歴史の世界

中国論② 大隈重信の『日支民族性論』 その6 文を尊び武を卑しむ

「文尊武卑」。中国の性質と言われている。これに関する大隈の日中の比較の論も紹介する。

それと最後におまけとして、現在の日中の状況を書き留めておこう。

閭右と閭左

「文を尊び武を卑しむ」といえば、南宋朱子学を思い浮かべるが、大隈によれば、その起源は春秋時代にまで遡るという。

国史における都市は高い四角い城壁に囲まれている中央の大通りの両端の入り口を「閭(りょ)」といい、大通りの右手を「閭右(りょう)」、左を「閭左(りょさ)」という。

閭右には読み書きできる知識階級が、閭左には読み書きできないその他 労働民や商人が住んでいた。

官吏になること、学問や教育などの世界に身をおくことは、すべて右族[閭右に住む人々=知識階級ー引用者注]の任務と定まっていたから、支那では文学のことを「右文(ゆうぶん)の科」と称して尚(たっと)び、これに対して武を「左武」と称して賤しめたが、この習慣も基づくところは、閭右と閭左の制度の区別にあることを知るべきである。こういったような習慣は、春秋時代に大小幾多の邦国(くにぐに)をなしていたころからのものであろう。(p62)

上から分かることは、知識階級を尊び、武人・兵士を含むその他を卑しんでいる、ということになる。この風潮は今でも健在で、中国の役人は庶民を蔑んでいる。

中国は、「官」と「民」の徹底した二元社会です。"父母の官" という言葉が昔ありました。「官」の地位は、一般大衆の父母のようなものであって、だから限りなく尊く、ゆえに一般大衆は無条件に官員の指図に従わなければならないという意味です。こんな社会では、一般大衆は絶えず官員から蔑まれ、自尊心を傷つけられる状態に置かれることとなります。

出典:金谷譲、林思雲/中国人と日本人/日中出版/2005/p77、林思雲の筆

「文尊武卑」の根源は支配階級のその他の人々に対する軽蔑・差別にあるようだ。

「文→虚飾」「武←質」

以前に大隈の儒教と道学(老子)の評価について書いた。*1

大隈は、老子が《「文(外見)」を嫌って、「質(内面)」を尚(たっと)んだ》(p47)と書いている。

文とは孔子儒家のこと、つまり、外交儀礼や祭祀儀礼のようなマナーに執着している人々のこと。

質とは老子自身が追求するところ、つまり、外見や飾りを取っ払って本質または現実をありのままに見抜くことを重要視する。

以上のように儒教と道学を評価し、大隈は、当然のことだが、儒教を批判して道学を評価した。

そしてこの評価が「文尊武卑」にそのまま繋がる。文すなわち知識階級が読み書きができない人々を蔑むあまり、「質」を軽視する傾向にあった。実質を無視した机上の空論が まかり通り、自滅の道を ひた走ってしまう気質を持っているということか。

具体的に言えば、国外からの武力的脅威が常にあるにもかかわらず、武を賤しめつづけた。

その結果どうなったか。中国は「常に文弱によって亡ぶ」という歴史を繰り返してきた。

武強で亡ぼしても、文弱に征服される

しかし中国史の面白いところは、中国を征服した蛮族たちが、征服後にたちまち文弱になってしまう、という法則のようなものがある。

[蛮族たちが]その志を遂げ、支那を征服して、いわゆる「中国」に入るとどういうわけか、すぐにそれに同化されてしまう。すぐに在来の支那文明に阿(おもね)り、古くの聖人たちに媚び、先王たちの道に屈従する。そのため、「文をもって太平を修飾する(レトリックで表向きの平和を美化する)」というような積弊にまで同化されてしまう。

支那の領土は大きく、[中略] 多少の消長はあったといっても、清朝盛時の範囲くらいは常に保っていたから、これに優る強国が四隣にない。[中略]

蛮族は、武力的、物質的に漢民族を征服していても、かえって漢民族からは、文学的、精神的に征服されていた。(p100-101)

結局のところ、外から支配されたとしても政治システムに新しい要素が加わることはなく、産み出されることもなく、「文尊武卑」を内包した旧来の政治システムが時代が清朝に至るまで踏襲されていった、と大隈は主張する。

大隈の日本観

上のような中国観に対して大隈は日本をどう見ていたのか?

