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エジプト文明:中王国時代⑦ 第13王朝・第14王朝

第13王朝と第14王朝は第2中間期に分類する研究者もいるが、このブログでは中王国時代に分類する方を採用する。

第13王朝の初期は第12王朝と繋がりを持ち王都も同じだ。

第14王朝はデルタ東部の都市アヴァリス(現在のテル・エル=ダバア遺跡)でレヴァント系の人々が建てた王朝だ。王朝成立の時期は第13王朝の中期にあたる。つまり、この王朝は第13王朝と並立していた。

以上2つの王朝はヒクソスが建てた第15王朝によって倒される。

このブログでは、第15王朝の成立の時期を中王国時代の終わりとする。

年代について

王朝成立の時期

前回の最後にも書いたが、第13王朝は第12王朝からスムーズに継承された王朝と考えられている。

第13王朝の成立(=第12王朝の終わり)の年代は参考文献によって複数ある。

例えば、ピーター・クレイトン氏の『古代エジプトファラオ歴代誌』(1999年)*1によれば、その時期は1782年で、馬場匡浩氏『古代エジプトを学ぶ』(2017年)*2では1773年を採用している。

第14王朝の成立もまた意見が別れている。

恐らく第14王朝は第13王朝末期に並存していた勢力であったが、その正確な年代については研究者の間でも見解が分かれている。Kim Ryholtは第14王朝が第12王朝最後の女王であるセベクネフェルの治世の半ばかその直後には既に成立していたと主張する。その中心となったのは第1中間期以降、エジプトに流入して数を増やしていたカナン系の住民で、ナイルデルタ東部で独立勢力になって以降、メンフィスの第13王朝政府に対抗したという。この説では第12王朝が終焉した紀元前1805年頃あるいは紀元前1778年頃からヒクソスに制圧される1650年頃まで約150年間存続したとされる。 一方で、第14王朝のものと見られる遺物の殆どは第13王朝中期以降の時代の地層から発見されていることから、他のエジプト学者は第14王朝が第13王朝のセベクヘテプ4世(在位前1730年頃 - 1720年頃)の治世半ばかそれ以降の年代に独立し、最長で約70年間続いたと考えている。

出典:エジプト第14王朝 - Wikipedia

Kim Ryholt(キム・リーホルト)氏はデンマークコペンハーゲン大学エジプト学者で、有名な人らしい。

いっぽう、上述のクレイトン氏はもう一方の説を採用している。

馬場氏の本では第14王朝に触れていなかった。

王朝の終わりの時期

上述の通り、2つの王朝は第15王朝の成立の時期を中王国時代の終わりとするのが おおかたの見方だ。

しかし、クレイトン氏によれば*3、第15王朝がメンフィスを陥落させたのが前1720年頃だと書いている。

さらに、近年のメンフィスの一角コム・ラビア遺跡の発掘調査によれば、第2中間期の層位では中王国時代からの文化様式が新王朝時代まで継続されている一方、レヴァント系の遺物は皆無に等しい、という。馬場氏は第15王朝がメンフィスを実質的に占領した証拠は「きわめて乏しい」とまで書いている(p132)。

以上のことによれば、メンフィスより南部にあった第13王朝の王都イチ・タウィが、従来言われていたように第15王朝成立直後に征服された可能性は低い(征服されたこと自体あやしい)ということになる。

だとすれば、第13王朝の終わりの時期はいつか?ということになるが、それは不明というしかない。

第14王朝の終わりの時期は、おおかたの見方のとおりでいいだろう。第14王朝と第15王朝の王都が同じアヴァリスだからだ。

第13王朝

Kim Ryholt等によれば、この王朝の初代の王はセベクへテプ1世で、この王と2代目のソンベフは第12王朝の最後から2番目の王アメンエムハト4世の息子だ、ということだ。(セベクヘテプ1世 - Wikipedia

ただし、この王朝は先王朝とは違って一つの王族の世襲ではなく、複数回 平民が王になり王族が変わっている。また、先王朝とは違って短い年数で王が交代している。王の数は数十人にのぼるとされる。

短期間の王の交代は国内の混乱を想起させるが、行政は ちゃんと機能していたようだ。

この理由として第12王朝時代に長期間かけて作り上げられ、センウセルト3世(前1878 - 前1841)によって完成されていた官僚機構が第13王朝時代にも正常に機能していたことがあげられる。中王国の官僚組織は極めて完成度が高かったらしく、王権が弱体化しても事実上の統括者であった宰相を中心として国家を運営することが可能であったと見られている。

