歴史の世界

道家(1)道家について

今回は道家について。

道家について

道家諸子百家の一派でその代表は老子荘子。その思想は老荘思想とも言われる。他には列子道家に含まれるらしい。

論語』学而篇や『荀子』勧学篇は、学問の重要性を説く。それは、樹下が学而によって立身出世することを理想の姿と考えるからである。人は、努力によって進歩し、いつか必ず報われる。儒家は人々をこう励ました。

しかし道家は、これとはまったく逆の教えを説いた。ことさらに事業を興さないこと、しいて発言しないこと、多くの物を持たぬこと。その中にこそ、安らいだ生活と社会の幸せがあるのではないか。こう説くのである。

この主張の背景には、文明化に対する鋭い見方がある。稲作、家、車、武器、学問、……。社会に恩恵をもたらしたとされる文明化こそ、人間を不幸に陥れているのではないか。こうした文明批判である。また、それは、宇宙の真実とは何か、という思索とも密接な関係にあった。人間が登場するはるか以前、宇宙は、素朴な混沌に含まれていた。だがそこに、人間が勝手な作為を施し、世界の平安を見出してしまった。だから、ことさらな作為と言語を抑制して、その本源の姿に復帰しよう。これが、道家の教えである。

出典:湯浅邦弘/諸子百家中公新書/2009/p152-153

諸子百家―儒家・墨家・道家・法家・兵家 (中公新書)

諸子百家―儒家・墨家・道家・法家・兵家 (中公新書)

道家の形成

道家系の人物・思想・書物などは戦国中期に「道」という究極的・根源的な実在を思索の中心にすえて誕生して以来、全天下にばらばらに分散して存在しており、相互の間にはっきりした繋がりがないという実態にあったのであるが、戦国末期以後、それらを「黄老」「老荘」「道家」「老荘申韓」などの概念を用いてグルーピングする試行錯誤が行われた挙句の果て、ついに老子を中心とするこのグルーピングが他を抑えて「老子を開祖とし彼から源を発した道家という思想上の一学派」が形作られ、以後そのままこれが定着していったというのが、諸思想の学問的な整理の歴史的事実[以下略]。

出典:池田知久/『老子』その思想を読み尽くす/講談社学術文庫/2017/p42-43

  • 「グルーピング」に試行錯誤する背景には「秦漢統一帝国の形成に向かう歴史社会のあわただしい動きがあった」(p43)、とある。『呂氏春秋』などのその流れの一つだろう。

  • この思想は前漢初は「黄老思想」「黄老の学」という名で為政者の政治思想として現れた。すなわち「ことさらなことをせず、基本的な法にゆだねて単純簡素な政治を行」った。 *2

  • 道家の思想は後世に老荘思想とも呼ばれる。「老荘」という呼称は魏晋時代から盛んに用いられるようになった *3。 現代では道家の思想と言うよりも「老荘思想」と言った方が通りがいいかもしれない。

特徴・特色

その思想の第一の特色は特殊な「道(どう)」の思想の強調であって、学派の名称の由来もそこにある。その「道」とは、現象を支える根源的な形而上(けいじじょう)的性格を帯びた絶対的実在、ないし理法というべきもので、儒家の思想などでは強調されなかった自然界と人間界とを貫く根源である。それは万物を生み出し、万物の多様な姿を貫いて、それをそうあらしめているが、その作用は自(おの)ずからなもの(無為自然)で、微妙で計りがたい。人間の感覚ではとらえられないところから「無」といい、唯一の根源であるところから「一」ともいわれる。ただ道家の主眼は、こうした「道」の思想を基礎にして、現実の実践的な課題を解くことにあった。それは、差別観や対立抗争が激しく、変動してやまない現実のなかで、それをいかに成功的に生き抜くか、またそれに乱されない安らかさを得るか、という処世的な人生問題である。ここで、人は「道」のあり方を模範とすることになる。ことさらな人間的なしわざを捨てて無為自然になり、絶対の「道」に拠(よ)り従って、へりくだった柔弱な態度で世に処していくのがよい、とされる。現実の差別の姿は、「道」の立場からみれば一時的、相対的なもので頼むに足りず、そこがわかればいっさいの執着から解放された安らかな境地が得られる、ともいう。

儒家が現実世界の秩序を重んじ、礼楽的な調和的社会の建設を理想としたのに対し、道家ではそれを人為的なものとして否定し、人間と自然とを貫く統一的な理法性に注目して、その自ずからな秩序に従うことを目ざした。したがって儒家に比べてより観念的で、個人的、精神主義的な色彩も強い。漢代以後、儒家思想が政治的、公的な面をリードするのに対し、道家は私的、内面的な思想生活を支えるものとなり、宗教や芸術とも深くかかわるものとなった。後漢(ごかん)からの道教(どうきょう)は、道家の人々を祖神と仰ぎ、また道家の思想を教義に取り込んだものである。[金谷 治]

出典:日本大百科全書(ニッポニカ)<道家(どうか)とは - コトバンク

  • 「人工的」な世の中を嫌って「無為自然=あるがまま」の世の中を生きることを善しとした。

  • ただし、「あるがまま」というのは「本能のままに」ということではなく、万物の根源である「道」に拠り従うことで、余計なことをしなくとも平穏な人生が得られる(または、世の中を築くことができる)というものである。

  • この「道」という用語の説明は『老子』(=『道徳経』)の道の説明そのもの。他の道家の「道」の差異については分からない。『老子』の「道」については別の記事で書く。

  • 後世には後漢末に五斗米道太平道が神仙思想と老子を取り入れた。これが道教の始まり、道教教団の始まりとされる。



*1:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典<道家(どうか)とは - コトバンク

*2:日本大百科全書(ニッポニカ)<黄老思想(こうろうしそう)とは - コトバンク

*3:老荘思想(読み)ろうそうしそう(英語表記)Lao-Zhuang-si-xiang ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典<老荘思想(ろうそうしそう)とは - コトバンク