歴史の世界

道家(3)老子(構成/時代背景/内容について)

老子』の構成

老子』は『道徳経』あるいは『老子道徳経』とも呼ばれる。

老子道徳経』は5千数百字(伝本によって若干の違いがある)からなる。全体は上下2篇に分かれ、上篇(道経)は「道の道とすべきは常の道に非ず(道可道、非常道)」、下篇(徳経)は「上徳は徳とせず、是を以て徳有り(上徳不徳、是以有徳)」で始まる。『道徳経』の書名は上下篇の最初の文句のうちからもっとも重要な字をとったもの。ただし馬王堆帛書では徳経が道経より前に来ている。

上篇37章、下篇44章、合計81章からなる。それぞれの章は比較的短い。章分けはのちの注釈者によるもの。68章に分けた注釈もある。一方で、81章より多く分けた方が文意が取りやすいとの意見もある。

『道徳経』には、固有名詞は一つも使われていないことが指摘されている。短文でなっていること、固有名詞がないことから、道家俚諺(ことわざ)を集めたものではないかという説がある。

出典:老子道徳経 - Wikipedia

  • 「経」は読み物ていどの意味。
  • 「道徳」は倫理的な意味でのそれではなく、上にあるように「上下篇の最初の文句のうちからもっとも重要な字をとったもの」。さらに言えば、一般に通じている倫理的な意味での「道徳」は儒教の思想から出たもので、道家老子)の思想のものとは異なる(後述)。

時代背景

老子』の成立時期については前回書いた。

浅野裕一氏によれば春秋末期か遅くとも戦国中期、池田知久氏によれば前漢初期*1

浅野説を採ると諸子百家の初期の時代と重なり、池田説だと諸子百家の百家争鳴が終わった後に完成したことになる。

春秋末期古い秩序が崩壊した時期、戦国時代は変革の時代だった。このような中で新しい時代はどのような形にするべきかについて試行錯誤されたが、諸子百家はそれだけではなく、無数のカテゴリーについて論じあって知識を世の中に噴出し続けた。

老子』には儒家への批判が幾つも書かれているが、池田氏によれば儒家だけではなく「知識の蓄積」を重要視している諸子百家の学派たちを批判しているという。

老子』は19章で「学を絶てば憂いなし」と書いているように、上のような学派と真反対の立場を採っている。

内容について

老子』は道家に分類される。道家の代表的な存在。

内容と言っても短文で表すことはできないので、以下に引用する。

いまから2千年まえ、百年ほどの時間をかけながら、思想を同じくする複数の人々の手が加わってできあがったものであろうといわれている。

その内容は、したたかな処世の知恵を説いているのだが、単にそれだけではなく、哲学、政治、兵法、策略など、論及している問題は多岐にわたっている。

特徴的なことは、万物の根源に「道」なる存在を認め、そこから論を展開していることである。

老子』によると、「道」とは万物を成り立たせている根源の存在であるが、それほど大きい働きをしておりながら、自分はというと、いつもしんと静まりかえっている。目で見ることもできないし、耳で聞くこともできない。「無」というしか言いようのないものだが、たしかに存在しているのだという。

そしてこの「道」は、自分の働きや功績を誇示しない謙虚さ、どんな事態にも自在に対応できる柔軟性、さらには無為、無心、無欲、質朴、控えめなど、素晴らしい説くをいくつも体現している。

私ども人間も、「道」の持っているこのような徳を身につけることができれば、この厳しい現実を、たくましく、しなやかに生き抜いていくことができるのだと主張する。

出典:守屋洋/世界最高の人生哲学 老子/SBクリエイティブ/2016 *2/p1-2

私の勝手解釈によれば、『老子』が示す「生き方」の方針は、基本的に何もせず、行動をするにも最小限にとどめて余計なことはしない。そして行動基準は「道」の規範に従う。「道」を理解して実践することができれば、「この厳しい現実を、たくましく、しなやかに生き抜いていくことができる」。

老子』は人生哲学として だけではなく、政治・戦略・宗教にも利用されている。そもそも『老子』の内容は多岐にわたっているのだから、人生訓とだけ読むというほうが間違っているだろう。

キーワード

以下の重要なキーワードについては別の記事で書く。



*1:池田知久/『老子』その思想を読み尽くす/講談社学術文庫/2017/p104

*2:2002年の『老子人間学』(プレジデント社)を加筆、再構成したもの