歴史の世界

エジプト文明:先史④ タッシリ・ナジェール

今回はタッシリ・ナジェールについて書いていこう。

タッシリ・ナジェールは「緑のサハラ」の代表的な遺跡で世界遺産にも登録されている。

タッシリ・ナジェールとは

タッシリ・ナジェールの地は、アルジェリアの南東の高地(または台地状の山脈)にある。

72000平方kmの中に15000点以上の絵が岩壁・岩に描かれている。これらの絵は紀元前10000年から紀元後まで連続的に書かれているので北アフリカの先史を知るために重要な遺物である。

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第8章で言及した地名を含むサハラ砂漠とエジプトの地図

出典:ブライアン・フェイガン/古代文明と気候大変動/河出書房新社/2005(原著は2004年出版)/p209

  • この図だとタッシリ・ナジェールは何時の時代も砂漠のなかにあることになるのだが、実際はタッシリ・ナジェールは「緑のサハラ」の恩恵に預かっていた。これに対する説明は著書には書かれていなかった。高地だから?

半乾燥地帯の社会は みなそうだが、狩猟者たちはつねに移動をつづけ、ほとんど痕跡を残さなかったため、考古学者が研究しうるのは、砂漠の奥地にある山脈地帯やナイル川の東側、三万ヵ所以上で見つかっている岩面画と刻画しかない。これらの芸術の多くは、アルジェリアタッシリ・ナジェールで発見されたものだ。8000年以上昔、ここには水牛、象、サイ――いずれも現在ではこの地域から絶滅している――などの動物を、驚くほど写実的に描いた人びとがいた。棍棒、投槍器、斧、および矢で武装した男たちが獲物のまわりで浮かれ騒いでいる。

出典:ブライアン・フェイガン/古代文明と気候大変動/河出書房新社/2005(原著は2004年出版)/p211

考古学者などの専門家がこの絵画群についてどのように思っているのかは知らないが、ネットでちょっとだけ調べただけではこの15000点の絵が考古学者その他の研究者の論争の種になっているとは思えなかった。

ナブタプラヤなどナイル川の西方の砂漠で複数の遺跡が見つかっているのでこの絵画群の価値が落ちたのかもしれない。

先史時代に描かれた絵について

先史時代(いわゆる四大文明より前の時代)の絵は世界各地で発見されている(洞窟壁画<wikipedia参照)。岩・岩壁や洞窟内部の壁に描かれている。

人類が枝や巨大獣の骨を使って掘っ建て小屋をつくり始めるのはたかだか数万年前だが、それまでは雨風を避けるために洞窟や岩陰・岩窟(洞穴)・壁龕(へきがん、岩壁のくぼみ)を住処としていた。

岩陰の遺跡の例をひとつ↓。埼玉県秩父市の彦久保岩陰遺跡。こういったものが日本を含む世界各地にある。

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出典:岩蔭の遺跡(彦久保岩蔭遺跡)/秩父市

これらの住処の壁に描いた絵が今日まで遺っている。

有名なものとしては、タッシリ・ナジェールのほかには、スペインのアルタミラ洞窟、フランスのドルドーニュのラスコー洞窟の壁画(20,000年前)だろう。

アフリカ各地では多くの岩絵が発見されているが、サハラ・サヘルの地の岩絵は「saharan rock art」として知られている。この地域の絵は時代ごとに共通性を持ち、5つに区分されるらしい。「saharan rock art<wikipedia英語版」などを参照。

「Takayuki Hanafusa Photography 英隆行-写真」というサイトの記事「PANORAMIC PHOTOS OF SAHARAN ROCK ART サハラ岩壁画パノラマ写真」には多くの絵と外の風景の写真がアップされている。

タッシリ・ナジェールの絵の変遷

カラパイアというサイトの記事「1万年もの間、人類の歴史や環境の変化が克明に描かれた先史時代の岩絵が数多く残された世界遺産 タッシリ・ナジェール(アルジェリア)」に頼って書く。この記事はAMUSING PLANETというサイトの記事「The Prehistoric Rock Art of Tassili N'Ajjer, Algeria」の翻訳だ。

この記事の年代区分は上で書いた「saharan rock art」の区分とは少し違う。

紀元前10000-6000年

もっとも古いものは、紀元前1万年から6000年のもので、カバ、ワニ、ゾウ、キリン、バッファロー、サイのような大型動物の姿が克明に描かれている。当時サハラが緑豊かな肥沃な土地で、野生動物の宝庫だったことがよくわかる。こうした動物の多様さに、我々人間などあまりにも小さくてかすんでしまうほどだ。人間はブーメラン、投げ槍、棍棒、斧、弓を持つ姿でよく描かれている。

下は冒頭の写真。おそらくこの時代に描かれたもの。

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sleeping antelope[アンテロープ、レイヨウ、ウシ科--引用者注]

出典/著作者:Linus Wolf/Wikimedia

この時代は「saharan rock art」の区分のLarge Wild Fauna Period (Bubalus Period) (野生動物層または野生牛の時代)と同じ。

この時代に重なって、紀元前8000年から6000年には、着衣の人間の姿が描き込まれるのが主流になった。身長数センチのものから数メートルのものまでさまざまで、ほとんどが目鼻のない丸い頭に、不格好な体という姿で描かれている。シャーマンのような人物が空中を飛んでいる姿や、そびえたつ大男の前で人々がひれ伏しているような絵もある。

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image credit:Patrick Gruban/Wikimedia

上の引用の「そびえたつ大男の前で人々がひれ伏しているような絵」はタッシリ・ナジェールの岩絵の中で最も有名な「白い巨人(またはセファールの巨神)Great god of Sefar」を指しているかもしれない。

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セファールの巨神, 2014年11月撮影 (9.7m x 4m, 巨神: 3.2m)

出典/著作者:Takayuki Hanafusa Photography  英隆行-写真 » PANORAMIC PHOTOS OF SAHARAN ROCK ART サハラ岩壁画パノラマ写真

この絵は最も有名なのだが、この写真が何を意味するかは今の所分かっていないようだ。10000年前(前8000年)に描かれたもので大男の左には諸手を上げて祈っているよな人が数人描かれている。(おそらく)学者ではない人が安産祈願ではないかと書いていたがよくわからない。

引用のリンク先に行けば鮮明な画像を見ることができる。

紀元前5000(7000年前以降)

約7000年前には、こうしたアートの中に家畜が描かれるようになった。田園時代として知られているこの時代の岩絵の指向は、自然や持ち物や道具へと変わっていく。人間の姿がよりフューチャーされるようになり、もはや人間は自然の一部ではなく、自然の上に君臨し、そこから食料を得ているものとして描かれるようになる。

野生動物よりも家畜が多くなり、3500年前くらいの絵になると、馬や馬が引く馬車が描かれるようになる。岩の多いサハラを馬車が走っていたとは考えられないので、馬車や武装した男たちの絵は、土地の所有権や住民の支配を表わした象徴として描かれたのではないかと研究者は推測している。気候がますます乾燥していくと、馬よりもラクダの絵が多くなる。これは2000年前くらいの岩絵からその証拠が残っている。

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Photo credit: africanrockart.org

「自然の上に君臨し、そこから食料を得ているものとして描かれるようになる」というのも興味深い。これは著者の感想だろう。



思ったよりも考古学的な証拠にはなっていないらしい。

この絵画群は歴史全体において価値があるというよりも美術史・芸術史で価値があると言ったほうがいいかもしれない。