歴史の世界

道家(29)荘子(『荘子』の有名な言葉)

これから『荘子』が出典の有名な言葉を書いていく。

ネット検索してみると、「荘子の故事成語一覧 - 成句 - Weblio 辞書」というものを見つけた。たくさんある。

この中で気になったものを数点書いていこう。

以下では、意味は「荘子の故事成語一覧 - 成句 - Weblio 辞書」から、原文は「荘子 - Wikisource」から引用する。

現代語訳は、引用文以外は、以下の参考文献を元にして書いてみた。

井の中の蛙、大海を知らず

意味:《狭い世界に閉じこもって、広い世界のあることを知らない。狭い知識にとらわれて大局的な判断のできないたとえ。》
出典:秋水篇
原文:《井蛙不可以語於海者,拘於虛也……曲士不可以語於道者,束於教也。》

現代語訳↓

井の中の蛙に海のことを話しても仕方がないというのは、蛙が狭い自分の住処になずんでいるからだ。……見識の狭い人物に大道のことを話しても仕方がないというのは、彼が世間的な教えに縛りつけられているからだ。(池田氏/p372)

蟷螂の斧

意味:〔カマキリが前脚をあげて大きな車に向かってきたという「荘子」などの故事から〕自分の弱さをかえりみず強敵に挑むこと。はかない抵抗のたとえ。
出典:人間世篇
原文:《汝不知夫螳螂乎?怒其臂以當車轍,不知其不勝任也,是其才之美者也。戒之,慎之,積伐而美者以犯之,幾矣! 》

現代語訳↓

貴方はカマキリの話を知らないか?その身よりはるかに大きい、轍をつくるような車に、臂を怒らせて立ち向かうカマキリの話だ。勝てないことも知らないさまは、小才に自惚れて その才が万能だと思って行動している者と同じだ。己を戒めなさい、慎みなさい。貴方も小才を以て上の者に反論しようものなら痛い目に遭いますぞ!

「犯」は「上の者に逆らう」、「幾」は「危(あやう)し」

魯の賢人・顔闔が衛公の太子である悪ガキの守役を任されて、不安になって衛の賢大夫・蘧伯玉に相談した。上はその会話の一部。

蘧伯玉は処世術を語った。人間世篇は処世術を集めた篇だ。

人間世篇の他に天地篇でも同様の比喩で使用している。

至れり尽くせり

意味:すべてに細かく配慮が行き届いていること。
出典:斉物論篇
原文:古之人,其知有所至矣。惡乎至?有以為未始有物者,至矣,盡矣,不可以加矣。

現代語訳↓

上古の人は、知がある究境に到達していた。その到達したいた境地とは、者は存在しないと考える境地である。それは究境に達しており、あらん限りを尽くしていて、最早何も追加することのできない、最高ランクの知である。(池田氏/p79)

「至矣,盡矣」。「盡」は「尽」。「至る」も「尽す」も境地に達していることを示している。

牛角上の争い

意味:〔「荘子則陽」より。カタツムリの左の角の上にいる触氏と、右の角の上にいる蛮氏とが争ったという寓話から〕小国どうしの争い。つまらない事で争うことのたとえ。蝸牛の角の争い。蝸角の争い。蛮触の争い。
出典:則陽篇
原文↓

惠子聞之而見戴晉人。戴晉人曰:「有所謂者,君知之乎?」
曰:「然。」
有國於蝸之左角者曰觸氏,有國於蝸之右角者曰蠻氏。時相與爭地而戰,伏尸數萬,逐北旬有五日而後反。」
君曰:「噫!其虛言與?」
曰:「臣請為君實之。君以意在四方上下有窮乎?」
君曰:「無窮。」
曰:「知遊心於無窮,而反在通達之國,若存若亡乎?」
君曰:「然。」
曰:「通達之中有魏,於魏中有梁,於梁中有王。王與蠻氏,有辯乎?」
君曰:「无辯。」

