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【読書ノート】君塚直隆『立憲君主制の現在 日本人は「象徴天皇」を維持できるか』 その1

出版社内容情報

日本の「象徴天皇制」をはじめ世界43ヵ国で採用されている君主制。もはや「時代遅れ」とみなされたこともあった「非合理な制度」が、今なぜ見直されているのか? 各国の立憲君主制の歴史から、君主制が民主主義の欠点を補完するメカニズムを解き明かし、日本の天皇制が「国民統合の象徴」であり続けるための条件を問う。

目次

はじめに
第Ⅰ部 立憲君主制はいかに創られたか
第一章 立憲君主制とは何か
君主制の種類/民主主義との調和/反君主制の系譜/「共和制危機」の時代/バジョットの『イギリス憲政論』/福澤諭吉の『帝室論』/小泉信三と『ジョオジ五世伝』/立憲君主制の「母国」イギリス
第二章 イギリス立憲君主制の成立
最後まで生き残る王様?/賢人会議のはじまり/「海峡をまたいだ王」の登場/マグナ・カルタと「議会」の形成/イングランド固有の制度?/弱小国イングランドの議会政治/首を斬られた国王――清教徒革命の余波/追い出された国王――名誉革命と議会主権の確立/議院内閣制の登場/貴族政治の黄金時代
第三章 イギリス立憲君主制の定着
「新世紀の開始、甚だ幸先悪し」/議会法をめぐる攻防/バジョットに学んだジョージ五世/いとこたちの戦争と貴族たちの黄昏/「おばあちゃまが生きていたら」/一九三一年の挙国一致政権/帝国の紐帯/魅惑の王子と「王冠をかけた恋」/エリザベス二世と国王大権の衰弱/コモンウェルスの女王陛下/アパルトヘイト廃止と女王の影響力/「ダイアナ事件」の教訓/イギリス立憲君主制の系譜
第II部 立憲君主制はいかに生き残ったか
第四章 現代のイギリス王室
二一世紀に君主制は存立できるのか/国王大権の現在――国家元首としての君主/単なる儀礼ではない首相との会見/栄誉と信仰の源泉/国民の首長としての役割/女王夫妻の公務/王室歳費の透明化/二〇一三年の王位継承法/オーストラリアの特殊性/現代民主政治の象徴として
第五章 北欧の王室――最先端をいく君主制
質実剛健な陛下たち/カルマル連合からそれぞれの道へ/デンマーク王政の変遷――絶対君主制から立憲君主制へ/女性参政権の実現と多党制のはじまり/大戦下の国王の存在/「女王」の誕生――女性への王位継承権/女王陛下の大権/「新興王国」ノルウェーの誕生/「抵抗の象徴」としての老国王/ノルウェー国王の大権/専制君主制から立憲君主制へ――スウェーデンの苦闘/象徴君主制への道/象徴君主の役割とは/男女同権の先駆者/「四〇〇万の護衛がついている!」
第六章 ベネルクスの王室――生前退位の範例として
国王による「一喝」/「ベネルクス三国」の歴史的背景/「立憲君主制」の形成と「女王」の誕生/女王と国民の団結――第二次世界大戦の記憶/三代の女王――生前退位の慣例化?/オランダ国王の大権/生前退位の始まり――マリー・アデライドの悲劇/女性大公と世界大戦――シャルロットの奮闘/小さな大国の立憲君主制国民主権に基づく君主制/「ベルギーは国だ。道ではない!」/第二次大戦と「国王問題」/政党政治の調整役――合意型政治の君主制/二一世紀の「生前退位
第七章 アジアの君主制のゆくえ
国王のジレンマ?/アジアに残る君主制/ネパール王国の悲劇/タイ立憲君主制の系譜/プーミポン大王の遺訓――タイ君主制の未来/東南アジア最後の絶対君主?――ブルネイ君主制のゆくえ/湾岸産油国の「王朝君主制」/「王朝君主制」のあやうさ/二一世紀のアジアの君主制
終章 日本人は象徴天皇制を維持できるか
「おことば」の衝撃/象徴天皇の責務/象徴天皇制の定着/「平成流」の公務――被災者訪問と慰霊の旅/「皇室外交」の意味/「開かれた皇室」?――さらなる広報の必要性/女性皇族のゆくえ――臣籍降下は妥当か?/「女帝」ではいけないのか?/象徴天皇制とはなにか
おわりに

