歴史の世界

先史:ニューギニア高地における農耕の起源について

『農耕起源の人類史』*1には農耕の起源地として西アジア、中国のほかにアフリカと南北アメリカ大陸とニューギニア高地を挙げている。

この記事ではニューギニア高地について書く。ニューギニア高地という言葉自体聞きなれていないので、まず場所の説明から入ろう。

ニューギニア高地の場所の確認

ニューギニア島オーストラリア大陸の北、赤道の南(南緯5度付近)に位置する。西半分がインドネシア、東半分がパプアニューギニアの領土。パプアニューギニアが国名であることすら知らなかった。

まず、主に『農耕起源の人類史』*2を参考にしてニューギニア高地について書く。

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ニューギニア島の地形図

出典:ニューギニア島wikipedia:ダウンロード先:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%AE%E3%83%8B%E3%82%A2%E5%B3%B6#/media/File:New_Guinea_Topography.png

ニューギニア島にはいくつかの山脈が連なり脊梁山脈を形成している。その長さは2000kmで(奥羽山脈は500km)、その山々の間に幾つかの峡谷がありそこに人口が密集している。峡谷と言っても海抜1000mを超える高地だ。ニューギニア高地とはこのような高地(峡谷)のことを指す。

気候

ニューギニア島は前述の通り赤道付近の島だが、ニューギニア高地は高地だけに低地の熱帯気候とは異なり、温暖な気候になっている。(ただし赤道に近いため季節性は無い)。そのため根菜類や樹木作物などの農業に適している。

遺跡

独自で開発された農耕の遺跡はパプアニューギニアの領域にある谷間(Wahgi Valley)で発見された。

クックの初期農耕遺跡
パプアニューギニア南部の海抜1500m地点の湿地帯にある、ニューギニア島最古の農耕地。発掘調査で、少なくとも7000年前から耕作が行われてきたことが判明したが、1万年前までさかのぼる可能性もある。タロイモやヤムイモなどの生産活動が、開始以来一度も途絶えていない場所でもある。約6500年前に植物採集が農業へと変わったこの場所では、初めは単なる盛り土をして耕作していた。しかし、やがて木製の道具で溝を掘って湿地を干拓し、4000年前にはバナナの栽培も始まったことが考古学的に証明されている。これほどの長期にわたり、独自の農業の発展や農法の変化について考古学的な裏付けのある場所は、世界にも類がない。

出典:ユネスコのworld heritage list(ソースはNFUAJ=日本ユネスコ協会連盟となっている)

農耕が起こった原因はヤンガードリアス期における気候変動や長期にわたる旱魃が挙げられているが確定されていない。なお、家畜化は為されていなかった。

これらの農耕技術は高地には拡散したが低地には限定的だった。その理由は高地(峡谷)により孤立していることと、低地にはマラリアが蔓延していることが挙げられる。

農耕の出現の前後では文化は連続しており急激な変化は見られず、農耕技術の進歩にも長い年月を要している。農耕起源となり文化文明の中心となった西アジアや中国とは対極的だ。

*1:ピーター・ベルウッド/農耕起源の人類史/京都大学学術出版会/2008(原著は2004に出版) 

*2:p218-223