出典:エジプト第13王朝 - Wikipedia

複数の参考文献をみると、どうやら官僚たちと王族は政略結婚により複雑な系譜を作り上げていたかもしれない。

第13王朝は上下エジプトと第12王朝に統治したヌビアをアイ王(後述)の治世まで統治していたと考えられている。

最盛期は平民出身のネフェルヘテプ1世と次代セベクヘテプ4世の治世とされる(両者は兄弟)。前1741-前1720年頃。

しかし、セベクヘテプ4世以降に王朝の弱体化が進んだ。アイ王(メルネフェルラー・アイ、前1700 - 前1677年頃)王が上下エジプトを統治した最後の王とされている(デルタ東部の第14王朝がこの頃すでに有るはずなのだが)。アイ王の後の王が下エジプト(デルタ)を統治した証拠は見つかっていない。

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ホル王の等身大木製カア像。
頭上にカア(魂)のシンボル(両腕を上げた意匠)をのせている。
水晶と白石英を銅でかこんだ目は、生きているようなリアルさを像に与えている。
ダハシュール出土(カイロ博物館)。

出典:ピーター・クレイトン/古代エジプトファラオ歴代誌/創元社/1999(原著は1994年出版)/p117

  • 古代エジプトを通して有名な像の一つ。第13王朝はこれだけの品質の像を作れるだけの文化力を持っていた。

第14王朝

第14王朝はデルタ東部の都市アヴァリス(現在のテル・エル=ダバア遺跡)を王都に成立したとされる。

1970年代よりオーストリア考古学研究所のM. ビータック氏によりテル・エル=ダバア遺跡の発掘調査が始められた(2010年以降、同研究所のIrene Forstner-Müllerに引き継がれた)。

この調査より、この地域にレヴァント系の居住区が登場したのは第12王朝末期からだ。第13王朝に入ると更にそれは拡大し、中央政府はレヴァント系の人々を高官として雇ったという(馬場氏/p127-130)。

第15王朝(ヒクソス時代)の直前から、居住域はより一層の広がりをみせる。[中略] レヴァント系のコミュニティーが多数派を占めるようにな[る。][中略] またこの頃から、それまで比較的均一であった家屋の規模に格差が生じるようになる。複数の部屋をもつ強固な造りの大型家屋が出現し、小さな家屋はその周囲に配置される。つまり、先述した高官たちを中核にして、レヴァント系の人々のなかに社会的身分差が生じたのだ。

出典:馬場匡浩/古代エジプトを学ぶ/六一書房/2017/p131

以上から判ることは、第15王朝(ヒクソス時代)の直前まで「複数の部屋をもつ強固な造りの大型家屋」が無かったということだ。これだと第14王朝の存在すら疑われる。ちなみに馬場氏はこの王朝について触れていない。

しかし、第14王朝の証拠は少ないものの、ネヘシというレヴァント系王族から王位を奪ったエジプト人高官の家系の人物により、いちおう証明されている。

第15王朝のことは また別の機会に書くが、この王朝はマネトーの『エジプト史』にかかれているような「東方から突然現れた正体不明の侵入者たち」*4ではなく、第12王朝末期あるいはそれ以前からデルタに存在していたレヴァント系住民の末裔だった。

第14王朝と第15王朝はおそらく何らかのつながりがあっただろう。マネトー他がこれを分けた理由は私には分からない。

両王朝の衰退の仮説

ネヘシの治世と考えられる1705年頃以降、デルタ地域が長期の飢饉と疫病に見舞われた痕跡が発見されている。これらの災厄は第13王朝にも打撃を与えた可能性があり、王権が弱体化し、多数の王が短期間で交代する第2中間期の政治情勢の一因となり、ひいては第15王朝の急激な台頭を招いた可能性がある。

出典:エジプト第14王朝 - Wikipedia

もう一つ。

テル・エル・ダヴァの最初の拡張は流行病によって一時的に確認されました。遺跡のいくつかの部分で、ビータック氏は多数の遺体が何の儀式も行われずに安置された大きな共同体の墓を発見しました。その後、F層以降、集落と共同墓地のパターンは以前ほど平等社会を示しません。周囲に小さな家が集まった大きな家、集落の端よりも中心により複雑な建造物があること、主人の墓の前に埋葬された召使いたちはすべて、裕福なエリートグループの社会的優勢を示します。

出典:History of Ancient Egypt_第二中間期(1)

以上のことより、上で述べた第15王朝(ヒクソス王朝)が第14王朝と関わりがあるという説とは別の説が考えられる。

その仮説とは、デルタで起こった長期の飢饉と疫病により人口が激減した後に、新しいレヴァント系の人々が流入してそれまでの平等社会とは違う社会を築いた。この流入してきた人々がのちにヒクソスと呼ばれる人たちだ、というもの。

いずれにせよ、疫病の発生は証明されており、これが画期になったのだろう。



*1:創元社/(原著は1994年出版)

*2:六一書房

*3:p120

*4:馬場氏/p126