現代語訳↓

(戦国初期の魏の恵王が斉王が盟約に背いたことに激怒して暗殺しようと考えた。恵王がこれを何人かの臣下に問うても決断できない様子のところを)宰相の恵施が戴晉人という人物を連れてきてお目通りを願った。
戴晉人が話し始める。「我が君は、カタツムリをご存知でしょうか?」
恵王「知っている」
戴晉人「あるカタツムリの左の角の上に触氏という国があり、右の角には蛮氏という国がありました。両国は土地を争って数万の死者を出しながら半月も戦争を繰り返しました。」
恵王「そんな戯言に何の意味があるのだ?」
戴晉人「では、我が君のために これが戯言でないことを実証しましょう。我が君は宇宙に限りがあるとお思いでしょうか?」
恵王「無限だ」 戴晉人「その無限の宇宙に心を遊ばせた後、この有限の世界の国々のことを考えたら、それらの存在など有るか無いかの存在でしかないことがお分かりになるでしょう」
恵王「その通りだ」
戴晉人「有限の世界の国々の中に魏があり、またその中に王都・梁があり、そしてここに我が君がいらっしゃる。我が君と蛮氏と、どれだけの違いがありますか?」
恵王「... 無いな」

戴晉人が退出した後、恵王は呆然となり、その後 恵施に戴晉人の偉大さを語った、というフィクション。

戴晉人を通して万物斉同を説明している。『荘子』は『老子』と違って、政治に無関心、政治そのものが些末な事だと思っている。

顰みに倣う

意味: 善し悪しを考えずに人まねをする。
出典:天運篇
原文:西施病心而其里,其里之醜人見之而美之,歸亦捧心而矉其里。其里之富人見之,堅閉門而不出,貧人見之,挈妻子而去走。彼知矉美而不知矉之所以美。惜乎,而夫子其窮哉!

現代語訳↓

絶世の美女と知られる西施は眉をしかめるほど胸を患って郷里に帰った。
その美貌に見惚れた郷里の醜女は、村人の前で西施の真似をして胸に手を当てながら眉をしかめて見せた。
すると、村の金持ちは門を閉じて外に出ようとはせず、貧しい者は妻子を連れて村から出ていってしまった。
醜女は西施が眉をひそめるさまが美しいことは理解したが、眉をひそめるさまがどうして美しいのかを理解していなかった。

「矉」が「眉を顰める」「しかめっ面をする」という意味。

この話は、孔子が門人を連れて衛の国に旅立ったことに対して、残った門人の一人の顔回が楽の師匠と交わした問答の中の一節として出てくる。

師匠は顔回に対して、孔子は醜女と同じようなことをしようとしている、と言っている。

つまり、孔子は衛の君主に対して三皇五帝の礼法制度を説こうするだろうが、この時代にあの礼法制度を真似ても成功するはずがない、ということ。

道家の立場からの儒教批判。

胡蝶の夢

意味:〔荘子が、蝶となり百年を花上に遊んだと夢に見て目覚めたが、自分が夢で蝶となったのか、蝶が夢見て今自分になっているのかと疑ったという「荘子斉物論」の故事による〕 夢と現実との境が判然としないたとえ。
出典:斉物論篇 原文:昔者莊周夢為胡蝶,栩栩然胡蝶也。自喻適志與!不知周也。俄然覺,則蘧蘧然周也。不知周之夢為胡蝶與,胡蝶之夢為周與?周與胡蝶,則必有分矣。此之謂物化。

現代語訳↓

かつて荘周(本書の作者。姓は荘、名は周)は、夢の中で胡蝶となった。ひらひらと舞う胡蝶であった。己の心にぴたりと適うのに満足しきって、荘周であることを忘れていた。ふっと目が覚めると、きょろきょろと見回す荘周である。荘周が夢見て胡蝶となったのか、それとも胡蝶が夢見て荘周となったのか、真実のほどは分からない。だからと言って、荘周と胡蝶は同じものではない、両者の間にはきっと違いがある。物化(ある物が他の物へと転生すること)とは、これをいうのである。(池田氏/p96)

以上の不思議な話は荘周の死後の隨分経った戦国最末期~前漢初期の作、だと池田氏は書いている。最後の「物化」について、池田氏は「万物斉同に代わって登場した万物転化の思想」と書いている。(池田氏/p98)

「物化」については池田知久『荘子 全現代語訳 上』 *1 には説明が書かれていないが、別の本に詳しく書かれているようだ。「荘子の「胡蝶の夢」に想う」というウェブページに別の専門家と共に引用されている。ここでは割愛。



*1:講談社学術文庫/2017(この本は『荘子 全訳注』(上)(2014)から読み下し・注釈を割愛し再構成したもの)