歴史の世界

道家(25)荘子(逍遥遊篇 その2止 鵬の話)

前回からの続き。

今回は逍遥遊篇の冒頭の鵬(ほう・おおとり)の話。

大きな鳥、鵬

北の彼方、暗い海に魚がいる、その名を鯤(こん)と言う。鯤の大きさのほどは、何千里(一里は約400メートル)あるのか計り知ることができない。やがて変身して鳥となり、その名を鵬(ほう・おおとり)と言う。鵬の背平(せびら)は、何千里とも計り知ることができないほどだ。一度奮い立って飛び上がると、広げた翼は天空深く垂れこめた雲のよう。この鶏が、海のうねり初(そ)める頃、南の彼方、暗い海に渡っていこうとする。南の暗い海とは、天の果の池である。

出典:池田知久/荘子 全現代語訳 上/講談社学術文庫/2017(この本は『荘子 全訳注』(上)(2014)から読み下し・注釈を割愛し再構成したもの)/p52-53

西野広祥氏によれば、この出だしは大変有名であるようで、「鵬図(ほうと・大きな計画)」「鵬程(遠い道筋)」「鵬鯤(英雄のたとえ)」などの成語もここから生まれ、相撲の大鵬もここから取ったとのこと。 *1 2019年現在の横綱白鵬という四股名大鵬にちなんでつけられたそうだ。

新釈 荘子 (PHP文庫)

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(私が参考にしたのは文庫本ではなく、単行本の方。)

鵬から「遊」の話へ移行

少し省略して次は、殷の湯王に棘(きょく)という臣下が話した話から再開する。

「荒遠な不毛地帯の北に、暗黒の海がありまして、それは天の果ての池であります。そこに魚がおり、横幅は数千里ありますが、身の丈については誰ひとり知る者がおりません。名を鯤と申します。鳥もおり、名を鵬と申します。鵬の背平は、あたかも泰山(斉の名山、高さ1524メートル)のよう、広げた翼は天空深く垂れこめた雲のよう。この鳥は、つむじ風を羽ばたき起こし、旋回しながら九万里の高みに舞い上がり、雲気の上に越え出て、青空を背にいたします。そうして始めて南を目指し、その彼方の暗い海に渡っていこうとするのであります。斥鴳(うずら)がこれを嘲笑(あざわら)って、『彼は一体、どこまで行くつもりなのだろう。俺などは踊り上がって飛び立っても、せいぜい数仞(じん)(約七、八メートル)の高さを限度に降りてきて、蓬(よもぎ)木立の間を飛び回る。これでもう飛翔としては十分なのだ。それなのに、彼は一体、どこまで行くつもりなのだろう。』と言ったのでありました。」これが小物と大物の違いである。

こういうわけで、あの方々 ── 一つの官職に任ぜられて功績を挙げるに足る知を持つ人たち、一つの郷村を治めるのに適(ふさ)わしい人たち、一国の君主の思し召しに適(かな)い、臣下として召し出されるだけの徳のある人たち ── が、満足しきって自己を視上げるありさまは、この斥鴳(うずら)と違わない。(p54-55)

上では官吏や臣下を「この斥鴳(うずら)と違わない」と言っているが、逍遥遊篇の中の藐姑射(はこや)の山に住む神人の話では傑物とされる堯・舜ですら「神人からすれば、堯、舜くらいの人間なら、ゴミを練って作り出してしまうだろう」(西野氏/p36) *2 と書いてあるくらいなので、『荘子』の観点からすれば、堯・舜もまた斥鴳つまり小物に過ぎないとの評価のようだ。

さて、このパートでは雄大な鵬の飛翔の話から「遊」の話へ移行している。

この後は、「遊」の話になる。

真の「遊」に向かう段階的な説明

上の引用では鵬(おおとり)の話から「官吏や臣下は小物だ」という話にシフトしていて、下の引用は「小物」からの話が続く。

ところが、宋栄子(戦国時代の思想家)はゆるりと構えてこれを笑う。また、彼は世間がこぞって誉めてくれようと、別に気負い立ちはしないし、こぞって貶(けな)してくれようと、別にやる気を失いはしない。内なる自己と外なる世間との区別を確立し、名誉と恥辱との境界を辨別(べんべつ)しているからに他ならない。世間の評価に対して、彼はさばさばとしたものだ。しかしながら、まだ自己確立していない欠陥がある。

