歴史の世界

中国_秦代/楚漢戦争

秦代⑬:始皇帝の死から秦帝国滅亡へ

前210年、始皇帝は第5回の巡行の途中で死去する。これをきっかけに強大な新帝国は わずか3年で崩壊する。 この記事では、政権の内部崩壊のことを書く。項羽や劉邦の反乱側については別の記事で書く。 二世皇帝・胡亥と権力者・趙高 年表 趙高の評価 二世皇…

秦代⑫:外征 後編(南方編)

前回に続いて、今回は南方の外征について書く。 『史記』始皇本紀には、始皇33年(前214年、オルドス攻略の翌年)に嶺南(旧楚の領域の南)を占領して3つの郡を置いたと書いているのみだ。 しかし、下記に記すように、嶺南攻略には運河の建設も含まれるので…

秦代⑪:外征 前編(北方編/オルドス/直道/万里の長城)

秦が中華統一を達成してから6年目の前215年に対外戦争が始まった。中華統一した時は36の郡であったが、対外戦争の結果10増の48郡になった。 今回は北方の外征について書く。 結果 目的 直道 万里の長城 外征のきっかけ 結果 先に結果を書いておく。 前215年…

秦代⑩:「朝廷」「朝礼」「朝貢」「冊封」

「朝廷」「朝礼」「朝貢」は秦代で始まったことではないが、これらは秦代から始まる中華帝国のシステムの一部、ということで ここで紹介する。 ネタ元は岡田英弘・宮脇淳子両氏 *1。 以下は主要なもの。youtube動画を視聴すれば理解できてしまうと思うが、そ…

秦代⑨:政策(9) 全国巡幸 後編(泰山封禅と始皇七刻石)

前回からの続き。 泰山封禅と始皇七刻石は、全国巡幸の一部として行われた。そういうわけで、この2つも秦の皇帝が天下の支配者であることを万民に知らしめるための行為だ。 泰山封禅 封禅とは? 『史記』封禅書の斉桓公と管仲の逸話 泰山 始皇七刻石 泰山封…

秦代⑧:政策(8) 全国巡幸 前編(巡幸の意義)

今回は始皇帝の全国巡幸について。 「巡幸」:言葉の意味 殷周の巡幸 始皇帝の全国巡幸 あらためて巡幸の重要性について 「巡幸」:言葉の意味 巡幸 (「幸」は天子が出る意) 天子の巡回。天皇が各地をまわること。 出典:精選版 日本国語大辞典/巡幸(ジュン…

秦代⑦:政策(7) 貨幣制度

秦の中華統一後の貨幣事情は基本的には度量衡と同じで戦国秦の制度の全国展開をしようとしていた。 しかし、全国の貨幣を秦の貨幣に変えるためには長い時間を必要とした。 山田勝芳『貨幣の中国古代史』 *1 によれば、本格的に貨幣統一に乗り出したのは二世…

秦代⑥:政策(6) 「焚書坑儒」の実像

今回は「焚書坑儒」の実像。 焚書坑儒という言葉を知っている人は多いと思う。学問や思想に対する弾圧の比喩として使われることもある。 この言葉のイメージはだいたい以下のようなものだろう。 中国、秦の始皇帝が行なった思想弾圧。紀元前213年、医薬・卜…

秦代⑤:政策(5) 度量衡・車軌・文字の統一

前回からの続き。 度量衡・軌道・文字の統一の意義 度量衡とは? 車軌 文字の統一 度量衡・軌道・文字の統一の意義 これらの統一は中央集権化の一環である。 戦国時代では各国で国政改革により中央集権化が進められたが、これを中国全土で展開したのが始皇帝…

秦代④:政策(4)黔首/安全保障政策/始皇帝陵と兵馬俑坑

また前回の続き。 民(庶人)の呼称を「黔首(けんしゅ)」とする 刀狩り 六国の首都の城郭の破壊 富豪の強制移住/上林苑・阿房宮・始皇帝陵/咸陽城の拡張 始皇帝陵と兵馬俑坑 民(庶人)の呼称を「黔首(けんしゅ)」とする 「黔」は黒、「首」は頭の意。…

秦代③:政策(3)郡県制(租税の話も含む)

前回に続いて今回も政策の話。 今回は郡県制について。 封建制と郡県制 「征服戦争の功臣にも封邑地を与えなかった」 郡や県には中央から官僚が派遣される 「県」の中身(租税の話) 「郡」は「軍」なり 全土を36郡に分割する 郡県制の採用への流れ 「郡」「…

秦代②:政策(2) 諡(おくりな)の廃止/「水徳」の採用:五行説について

前回に引き続いて秦代の政策について書く。「こんなものは政策ではない」とは思うが他に適当な言葉が思い浮かばないのでとりあえず「政策」としてみた。国家の根幹となる大事なことだ。 諡(おくりな・シ)の廃止 「水徳」の採用:五行説について おまけ:五…

秦代①:政策(1) 前置き/皇帝号の採用/他の用語変更

秦帝国が整備した統治体制は、後の中国の歴代王朝が継承した。ということは、始皇帝(を含めた秦帝国の為政者たち)が中国帝国史の基本を作ったということも出来る。 現在の中華人民共和国の国家主席は世襲ではないが、帝国の体制は継承しているようだ。現代…