歴史の世界

人類の進化:ホモ属各種 ①(最古のホモ属 ~多様性の中で~)

『人類進化の謎を解き明かす』の著者ロビン・ダンバー氏はホモ属の最初はホモ・エルガステルであり、それより前は猿人(アウストラロピテクス属)だと断言する。そのような学者は少なくないようだ(ホモ・エルガステルをホモ・エレクトスと同種と考える学者は最初のホモ属はホモ・エレクトスとする)。ホモ・エルガステルの前は猿人の特徴が残っているため、ホモ属とは認めないということだ。

しかしここでは、上のような見解を取らず、一般的に受け入れられている見解に従っていく。

アウストラロピテクス属とホモ属の境界

参考文献

以上2つの記事は2014年にサイエンス誌に掲載された論文「Antón S, Potts R, and Aiello LC.(2014): Evolution of early Homo: An integrated biological perspective. Science, 345, 6192.」に対する報道と解説。

さて、従来の学説では、アウストラロピテクス属からホモ属への進化の最初にあらゆるホモ属の特徴が「一括して」出現した、と単純に考えられてきた。

従来の学説について引用する。

200万年以上前、東アフリカで森林の後退とサバンナの拡大が進んだ。それに伴い、人類の祖先である類人猿は二足歩行を開始し、自由になった両手で道具を作り始めるなど、陸上での暮らしに適応していった。 (ナショナルジオグラフィック)

上の学説は素人にも とても分かりやすいものだった。しかし多方面からの研究の蓄積の結果、進化はこんな単純なものではなかった、と論文は主張する。

これに対して本論文は、近年の形質人類学・考古学・古環境学などの研究成果に基づき、異なる見解を提示します。本論文が指摘するのは、ホモ属的とされるさまざまな解剖学的特徴が一括して出現したのではなく、時間的に分散して現れたことです。たとえば、長い後肢がアウストラロピテクス属に確認される一方で、狭い骨盤や幼年期の延長はそれよりも後にならないと見られません。近年話題になったアウストラロピテクス=セディバやドマニシ人もそうですが、初期ホモ属の出現する前後には、原始的特徴とホモ属的な派生的特徴の混在した人類化石が存在します。

次に本論文は、ホモ属出現の背景として、不安定な気候を指摘します。ホモ属が出現する頃のアフリカの気候は、乾燥化と草原の拡大(森林の減少)という傾向として単純に把握できるものではなく、環境が不安定化・断片化したことが重視されるべきだ、というのが本論文の見解です。人類と他の哺乳類との比較を重視する本論文は、不安定な気候のなかで、食性の柔軟性やより大きな身体サイズのような特徴が選択圧の結果として固定されていったのではないか、と提案しています。これにより、人類の死亡率が低下し、生息範囲が拡大した、というわけです。また、そうした変化には社会的協力もともなっていたのではないか、と指摘されています。(雑記帳)

同時代に生きていた同地域の動物の化石を調べるとその地域の環境(気候や植生など)が分かるのだが、これによると人類は不安定な気候変動に振り回されながらどうにか生き残っていたことが明らかになってきた。そしてこの不安定な環境が選択圧として機能した結果、複数の時期に複数の進化が起こった。

ナショナル・ジオグラフィックの記事によれば、この論文は《より大きな脳と、小さな歯、完全二足歩行といった人類固有の特徴の進化が250万~150万年前に多くの初期人類種のあいだで前進と後退を繰り返しながら進んだ》ことを示している。「前進と後退を繰り返しながら進んだ」というところは注意を要するところで、後世に繋がりそうな進化も不安定な環境の中で途絶したという場合もあったということだ。

こういったことは、この進化だけではなく、おそらく多くの進化過程や文化的政治的発展の場面で起こっていることだろう。たとえば、火の使用の記事で書いたことだが、火の使用は75万年より前に化石人類の一部で発明された形跡がある。しかしこれが一般化・習慣化されたのは40万年前のことだ。

(ただ、一般人向けの紙数の限られた文章では、「一括して」という言葉を使わずに、従来の学説のような形で書くよりほかは無いような気がする。)

多様性の中の最古のホモ属:LD 350-1

参考文献

上の記事は関連した2つの論文(2つの化石)に対する報道・解説。

Spoor F. et al.(2015): Reconstructed Homo habilis type OH 7 suggests deep-rooted species diversity in early Homo. Nature, 519, 7541, 83–86.
Villmoare B. et al.(2015): Early Homo at 2.8 Ma from Ledi-Geraru, Afar, Ethiopia. Science, 347, 6228, 1352-1355.

さて、最古のホモ属とされる「LD 350-1」の話。

2013年、エチオピアのアファール州のレディゲラル(Ledi-Geraru)で発見された下顎の化石が280万年前のホモ属に属する化石だということがVillmoare氏らによって発表された。ただしLD 350-1はホモ属のどの種でもないらしい。

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今回見つかった顎骨。エチオピアのアファール地域におけるヒト属の最初のメンバーが、かつて考えられていたよりも50万年前に存在していたことになる。(PHOTOGRAPH BY KAYE REED)

出典:ナショナルグラフィック

この化石が発見される前の「最古の化石」は「AL 666-1」(ホモ・ハビリスに分類する学者もどの種にも属さないとする学者もいるらしい)と呼ばれるものだが、これが230万年前なので、今回の発見はホモ属の歴史を50万年も遡らせたことになる。

ただしLD 350-1も他の「境界」に近い化石のようにアウストラロピテクス属とホモ属の両方の特徴を持っているので、これをホモ属だと認めない学者も少なくはないだろう。

生息年代

280万年前

推測の材料

臼歯などが残っている下顎

特徴

臼歯や下顎の形状など、現代のヒト属と共通する特徴を持っている一方で、顎の前部の形はヒト属よりも原始的で、アファール猿人の特徴に近い。(ナショナルグラフィック)

発見・公表

発見:2013年、エチオピアのアファール州のレディゲラル(Ledi-Geraru)。
発見者:Chalachew Seyoum, a graduate student at Arizona State University(LD 350-1<wikipedia英語版)。
発表:2015年、Villmoare氏らによりホモ属のものと発表。

