今回は長江下流域で興った良渚文化について書こう…と思ったが、「玉器/玉(ぎょく)」について書く。
玉器は良渚文化の階層を表す遺物なのだが、これの説明をするのに1ページをかけてやろうと思う。
私の書きたい以上のことが「玉について」というネット記事に書いてあったが、この記事ではもっと初歩的なことに限って書いていこう。
玉器の素材の玉(ぎょく)について
玉器の素材である「玉」とは、今日に至るまで珍重されている鉱物(または石)の一つである。
玉は「軟玉」と「硬玉」に2種類に分かれるが、広義的にはトルコ石などの希少な石に対しても使われることがあるようだ。ここでは前述の2種類について書いていこう。
軟玉
軟玉はネフライト(nephrite)、角閃石とも言われる鉱物。硬度が低いため加工・細工がしやすい。
中国の先史時代における産地については、おそらく遼河西部、長江下流域、山東半島が考えられる*1。
中国では後述する硬玉の鉱床が無いので、先史時代の玉といえば もっぱら軟玉のことを指す。「ネフライト - Wikipedia」によれば、軟玉と硬玉の区別は18世紀になってからのことだという。
良渚文化の玉琮。
硬玉
硬玉はジェダイト(jadeite)、ヒスイ輝石とも言われる鉱物。軟玉よりも硬度が高い。
日本の先史の装飾品として使われたヒスイ(翡翠)の鉱物。勾玉が有名。ちなみに、上のwikipediaの記事によれば、日本では軟玉・硬玉合わせて「ヒスイ」と総称されていた。
日本の先史時代および古代に、中国にヒスイを輸出したのではないかと思ったが、そのような記述を読んだことがない。
「玉」と「王」という漢字の起源は違う!
「「玉/⺩」という漢字の意味・成り立ち・読み方・画数・部首を学習」によれば、「玉」は「「3つの美しいたまを縦に紐(ひも)で通した」状態を表す象形文字。(リンク先には図解があるので参照のこと)
私は「⺩」を「おうへん」とばかり思っていたが「たまへん」と呼ぶこともあり、実は後者のほうが正しいそうだ。
杉村一郎氏*4が「たまへん」の代表例を幾つか挙げているが、そのうちのひとつだけ引用しよう。
「班」は「玉」を「刀=りっとう」で2つに切った形で、分け与える意。配るときは順番や序列にのっとることから、グループ編成の「班」と用いる。2つに分けるのは「割り符」の意味合いがあるよう。
いっぽう、「王」のほうは、「古代中国で、支配の象徴として用いられたまさかり」を表す象形文字だ。「玉」とは全く語源(?)が違う。
前述の杉村氏の記事によれば、金文(周代の書体)と篆文(戦国、秦)では、「玉」のことを「王」と書いていたようだ。
玉の効用
現代でも玉はお守り(魔除け?)としての効用があるとされている*5。後漢の許慎の『説文解字』では「玉,石之美者,有五德」(玉は美石であり五徳を持つ)とあるが、この五徳の一つに「かどがあっても滑らかで人を傷つけないことは潔」と有る*6ので、これが魔除けの意味かもしれない。
また中国史においては、不老不死の仙薬(玉を砕いた粉末。玉屑 ぎょくせつ)として服用された。また、遺体につけて防腐の効果を期待した。これについては金縷玉衣が有名だが、貴族の遺体の目や鼻穴に玉を詰めるようなこともあったようだ*7。五徳の一つの「温潤な光沢は仁」が防腐の意味が込められているのかもしれない。
さて、これらの効用よりも数段重要な効果は、玉が威信財(すなわちステータスシンボル)であるということだ。玉を保持していることでその人が高位の人だと判断できた。そしてその源流は先史時代にまで遡るのだ。
玉器について
ここで、ようやく玉器の話に入る。
初期の玉器はおもに装身具や小型の工具として用いられたが、やがて前4000年紀以降急速に進んだ地域的社会の複雑化と統合に関連して祭祀の体系が整備されてくると、玉器は儀礼の道具としてあるいは首長層の権威を象徴する威信財として、特別の格式を与えられ、極めてさかんになった。このような時代を玉器時代と呼ぶ人がいるほどに、玉器は重要な社会的意義をもつことになるのである。
おそらく支配者層が稀少な鉱床を独占して、宗教的な価値と威信材としての価値を高めたのだろう。
次回に書く良渚文化では、玉器が歴史の中心となる。