古代ギリシアの時代区分の話
私たちが「古代ギリシア」と聞いてイメージするのはポリスが林立する小さな世界。
そのような世界は暗黒時代の後に起こり、アレクサンドロス大王の大帝国建設(それ以降をヘレニズム(時代)という)まで続く。
この間の歴史区分は前古典期(アルカイック期)と古典期に分かれる。
大雑把な歴史区分だと以下のようになる。
前古典期 前8世紀~前6世紀
古典期 前5世紀~前4世紀
ポリスの誕生
前8世紀に入り人口が急増し、各地に多くのポリス林立するようになる。ポリスとは都市国家の一種とされる。つまり政体を持った都市のことだ。ただし、アテネなどの例外を除けば人口は数千人規模でしかない。
ポリスがメソポタミアのように「都市国家→領域国家」とならなかった理由については統一見解はないらしいが、周藤芳幸氏は以下のように説明する。
ギリシアの土壌が相対的に貧弱なうえに広大な平野がないため、巨大な富を集積させて強力な支配者の地位に君臨するような存在が出現しにくかったこと、山岳が多く、近隣のポリスとの交流が、至難ではないにしても容易では無かったことが、おもな理由としてあげられるかも知れない。
なお周藤氏によれば、ポリスの他に「エトノス」と呼ばれる共同体があった。ポリスが分布する地域とエトノスが分布する地域が併存した。ただし、「エトノスとはなにか」と語れるほど研究は進んでいないとのこと。
ポリスの特質
ポリスが作る政治システムは、ミケーネ文明のそれと全く違うものだ。
ミケーネ文明でも小国が林立していたが、国家には王がいて宮殿があって大きな墓があった。
これに対し、ポリスには王の代わりに(前古典期の場合は)貴族層が政治を担い、宮殿や大きな墓の代わりに神殿や劇場が建設された。これらの建物は貴族層が独占しているわけでなく一般人も利用できた。
前古典期の政治については資料が乏しいらしく、上述の『ギリシア史』では前700年頃の農民詩人ヘシオドス『仕事と日』のみから「たぶんこんな感じだろう」みたいな感じで書かれている *1。 それによれば、政治は貴族政ではあったが、文字ができ普及したことにともなって、一般人に有利な成分法が作成された。貴族と一般人は比較的に格差は小さかったと言える。
アクロポリスとアゴラ
アクロポリスとアゴラはポリスの話とセットで出てくる用語だ。すべてのポリスにあったかどうかは知らないが、とりあえず必須単語として理解しておこう。
アゴラ
古代ギリシア社会で、市民の政治、経済にまたがる生活の中心をなした広場。市民総会や公開裁判の慣行を早くから有したギリシアのポリス(都市国家)社会に特有の公共施設である。もともとは民の集会を意味したが、集会の開かれる場所にも転用され、ホメロスには双方の用例がみいだされる。[以下略]
[馬場恵二]
アクロポリス
古代ギリシアのポリス(都市国家)において、アゴラとともに中心市の主要部を構成した小高い丘。市街を見下ろす要害の地が選ばれ、ポリスの守護神をはじめとする神々の神殿が建てられていた。アクロポリスは緊急の際の避難所や要塞(ようさい)としての役割も有しており、またその神殿の内部はポリスの国庫として利用された。アテネのアクロポリス、コリントのアクロコリント、テーベのカドメイアなどが有名である。[以下略]
[前沢伸行]
*1:p55, 59-60