その他

化石動物相の分析から、レディゲラル人の生息地域の当時の環境は、アファレンシスの生息していた環境よりも乾燥していて開けており、草原と低い灌木が混在していたのではないか、と推測されています。280万年前頃以降、地球規模の気候変化によりアフリカでは乾燥化が進んで種の出現と絶滅が進行し、ホモ属の起源もそうした文脈で把握できるのではないか、との仮説が提示されています。ただ、この論文の共著者の一人であるリード(Kaye E. Reed)博士は、気候変化がホモ属の出現につながったと言うのは時期尚早で、もっと人類化石の発見が必要だ、指摘しています。(雑記帳)

ホモ属の多様性、アウストラロピテクス属の多様性

もう一つの論文はホモ・ハビリスの化石「OH7」に関するもの。これは180万年前の大きくゆがめられた顎骨、頭蓋骨の小さな破片多数、手の破片から成る標本だが、今回CGで仮想復元した結果がSpoor氏らにより、発表された。

その結果「OH7」はどのようなものなのか。

アファールで発見された230万年前のヒト属AL 666-1の上顎よりも50万年後のものであるにもかかわらず、新しく再現された顎骨は、明らかに原始的である。このことは、230万年前より前に、さらに原始的なヒト属が存在しており、それが2つの系統に分かれたことを示唆している。

そして、エチオピアで新しく発見された280万年前の顎も、その条件にピタリと当てはまるのだ。

「Ledi-Geraruの顎は、あたかも“リクエストに応じて”出土したかのように、アウストラロピテクス・アファレンシスとホモ・ハビリスの間に存在する進化の関係を示唆するものです」とスプアーは述べている。

脳の大容量化は、もっと古くから始まっていた

スプアーらは、オリジナルのホモ・ハビリスの標本から、頭蓋もデジタルで再現している。それまで頭蓋の容量は、典型的なアウストラロピテクス属よりも多く、後の人類よりも少ない700ccと考えられていたが、新しく再現された頭蓋容量は、800ccとなった。これによりホモ・ハビリスは、200万年前の東アフリカのサバンナを歩いていたヒト属の2つの種(ホモ・ルドルフエンシスとホモ・エレクトス)と同じ知識階級に属することになる。

スプアーは昨年8月、ケニアのトゥルカナ盆地研究所で開かれた会議で初めてこの再現計画を議論した際、「ここにあるのは、非常に原始的な鼻先と、大きな脳を持つ獣である」と述べている。

同時期に存在した3つの種(ホモ・ハビリス、ホモ・ルドルフエンシス、ホモ・エレクトス)が個別に脳の大きさを進化させたとは考えにくいため、それらに共通の祖先が、これまで考えていたよりもずっと昔から、すでに大きな脳を持つ針路を取っていたと考えられる。このことは、今まで考えられていた、ヒト属の系統における脳の大型化と最初の石器の間の関係を覆すかもしれない。 (ナショナルジオグラフィック

さて、上の論文で2つのことが言えるようになった。

一つ目、多様性の話。まず下の図を見てみよう。

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Emily M. Eng, NG Staff. Sources: Science

出典:ナショナルジオグラフィック

上の系統図は仮説の一つだが見ていこう。アウストラロピテクス・アファレンシスからLD 350-1が進化して、これからOH7(ホモ・ハビリス)とAL 666-1が分岐したがホモ・エレクトス(そして現生人類)へ繋がるのはAL 666-1の方だった。OH7の顎はLD 350-1から あまり進化していないのだろう。(この図ではホモ・エルガステルはホモ・エレクトスと同種とされているようだ。またこの図が事実だとするとAL 666-1はホモ・ハビリスではないように見えるが、最初の分岐をホモ・ハビリスの種内の分岐とすればAL 666-1をホモ・ハビリスとしても矛盾しない。)

二つ目は、「脳の大型化と最初の石器の間の関係」。これまでは最初の石器、オルドワン(Oldowan)石器は260万年前(または250万年前)に出現したとされ、ホモ属に先行すると考えられていたが、これが「やはり大きな脳を持つホモ属が発明したものだ」という仮説が成り立つようになった。(石器については別の記事で書いた。」)

さて、上の2つに もう一つ付け加えることとして、ナショナルジオグラフィックと雑記帳の両記事は、セディバ猿人と上記のホモ属の多様性との関係について言及している。

セディバ猿人(アウストラロピテクス・セディバ)については記事「アウストラロピテクス各種(前編 「華奢型」グループ)」で書いたが、A.セディバの特徴は「脳が極めて小さいが小さな歯と現生人類に似た鼻の形を持っている」と、これもアウストラロピテクス属とホモ属の両方の特徴を持っている。

おそらく、ハビリスやルドルフェンシスなど初期ホモ属と分類されている人類化石群は、化石証拠が少なく断片的であるために、まだ適切に分類されていないのでしょう(この状況は短中期的にはとても改善されそうにありませんが)。ホモ属的特徴を有する人類はその初期から多様化していき、セディバやハビリスもしくはルドルフェンシスと分類されている化石群の多くはエレクトスにつながらず絶滅した系統に属しており、ホモ属的特徴を有する初期人類の一系統からエレクトスが出現したのではないか、と思います。しかし一方で、近年の遺伝学の研究成果から類推すると、こうした多様な系統の間で交雑が一定水準以上起きており、その結果としてエレクトスが形成された、とも考えられます。ともかく、ホモ属の起源に関しては、今後も議論が長くことでしょう。(雑記帳)

ホモ属初期だけでなく、アウストラロピテクス属の最終局面でも多様化していた。A.セディバ以外にもA.ガルヒなどが発見されている。

まとめると以下のようになる。

まずアウストラロピテクス属(華奢型)の末期の多様化の中でその中の一種がホモ属に進化した。そして初期のホモ属も多様化して、その中の一種がホモ・エレクトスとして生き残った(生存競争に勝ち残った)。ホモ・エレクトスも多様化したが、現在はホモ・サピエンス一種だけが残っている。

人類の進化:ホモ属の特徴について ⑫脳とライフスタイル その7(脳とライフスタイルの進化 後編)

