歴史の世界

【読書ノート】倉山満『天皇がいるから日本は一番幸せな国なのです 世界最古の立憲君主制の国』 その3

前回からの続き。

天皇の役割

天皇の役割についてはいろいろあるのだが、ここでは本書に書いてある政治と憲法に関わる話をする。

ここでは、平時と有事に分ける。

平時の役割

現行の日本国憲法下の話。

現在、天皇の行為は三つの分野で説明されます。国事行為、公的行為、「その他の行為」です。これらは、天皇だけでなく皇族にも適用される基準です。(p117)

著者は後の方で天皇の行為を分類すること自体愚かなことだ、この解釈も宮澤俊義が考え出した、と書いている(p118-119)。

3つの行為とは何か。

1つ目は憲法に書いてあること。総理大臣の任命や衆院を解散することなど。2つ目は各地への訪問や国民的行事への臨席など。「ご公務」と言われるもの。3つ目は上記2つ以外のもの。以前は「私的行為」と言われた。子作りもこの中に入る。

天皇は国事行為に対する決定権を行使しないことになっている(日本国憲法第3条)。帝国憲法では、あくまでも「統治権天皇にあるが内閣にこれを委任する」という形式(儀礼)に従っていたが、現行の解釈ではこの形式を無視して「天皇は内閣の決定を無条件に従わなければならない」となっている。これは宮沢俊義の「天皇ロボット説」つまり「天皇は『めくら判』をおすだけのロボット的存在」というのが論拠になっている。

もうひとつ、別の視点から。

日本の立憲君主制はイギリス型のそれ、ウェストミンスター・モデルを採用している。政治の実務(権力と責任)は内閣が持つという仕組み。

ただし、憲法下では天皇は権力を講師する権限は無いが、影響力を行使することはできる。その論拠はイギリスのウォルター・バジョット『英国憲政論』(1867年)にあり、君主には3つの権利「警告権・激励権・被諮問権」がある、とする。この権利は臣下(基本的に内閣)に対して意見を述べる権利を指すが、天皇の意見を採用するか否かは臣下が判断し、かつ、その判断の責任の所在は臣下にある。(p73)

ただし、著者によれば、宮澤の「天皇ロボット説」が政府解釈となることによって天皇は傀儡にされている(p123)とのことなので、上記のような権利も形骸化されているようだ。

有事の役割

こちらは帝国憲法の話から。

帝国憲法立憲君主制が優れていたのは、「本来の統治権の持ち主は天皇だ」としていることです。このため天皇は、政府が機能しない時や、国そのものが滅びそうな有事に、本来の統治権者として秩序を回復することができたのです。

政府が機能しない時というのは、物理的に内閣がなくなった時や、内閣は存在しても物事を決める当事者能力がない時のことです。(p73-74)

この具体的な例が二・二六事件終戦の御聖断であった。

どちらの事例も、まったく合憲合法です。天皇の御聖断は憲法第何条が根拠なのか、などと議論した人はいません。本来は天皇統治権があって、平時は臣下が代わりにその権限を行使させて頂いているという理解があるからです。実質の最高権力者は内閣総理大臣ですが、いなくなったら誰が責任をもって物事を決めるのか。それは本来の権限の持ち主である天皇だと、誰もが共通の認識を持っていました。帝国憲法天皇は、有事に秩序を回復する安全保障の切り札だったのです。(p75)

しかし、現行の日本国憲法には有事の概念そのものが無いという。だから上記のような有事における天皇の役割は存在しない。(p75)

では、誰がその代わりを務めるのかといえば、著者によれば、それは在日米軍だという。

敗戦直後、日本はGHQに間接統治され、GHQが引き上げると日米安保条約を根拠に、その役割を在日米軍が引き継いだ。日米安保条約は旧条約と新条約に分けられるが、旧条約は「日本は在日米軍に守ってもらう」という編無敵なものだった。

新条約は、日米の相互協力を謳っているのが旧条約との大きな違いだと言われていますが、実際には旧条約と基本のところでかわらないことが、最近でも証明されました。平成23(2011)年の東日本大震災です。当時の管直人内閣は批判のネタが尽きない政権ですから、米軍が自由に活動できる理由を本気で考える人は、ほとんどいません。(p134)

このような事態は1985年の日航機墜落事故の時も同じだった (これに関しては副島隆彦『属国・日本論』で書かれていたが、本書がないためページ数が分からない)) 。

著者は、「日米安保条約日本国憲法がある限り、日本は主権国家ではないのです」(p135)と書いている。

統帥権の独立」「統帥権干犯問題」について

統帥権とは国軍の最高指揮権のこと。この権限の範囲について、本書では現代の日本銀行と政府の関係を使って説明している。(p148)

すなわち、政府は日本銀行に対して目的を命令できるが、その方法まで指図することはできない。これを日銀サイドから見れば、「目的(設定)の独立性」は無いが、「手段の独立性」は有している、と言える。軍の統帥権もこれと同じだ。専門性の高い判断まで専門家でない内閣に指図されては堪らない。

もっとも、軍が政府に対して強い立場になると、統帥権独立が拡大解釈される方向へ進む。(p86-89)

1930年(昭和5年)のロンドン海軍軍縮条約によって、軍と政府が衝突する。海軍の主張を簡単に言えば《政府は「手段の独立性」にまで干渉(干犯)している》。

さらに、陸軍の方でも問題が発生。1931年に満州事変、1932年に五・一五事件を起こした。五・一五事件によって現職首相が暗殺られることによって、軍と政府のパワーバランスが一気に傾き、まともな政治(著者の言う「憲政の常道」)に戻ることなく、敗戦まで進んでいった。

統帥権干犯問題の後遺症

著者は、自衛隊のことを「すごい武器を持った警察」と書き、軍隊ではないと言っている。

その理由は以下の通り。

自衛隊は……法体系が警察と同じだからです。警察は、操作や逮捕を通じて国民の権利を直接侵害する職権を持っています。そのため、現場に自由裁量を認めません。許可されたことだけ、やって良い法体系になっています。軍隊は敵を倒すことが任務です。目的を達成するため、絶対にやってはいけないことだけを定めて、現場の自由裁量を認める法体系です。(p150)

よく言われる「ポジティブリスト」「ネガティブリスト」の話だ。

統帥権の独立と天皇の関係

統帥権干犯問題の論争で、軍側は自らの立場を優位にするために、帝国憲法統帥権を含む天皇大権を利用した。欲望を満たすために天皇を利用しただけのことだった。

そして、最終的に大東亜戦争で大敗北を喫して、昭和天皇の御聖断を仰ぎ、陸海軍は解体させられてしまった。挙句の果てに、日本はいまだにまともな軍隊を持てていない(上述)。