歴史の世界

四大文明から三大文明圏へ(枢軸時代/遊牧民)

四大文明については以前に《「四大文明」は学説でも仮説でもなく、ただのキャッチフレーズだった》という記事で書いた。

この記事では三大文明圏について書く。「三大文明圏」というのは、私がこの記事を書くために勝手に作った言葉だ。

またこの記事は私(素人)の独自の主張も入っている。

三大文明圏

4から3に減ったのはメソポタミアとエジプトがくっついてオリエント世界を形成したからだ。3つの文明圏とは

となる。その他の地域については順に書いていこう。

オリエント文明圏(オリエント世界)

メソポタミア文明はシュメール文明から始まるが、文明は四方に広がり、多数の民族を飲み込んで拡大した。

いっぽう、エジプト文明は前二千年紀中期にレバノン杉(木材)を求めてレヴァント(東地中海沿岸)を北上した(砂漠に囲まれたエジプトは常に木材不足)。

二つの文明は物・人・情報の交流を密にするようになり、やがてひとつの文明圏を形成した。これがオリエント世界(文明圏)と呼ばれるものだ。

エーゲ海文明・ギリシア文明もオリエント世界の中で興った。エーゲ海文明・ギリシア文明はオリエント世界の一部だ。ギリシア文明は西洋史の一部だが、古代ローマ帝国以降のことを考慮から除けば、ギリシア文明がオリエント世界の一部であることは疑う余地はないだろう。古代ローマ帝国が文明を形成する前はヨーロッパ大陸に文明化した勢力はほとんど存在していなかった。

インド文明圏(南アジア世界)

南アジア世界(インド圏)の最古の文明はインダス文明だが、この文明は衰亡した。

文明が衰亡する前後に、前二千年紀にアーリア人の一派が北インドに侵入し、旧来のインダスの文化とアーリア人の文化を統合して現在のヒンドゥー教文化に至る文化文明(圏)を形成していく。

中国文明圏(東アジア世界)

中国では黄河流域と長江流域を中心に複数の文化が興った。殷・周王朝の勢力はそれほど広くなかったが春秋戦国時代を経て秦帝国が成立し、中国本土(シナ)を支配する帝国の歴史が始まった。(「中国本土(シナ)」については「中国本土<wikipedia」を参照)

中国本土(シナ)から発せられる文化文明は四方に影響を及ぼした。日本の歴史は長く中国文明圏の中にあった(現代日本は西洋起源の近代文明の内にある)。

枢軸時代

枢軸時代とは、ドイツの哲学者で精神科医でもあったカール・ヤスパース(1883年–1969年)が唱えた紀元前500年頃に(広く年代幅をとれば紀元前800年頃から紀元前200年にかけて)おこった世界史的、文明史的な一大エポックのことである。枢軸時代の他に「軸の時代」という訳語があてられることもある。

この時代、中国では諸子百家が活躍し、インドではウパニシャッド哲学や仏教、ジャイナ教が成立して、イランではザラスシュトラツァラトストラ、ゾロアスター)が独自の世界観を説き、パレスティナではイザヤ、エレミヤなどの預言者があらわれ、ギリシャでは詩聖ホメーロスや三大哲学者(ソクラテスプラトンアリストテレス)らが輩出して、後世の諸哲学、諸宗教の源流となった。

なお、枢軸時代とは「世界史の軸となる時代」という意味であり、ヤスパース自身の唱えた「世界史の図式」の第3段階にあたり、先哲と呼ばれる人びとがあらわれて人類が精神的に覚醒した時代、「精神化」と称するにふさわしい変革の起こった時代ととらえられる。

出典:枢軸時代<wikipedia

イラン・パレスティナギリシャオリエント文明圏だ。枢軸時代は三つの文明圏でそれぞれ独立してあらゆる学問・思想の天才たちが現れた時代だ。文字が出現して数千年経ち、積み重ねられた情報・記録の上に彼らが現れた。

