歴史の世界

エジプト文明:先王朝時代④ ナカダ文化Ⅱ期後半(前3650-3300年) 後編

前回=前編からの続き。

ナカダ文化の拡張

ナカダ文化の発祥の地はナカダからアビュドスあたりだが、Ⅰ期のうちに北は上エジプト中部のマトマールから南はアスワン(ナイル川の第一急湍)まで拡大した。第一急湍の南はヌビアと言われ、ナカダ文化はヌビア勢力(ヌビアAグループ文化)と境界を接していた。

Ⅱ期中葉になると北へ拡張し、デルタ東部のミンシャト・アブ・オマルにまで到達した。

Ⅲ期に入るまでは、デルタの南端部(メンフィス付近)は空白地帯として残された。(高宮いづみ/エジプト文明の誕生/同成社/2003/p199-201)

高宮氏は拡張した要因について、人口増加の結果デルタに植民したという説と西アジアへの交易ルートの支配という説を紹介している(p204)。個人的には後者のほうに一票を入れたい。パレスチナの土器やアフガニスタンラピスラズリは地域支配や威信材となっている。また、シュメール文明初期に唯一の都市だったウルクは交易ルートに植民をしている。上エジプトにおけるミンシャト・アブ・オマルはウルクにおけるシリアのハブーバ・カビーラ南(Habuba Kabira)に比較できる(記事「メソポタミア文明:ウルク・ネットワークの広がり(物流網/文化の拡散/都市文明の拡散)」参照)。

さて、ナイルデルタ(下エジプト)にはマーディ・ブト文化(マアディ・ブト文化)という既存の文化があったのだが、Ⅱ期末の頃にこの文化は自然消滅した。つまり、下エジプトはナカダ文化に飲み込まれた。

ただし注意すべき点がある。以上は文化の拡張というだけで、政治支配の拡張ではない、ということ。(高宮氏/2003/p203-204)

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出典:高宮氏/2003/p200

政治的地域統合

Ⅱ期後半では広域を支配するような権力を持つ大型集落は現れなかった。

Ⅱ期半ばにアビュドス(アビドス、のちのティス?)、アムラー、ナカダ、ゲベレイン、ヒエラコンポリスといった一部の大型集落が中小集落を支配下に置いて政治的勢力を急速に築きあげた。ただし、これらの大型集落は上エジプト南部のみで、それより北には独立した集落があったようだ。(高宮氏/2003/p218)

ビールと支配

Ⅰ期末ころに、いち早く大型集落化したヒエラコンポリスに、今のところ最古のビール醸造施設が出現した(前3800年)(馬場匡浩/古代エジプトを学ぶ/六一書房/2017/p301)。

この最古のビールについて馬場氏は以下のように主張する。

実は、ビールは簡単には作れません。イースト菌はすごく弱く、他の雑菌に負けてしまいます。雑菌を繁殖させないようにするなど環境対策ができていないと、ビールを作ることはできてもすぐに腐ってしまいます。つまり、適切な環境と酵母の維持・管理が必須となり、専業的なビール職人の存在が示唆されます。このことは発見された醸造址の規模からも支持されます。

一般的に、エジプトではビールは誰でも飲んでいたものとされてきましたが、少なくとも先王朝時代においては違うのではないかと思っています。当時、ビールは一般の人々に作らせなかったのではないでしょうか。ビールはエリート特権のアルコール飲物であり、エリートに従い、また儀式への参加を許されたものだけが飲むことができたのではないかと考えています。つまり、エリートが社会を統制し、自身の地位を確立し、さらに地位を高めるためにビールというアルコール飲料を造らせた。社会コントロールのためにエリートが利用していたものの一つがビールであり、そのためにお抱えのビール醸造職人を擁したのでしょう。

出典:エジプト文明の起源地を掘る ~国家はいかに形成されたか~ 馬場匡浩 准教授 – 早稲田大学 高等研究所 08 NOVEMBER 2016

さらに引用したページには、ビール醸造施設のすぐ近くの食品加工施設の大きな遺構も紹介している。

ビールと豪華なごちそうはエリート自身のためだけでなく、エリートの儀式と地位の維持を支えるために活用した、と馬場氏は考えている。下々の者たちに大盤振る舞いをして権力を維持するということ。

社会の複雑化とは

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社会を最も簡単に模式図で示すと図1のようになります。縦軸は「身分差」、横軸は「職の分化」を表しています。人は元々、みな平等な存在でした。身分差がなく、誰もが自給自足をしている社会だったのです。身分差がない限り、職の分化はほとんど起こりません。なぜなら、自給自足をしない専業的な職人が存在するには、支配者の庇護が必要です。それは、職人は通年で支配者の求めるモノを作り、その見返りに食糧を得るシステムです。このように、身分の階層化があることで、明確な職の分化、つまり専業化が成立すると考えられるのです。ファラオが誕生して王朝時代を迎える頃には、社会的な上下関係が形成され、専業化も進んでいました。ファラオを頂点としたピラミッド型の社会になっていくこうした過程が、先王朝時代なのです。

出典:同上

「社会の複雑化」に対する簡潔な説明を見つけられなかった。私が勝手に説明するとすれば、「未開から文明化する過程」。

上の引用のように「自給自足をしている社会」から「王朝時代」へ、つまり文明化への過程が「社会の複雑化」だ。

この言葉は、メソポタミア文明でも使われていたのだが、スルーしてしまったのでここで書いておく。