あの列子春秋時代の鄭の思想家)は風を操って虚空(こくう)を飛行し、さわやかにも巧みなもの、15日経ってやっと戻ってくる。彼は世間の評価に対しては言わずもがな、幸せを掴むということに関しても、さばさばとしたものである。この人は、足で歩く煩わしさから開放されてはいるけれども、まだ何かに依存して生きている者である。

世界全体である天地の真正(まこと)の姿に乗り、その森羅万象を六種の気の変化において操って、時空を越えた無限の宇宙に遊ぶ、という者になると、彼は一体何に依存するであろうか。そこで「至人(道に到達した人)には自己が無く、神人(霊妙な能力の人)には功績が無く、聖人(最高の境地の人)には名誉が無い。」と言うのである。

出典:池田氏/p55-56

池田氏によれば、鵬の話は上の文章までで終わり第一章としている。

鵬の話で『荘子』は何が言いたかったのか?

池田氏の章分けが通説(?)であるのかどうかは分からないが、この章分けに従って話を進める。

この第一章についてはp10-11に解説がある。これを私なりに解釈してみる。

鵬は何を指すか?

社会という狭い空間・時間に束縛された人間に対して、途方もなく大きな鵬とその飛翔は空間・時間に束縛されない大きさ、つまり「遊」を表している。「遊」は束縛されない自由・自立のこと。

真の「遊」に向かう段階的な説明

ただし、『荘子』の求める真の「遊」(自由・自立)は、鵬では表しきれない。何故なら鵬は途方もなく大きいとは言え、その大きさは有限だからだ。

第一章の後半で、真の「遊」に向かう段階的な説明が為されている。

つまり、
(現在の地位に満足している)臣下・官僚
→(世俗を越えてはいるが、まだ自己確立していない)宋栄子
→(飛翔することができるが、まだ何かに依存している)列子
→(人を含むいかなる万物にも依存しない主体性を確立して、真の自由・自立を獲得している)至人・神人・聖人。

鵬の一段階上に真の自由・自立を獲得した至人・神人・聖人。つまりは鵬は列子と同じ位置にいる。

真の「遊」とは「道」と一体になるということ

至人・神人・聖人は何ものにも束縛されることがないばかりか「六気の辯」 *3 つまり万物の存在・変化をもコントロールする能力を有する。

これは道家の思想の中核にある「道」と一体になったことを意味する。

至人・神人・聖人

章末の「至人は己無く、神人は功無く、聖人は名無し。」は、本書編纂時の加筆であろうけれども、以下これに沿って、「名無き」聖人の許由を描いた第二章、「功無き」藐姑射(はこや)山の神人を描いた第三章を配し、終わりに最も優れた「己無き」至人の荘子を描いた第四・五章を置いて結びとする。

出典:池田氏/p65

池田氏の章分けによれば、逍遥遊篇は5章に分けられる。

この第四章と第五章は『荘子』を代表するキーワード「無用の用」に関する寓話で有名だそうだ。

池田氏は「無用の用」を語る荘子(荘周)は、「道」を極めた至人だと言っているわけだ。



*1:西野広祥/無為自然の哲学 新釈「荘子」/PHP研究所/1992/p25

*2:原文は《是其塵垢秕糠,將猶陶鑄堯舜者也》

*3:六気(りっき、りくき、ろっき) ── 「天地間に存在する六つの気。陰・陽・風・雨・晦(かい)・明。また、寒・暑・燥・湿・風・火。」小学館デジタル大辞泉/六気(リクキ)とは - コトバンク

道家(24)荘子(逍遥遊篇 その1)

荘子』全33篇は逍遥遊篇から始まる。

この逍遥遊篇は次篇の斉物論篇と合わせて『荘子』の真髄とのこと。

この記事では、逍遥遊篇を扱う。

ただし一つの記事に書ききれなかったので、何回かに分けて書く。

テキストは池田知久『荘子 全現代語訳 上』 *1

荘子 全現代語訳(上) (講談社学術文庫)

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  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2017/05/12
  • メディア: 文庫

重要なキーワード「遊」

逍遥遊の「逍遥」は「気ままにあちこちを歩き回ること。散歩。」 *2 でいいとして、問題は「遊」。これは重要なキーワードらしく、国語辞典だけに頼るだけで済ますわけにはいかないようだ。

「遊」の基本的な意味は、世間的な知識と言葉の描く世界「万物」から出て、人間としての自由・独立を可能にするあの「道」に向かって進んでいくための根源的な飛翔である[以下略] (p7)