前回からの続き。

人類進化の謎を解き明かす

人類進化の謎を解き明かす

今回も上の本を頼って、ネアンデルタール人(ホモ・ネアンデルターレンシス)と現生人類(ホモ・サピエンス)に取り掛からろう。

ネアンデルタール人とライフスタイル

共同体の規模:110人*1

ネアンデルタール人(ホモ・ネアンデルターレンシス)とホモ・サピエンスの脳の大きさはそれぞれ、1170-1740cc、1100-1900cc(ダニエル・E・リーバーマン/人体 600万年史 上/早川書房/2015(原著は2013年に出版)/p169)。「ネアンデルタール人wikipedia」にあるように(おそらく)平均値ではそれぞれ1600cc、1450cc とネアンデルタール人の方が脳が大きいようだ。

しかし、脳が大きい=頭がいいと即断できないことをダンバー氏の本は示している。

ダンバー氏曰く、ネアンデルタール人の脳の発達は、視野系を発達させるため、すなわち弱い日差しの中で(生息地は高緯度のヨーロッパ)、遠くまで見える能力の発達の結果だということだ。

高緯度地帯では日差しが弱いので、遠くのものを見づらいのだ。これは狩人にとって深刻な問題で、子どものサイを仕留めようとしているときに、母親のサイが暗い森のはずれにひそんでいるのを見逃すというミスを犯す訳にはいかないからだ。日差しが弱い地域での暮らしは、たいていの研究者が考えるより大きな負担を視覚に強いる。

出典:ダンバー氏/p190

このために後頭葉の最後部にある第一次視覚野が発達した。そのために後頭部が異様に出っ張っているような形になっている。

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出典:ネアンデルタール人wikipedia*2

簡単に言うと、ネアンデルタール人は視野系を強化するために脳の大きさを発達させたが、社会認知を高めるための脳の前方領域の発達は無かった。いっぽう、ホモ・サピエンスは低緯度地域アフリカで視野系を発達させない代わりに前方領域が拡大した(ただし、現代人も高緯度に住んでいる人びとは比較的視野系が発達しているらしい(これによる前方領域の脳の犠牲は無い) )(p192-194)。

これにより(脳の前方領域の発達はなかったことにより)、ネアンデルタール人は直系先祖のホモ・ハイデルベルゲンシスと同じ共同体規模を持つ(110人)。

ライフスタイル

ネアンデルタール人は高緯度の気温に適応したため手足は短かったが、頑丈な身体を持っていた。

狩猟方法は「待ち伏せ型」という特徴的なスタイルが中心だった。木の陰に隠れて、近寄ってきた獲物(大型・中型動物)をルヴァロワ石器という新しい石器でできた穂先をつけて槍で突き刺した。このような危険を伴う狩猟は怪我人が絶えなかったことが化石に現れているらしい。食性は肉食に偏っていて肉食動物と同程度だというデータがある(p184-185)。

ガタイのいい身体の持ち主のネアンデルタール人はホモ・ハイデルベルゲンシスやホモ・サピエンスよりも体重が重かった。

ホモ・ハイデルベルゲンシス:50-70kg
ホモ・ネアンデルターレンシス:60-85
ホモ・サピエンス:40-80((リーバーマン氏/p169)

ここで、社会的グルーミングの話に移ろう。

ダンバー氏によれば、ネアンデルタール人は、社会的グルーミングの一つとして、音楽を発明した。

ダンバー氏は、音楽の先駆的な例として、ヒヒの一種のゲラダヒヒの音声による社会的グルーミングを紹介している。ゲラダヒヒは120頭という霊長類の中でかなり多いレベルの頭数の集団を形成できる種であるが、この集団を保つために複雑なコンタクトコール(親和的意図を伝える鳴き声)を多数用いて絆を維持している(p196-197)。

ネアンデルタール人は言語を持たなかったが、ハミングなど発声により音楽を作ったとしたら、笑う時と同じように呼吸の制御を必要とし、胸壁筋や横隔膜を活発に動かし、その結果エンドルフィンが分泌される。またハミングは分節化、構音、区切り方、共時性など多くのヘラいや言語と共有している(p195)。

ここで言う「共時性synchronicity」とはカール・ユングが提唱した概念のことではなく、ある集団が同調して(シンクロして)同じ行動をすることによって社会的グルーミングの効果が起こることを言っている。

ホモ・ハイデルベルゲンシスからの進化で体重が増え、その分の摂食・狩猟の時間が増えた一方、ルヴァロワ石器と音楽の発明は時間収支の軽減を促した。

ホモ・サピエンスとライフスタイル

上記で書いたように、ホモ・サピエンスは、先祖のホモ・ハイデルベルゲンシスに比べて、社会認知を高めるための脳の前方領域すなわち前頭葉を拡大させた。この結果、ダンバー氏の主張する社会脳が発達し、共同体の規模(ダンバー数)は150人となった

ホモ・サピエンスはさらに500人、1500人の互助的な関係を形成することができたので(ダンバー数 後編 参照)、全滅の可能性は他のどのホモ属よりも低かった。

言語から宗教へ

ホモ・サピエンスが150人の共同体を維持した社会的グルーミングの手段は「言語」だ。社会的グルーミングができる会話集団は「笑い」と同じく平均3人上限4人だが、物語などを共有することで おのおのが同じ文化を持つ共同体の一員だということを認識できただろう。

物語の中でも重要なのが、精霊の世界の話だ。精霊の世界とは死後に人が行く世界で、生者もトランス状態にあれば訪れることができる。こういった概念が十分に確立されたのは遅くとも3万年前~2万5千年前で、これより遡ることは大いに有り得る(ただし証拠はない)(p265-266)。このトランス状態、精霊の世界がシャーマニズムになりさらに教理宗教(神、聖所、聖職者、教義がある宗教)へと変化していった。

教理宗教はダンバー数を遥かに超える共同体をまとめるのに必要なもので、遊動または半遊動生活をする狩猟採集民はシャーマニズム、定住する村落、都市は教理宗教に特徴づけられる(p300-301)。