出典:君塚直隆 『立憲君主制の現在―日本人は「象徴天皇」を維持できるか―』 | 新潮社

著者について

東京大学客員助教授、神奈川県立外語短期大学教授などを経て、関東学院大学国際文化学部教授。専攻はイギリス政治外交史、ヨーロッパ国際政治史。著書に『立憲君主制の現在』(2018年サントリー学芸賞受賞)、『ヴィクトリア女王』、『エリザベス女王』、『物語 イギリスの歴史』、『ヨーロッパ近代史』他多数。

出典:君塚直隆 | 著者プロフィール | 新潮社

立憲君主制とはなにか

この本の内容に入る前に立憲君主制とは何かについて書いておく。

君主とはなにか

まずは「君主」の定義から。

まず、ブリタニカから引用する。

君主
くんしゅ
monarch
伝統的には,国家において特定の1人が主権を保持する場合のその主権者をさす。世襲の独任機関で専制君主制下の君主がその典型である。しかし,立憲君主制の確立に伴いその権能は次第に制限され,一般的行政権,外交権,官吏任命権などを保持するにとどまるようになり,さらに進んで名目化,象徴化する傾向が顕著である。「君主は君臨すれども統治せず」という表現はこのような傾向を象徴するもので,イギリスの君主はその典型である。[以下略]

出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典/君主とは - コトバンク

さて上の引用では「主権」という言葉が出てくる。主権とは国家をコントロール(支配)する権力のことを言う。たとえば「主権在民」という言葉の意味は「国民が主権を持っている」=「国民が国家を支配している、コントロールできる」という意味になる。また「国家は国民が所有している」ということもできる。

したがって君主というのは(伝統的には)国家の所有者で、国家を自由にコントロールできる人物のことを言う。

しかし、引用にあるように、「その権能は次第に制限され」ている。勝手にコントロールしていた君主は反乱やクーデタにより追放されたか殺されてしまった(サウジアラビアの王様は現在でもかなり勝手なことをやっているらしいが)。

現在において君主の種類はいくつかあるが、その中で生き残っている君主のひとつが立憲君主である。

立憲君主とはなにか

立憲君主を一言で言い表すとすれば、上記の引用にあるように「君臨すれども統治せず」である。

本書では今日的な意味の「立憲君主制」を「議会主義的君主制」と紹介しているがそれによれば、「君臨すれども統治せず」の意味は、君主は本来「統治権」を保持しているが、その権力を政治家に移譲して統治に当たらせることを言う(p24-25)。

ここで君主が保持しているものが「主権」ではなく「統治権」となっているがその違いを示さなければならないだろう。

「主権」については上述した。「統治権」は国家を「勝手気ままにコントロール」するのではなく「法に基づいてコントロール」する権限のことだ。

立憲君主が「本来において保持しているもの」は「主権」ではなく「統治権」であることを注意する必要がある。

これは、大日本帝国憲法第4条にある。

天皇ハ国ノ元首ニシテ統治権ヲ総攬シ此ノ憲法ノ条規ニ依リ之ヲ行フ

内容

「はじめに」、第1章

民主主義と君主制

本書は最初に反君主制(共和制)主義者の主張を紹介する。G・H・ウェルズ、トマス・ペイン、アンドリュー・カーネギーら著名人の言葉を紹介して、「君主は民主主義の敵である」という主張が盛り上がった時代を描いた。

1890年代のフランス革命の時も君主制の危機であったが、本書では1860~70年代の危機について書いている。反君主制の大きな波の中で1868年にスペイン革命で王政が倒れ、1870年のフランス第二帝政の崩壊が起こり、イギリスでは「共和制運動」が盛り上がっていた。

