今回は、王の出現とそれに付随して起こったことについて書いてみる。
王の出現
近年、各地の発掘調査にともなって、ナカダⅢ期ニ年代づけられる複数の王名の存在が明らかになってきた。こうした王名は、「セレク」とよばれ、王宮の正面を象ったと考えられている長方形の枠のなかに記されており、王朝時代初期に用いられた王名表記の先駆であった。王名は、焼成前の土器の外面に刻みつけたり、焼成後にインクで記されたりしたほか、稀に外面に刻みつけた例がある。セレクに書かれた王名の研究から、最古のセレクはナカダⅢa2-c1期に遡ることが明らかになり(Brink 1996; Wilkinson 2000)、初めは王名が書いていないものが多かったが、ナカダⅢb2-c1期には王名が判明できる霊が現れた。
「Ⅲa2-c1期」はⅢ期半ばと言っていいだろう。
セレクや王名は上エジプト北部でも出土するが、土器や岩壁に記されているもので、本来の拠点とは違うところから出土していると考えられている。だから北部で出土したからといっても、その地域に独自の政体があったとは断言できない。
このⅢ期後半の王の出現は王朝時代の第1王朝よりも前の王のため、「原王朝」または「第0王朝」と呼ばれることがある。(高宮いづみ/古代エジプト文明社会の形成/京都大学学術出版会/2006/p36)
これらで名の知られている王の中で有名なのがサソリ王とカー王だ。
★サソリ王
ヒエラコンポリスに棍棒頭を奉納した王。支配者を意味するローゼット・サインとともにサソリのサインが記されているので、サソリが王の名前と思われます。アビュドスからはこの王の存在を示す証拠は見つかっていないので、ナルメル王とほぼ同時代にヒエラコンポリス地域を支配した王だったかもしれません。
サソリ王については、下記のURLもご覧下さい。
http://www.touregypt.net/featurestories/scorpionking.htm
★カー王
アビュドスの二重墓B7/9墓に埋葬されました。この王の存在を示す証拠は北東デルタのテル・イブラヒム・アワドから上エジプトのアビュドスまでとイスラエルのロッドで発見されています。ヘルワンではカー王のセレフが彫られた二つの壷が発見されているので、メンフィスがナルメル王の治世以前に存在し、ヘルワンがメンフィスの墓地として役立っていたことを示します。アビュドスの王墓で発見された土器の銘辞は王の宝庫によって受け取られた収入に言及しており、第1王朝の始まり以前に租税徴収が中央集権化されていたことを示します。
この二人の王以外にもセレフの中のサインの読み方が分からない王やセレフの中に王名が記されていない例が多数発見されており、エジプト統一以前の支配地域が限られた王たちの存在が暗示されます。
ここで棍棒(メイス)について書いておこう。
- 作者: 馬場匡浩
- 出版社/メーカー: 六一書房
- 発売日: 2017/04/03
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馬場匡浩/古代エジプトを学ぶ/六一書房/2017
上の表紙の絵は第1王朝初代王ナルメルを描いたものとされるが、彼が持っているものが棍棒(メイス mace)。打撃用の武器。高貴な身分を表す物として副葬品としても利用された。神殿に奉納するものは実際に使用するものよりも遥かに大きく作られ、絵を彫刻されて奉納される。
Scorpion macehead (Ashmolean Museum)
Scorpion macehead (detail) (Ashmolean Museum)
官僚組織
全体的な社会や経済との関係は明らかにはできないものの、文字を用いた物品の管理がナカダⅢ期に始まったらしいことが知られており、この初期の物品管理システムが、王朝時代の管理組織の発達に深く関わっていた可能性がある。[中略]
土器に記した銘文、不腕に押捺した印章、物品に取り付けたラベルによって物品を管理する方法は初期王朝時代にも継続して行われており、ここに官僚組織あるいは少なくとも管理方法の萌芽を見ることができると思われる。ただし、これまで同時期の遺跡から出土した文字資料の数は限られているので、管理対象となった範囲も小さな王家の家政に限定されていたのかもしれない。
このように、官僚組織または行政組織における先王朝時代は、黎明期といえるかもしれない。
文字
20世紀後半まで、エジプトの文字は第1王朝と同時に現れたと思われていた。メソポタミアに影響を受けて成立したという説もある。
しかし、ナカダⅢ期の大型集落であるアビュドス(アビドス)の墓(ウム・アル=カーブU-j号墓ほか)から初期の文字資料が豊富に検出され、研究の結果、エジプト独自に文字が誕生したことが示された。
これらの資料を用いて初期の文字の分析を行ったG.ドライヤーは、50種類あまりに及ぶ文字の使用を認め、それらの性格についても推測している。ドライヤーによれば、この頃すでに、表意文字あるいは絵文字だけではなく、表音文字や決定詞と補足音価を用いて言語を表記するシステムが認められるという。ドライヤーの解釈が妥当ならば、表音文字を用いて言語を表記しているという意味で、早くも本格的な文字が確立していたことになる。使用された文字や文法はエジプト特有のものであるが、初期の印章に描かれたモチーフにはメソポタミアからの影響が認められ、文字の概念はやはりメソポタミアから伝わったらしい。ただし、表音文字を用いた本格的な文字への脱皮は、エジプトの方がやや早かったかもしれない。
出典:高宮氏/2003/p242
これにより、メソポタミアの文字(楔形文字)とエジプトの文字(ヒエログリフの祖型)が同じ前3200年頃に誕生したことになった。
以下は、メソポタミアとエジプトの文字の出現の理由の違いについての説明。
楔形文字の出現は、数量や種類の防備録といった経済活動にあるようだが、ヒエログリフも物品管理を目的として生まれたと考えられる。アビドスで発見された初期ヒエログリフは、エジプト文明成立前夜の政治的な経済活動のなかから生まれてきたのである。
出典:馬場匡浩/古代エジプトを学ぶ/六一書房/2017/p260
ちなみに馬場氏はエジプトとメソポタミアの文字は独立して誕生したとしている。高宮氏のいう「概念」云々という話は書かれていない。
美術/図像表現
高宮氏によれば*2美術の歴史の中でも注目されるべき古代エジプトの図像表現は、王朝時代には、石碑や建造物の壁面などの大きな平面に描かれていたが、Ⅲ期はバダリ文化以来の伝統となっていた化粧用パレット、棍棒頭(メイスヘッド)、櫛、ナイフの柄などに施されていた。
出典:高宮氏/2006/p266
神殿奉納用の化粧用パレットや棍棒頭は実用のものと比べて遥かに大きく作られている。大城道則氏によれば*3、大きな(儀式用の)パレットが出現するのは先王朝時代の半ば(Ⅱ期後半?)の頃らしい。
これらの図像表現の幾つか(ナイフの柄の2匹の絡み合った蛇の図像など)や、技術(浮彫など)はメソポタミアの影響を受けているのではないかと言われている。
そして、有名な「ナルメル王のパレット」は、先王朝時代の図像表現の集大成と言ってよい。
このパレットの図像は、構成まで続く王朝時代の美術の主要な特徴をすでにほぼまんべんなく取入れていた。
出典:高宮氏/2006/p269
*1:上図の著作者:Jon Bodsworth、ダウンロード先:https://en.wikipedia.org/wiki/Scorpion_Macehead#/media/File:Scorpion_Macehead.jpg、下図の著作者:Udimu、ダウンロード先:https://en.wikipedia.org/wiki/Scorpion_Macehead#/media/File:Kingscorpion.jpg
*2:2006/p267