ネアンデルタール人ホモ・サピエンスの運命を分けたもの

記事「先史:ホモ・サピエンスの「親戚」、絶滅する--ネアンデルタール人とホモサピエンスの運命を分けたもの - 歴史の世界」で書いた。

ネアンデルタール人は社会脳だけではなく、物質文化においてもホモ・サピエンスに劣り、その結果 生存競争に敗れてしまった。  




ホモ・サピエンスのライフスタイルについては、「先史/ホモ・サピエンス」のカテゴリーで書いた。
この本を読んでしまったから、リライト必至。


人類の進化:ホモ属の特徴について ⑪脳とライフスタイル その6(脳とライフスタイルの進化 前編)

前回からの続き。

人類進化の謎を解き明かす

人類進化の謎を解き明かす

さて、この記事では いよいよ、脳とライフスタイルの進化を辿っていく。まずはアウストラロピテクスから始めてホモ・ハイデルベルゲンシスまで辿り、次回はホモ・ネアンデルターレンシス(ネアンデルタール人)とホモ・サピエンス(ヒト、現生人類)に進もう。

類人猿とアウストラロピテクス

著書の第4章「第一移行期:アウストラロピテクス」の最期の節「アウストラロピテクスの社会生活」のまとめの部分に以下のように書かれている。

アウストラロピテクスが]チンパンジーのように散在する小集団で食べ物を探したとすれば、乱交した可能性がいちばん高い。メスが広範囲に散らばっているなら、数等のメスを同時に守ることができないからだ。しかし、すでに述べたように、実りのある豊かな湖のほとりや河川の氾濫原を大集団で食べ物を探したとすれば、マントヒヒやゲラダヒヒ、ゴリラのようなハーレム型の他婚だった可能性がある。コンゴ西部のバイに暮らすゴリラのように、一頭のオスが守る小規模のハーレムが、仲間のオスのハーレムと共同体を形成して一緒に食べ物を探したのかもしれない。氾濫原で捕食者に対する抑止力を得るために、ハーレムどうしが大きな集団をつくって食べ物探しに励むには、それぞれのオスは互いにより寛容になる必要があったはずだ。もしそうであれば、これがアウストラロピテクスのオスの犬歯が大幅に縮小した理由かもしれない。

出典:ダンバー氏/p127

節の始めに書いてあることだが、チンパンジーとアウストラロピテクスは同等の脳の大きさで、同等の共同体の規模を持っていた。共同体の規模(ダンバー数)は50頭/人(p165)。

しかしアウストラロピテクスチンパンジーは生活環境が違う。

気候変動により熱帯雨林の周縁からあぶれてしまったアウストラロピテクスは食料源が豊富で被捕食リスクの少ない氾濫原で生き延びるしかなかった(それ以外の場所で生活した仲間は捕食されて全滅したのだろう)。

アウストラロピテクスの時代の社会的グルーミングの進化については、この本には書かれていない。チンパンジーと同程度の脳しか持っていなかったためだろうか。とりあえず、アウストラロピテクスは身体的進化とライフスタイルの変更により存亡の危機は回避された(アウストラロピテクスのしんかについては記事「アウストラロピテクス ~森林からサバンナへ?~」などで書いた)。

初期ホモ属(ホモ・エルガステル/ホモ・エレクトス

著書における「初期ホモ属」はホモ・エルガステル/ホモ・エレクトスを指す。一般に初期ホモ属と言えばホモ・ハビリス/ホモ・ルドルフェンシスを指すが、ダンバー氏はこの両者をアウストラロピテクス属としている。

さて、以前に書いたようにホモ属は開けたサバンナに出て狩猟採集民になる生存戦略を採った。

サバンナに出れば捕食者(肉食獣)に襲われ無いための対策を考え出さなければならない。この対処としてホモ属は多人数の野営集団(バンド)を形成して夜を過ごすことにした(と思われる)。

しかし、集団が大きくなるに連れてストレスも大きくなる(共同体の規模:75~80、p165)。このストレスを減らす手段が社会的グルーミングとなるわけだが、大集団全員に(意味どおりの)毛づくろいをする訳にはいかない。全員にする時間的余裕がない。

初期ホモ属がどのように、社会的グルーミングをしたか?ダンバー氏の解答は「笑い」だった。(p156~)

ここで言う笑いはマンガやテレビを見て発する笑いではなく、顔をつき合わして参加者が同等に共有する(分かち合う)笑いだ。これにより、参加者全員がエンドルフィンの作用を経験し、社会的グルーミングが成り立つことになる。

しかし、この場合の笑いの「全員」という平均で3人。上限は4人だが、4人を超えると会話は2つに分かれる。

3人は少ないと思うかもしれないが、3人でも毛づくろいの3倍の効果がある。毛づくろいは してもらう方だけがエンドルフィンの作用を経験するが、笑いは3人でその効果を共有する。

注意すべきことは、ホモ・サピエンス以外のホモ属は言語を持たなかったので、笑いをつくることが難しいことだ。共に過ごした中で偶発的に起こる笑いが中心だったかもしれない。(p218)

旧人/ホモ・ハイデルベルゲンシス

ダンバー氏の言う「旧人」は、アフリカに60万年前に現れたホモ・ハイデルベルゲンシス(ハイデルベルク人)のこと(というか翻訳者がこのように訳した)。ヨーロッパ、西アジアに拡散した。(p171)

ダンバー氏は、この種は突如として出現した、と書いているが、アフリカにおける90万~60万年前頃の人類化石記録が乏しいため*1、進化が突然だったかどうかは分からない。

また、ホモ・ハイデルベルゲンシスがどのような環境で進化したかについてはよく分からない(この本にも書かれていない)。

ホモ・ハイデルベルゲンシスはホモ・エレクトスと比べて かなり大きな脳を持って出現したのだが、50万年前から縮小した後に30万年前になって再び急激に脳を拡大させた。

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ホモ・ハイデルベルゲンシスの個々の標本の頭蓋容量を時間軸にそって示す。
● 高緯度個体群(ヨーロッパ)
○ 低緯度個体群(アフリカ)
30万年前までは、気温の降下と緯度の付加的な効果により、時の経過とともい脳の大きさが減ったが、その後これらの制限条件から開放されたことをデータが示している。この制限条件からの解放は、料理に常時火を使うようになったこと、暖かさ、そしてとくに活動時間の長期化とかかわっているかもしれない。
出典:DeMiguel & Heneberg (2001)