ここに、「遊」の代表的な意味を挙げてみると、以下の四点にまとめることができようか。すなわち、「遊」とは、

  1. あそぶこと、ひいては何らかの目的意識に導かれることのない行為である。
  2. 世間的な人間社会から外に出ていき、その狭小な視座を超越することである。
  3. 作為的人為的なものを捨て去って、自然に従って伸びやかに生きることである。
  4. 「万物」の一つである人間が、「万物」の世界から越え出て根源の「道」へと高まっていくことである。

以上は、やや軽少な意味から始めて重大な意味に至る代表的な意味を列挙したのであるが、どの場合にも思想家たちの自由・自立に対する強いあこがれが表現されていることに、我々は刮目すべきであろう。そして、本篇逍遥遊篇には、以上の四点が全て顔を現している。(p51-52)

「遊」の思想は、斉同なる万物への沈潜から転じ始めた斉物論篇第三章の齧欠・王倪問答(紀元前三世紀初めの成立)あたりに萌芽し、やがて「無用の用」・養生思想などととも結びついて道家の中心思想の一つとなっていった。(p65)

出典:池田知久/荘子 全現代語訳 上/講談社学術文庫/2017(この本は『荘子 全訳注』(上)(2014)から読み下し・注釈を割愛し再構成したもの)/抜粋

以上、池田氏の本から「遊」の言及箇所の抜粋。その一方で「逍遥」については触れられていない。

ということで「遊」の概念がそのまま逍遥遊篇の概念に直結するということになる。

逍遥遊篇の哲学

さて、それでは逍遥遊篇はどのような事が書いてあるのか?

逍遥遊篇が最終的に求めている真の「大き」さと、斉物論篇にとっての最大の関心事とは、実はほぼ同じものであった。逍遥遊篇第一章は、その末尾に次のようなアフォリズム*、「故に曰わく、『至人は己(おのれ)無く、神人は功無く、聖人は名無し。』」を書きこんで終わっているが、我々読者もよく耳をすませてここに斉物論篇と同じような重厚な響きが鳴っているのを聞き取りたいものだ。

このように『荘子』の文章の「重厚」と「軽妙」は、上に引いた斉物論篇の「朝三莫(暮)四」の寓話をも含めて、同一の個所において相互に交錯しあって現れる。その原因・理由は、重厚の根源である自己の内に向かって沈潜していく下方向と、軽妙の源である自己の外に向かって飛翔いていく上方向が、結局のところ、全く同一のポイントに向かって進んでいる、言い換えれば、同じ窮極的根源的な「道」を目指している、ことから来るように思われる。

荘子』の魅力の秘密は、人間としての真の生を定立するという目標に到達するために、さまざまの方向から「道」を探求していることそれ自体の中にある、と言うことができるかもしれない。

*物事の真実を簡潔に鋭く表現した語句。警句。金言。箴言(しんげん)。──引用者 *3

出典:池田氏/p11-12

斉物論篇が理論的だとすると、逍遥遊篇は実践的だと言えるかもしれない。つまり、真の生を獲得(人間としての自由・独立、「道」の獲得)するための(または獲得した後の)心構えや態度が書かれているようだ。ただし直接書かれているのではなくて、寓話などを通して書かれている。

(つづく)



*1:池田知久/荘子 全現代語訳 上/講談社学術文庫/2017(この本は『荘子 全訳注』(上)(2014)から読み下し・注釈を割愛し再構成したもの)

*2:小学館デジタル大辞泉逍遥(ショウヨウ)とは - コトバンク

*3:小学館デジタル大辞泉アフォリズムとは - コトバンク

道家(23)荘子(斉物論篇 その3止)

前回からの続き。

さて、前回は『荘子』を代表するキーワードの万物斉同道家を代表する「道」について書いた。

今回は斉物論篇の締めくくりとして「人間が主体的に生きる」ことについて書く。

人間が主体的に生きるためには、池田知久氏の前回の引用にあるように、「道」を体得する必要がある。

ここでは、「道を体得するとどうなるか」と「道を体得するにはどうすべきか」を書く。最初に言っておくと「道を体得するにはどうすべきか」については結局具体的な方法は書いていない。それでも一応書いておく。