ギリシア思想は理論的、インド思想は形而上学的、中国思想は処世的、ヘブライ思想は宗教的という大まかな性格の相違はあるにしても、それらはいずれもそれ以前の素朴な呪術的・神話的思惟方式を克服して、あれこれの日常的・個別的経験を超えた普遍的なるもの(ギリシアではロゴス、インドではダルマ、中国では道、ヘブライでは律法)を志向し、この世界全体を統一的に思索し、そのなかにおける人間の位置を自覚しようとするものであった。じつにここに人間の精神史が始まったというべきである。ギリシア思想とヘブライ思想はその後――ともに近代西欧文明のなかへと吸収されていったが、インドと中国の精神文明は現在にいたるまで本質的にこの時代に形成されたものをそのまま持続させている点も、ここに注目しておかなければならない。われわれが今日、東洋の思想的遺産として語っているものは、本質的にこの時期につくられたものにほかならない。

出典:伊東俊太郎/新装版 比較文明/UPコレクション/2013(初版は1985年出版)/p68

文明の拡大に伴い、多くの文化に触れた人びとは文化の違いだけでなく共通性に興味を惹かれたのだろう。そしてその行き着くところが普遍性となる。人びとは四方を旅して観察したり記録を読み漁ったりして情報を得て普遍性に対する答えを出し続けた。

そうして、各地域はある程度の答えを出して、その答えがそれぞれの地域の独自の文化(行動様式、物の考え方)を形成していった。

枢軸時代を、ヤスパースは「人類が精神的に覚醒した時代」、伊東氏は「精神史が始まり」としている。

個人的には、簡単に言えば、「その地域における哲学または思想の探求が始まった時期と解釈している。

少し難しく言えば、以下のようになる。

ヤスパースのいうところの「人類が精神的に覚醒した時代」というのは発達心理学における「青年期」に当たるのかもしれない。つまり、一個の人間が青年期に「自分は何者であるか」を考えてアイデンティティを確立するように、それぞれの地域は枢軸時代に独自のアイデンティティを形成していった。

東西を移動し続ける遊牧民の世界史的役割

上の引用の続き。

ところでこのような大きな変革が、紀元前8世紀から前4世紀にかけて、西はギリシアから、東は中国にかけて、ほぼ時を同じくして起ったのは何故であろうか。当時これらの四つの領域には無数の小国家や都市が分立しており、たがいにそれぞれ知と富と力を争いあったという共通の土着の条件のなかで、さらにこれに加えてアルフレート・ウェーバーが想定し、日本では石田英一郎氏が説かれたような、中央アジア騎馬民族の移動ということが考えられるかもしれない。[中略]

これらは農耕文化圏に遊牧民の文化が侵入して重なりあうという共通のパターンをもっているように思われるが、こうした考え方は、今日まだ一つの仮説にとどまる。しかし前16世紀以降、遊牧民の農耕文化圏への侵入ということはしばしば(大きな波は3回)行われ、その最後のものが前8世紀から前6世紀にかけて、ヨーロッパから北シナにいたるまで、騎馬民族の大移動となって現れていることは歴史的事実であるから、これは注目に値する検証可能な仮説であると考えられるのである。

出典:伊東氏/p68-70

遊牧民(≒騎馬民族)はステップ(steppe)の草原を移動して生活している。

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ユーラシアステップ帯(エメラルドグリーンの部分)

出典:ユーラシア・ステップ<wikipedia

遊牧民の生活する領域は上のように広い。農耕が不可能なステップ地帯ユーラシア大陸の高緯度に広がる。遊牧民は西から東まで横断するわけではないが、彼らの文化は西から東まで共通する部分が少なくないらしい。ヨーロッパ系の人の骨が北東アジアで発見され、その逆もある。フン族匈奴説が根強いのもこれらのことに関連する。

ユーラシア大陸を横断して文化を伝播できる可能性のある人びとは遊牧民に限られる。時代が下るとシルクロードを往来するキャラバンやインド洋を往来する交易船がその役割を果たすが、時代を遡るにしたがってそれらの影響力は絞られてるだろう。

古代における遊牧民の文化伝播・交流の役割は今の私には分からない。分かり次第この記事を更新しよう。



現代日本は西洋起源の近代文明の内にある」と書いたが、近代文明は現代の地球を覆っている。近代文明は欧米の軍事力とカネに支えられている。中国や一部のイスラム圏はこれに抵抗しているようにみえるが、軍事力とカネにおいて欧米に勝てない。中小国は欧米の流儀に従わざるを得ない。

ちなみに日本はカネはあるが あらゆる武力行使に否定的なため、他国への拘束力は弱いと思う。仮にフィリピンやインドネシアシーレーン防衛のために日本の軍事基地を置くことになれば、東南アジアにおける日本の影響力は計り知れないほど大きくなるだろう。