歴史の世界

中国人について③ 人間関係 その2 幇(パン)と情誼(チンイー)

前回、宗族について話したが、今回は「幇(パン、ほう)」について。中国語では「帮会(パンフェ)」。

幇を一言で表せば「義兄弟」。ただし、この関係は宗族よりも、本当の兄弟よりも繋がりが強いと定義する人もいる。小室直樹著『小室直樹の中国原論』*1で紹介されている幇の代表例は「桃園の義盟」。つまり、劉備関羽張飛の義兄弟の契りだ。

ちなみに、google翻訳を使って「帮会」を和訳したら「ギャング」と出た。英訳はもちろん「Gang」。 幇は歴代王朝末期に現れる秘密結社として使われる用語だが(清末の青幇 ちんぱん が有名)、現代ではギャングとかマフィアを意味するようだ。日本でいう「~組」のように使われているらしい。

この記事では、ギャングやマフィアの話はせずに、共同体としての幇について書く。

「幇」とは何か?

中国は「関係(グワンシ)の社会」だといわれる。グワンシは幇(ほう)を結んだ相手との密接な人間関係のことで、これが中国人の生き方を強く規定している。

「グワンシ」は人間関係を「自己人(ズージーレン)」と「外人(ワイレン)」に二分することだった。「自己人」はインサイダー、「外人」はアウトサイダー一般にあたる。

自己人とは、自分と同じように100パーセント信用できる相手のことだ。人間関係でもっとも大切なのは血縁だが、情誼(じょうぎ)(チンイー)を結んだ朋友(ほうゆう)も自己人の内に入る。

それに対して外人は、文字どおり「自己人の外のひと」だ。「グワンシ」を持たない外人は、信用できることもあれば裏切られることもある。   中国人は外人を信用せず、すべてを内輪(インサイダー)でやろうとしている、というわけではない。それとは逆に、彼らは日々の仕事や生活のなかで外人ともおおらかにつきあう。ただ、どれほど親しく見えても、最後は裏切る(裏切られる)ことが人間関係の前提にあるのだ。

出典:中国人はなぜ裏切るのか―― 裏切られることを前提とする社会 橘玲 | デイリー新潮 2018

「朋友」が義兄弟、「情誼(じょうぎ)(チンイー)を結ぶ」とは義兄弟の契りを結ぶということだ。

もう一つ、岡田英弘氏の本から引用しよう。ただし、岡田氏は幇を「秘密結社」と書いている。

秘密結社の一員になるためには、義兄弟の契りを結ぶ必要がある。知識人階級の人々は科挙によって擬似的な親子関係である師弟関係を作ったが、それ以外の一般の人々は、秘密結社という、擬似的な兄弟関係を結ぶことによって、生きてきたのである。

たしかにどの秘密結社も、会員がなにかトラブルに巻き込まれたときには、仲間が協力して助け合う事になっている。結社には、それぞれメンバーであることを示す独特のサインがあり、その暗号を知っていれば、他の都市に行ってもその支部に草鞋を脱いで世話になることができる。病気になれば薬を作ってくれるし、仕事も世話してもらえる―こう書くと、いいことだらけのように見えるが、もちろんそんなはずはない。

いったん結社に入会すると、もうその人間はそこから抜けることはできないのである。

すべての結社は構成員の忠誠心によってその存立が支えられている。では、その構成メンバーの忠誠心はなにによって守られているのかと言うと、それは、アメとムチなのである。

つまり、メンバーであるかぎり、生涯、現実的な利益が保証される。しかし脱会することによるデメリットもまた甚だしい。このアメとムチが強力であればあるほど、その組織の基盤は強固なものとなる。アメリカのマフィアしかり、KKK しかり、日本のヤクザ組織しかりであり、一般の企業集団でも、この原則は変わらない。

出典:岡田英弘/この厄介な国、中国/WAC BUNKO/2001(『妻も敵なり』(クレスト社/1997)の文庫版)/p206

ただ、現代の「朋友」たちが皆、上のようなキツい縛りがあるわけではない。友人関係を断ち切ることはリスクを伴うが、普通にあることらしい。上の岡田市の説明のようなキツい縛りは やはりマフィアなどの場合に限られるのだろう。まあここらへんは日本人の理解の範囲だ。

幇の歴史

「幇=秘密結社」とすれば、歴史は劉備たちの時代まで遡ることができるが(黄巾の乱で有名な太平道や同時代の五斗米道)、それとは違うギルドとしての「幇」の歴史を紹介しよう。