出典:ダンバー氏/p179

上に書いてあるように、脳を拡大させたものは料理を含む火の使用だった。料理により腸の縮小が脳の拡大を促した(不経済組織効果、前回の記事参照)。脳の拡大分のエネルギーは火を利用することによって暗くなっても活動できたことで補える。そして暖を取ることによってエネルギー消耗を防いだ。さらにものを食べるとエンドルフィンが活性化するので、大勢で焚き木を囲んで料理を食べれば、社会的グルーミングの効果が期待できる。

火の使用については以前に記事を書いた。)

ホモ・ハイデルベルゲンシスの共同体の規模:110人(p192)。

高緯度個体群と低緯度個体群の差が一気に縮んだor無くなったのは火の使用のおかげだ、とダンバー氏は主張する。



*1:アフリカにおける後期ホモ属の進化<ブログ「雑記帳」2017/11/29 参照

人類の進化:ホモ属の特徴について ⑩脳とライフスタイル その5(社会的グルーミング/不経済組織仮説)

前回からの続き。

人類進化の謎を解き明かす

人類進化の謎を解き明かす

この本は時間収支モデルと社会脳仮説を使って人類の進化を説明しようというものだが、これら以外のキーワードとしてダンバー数というものがある。これについては2つ記事を書いた。

あと2つ、キーワードを追加しよう。それは「社会的グルーミング」と「不経済組織仮説」だ。

社会的グルーミング(社会的毛づくろい、ソーシャルグルーミング)

グルーミング(毛づくろい)は、汚れ・ノミ・寄生虫などを取るなどの衛生管理のための行動だ(グルーミング<wikipedia参照)。

グルーミングは自分で行うもの(セルフグルーミング)と他者に行なうもの(アログルーミング allogrooming 、ソーシャルグルーミング Social grooming )があるが、後者は物理的な衛生面以外の効果がある。

グルーミングを他者からされると脳内で β-エンドルフィンが分泌される。β-エンドルフィンが分泌されると多幸感をもたらす、気持ちが落ち着く、痛み・緊張・ストレスが緩和される、などの効果が起こる。

さらに互いにグルーミングをすることで信頼関係が形成され、互いの窮地の時に援助する関係が作り上げられる。また弱者が格上の強者にグルーミングを行なうことで身の保全を求めることもあるという。

類人猿では、このような行為は社会集団あるいは派閥を形成するために必要な行為とされている。

人間の場合は、社会的グルーミングは、上記のような物理的な(衛生的な)効果を求めるものではなく、もっぱら精神的なものをいう(背中を流すことや髪を梳かすなどの本来の意味のグルーミングもあることはある)。

ダンバー氏の著書には、人類の進化の中で社会的グルーミングの進化が大きな役割を果たしたことが書いてある。

この著書に直接的に書かれていないが重要な事は、性行為(交尾、セックス)によるグルーミング的効果、つまり絆を深める効果のことだ。性行為では両者にβ-エンドルフィンが放出されるので、ここで絆が深まる。これが つがいの間のペア・ボンディング pair bonding の固い絆のなるのだろう。そしてこの絆はおそらく血のつながりに匹敵する。この仕組み(性行為とβ-エンドルフィンの関係)も血縁淘汰説の一部なのだろう。

不経済組織仮説

1995年にピーター・ウィーラーとレスリー・アイエロが唱えた仮説。ホモ属の脳の増大に対するエネルギー増加分をどのように補ったのかに対するもの。

彼らは、腸と脳はエネルギー消費にかんして同程度のコストがかかると考えた。腸には神経が稠密に張りめぐらされているし、脳はニューロンがいつでも発火できるように準備を整えている。両者によれば、人類進化のある時点で、ホミニンはエネルギー割当ての一部を高コストで不経済なある組織(腸)から別の組織(脳)に再分配することで、全体として余分なコストを出さずに脳を大きくした。彼らは食べ物の質を上げ、小さくなった腸による栄養素の吸収率を改善することでこれを実現したというのだ。

出典:ダンバー氏/p144

簡単に言えば、脳の増量分のエネルギー増加は腸の縮小分のエネルギー減少で相殺されたということだ。この仮説は今でも通用するようだ。

40万年前に料理が習慣化されたため、これからさらなる脳の増大が起こっていく。

5つのキーワードでホモ属の進化を見ていく

5つのキーワードとは時間収支モデルと社会脳仮説とダンバー数、社会的グルーミング、不経済組織仮説。

次回より、これを使って主に脳の拡大を中心にして進化の過程を追っていこう。



人類の進化:ホモ属の特徴について ⑨脳とライフスタイル その4(ダンバー数 後編)

前回からの続き。

今回もダンバー数について。

人類進化の謎を解き明かす

人類進化の謎を解き明かす

共同体(氏族)と縄張り

また狩猟採集民に話を戻す。

仮に狩猟採集民150人が一つの場所に居るとなると、その縄張りの可食の動植物は たちまちの内に枯渇する。このような事態を避けるために、狩猟採集民は一定の人数と縄張りを決めて生活する(このようなことはヒトに限らず霊長類おそらくは他の動物もおなじだ)。

150人の集団(共同体、氏族)は一定の縄張りを持ち、その中で50人程度の野営集団をつくって生活している。50人という規模は主に捕食者(肉食獣)から身を守るために必要な数らしい。この50人の集団は入れ替えが頻繁にあって、特に結束した(コアな)集団ではないとのことだ(著書には、50人は夜を共に過ごす単位と女性が可食植物を採集する単位の2つが書いてあって、そうすると男性の数が浮いてしまうのだが、その説明が無い)。

