歴史の世界

道家(5)老子(『老子』=『道徳経』における「徳」とは何か)

前回と対になる記事。

前回は「道」について書いたので、今回は「徳」について。

「徳」について

儒学でいう「道徳」の中心は「道」であるそこでは「道」が「為すべきこと」であって、「徳」はそれを担う品性という二次的な意味となり、「道徳」という言葉は「為すべきこと」=規範そのものに近い意味になる。それは「仁」であり、「礼」という外面的な規律に表現される。これに対して、老子のいう「道徳」では、「道」は、そのような規範ではなく、この世界の運動を規定する目に見えない法則・本質であり、「徳」はその本質の用(はたら)きであり、勢いである。ただ、「徳」は「道」の「用き」「勢い」であるといっても、老子は本質だけが重要だという考え方をとらない。「徳」と「道」は表裏一体となっている。[中略]

「道」は道理や法則であるが、「徳」は時間のかかる実践であり、生育であり、安定的でしかも柔軟な動きそのものである。[以下略]

出典:保立道久/現代語訳 老子ちくま新書/2018/p229

現代語訳 老子 (ちくま新書)

現代語訳 老子 (ちくま新書)

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 筑摩書房
  • 発売日: 2018/08/06
  • メディア: 新書

上の著書によれば、「徳」という漢字は実際に「はたらき」「いきおい」と読む。(p230-231)

「はたらき」と言っても、ただの勢いではなく、「善いはたらき」という意味。ただし「善いはたらき」と言っても、ただの善行ではなく、「常同的ないきおいをもった善いはたらき」である。

また、「いきおい」については、「他者への影響力をもつような卓越した心」を意味する *1。周代の鼎の金文に刻された「徳」の意味は「ある家系が王権との関係を通して持っている生命力」を意味することが明らかになっている *2

さらに、著者は「徳」の漢字の意味のまとめとして、英語を使って説明している(p232)。すなわち「善」が Virtue で「徳」は Virtue + Power 。Power は単発的な力ではなく、常同的ないきおいである。

「徳」の重要性

さて、『老子』では「道」のすごさ・素晴らしさを何度となく書いているが、それらの中の「道」のはたらきの部分が「徳」となる。

老子』が為政者の教訓・心得ならば、為政者への理想は「道」であり、「徳」は『老子』の著者たちが為政者に求めるものとなる。

そういうわけだから、つかみどころのない「道」が何なのかを理解しようとするよりも、実は「徳」を理解するほうが重要なのかも知れない。



*1:これについて著者は白川静『字統』を参照している

*2:これについては小南一郎『古代中国 天命と青銅器』を参照にしている