帮 ぱん
中国、明(みん)・清(しん)時代、漕運(そううん)に従う運糧官軍は、各地に設置された衛所に配せられ、一隻10人乗りの漕運船10~20隻で一帮をつくり、一衛所に数帮があった。帮はいわば船団で、輸送の際の行動、命令の伝達、給与の受領、経費の支出、相互扶助、監視などの単位である。彼らは生計の足しに、禁を犯して商品を密輸していた。清代では、乗組員10人のうち9人が民間から雇う水手なので、帮を細分して甲をつくって監視した。しかし密輸は盛行し、帰りの空船では私塩(やみしお)を運んだ。この密輸には風客といわれるボスが水陸に采配(さいはい)を振り、当局の取締りには鉄砲で武装抵抗し、清末には無頼の徒も漕運船に流入し、反社会的、反清的行動に出た。しかも漕運制度が崩壊し始めると、貧窮化した彼らは、太平天国などの反乱軍や、秘密結社などに身を投じた。哥老会(かろうかい)の一派、青帮(ちんぱん)にはとくに多く流れたといわれる。[星 斌夫]
『星斌夫著『大運河――中国の漕運』(1971・近藤出版社)』

出典:帮(ぱん)とは - 日本大百科全書(ニッポニカ)<小学館<コトバンク

まるで石工のギルドが起源のフリーメイソンのようだ。フリーメイソンも秘密結社と言われている。結局、秘密結社の話になってしまった。

情誼:義兄弟(朋友)と他人のあいだ

上に、「情誼(じょうぎ)(チンイー)を結ぶ」とは義兄弟の契りを結ぶということ、と書いたが、この情誼というのは交友関係の深度の意味もある。

宗族や帮以外でも人間関係があるわけで、そこには親密度の濃淡、信頼度の高低がある。

情誼が100パーセントの相手なら100パーセント信用できる相手といこと、つまり義兄弟。義兄弟の契りは絶対。

しかし情誼が40パーセントとか60パーセントなら相対的な関係になる。

それでは、情誼の説明を小室氏の本『中国原論』に頼って、経済(商売)の場面を利用して紹介しよう。

まず、資本主義社会における自由市場を思い起こそう。自由市場(完全競争市場)において、価格は需給によって決まる。しかし中国社会の市場は違う。「情誼が薄いものには高く売り、厚いものには安く売る」(p125)。

中国では、市場機構だけではなく、情誼もまた価格を決定する。この例からも明らかなように、情誼は、利害を基礎におく。利害(関係)の背後には情誼がある。

中国人の商売、商品(資本、労働力を含む)の売買は情誼によって規定される。また、情誼を深めるために行われる。このことを知らないと、中国では商売できない。スローガン的に言えば、商売の背後に人間関係あり。商売だけではない。賄賂もまた同じ。贈収賄の背後にも情誼がある。同じことを頼んでも情誼の深い人は、より少ない賄賂でやってくれる。情誼の浅い人は、大きな賄賂でないとやってくれない。情誼のない人は、どんなに大金を積んでもやってはくれない。つまり、賄賂のタダ取られである。

出典:中国原論/p132

以上の説明でわかるように情誼は

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出典:中国原論/p125

上図で外側の実線は情誼と(情誼の無い)他人の境界。情誼の中の点線は情誼の「深さの程度」を表している。

次に、商売上での情誼の深め方を書き留めておこう。

市場法則(例。価格決定)が、情誼の特性によって左右される!

彼らは金だけを追求する商売を軽視する。商売を通じて、豊かな人間関係が成立したにと満足しないのである(孔健『中国人―中華商人の心を読む』総合法令、1994年)。

すなわち、中国人の商売とは、

商売は、金と物のやり取りをすることだけではない。人間と人間の付き合いなのだと彼らは硬く信じている(同右)。

それゆえに、中国では情誼の有無で二重価格が生じる。

全く同じ品物でも、中国では買い手によって、値段がちがう(同右)。

換言すれば、

商人は、情誼を深めたい相手には安く売る。また、安く売ることによって情誼をもつ相手のネットワークを広げてゆく(同右)。

そして結局、

中華商人は、買い手によって、価格が異なることを不道徳だとも不当だとも思っていない。
むしろ当然の商法だと考えている(同右)。

中国の二重価格は、人種差別によるものでもなく、寡占によるものでもない。情誼の有無による。[中略]

情誼の「有無」でなく、その「深さの程度」を変数にとれば、同様にして三重価格、四重価格・・・ ・・・も説明される。

出典:小室直樹/数学嫌いな人のための数学/東洋経済新報社/2001/p159-160

ただし、橘玲氏の引用にあるように、内輪と思われていない人は裏切られる(またはポイ捨てされる)可能性が低くない。日本人の社長がカモにされるのはそのためだ。

最後に

いちおう書いておくが、中国人の人間関係は上の説明よりももっと複雑だ。

小室氏によれば、「帮理論は、勿論、一つの理念型(モデル)であり、中国を理解するに当たっての、最も根本的ではあるが最単純な理念型」と ことわっている。



上述のデイリー新潮の記事に書いてあるが、人間関係の内と外を分けるということが「幇(パン)」の本質なのだが、このことについては次回の「二重規範」で書こう。


*1:徳間書店/1996/p19