社会ネットワークの階層

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出典:ダンバー氏/p76

上は社会ネットワークの階層を表している。おおよそ3倍に広がっている。

以下では狩猟採集社会を想定して、p73-76、p273-281を参考にしてこの同心円の意味を書いていこう。

  • 5人:より強力な情動的支えとなり、悲しみを分かち合える仲間(家族、親友)。

  • 15人:馴染みの仲間うち。経済的・社会的支援を得るための基盤(近縁、大家族)。

  • 50人:野営集団(バンド)。肉食獣に対する防備に必要な数。

  • 150人:氏族(クラン)、共同体。厄災時に無条件に助け合える仲間。

  • 500人:大規模な共同体(メガバンド)。行き過ぎた近親交配を防ぐための遺伝子交換をするための最小規模。形式的な関係。会うことも不定期。

  • 1500人:民族的、言語的集団(トライブ)。構成員すべてが同一言語を話す共同体。環境上のリスクを避けるための より大きな互助ネットワーク。

ダンバー数150人より外の層は共有の言語と文化と道徳観(誠実さとたしかな互恵性)が必要となり、これらはおそらくホモ・サピエンス固有のものだったろう。そして、互恵性が150の層を越えて形成された時期を、ダンバー氏は「約10万年前に始まった最終氷期に環境がどんどん悪化した」時期と想定している。生存戦略として、資源の奪い合いではなく、同盟を結ぶことを選択した。(p280-281)

ダンバー数と関係があるかどうかは分からないが、ヒトの狩猟採集社会で男性の狩猟集団は5人、女性の採集集団は10~15人(p165)。

人類の進化:ホモ属の特徴について ⑧脳とライフスタイル その3(ダンバー数 前編)

前回からの続き。

人類進化の謎を解き明かす

人類進化の謎を解き明かす

今回はダンバー数を扱う。ダンバー数は社会脳仮説を元にダンバー氏が開発した指標で、この指標は霊長類において有効だ。

ダンバー数

ヒトを含む霊長類が、互いを認知し合い、安定した集団を形成できる個体数の上限。1993年に英国の人類学者ロビン=ダンバーが提唱した、霊長類の脳を占める大脳新皮質の割合と群れの構成数に相関関係があるという仮説に基づく。ヒトの場合は平均150人程度とされる。

出典:デジタル大辞泉小学館コトバンク

この主張は、ご多分に漏れず学界において批判はあるが(ダンバー数wikipedia参照)、知識不足の私には納得しがたいものだ(進化心理学全般が理解できない)。とりあえず、ここでは、ダンバー数はダンバー氏の主張を数値化したものと考えて話を進めよう。

現代人におけるダンバー数

ダンバー数wikipedia」によれば、上記の「互いを認知し合い、安定した集団」とは、現代人においてはどういうものか、幾つか載っている(ダンバー氏の著書を参考にしている)。これを簡単な言葉で「社会集団」あるいは「共同体」としている。

  • ある個人が、各人の事を知っていて、さらに、各人がお互いにどのような関係にあるのかをも知っている。
  • 「もしあなたがバーで偶然出会って、その場で突然一緒に酒を飲むことになったとしても、気まずさを感じないような人達のことだ」(ダンバー氏自身の言葉)。
  • 知り合いであり、かつ、社会的接触を保持している関係。

ダンバー数の重要な点は、同記事によれば、

  • ダンバー数の境界部分には、高校時代の友人など、もし再会すればすぐに交友関係が結ばれるであろう過去の同僚が含まれる。
  • ダンバー数を超えると、大抵の場合で、グループの団結と安定を維持するためには、より拘束性のある規則や法規や強制的なノルマが必要になると考えられている。ダンバー数については、150という値がよく用いられるが、100から250の間であろうと考えられている。

狩猟採集民におけるダンバー数/血縁関係

ここでは人類史における農業の誕生より前のヒトの狩猟採集民に限定して話を進める(この時代のヒトは全て狩猟採集民だった)。

狩猟採集民の生活は いつも餓死の危険と隣り合わせだった。狩猟に失敗して獲物ゼロになった時の予備の食糧くらいは どうにかなったが、万一の厄災(天災や紛争)の時は瞬時に死の淵に直面する。このような場合に備えて、狩猟採集民は避難する場所と援助してくれる仲間を確保する。ダンバー数の定義では厄災時に迎え入れてくれる仲間の範囲を社会集団とか共同体という言葉で表している。

ただし、避難民を迎え入れる側に立つと、迎え入れるリスクがある。彼らも約際に巻き込まれるリスクを持ち、余剰の蓄えは多くはなく、避難民に縄張りを取られる可能性も考えなくてはならない。

このような場合を考えると、形式的な友人は社会集団の内には入れられない。社会集団の核となるのは血のつながりがある集団で、その周りに定期的に会う友好関係にある小集団が来る。

血縁関係は、だれかに対してどう振る舞うか決めねばならない時に、さほど時間を無駄にせずに複雑な関係を処理するための早道である可能性がある。親族についてはたった一つのこと(つまり、互いに血縁関係がある、そしてたぶんその関係の深さ)を知るだけでいいが、友人に対してどう振る舞うかを決めるには、過去にその友人とどのようなやり取りがあったかをたどらねばならない。血縁関係にある人にかんする決定は処理量が少なくなる分、そうでない人にかんする決定より速く、より少ない認知コストですませられる。このことは、心理学的には、血縁関係が暗示的な(自動的な)過程であるのに対して、友情は明示的な(それについて考える必要がある)過程であることを意味するのかもしれない。小規模共同体のように集団内の全員に血縁関係がある場合、親族名称は共同体の構成員を「すばやく低コストで」特定するのに役立つだろう。

外婚制の社会(一方の性別の人が共同体外の出身であるのに対して、もう一方の性別の人は生まれた共同体内に生涯をとおしてとどまる)において、二世代前の一組の夫婦(曾曾祖父母)に連なる、生存する子孫の数(現在生きている三世代、すなわち祖父母、父母、子ども)と、150人という数字がほぼ同一であるのは偶然とは思えない。それは、共同体のだれもが全員の親子関係を個人的に知っていて断言できる範囲なのだ。親族名称の体系のなかに、150人の共同体という系統の自然な狭隘を越えて血縁関係を特定するものが一つもないのは驚異的なことだ。私たちの親族名称体系が人間の自然な共同体の構成員を追跡し、その知識を維持するためのものであるのは明らかだ。

出典:ダンバー氏/p256-257

叔母(おば)や従兄弟(いとこ)のような親族名称があるのは、血縁関係(共同体)の内か外かを瞬時に選別するためのツールになっている。そして血縁関係の内にいる人が厄災にあった場合、自動的に、つまり理屈なしに、無条件に助けるように、ヒトの頭はできている、という。