「道」を体得するとどうなるか

荘子』における「道」の体得者は「真人」と書かれているが、「聖人」と書かれる場合もある。

「真人」がどのような人かは記事 《道家(20)荘子(『荘子』と『老子』と「道」)#「道」の体得者についての比較》 に書いた。

簡単に言えば、真人は「道」と一体となって どのようなことがあっても動揺しない、となる。この様相は斉物論篇以外のところに書いてあるものだ。

ここでは斉物論篇にあるものを書いていこう。

自他の区別を失うことにより個別存在でなくなること、それが「道枢」*である。「道」を体得した者は、扉が枢(とぼそ)を中心として無限に回転するように、無窮に変化しつつ無窮の変化に対応してゆくことができるのだ。この「道枢」の境地においてこそ、是と非の対立は超克される。「明」によるとは、このことである。

*〈道枢〉「枢」は扉の軸。道枢とは、「道」の要諦の意。

出典:岸陽子/中国の思想 荘子/徳間文庫/2007(原著は1996年に刊行)/p90

原文は《彼是莫得其偶,謂之道樞。樞始得其環中,以應无窮。是亦一无窮,非亦一无窮也。故曰莫若以明。》

「自他の区別を失うことにより個別存在でなくなること」は万物斉同のこと。これを「道枢」と表現している。そして「道枢」は「道」の要諦。「道枢」の境地に立つことは「道」と一体となることを意味する。

「道」と一体となれば、あらゆる変化・混沌の中にあっても動揺しないでいることができる、ということ。

「明」とは 「明らかにする」の意味で、ここでは「日常で行われている価値判断(区別)に捕らわれずに、ありのままの真実を知ることができる」くらいの意味になるだろう。そして「道」と一体となれば「明」もできる。

この万物斉同の理を体得した者は、あれかこれかと選択する立場をとらず、事物を「庸──自然の姿」のままにまかせる。「庸」は「用」に通する。事物は自然のままであるとき、自在なはたらきを示す。「用」はさらに「通」に通ずる。自然なはたらきには、無理がない。「通」はまた「得」に通ずる*。無理なくはたらいてこそ、事物は存在としての意義を獲得できる。自得して、いっさいの存在をあるがままに肯定する境地に至ったとき、われわれの認識は万有の実相に近づいたといえるのである。そして、自然にまかせようという意識さえない状態が、「道」との一体化にほかならない。

*〈「庸」は「用」に……「通」はまた「得」に通ずる〉 庸、用、通、得四字の上古音は非常に近く、意味の上でも関連が深い。

出典:岸氏/p94

原文は《為是不用而寓諸庸。庸也者,用也;用也者,通也;通也者,得也;適得而幾矣。因是已,已而不知其然,謂之道。》

《この万物斉同の理を体得した者》は「道」を体得した者。彼は「庸」、「用」、「通」、「得」を獲得して、《われわれの認識は万有の実相に近づいたといえる》。これは「明」を獲得したと同じ意味だ。

つまり言っていることは一つ上の引用と変わらない。

さて、「庸」、「用」、「通」、「得」についての文章の後に、「明」に関連する文章が来る。これが有名な「朝三暮四」の故事だ。

むやみに物事のちがいをはっきりさせようとするあまり、全体がおなじことを知らないことは、いうなれば「朝三暮四」である。どういうことかというと、むかし、猿をたくさん飼っていた人がある日、倹約のために猿たちに言った。
「これからは、朝のどんぐりを三つ、夜は四つ、ということにする」
猿たちは不平の声をあげた。
「そうか。では朝のどんぐりを四つ、夜は三つということではどうかな」
すると、猿たちは納得して歓声をあげた。
全体としてまったく変わらないのに、最初は怒り、つぎに喜んだのはなぜか。朝という一つのことにこだわったからにほかならない。
したがって、聖人は、なにごとでも、一つのこと、一つの面だけにとらわれず、つねに全体をありのままに見ようとする。こういう姿勢を「両行」という。

出典:西野広祥/無為自然の哲学 新釈「荘子」/PHP研究所/1992/p61

原文は《勞神明為一而不知其同也,謂之朝三。何謂朝三?狙公賦芧,曰:「朝三而暮四,」衆狙皆怒。曰:「然則朝四而暮三,」衆狙皆悅。名實未虧而喜怒為用,亦因是也。是以聖人和之以是非而休乎天鈞,是之謂兩行。》

