歴史の世界

エジプト第19王朝② メルエンプタハから王朝の終焉まで

エジプト第19王朝① 初代からラメセス2世まで》の続き。

前1279 - 1212年頃 ラメセス2世
前1212 - 1202年頃 メルエンプタハ
前1202 - 1199年頃 アメンメセス
前1199 - 1193年頃 セティ2世
前1193 - 1187年頃 サプタハ
前1187 - 1185年頃 タウセルト

出典:ファラオの一覧 - Wikipedia

メルエンプタハ

ラメセス2世の60年以上に亘る治世は古代エジプトにおける一つの絶頂期だった。ラメセス2世の死の直後はエジプトに喪失感と不安が漂ったと伝えられるが、次代王メルエンプタハはエジプトの平和をよく保った賢明な王だった。

先王ラメセス2世が長寿だったため、メルエンプタハの即位は60歳を超える歳になってからだった。そして彼自身の治世は10年。

メルエンプタハの治世のうちの反乱は、北方のシリア・パレスチナ、南方のヌビア、西方のリビア。メルエンプタハはこれらの反乱を初動で、または先制攻撃によって鎮圧した。同盟国のヒッタイトとの仲も悪くなかったらしく、同国が基金に陥っていた時に食料を援助したという記録がある。

リビア人(リビュア人)

このうち、特に重要なことは西方のリビア勢力である。

先王朝時代から西方のリビア人(リビュア人)は存在していたが、メルエンプタハまでの歴史の中では、南方のヌビア、北方のシリア・パレスチナと比べると重要度は はるかに下だった。

しかしメルエンプタハ治世とその後はリビア人は継続的にエジプトに侵入し、歴代の王はこれを対処しなければならなくなった。

エジプトによってリビア人と呼ばれる彼らは、アフリカ北西部のベルベル人の祖先だ *1。現在もベルベル人と呼ばれる人々がいるが、彼らは単一の民族ではなく、「アフロ・アジア語族ベルベル諸語を母語とする人々の総称」 *2である。古代のベルベル人リビア人)も単一ではなく、幾つかの民族(部族)の総称だ。

本来、ウシ、ヒツジ、ヤギを伴う半遊牧生活を行っていた彼らではあったが、[リビア人の部族である]リブやメシュウェシュは、リビアに定住地を持っていたとも考えられる。その上、彼らは青銅製の剣やチャリオットを保持していたことから、文化的にかなり高い段階にあったと想定されているのである。

出典:大城道則/古代エジプト文明/選書メチエ/2012/p153

この書き方で分かるように、リビア人はいわゆる蛮族だった。彼らの中には農耕生活をする人々もいたかもしれないが、国と呼べるものはなかった。

彼らがメルエンプタハ治世以降に、継続的にエジプトに侵攻した理由は正確に分かっていないが、その一因として気候変動が挙げられている。「海の民」発生の一因もいっしょ。 *3

イスラエル・ステラ(イスラエル碑)

メルエンプタハの10年の治績は彼の治世に作られた3つの石碑の記録による *4 。その中で最も有名な石碑はイスラエル・ステラ(イスラエル碑、Merneptah Stele)と呼ばれる石碑だ。

この石碑はメルエンプタハの戦勝記念碑 *5 (Victory Stele of Merneptah)とも呼ばれている。彼がこの石碑を作らせた目的は西方のリビアとその同盟勢力を打ち負かした記録を遺すためだった。銘文は28行あり、ほとんどがその記録だった。

そして最後の26-28行にリビアの同盟勢力であるシリア・パレスチナ方面の民族名・都市名が書かれている。これら名前は「海の民」と関連付けられると言われているが、これに増して重要なのが「イスラエル」という名が載っていることだ。これが「イスラエル」の名が言及された最古の事例だ。

この銘文によれば「イスラエル」は民族名として扱われていて *6、 「イスラエル」民族は、リビアと組んでエジプトを攻めたが、撃退されてしまった。 *7

ただし、この「イスラエル」が聖書にある「イスラエル」と同一かどうかは議論されて統一されていない。別の証拠となるものが現れない限り決着はつかないようだ。

メルエンプタハより後の王/第19王朝の終焉

メルエンプタハの治世が終わると王朝は凋落した。第19王朝は彼の後、4人の王がいたが、彼らのやったことは王家の谷に墓を造った以外には情報がない。

最後の王(女王)タウセルトの治世の終わりの後、数ヶ月程度の空位期間を経てセトナクトが王となり第20王朝が始まるとされるのだが、この経緯も詳しいことはわかっていない。



*1:ベルベル」はギリシャ語で「野蛮人」を意味する

*2:ベルベル人 - Wikipedia

*3:一例として《地中海東岸の文明は干ばつで崩壊? | ナショナルジオグラフィック日本版サイト

*4:ピーター・クレイトン/古代エジプトファラオ歴代誌/創元社/1999(原著は1994年出版)/p222-223

*5:大城道則/古代エジプト文明/選書メチエ/2012/p144

*6:異民族を表す決定詞が置かれている

*7:銘文については《Victory Stele of Merneptah》に書いてある。