歴史の世界

エジプト文明:先史① 緑のサハラ

エジプト文明が誕生するより数千年前、サハラ砂漠は今よりも湿潤で動植物が多く生息していた。この環境と時代を「緑のサハラ」と表現することがある。

この記事では、ナイル川周辺が砂漠で覆われるより前の北アフリカについて「緑のサハラ」について書いていく。

北アフリカが比較的湿潤だった時代のことは以前の記事「先史:アフリカ大陸の農業の起源について - 歴史の世界」に書いたが、手元に別の参考文献があるので、この記事も参考にしながら改めて書いてみよう。

アフリカとサハラの地理のおさらい

アフリカ大陸の地図と気候

まずはアフリカ大陸の地図

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植生の季節変動、2月と8月

出典:アフリカの地図<wikipedia*1

緯度と気候の関係

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大気の大循環のモデル
海陸分布や地形の影響を受けるので、実際の風の吹き方はこの図の通りにはならない。地表面を吹く風は、北半球では進行方向右へ、南半球では進行方向左へ曲がる。
(1)熱帯収束帯(赤道低圧帯) 赤道付近ではあたためられた大気が上昇気流を生じ、低圧帯となり降雨がもたらされる。
(2)亜熱帯高圧帯(中緯度高圧帯) 赤道付近で上昇した大気が冷やされ、緯度20~30度付近で下降気流が生じて高圧帯となり、晴天がもたらされる。[以下略]

出典:中村和郎 監修/よくわかる地理/学研教育出版/2013/p49

熱帯収束帯は熱帯で常に低気圧なために常に雨が降り熱帯雨林が、亜熱帯高圧帯は亜熱帯で常に高気圧なため常に晴天で砂漠が、形成される。そしてアフリカ大陸では上の地図のようになる。

サハラは亜熱帯高圧帯に位置する砂漠。

熱帯雨林気候と砂漠気候のあいだにはサバナ気候とステップ気候がある。サバナ気候は熱帯に属し、夏季と雨季を持つ。ステップ気候は乾燥帯に属し、夏季と雨季を持つが雨季でも少量の雨しか降らない。サハラ砂漠の南縁のステップ地帯をサヘル(地帯)と呼ぶ。ちなみに、サヘルから大地溝帯以東の東アフリカを除いた中央・西サヘルのことを(歴史的)スーダンと呼ぶ(これは歴史で使われる地域名称であり、現在の国名とは別物だ――スーダン(地理概念)<wikipedia参照)。

「緑のサハラ」の原因

現在のサハラと「緑のサハラ」の時代は何故ちがうのか。私はこのことについてあまり理解できていないが、分かる範囲で書き残しておこう。

ヒプシサーマル期(完新世の気候最温暖期、Hypsithermal)

この時代はヒプシサーマル期(完新世の気候最温暖期、Hypsithermal)に相当し、ヒプシサーマル期はミランコビッチ・サイクルに関係している。

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地球軌道要素の概略図。現在、地球は北半球の冬に太陽に最も近づく。
9000年前は北半球の夏に最も近づく(夏が今より暑い)。

出典:気候と植物の相互作用 - 東京大学大気海洋研究所気候システム研究系

もうひとつ引用。

ミランコビッチ・サイクル

この気候事件[ヒプシサーマル期のこと--引用者注]は、おそらく地球軌道の変化で簡単に説明が付き、最終氷期終了の延長的な現象と思われる。

9,000年前、軌道要素では地軸の傾き(グラフobliquity)が24°で、極域の夏に最も太陽が近づいており(近日点、グラフの偏心率 eccentricity)、北半球が受ける日射量が極大となる。ミランコビッチ要素の計算からは、更に北半球の夏の日射量がより増加し、より熱せられるという結果が導かれる。

出典:完新世の気候最温暖期 - Wikipedia

  • この引用文の後に「また、太陽黒点の活動も活発な時期であった。この結果、雷を伴った嵐が活発な熱帯収束帯と呼ばれる地域が南へシフトしたと予想される。」と書いてあるが、これについては理解できない。

ミランコビッチ・サイクルは地球の日射量の変動の周期を意味する。ヒプシサーマル期において北半球が受ける日射量が極大になった。日射量が極大になるということはその分 熱量が極大になるということで、より温暖になるということだ。

上の図にあるように北半球の夏に最も近づく。さらに、現在の地軸の傾きは23.4°だが、当時はさらに傾いているため北半球により日射量が偏ることになる。

日射量が増加すると大気循環が強くなり、大気循環が強くなると降水量が増加する。

こうしてヒプシサーマル期は温暖・湿潤の気候を形成した。

ほかにも要因があるようだが、理解していないので書けない。

ヒプシサーマル期におけるサハラの環境

一番影響があったのは地軸の傾きのようだ。現在よりも傾いていたため上述の熱帯収束帯(赤道低圧帯)と亜熱帯高圧帯(中緯度高圧帯)が共に北上したため、二つの境界線が現在の砂漠地帯の中央辺りまで北上した。

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第8章で言及した地名を含むサハラ砂漠とエジプトの地図

出典:ブライアン・フェイガン/古代文明と気候大変動/河出書房新社/2005(原著は2004年出版)/p209

このようなサハラの環境を「緑のサハラ」と呼んでいる。サヘルの北上と言ったほうが より正確かもしれないが。

「緑のサハラ」は12000年前に湿潤化が始まり、6000年前頃から乾燥化が始まったらしい。