馬場匡浩『古代エジプトを学ぶ』*1によれば、初代はジェセルだが、高宮いづみ『古代エジプト文明社会の形成』*2によれば、ジェセルの前にサネケト等の先行する王が「いたようである」と書いている。
「第3王朝の初代は誰か?」という問題は資料不十分な古代エジプト史においては あまり大きな問題とは思わないのだが、すっきりするために いちおう調べたので書いておこう。
上記の2冊には初代王の系譜関連の話はほぼゼロなので、wikipediaで調べてみた。
初代王=サネケト 説
第2王朝最後の王カセケムイの死後、カセケムイの娘にして王位継承者のニマアトハピ に迎えられ、紀元前2686年に王に即位する。母系社会の古代エジプトにおいて、王位継承権を持つ女性との婚姻は王位の正当性を保証した。サナクトの統治は18年間に及んだが、その統治について示す史料はほとんど発見されていない。現在、発見されている史料はシナイ半島のワジマガラで発見された砂岩レリーフであり、敵対者を攻撃する様子が描かれ、セレクにはサナクトという王名が読み取れる。
サネケト(サナクト)という王がいたことは考古学的な資料から証明されているが、ニマアトハピがカセケムイの娘というのは今では否定されているらしい。「Nimaathap - Wikipedia英語版」によれば、ニマアトハピは「a princess of the Northern royal house(北の王族の王女?)」であり、内戦でカセケムイとの戦いに破れた「北の王族」が「戦利品」としてニマアトハピをカセケムイに渡した。ニマアトハピは王妃になり、ジェセルとサネケトを産んだ(ただし、これが通説になったわけでもないようだが)。
これでもサネケトが初代王という可能性は残る.
この説を否定する説として以下のものがある。
エジプト中王国時代にパピルスに書かれた文献「ウェストカー・パピルス (Westcar Papyrus)」より、Nebka(ネブカ=サネケト)はジェセル王とフニ王(第3王朝最後の王)の間に在位した王である、と。(Djoser - Wikipedia英語版 )。
もう一つある。↓
初代王=ジェセル 説
Toby A. H. Wilkinsonによれば、カセケムイ王の墓の入り口でburial sealsが発見された。burial sealsがどのようなものかは分からないが、これにはサネケトではなくジェセル王の名があるため、ジェセルがカセケムイ王の葬儀を出したということが証明されるらしい。(Djoser - Wikipedia英語版 )
古代エジプトでは、先王の葬儀を出すことが現王の務めであり、継承の証明である。これにより、ジェセル王がカセケムイ王の次代の王で第3王朝の初代である、ということだ。ただし、マネトーが第2王朝と第3王朝を何故分けたのかは分からない。
以上のようなわけで、このブログでは、初代王=ジェセル 説を支持することにする。