場所
中部エジプトのバダリ遺跡(El Badari)を中心とする。
時期
馬場匡浩氏によれば*1、前4400-4000年頃。
生活様式
生活の基盤は農耕・牧畜で、漁撈と狩猟採集で補完していた。
農耕は六条オオムギ、エンマーコムギ、マメと亜麻の栽培、家畜はヤギ、ヒツジ、ウシを飼っていた。ウシ以外は西アジア由来のものだ。これらは下エジプトから流入されたものとされている。
農耕・牧畜が主体になっているのだが、恒久的な住居の址は見つかっていないという。
墓については、比較的手厚く埋葬するというのが特徴だ。低位砂漠の縁辺部に集団墓地を形成した。どのように手厚いのかと言うと、マットや獣皮に包んで、多数の副葬品と共に埋葬した。副葬品は、人間や動物の像や石製のパレットや獣骨製の櫛や腕輪などが発見されている。このような埋葬の仕方をしたのはこの文化が最古だと言う。
また、エジプトで初めて独立した墓地が造営された。これがこの時期から社会階層の分化が始まったと言われる証拠となっている。
土器
土器はこの時期より前の文化に比べると、より精巧なものとなっている。
バダリ文化の土器は、しばしば器面が櫛状の工具を用いて削って整形されており、波状の凹凸が生じている点が顕著な特徴である。[中略]胎土にはナイル沖積土を用い、ときに藁が混和されているが、概して緻密である。器面には鉄分を含む赤褐色の化粧土がかけられ、平坦に仕上げられたり、ていねいに研磨された。
貿易
富裕層が副葬していた遺物には、凍石製や銅製のビーズ、紅海産の二枚貝、トルコ石などが含まれる。これらは、彼らの生活圏であるナイル川流域では手に入らないものだ。銅とトルコ石はシナイ半島であり、バダリ文化ではすでに遠距離の交換・交流があったようだ。
出典:馬場匡浩/古代エジプトを学ぶ/六一書房/2017/p43
紅海産の二枚貝は東部砂漠を横切るワディ・ハンママートという涸れ谷(ワディは涸れ谷の意)を通って輸入されたのかもしれない。ワディ・ハンママートには散発的なバダリ文化の遺物が出土するという。
ナブタ・プラヤとの関係
このことについては、記事「エジプト文明:先史⑨ 「緑のサハラ」時代の終焉とエジプト文明のつながり」に書いた。
まとめ
バダリ文化は社会階層の文化と金属の登場により金石併用文化に移行した、エジプトで初めての文化である。
この文化は次のナカダ文化に受け継がれる。