荘子」の万物斉同の考えでは「物事のちがいをはっきりさせようとする」ことは否定される。

たとえば私は『荘子』を知るために『老子』との違いをはっきりさせようと色々と調べたが、『荘子』の観点からすれば、そういうことをせずに、あるがままをあるがままの状態で受け入れて認識しなければ真の実態は掴めない、という。これが「明」という意味だ。

道を体得するにはどうすべきか

上古の人は、知がある究境に到達していた。その到達していた境地とは、物は存在しないと考える境地である。それは究境に達しており、あらん限りをつくいていて、最早(もはや)何も追加することのできない、最高ランクの知である。

次のランクは、物は存在するけれども、根源において、封(彼(あれ)と是(これ)の区別)は存在しないと考える知である。

さらに次のランクは、物は存在するけれども、根源において、是非(価値の区別)は存在しないと考える知である。

一層下って、是非の価値が姿を彰(あきら)かに現すと、それは道が虧(そこ)なわれる原因となった。これは最早知と認めることのできないものである。

最後に、この道が虧なわれる是非がそのまま原因となって、自己の小成や栄華への愛好などの感情が形成されたのである。そして、今まで進めてきた思索とは、最後の感情判断の批判から出発して、最高ランクの知に向かっていく、段階的な前進のプロセスであった。

出典:池田知久/荘子 全現代語訳 上/講談社学術文庫/2017(この本は『荘子 全訳注』(上)(2014)から読み下し・注釈を割愛し再構成したもの)/p79-80

原文は《古之人,其知有所至矣。……道之所以虧,愛之所以成。》

最後の文《そして、今まで進めてきた思索とは、最後の感情判断の批判から出発して、最高ランクの知に向かっていく、段階的な前進のプロセスであった。》は訳者の付け足し。

池田氏の解釈では、道を「体得するにはどうすべきか」という問いには上の引用を遡っていく、つまり事物の執着を捨て、是非の価値判断を否定・排除し、「万物斉同」または「無」の境地に達することだという。



「木を見て森を見ず」という言葉がある。

むかし読んだ本に駅員の指差し確認を批判するような論が載っていた。この行為は一点を見て全体を見ない「木を見て森を見ず」の状態だというのだ。

ではどうすればいいのかというと、その著者曰く、《全体をボーッと眺めるように見ていれば全体の中の小さな変化にも気づくことができる》とのことだった。私はこれを読んだ時はその通りだと思って実践したが、この境地に達することはできなかった。


道家(22)荘子(斉物論篇 その2)

前回からの続き。

荘子』の作者、荘周にとって最大の関心事は、……「我(わたし)」という人間の主体性に関する問題を解くことであった。

そして、《人間が主体性を持つためには、万物の支配者(真の主宰者、世界の主宰者)である「道」を体得することである》。

ここまでは前回までに書いたこと。

この記事では、真の主宰者=「道」と『荘子』を代表するキーワード「万物斉同」について書く。

真の主宰者「道」

以上の前置きの後、作者は方向を転換し、世界の主宰者をいわゆる「道」の中に求めて、次々に重厚な思索を展開していくのであるが、究極的な目標が人間としての真の生を定立すること、すなわち人間が自己疎外を克服して世界の主宰者となることに置かれている点は、我々読者もまた重厚に受けとめなければならない。(p6)

では『荘子』のいう「道」とはどういうものなのか?

ここでは西野広祥氏の訳を引用する。

しかし、一般には可とか不可のちがいがうるさい。可を可といい、不可を不可といわなければ気がすまないかのようだ。

「道」はもともとあったものではなく、何人かの人々の行為が「なにか」にかなっていて、その「なにか」が「道」と呼ばれるようになったのである。これとおなじように、何人かのひとが「然り」とか「可」とか言ったものが、しだいに「然り」とか「可」などの概念になったのである。

しかし「然り」とか「可」とか言われるものは、もともと同時にすべて「然らず」「不可」でもあるのである。

したがって、ワラの茎と太い柱、ハンセン病患者と西施(美人の代表とされる)は、いずれもまったく対照的で大きな相違であるが、「道」という観点からすれば、おなじなのである。