イギリスにおいてはアルバートエドワード皇太子(のちの国王エドワード7世)が重態となったことにより「反君主制」の動きは治まったのだが、著者はこの時がイギリスの君主制の転機の一つだと書いている。

1872年2月にロンドンで行われた皇太子恢復感謝礼拝の際に国民が盛り上がる様子を見て、ヴィクトリア女王自身も机上の仕事のみが君主の務めではなく、国民の前にもっと姿を現す「儀礼的な役割」を再認識していく。(P33)

君主制が語られる時に常に取り上げられる書であるウォルター・バジョット『イギリス憲政論』が書かれたのは1867年のことである。フランス革命の後に保守主義の名著であるエドマンド・バークフランス革命省察』が出されたように、君主制の危機のタイミングで君主制の名著が発表された。

ここで問われる問題は「民主主義と君主制は両立しない」ということの真偽だ。

この問いに対する答えは日本やヨーロッパ諸国の立憲君主国を見れば明らかだが、本書では以下のように書いている。

民主主義の理念と合致する国家形態は、君主制よりも共和制であると考えるのが普通であろう。共和制では、通常は男女普通選挙に基づいた国民投票により、自分たちの国家元首にして政府の首長たる「大統領」が選ばれるからだ。しかし、……君主制か共和制かという国家形態と、それが専制主義的か民主主義的かという統治形態とは、必ずしも合致はしないのである。[中略]

本書でこれから検討していくとおり、現代の社会では、王室が民主主義を助け、強化する場面が増えている。その嚆矢となったのも、近現代のイギリス王室であった。(p27-28)

そもそも君主制(国家形態)と民主主義(統治形態)は本来は次元が違うものであり、この2つが両立しても何らおかしくはないという話。上述のとおり、立憲君主制民主主義国が存在する一方で、共和制を採用しながら専制主義的(独裁的)な国家は数多くある。

イギリス王室はなぜ続いているのか

上記の引用の2段落目にあるように「[イギリス]王室が民主主義を助け、強化する場面が増えている」。王室の必要性が認められ存続している理由と言えるだろう。そしてその理由は上述のバジョットが19世紀後半に発表し、ジョージ5世がこれを読み実践して後世の王の手本となった。

本書では、存続した理由を5つの特徴として述べているが、ここではバジョットの言葉を孫引きする。

要するに君主制は、興味深い行動をするひとりの人間に、国民の注意を集中させる統治形態でる。これに対し共和制は、いつも面白くない行動をしている多数の人間に向かって、注意を分散させている統治形態である。ところで人間の感情は強く、理性は弱い。したがって、この事実が存続するかぎり、君主制はひろく多くの者の感情に訴えるために強固であり、共和制は理性に訴えるため弱体であるといえるであろう(p34)

君主制と共和制は「国家形態」であり「統治形態」ではないと書いていたが、ここでは「統治形態であると書いているので混乱するが、流すしか無い)

世襲された君主は国民の小さい頃から刷り込まれた結果、君主に対して得体の知れない畏敬の念や忠誠心が働く。バジョットはこれを「宗教的な力」と表現している。「権威」と言い換えられると思う。そのような力を、投票で選ばれたとはいえ、ぽっと出の人間が短時間で掌握できるはずがない。

「人間の感情は強く、理性は弱い」という部分は、私の勝手解釈によれば、「難しい政治の話を理解できる国民は本の一握りしかいない」。

ドラマなどで「難しい話はわからないが、〇〇さんが言うなら信じてみよう」みたいなセリフがあるが、立憲君主民主主義制においては、「〇〇さん」の部分が君主になるわけだ。投票で選ばれたばかりの弱体な国家の指導者(つまり内閣)を君主の「権威」により支えることで、国家に有害な政争を抑制することができる。

さらに君主は国民に国家の代表と見なされる。それは国際政治における国民の代表であるとともに、道徳面における国民の手本でもある。

本書の第1章には福沢諭吉が書いた『帝室論』の説明もあるのだが、これについては以下の記事で書いたのでここでは書かない。