血縁淘汰/血縁選択説

上のような反応(親族を無条件に助けようとする反応)が起こるのは、「それは血縁淘汰によって生まれるというのが自然な見方だろう」(p255)という。

wikipediaからの引用。

従来の自然選択説がある個体自身の繁殖成功(直接適応度)のみを考えていたのに対して、血縁選択説はその個体が、遺伝子を共有する血縁個体の繁殖成功を増すことによって得る間接適応度も考慮に入れる。そして、この2つを足し合わせた包括適応度を最大化する形質が進化すると予測する[1]。

血縁選択説では、血縁者に対する利他行動を促進する遺伝子を想定し、その頻度が世代を経るにつれて増えるか減るかを考える[4]。そのような遺伝子は、利他行動を行う個体自身の繁殖成功(直接適応度)を下げるために、次世代では頻度を減らすように思われる。しかし、利他行動が同じ遺伝子を持つ個体の繁殖成功を高くするのであれば、利他行動を受ける個体が多くの子孫を残すことによって、合計ではその遺伝子の頻度は増えていく(自然選択において有利になる)可能性がある。

出典:血縁選択説<wikipedia

著書の注によれば、「一般に、人が親族を助けたいと思う度合いはその相手との類縁度に応じて変わる。この度合いはその人がだれの子であるかによってかなり正確に計算できる」(注のp10)とある。

氏族について

ダンバー氏は上のような血縁関係の共同体を氏族(クラン、clan)と呼んでいる。

小学館日本大百科全書(ニッポニカ)から引用しよう。

氏族 しぞく clan 
単系出自集団unilineal descent groupの一つ。単系出自集団とは、特定の祖先から、男性または女性のみを通じて親子関係がたどれる子孫たちのつくる集団である。父系出自集団は特定の男性祖先から男のみを通じて出自がたどれる子孫、母系出自集団は逆に、特定の女性祖先から女性のみを通じて出自がたどれる子孫からなる。このような集団のうち、成員が互いの、あるいは共通祖先との系譜関係をはっきり知っているような集団はリネージとよばれるが、これに対し、伝説上の、あるいは神話上の共通祖先をもっているという信仰のみで、その共通祖先との、あるいは成員相互の系譜的関係がはっきりとはたどれないような集団を氏族またはクランとよんで、リネージと区別するのが普通である。

氏族は固有の名称をもち、しばしば特定のトーテムとも結び付いた集団で、父系の場合、子供たちは父親の氏族に所属し、氏族の成員権は、息子からまたその子供たちへと継承されていく。母系の場合、子供は母の氏族に属し、成員権は娘の子供たちへと継承される。しばしば氏族は、その内部に亜氏族やリネージなどの内部区分をもつ包括的集団となっているが、このような内部区分をもたない氏族もある。また氏族が胞族phratryや半族moietyなど、より高次の単位に組織されていることもある。

同じ氏族の男女の結婚を禁ずる外婚規制が広くみられ、同じ氏族の成員は、互いの系譜関係がたどれぬ場合でも、互いを血縁者とみなしている。氏族は共有財産をもったり、特定の領土単位と結び付き、比較的地理的なまとまりを示すこともあるが、多くの場合、広い地域に分散して全体としては地理的まとまりをもっていない。このような場合にも、成員相互には、もてなしや援助、互いを親族名称で呼び合うなどの形で、一種の連帯感が伴うことが多い。[濱本 満]

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)コトバンク

親族と友人の違い

ここで一旦、現代人を含めたヒトの話に戻そう。

異なる距離(友人や家族との隔たりが近いか、遠いか)にある家族や友人に対して利他的に振る舞う意欲について、私たちや他の研究者多数が研究したところ、いずれも人は友人より家族に対して利他的であり、それは相手との社会的距離(社会ネットワーク内の層)が同じでも変わらないことがわかった。私たちには親族を優先して助けようという本能的な反応があるらしく、おそらくそれは血縁淘汰の結果と思われる。

出典:ダンバー氏/p256

血縁関係にない友人は卒業や転職などで合う機会(交流頻度)が減ると途端に親近感は薄れ、その友人はダンバー数の限界の外に追いやられる(親族は交流頻度が低くても関係性が維持されやすい)。親密な友好関係を維持する基本は直接会って話すことだが、近所・学校・会社などで会うような機会がなければ、友好関係を維持するコストは高く付くことになる(p294)。

現代人が形成する個人的な社会ネットワークでは、50人の層で友人の割合がかなり高く、いちばんその側の150人の層で拡大家族の割合がかなり高い。拡大家族は友人より投資(社会資本)が少なくてすむので、最外層は内側の層より維持が楽なのだ。外層の家族と同じくらいの時間しか友人に割かないと、友人はただの知り合い、出会えばうなずきあう程度の人間になり、まさかのときの頼りにはならない。

出典:ダンバー氏/p294

(つづく)



脳とライフスタイルについて書く前段として「人類進化の謎を解き明かす」の内容を書き留めているのだが、おそらく本題の内容は「前段」より文章量が少なくなる。

それはこの本が、人類進化より著者の主張(時間収支モデルと社会脳仮説)が前面に出ているから、とも言えるが、実のところ、著者の主張を書き留めながらでないと、その主張が理解できないので書き留めている。

そして次回もダンバー数の続きとなる。


人類の進化:ホモ属の特徴について ⑦脳とライフスタイル その2(時間収支モデルと社会脳仮説)

前回に引き続き、ロビン・ダンバー氏の著書の話をする。

時間収支モデルと社会脳仮説については理解が十分とはとても言えないのだが、頑張って書いてみよう。

人類進化の謎を解き明かす

人類進化の謎を解き明かす

時間収支モデル

生き物の生活は就寝時間と活動時間に分けることができる。

ある種(個体。基本的に人類を含む類人猿)の活動時間を「摂食、移動、休息、社交」に分割して、その種の活動の型(モデル)をつくる(研究する)ことが時間収支モデルの意義である。単純化すると以下のようになる。  