まず、支那人と日本人を比較しているところから見ていこう。

要するに、支那の国民性は弱いのである。日本のように「強」を尚ばず、ただ「文」のみを尚んだ。文質彬々(ひんぴん)(外見と内面の調和)というのも文字の上に残っているだけで、実際に彼らは、「文」に偏って「質」を尚ぶことはない。

これではいけない「質」を根底にたもたなくてはいけない。ただし「質」といってみただけでは、なおわれわれの感情を呼ぶのに十分ではないところがある。それで、われわれはさらに「強」という字を捻出し、これまでやってきたのである。

「強」というのは、さまざまな徳の根底に潜在している肝腎のものである。改過遷善(過ちを改め、善に遷す)とはいうが、言葉では容易なように見えて、実はたいへん難しいものである。非常な自制心、克己心を要する。

この自制心と克己心は、われわれのいうところの「強」である。単に自制心、克己心といっただけでは、まだわれわれが言い表そうとする情をつくしていまい。これを「強」といって、初めて完全に表現できる。この「強」を尚ぶ精神が、わが有史以来の国民性を貫いて流れ、今日に及んでいるものなのである。(p151-152)

「自制心」と「克己心」は類語だそうだが、大隈は言わんとするところは「己に打ち克って感情をコントロールできる心」ということだろうか。

それでも「強」が重要なのが分かるが、その説明がよく分からない。

別の引用をしよう。

日本固有の民族性は尚武にある。尚武の気風は質実であり、「偽らざる誠」の上に立脚して現れる。

この精神が、実に物質的にも精神的にも、邁往果敢(まいおうかかん)(ひたすら前進し、決断力に富む)の勇気を発揮するのである。進んでみて、種々の難関に触れ、時に蹉跌(失敗)があって過誤から免れなかったとしても、たちまち大きな克己心や自制心を喚起して、その失敗を回復していくのである。

生存競争の世は、こうでなくてはいけない。すっかり身体を鍛えて百錬の製鉄のようになる。そして、これを用いるには千挫不屈(千回失敗しても屈しない)の精神で臨む。このことを認めて、誰もが言うように、日本は尚武の気風に富むということなのである。

この点が、その文弱の弊害にこれまで打ち克ってこられた。(p127)

「偽らざる誠」については漢字が伝来するよりも前から日本人の思想の根底に有り、「まこと」は「質」と言い換えることができる、としている(p125)。

個人的には中国人と日本人の大きな違いは「偽らざる誠」を尊ぶか否かにあると思う。ただし、国際社会は弱肉強食、魑魅魍魎の馬鹿し合いの世界なので、嘘をつけなくてはやっていけない。嘘のつき方に関しては中国人はお師匠様だ。

大隈は上の文章を書いている時に幕末の時代、攘夷志士の行動を思い浮かべていたのかもしれない。失敗してもひたすら進み、しかし克己心や自制心を忘れなかったために明治維新が成立したのだ、と。

幕末維新以外の歴史にもその解を求めている。すなわち、支那文明を模倣した平安時代を打ち壊して誕生した「尚武を尚んだ」鎌倉幕府が誕生したことを評価している。(p146)

日本は幕府という政治体制を あまり変えることなく踏襲したが、大隈的には「尚武を尚んだ」政権だからアリなんだろう。

おまけ:現代の中国と日本(2018年10月前半)

中国

現在の中国政府は内政においては好景気一本だけで成立している。つまり景気が良いので言論の不自由や経済活動や法・行政の不備が数多くあってもどうにか成り立っている。逆に景気がどん底になれば、庶民の不満が一気に吹き出して収集がつかなくなる可能性は低くない。だから中央政府は景気のコントロールに必死だ。かなり嘘に塗り固められて入るが。

軍事面ではどうか。「文尊武卑」は見られない。現在の中国の軍事力は米国の助力無しで日本と戦った場合は勝つことは間違いないと言われている。量だけでなく質の面でも日本は凌駕されているという話だ。

日本

現在の日本の内政は、ほとんど安倍総理のおかげで成り立っている。安倍総理以外に経済学を理解している議員が上層部にはいない。野党も同じ。しかし政治は安倍総理ひとりでできるものではない。周りが財政均衡主義という間違った経済思考を持っているので、これに引きずられて消費増税をしようとしている。このあたりは安倍総理の力量の限界だというしかない。

軍事面では、結局のところ米国に頼るしかない。安倍外交は高く評価されている。

しかし、自国の軍事力の軍事増強は進んでいない。軍事費がGDP比1%というのは他国と比べて最低レベルだ。しかも20年以上に及ぶ不景気(デフレ)のためにGDPはその年数分増えていない。その間の中国の軍事費の伸びを見れば、日本が中国に負けるのは当然というものだ。

これを重要視しない政治家・マスコミそして日本国民は尚武を尚んでるとは言えず、むしろ「文尊武卑」ではないかとしか思えない。

そういういみでは、大隈が指摘した日本論と中国論が逆転している観がある。



監修者の倉山満氏がこのほんは「ネトウヨ本」だと言っているので、批判的に読む必要があると思っていた。

この記事で扱っている部分は特にそうかもしれない。