Djoser - Wikipedia英語版

ジェセルは第3王朝第2代の王。

この図像は「走行儀礼」を表しているとされる。「走行儀礼」とは「王が走ることにより、自己の肉体・精神の強靭さを示し、それと同時に支配力を復活させ、王位を更新させる」というもの(馬場氏/p202)。

神性さの発現

王の神性さは、生まれながらにしてもっているわけではなく、即位してはじめて獲得できる。即位するには、王家の血統をもつ女性と婚姻すること、そして亡き先王の葬儀を形式通りに行うことが求められる。

出典:馬場氏/p201