活動時間=摂食+移動+休息+社交

  • 摂食:食べる時間。

  • 移動:食べ物探し。

  • 休息:日中に体温が上昇しすぎることを避ける(熱中症のリスクを避ける)ための時間+食べ物(特に植物)を消化する時間

  • 社交:社交時間とは社会的関係の形成する または 維持するための時間のこと。一定の規模の社会集団は なぜ必要なのか、以下に思いつく限りの理由を挙げてみよう。

    • 捕食者(肉食獣)から身を守るため。
    • 生活圏(縄張り)を維持するため。
    • 狩猟採集を共にする仲間の維持。
    • 天災・紛争など万が一の際に救済してくれる他のグループとの交流。もちろん相互救済。同盟。

ダンバー氏ら は、上記の四つを関数として表す方程式を開発した。ある種の特徴とその生活圏の正確なデータが得られれば、この方程式を使って、その種の正確な活動時間の分配が得られる。

化石人類に関しても、化石から得られるデータと化石人類が生息していた環境のデータが得られれば計算可能、だそうだ。

社会脳仮説

社会脳仮説の説明。

簡単に言えば、「脳の大きさと共同体(社会集団)の大きさの間に相関がある」、 つまりは、より大きな脳を持つ種は より大きな共同体を形成・維持することができる、というもの。

正確に言えば、《脳の一部の「(大脳)新皮質」と「行動の複雑さ」の間に相関がある》。

(大脳)新皮質は「学習・感情・意志など高等な精神作用や知覚・言語・随意運動などを支配する」*1

ダンバー氏によれば以下のとおり。

より重要なのは、仮説が注目するのが「行動の複雑さ」と脳(新皮質)の大きさであり、集団の規模は二次的であることだ。すなわち、ある個体が維持できる関係の数は、その社会的行動の複雑さに依存し、この社会行動の複雑さが認知能力(つまり、脳の大きさ)に依存するのだ。

出典:ロビン・ダンバー/人類進化の謎を解き明かす/インターシフト/2016(原著の出版は2014年)/p58

志向意識水準の次元

「志向意識水準の次元」がおそらく社会脳仮説の核になるものだ。以下で説明してみよう。

「志向意識水準」でネット検索すればいろいろ出てくる。

志向意識水準の一次の水準は「自分の心の中身を知っている」ということで、「意識ある生き物はすべて自分の心の中身を知ってい」る(p43)。つまり「私は~と思っている」ということを「私」自身が認識しているということ。

二次は「私が『別の人が~と思っている』と思う(または推測する、想像する、推測する、etc.)」ということを認識している。

三次の話をしよう。

私は
 太郎が
  花子が~と思っている
 と思っている
と思っている

私、太郎、花子の三者の心の中を認識または想像、推測できる水準にある。

ダンバー氏の本から例を引用すると「彼は妻が自分と駆け落ちしたいと思っていると信じているとぼくは思う」。理解できるだろうか。

四次の水準は「四者」、五次は「五者」となる。

志向意識水準の次元は本書のテーマにとってことのほか重要な意味をもつが、それはこの要素が現生人類と他の霊長類の認知上の差異を示す定量的指標となるからだ。[中略]志向意識水準は社会的認知の複雑さを示す簡単で信頼できる尺度をもたらす。[中略]一部の実験結果によれば、大型類人猿(とりわけ、オランウータンとチンパンジー)はなんとか二次の志向意識水準(形式的な心の理論)を処理できる。[中略]正常な成人は五次の志向意識水準を処理できることを私たちが得たデータが示している。

出典:ダンバー氏/p47-48

類人猿と現生人類の検査の結果、種の志向意識水準の次元と(大脳新皮質の一部の)前頭葉の容量が正比例の関係にある、とダンバー氏は主張する。つまり、前頭葉の容量が大きいほど志向意識水準の次元が高い。

注意点を挙げる。高い次元は生まれ持つものではなく、社会的学習を経て習得しなければならない。ヒト(現生人類)は生後間もなく自己意識(一次の志向意識水準)をもつようになり、5歳で二次、10歳で正常な成人と同じ五次の志向意識水準をもつようになる(p44)。ただし、複雑な社会でどうふるまうべきかを脳が十分に理解するには20~25年もかかるらしい(p59)。

以上で、志向意識水準の説明をした、ということにする。

ここで、志向意識水準と共同体(社会集団)の大きさがどのような関係なのかを表してみよう。

成人(現生人類の大人)は、
高い次元の志向意識水準をもつ。
→複雑な社会(人間関係)を認識できる。
→社会内のストレス・軋轢を解決できる。
→大きな社会集団を形成することができる。

本書に書いてあることではないが、おそらくこのとおりだろう。

大脳新皮質の拡大は社会集団を大きくするだけでなく、知性も発達させたようだ。もしかしたら現代の著しい科学技術の進歩は、人類の社会集団を大きくするという生存戦略の副産物なのかもしれない。

2つのツールで求められるもの

では、この2つのツール(時間収支モデルと社会脳仮説)で何が求められるのかと言うと、大きく言えば、本の題名の通り「人類進化の謎を解き明かす(原題:Human Evolution)」。だがもう少し詳しく言うのならば、人類の心(精神面)と社会ネットワークの進化の過程と言えるだろう(p336、本書出版プロデューサの筆)。

まず、時間収支モデルを使って人類各種の活動時間すなわち「摂食、移動、休息、社交」を精査する。進化による脳・身体の大きさの変化、または環境の変化で、4つの時間配分が変化する。

人類の進化に伴い、脳・身体は(減少することもあったが)大きくなる傾向にあった。これらの増大はエネルギー需要の増加を意味する。そしてこの増加は限りある活動時間を圧迫する。

圧迫された時間の問題(さらに加えて気候の変化の問題)への解決策として、従来の古人類学では、直立二足歩行や手先の器用さなどの解剖学的進化や料理や狩猟技術などが挙げられるが、本書は脳に焦点を当てる。

上記の時間収支モデルで、ある種の時間配分を精査して、解剖学的進化と考古学的に証明できる技術だけでは節約できない時間を割り出して、この時間を「社交」の部分で解決を試みる。ここで社会脳の出番となる。

社会脳というツールを使って、ダンバー氏がどのような解答を出したかは次回に書こう。

(つづく)。