破壊することと建設することについてもおなじことがいえる。破壊することは建設することに通じるのであり、建設することは破壊することに通じるのである。

このように、万物はたがいにちがうようでいておなじものだ。

出典:西野広祥/無為自然の哲学 新釈「荘子」/PHP研究所/1992/p58-60 *1

荘子』によれば、可も不可も、人・物の優劣も「道」の観点からすれば同じだ。

これが、「万物斉同」の考えの一部だ。

万物斉同と「道」

さて、池田氏の解説に戻る。

以下の引用は万物斉同の全貌を簡潔に説明すると共に、万物斉同と「道」の関係まで説明している。

作者[荘周のこと──引用者]は世界の主宰者を求めて、哲学史の上に現われて既存の「道」とそれに関する「知」「言」とを次々に批判的に検討していく。探求の過程は以下のとおり。

まず第一に、「愛」や「喜怒」などといった感情的判断を、真の「道」を覆い隠す役割しか果たしていないが故に論外であると言って否定・排除(潑無)する。

次に第二に、あれ「彼」とこれ「是」の間に好い「可」と悪い「不可」の区別を認める価値的判断をも、誤りであると考えて否定・排除する。

されに第三に、あれとこれが事実の上で異なると認める事実的判断をも、「偽り」であると見なして否定・排除する。その結果生じた世界が「万物斉同」であり、この段階の「知」を作者は「天地は一指なんり、万物は一馬なり。」と表現している。

しかし第四に、「万物」が「斉同」であるためには、それが「有」であることは許されず「無」でなければならないとして、ついに存在の判断を否定・排除し、世界の真の姿を「斉同」なる「無」すなわち「一つ」の(混沌たる)非存在と認めるに至る。このことが可能になるのは「我」(わたし)の完全な「無知」「無言」によってであり、この時「我」は世界と「一つ」になっているが、このようにして定立された「斉同」なる「無」こそが「道」と呼ばれるものであった。そしてまた作者は、このようにして世界そのものとなった「我」のあり方は、自己疎外を克服して世界の主宰者となった、人間の最も主体的な生き方でもあると考えるのである。

出典:池田知久/荘子 全現代語訳 上/講談社学術文庫/2017(この本は『荘子 全訳注』(上)(2014)から読み下し・注釈を割愛し再構成したもの)/p6-7

「道」の観点からすれば、人・物の優劣や出来不出来は無きに等しい(斉しい)。これは「人間は神の前では皆平等」という唯一神宗教と同じ考えだが、『荘子』の「道」は もう一段深化して、「馬と鹿」「サルとヒト」の区別さえ否定・排除する。

そういうわけで、「道」の観点からすれば、万物はみな斉(ひと)しい、すなわち「天地は一指なんり、万物は一馬なり」(天も地も一本の指と同じものである、万物は一頭の馬とおなじものである)という考えに到達する。そしてこれが「万物斉同」だ。

さて、最後に『荘子』の「道」の話に入る。

上の引用を私なりに解釈すると、《万物斉同で、個々の区別すら否定・排除された『荘子』が描く世界は「一つ」あるいは「無」であり、その「無」こそが「道」である》。

ここで「一つ」と「無」の関係がわかりにくいので、『荘子』の現代語訳を引用しておく。

天地はわれとともに一つであり、万物はわれとともに一つであるという「道」を体得した者の見地からすれば、比較の対象は存在せず、したがって、大とか小とか、長とか短とかの観念はいっさいないのである。

すべては一つなのである。しかし、すべては一つとすれば、すでに一つという観念がうまれているだろうか。すでに一つという観念が生まれていれば、2つという観念もあるはずである。そして一つと2つがあれば、三つという観念もあるはずであり、さらに、その先となると、凡庸な人間はおろか、算術の名手でさえ数えきれないことになる。

となると、「無」の段階から「有」の段階を考えただけで、すでに少なくとも三つの段階を考えていることになる。

したがって「無」の段階も「有」の段階も考えるべきではない。ひたすらそうした観念とは無縁の「道」の世界にたちかえらなければならない。

出典:西野氏/p67

万物斉同」つまり万物は斉しいという立場からすれば、世界には「有」と「無」の区別の存在しない。よって世界は「一つ」であり「無」であり(「有」は無い)、ということになる。

そして、一つ前の池田氏の引用にあるように、《「斉同」なる「無」こそが「道」と呼ばれるものであった》。

  *  *  *

さて、『荘子』の「道」は『老子』のそれとは随分と違うようだ。『老子』の「道」は慣習・秩序・伝統などと読み代えられることが多かったが、『荘子』の「道」は慣習の中の価値判断を否定・排除してしまっている。人間がこれまで蓄積してきた「知」「言」(知識と言葉)は全て否定・排除されている。

(つづく)



*1:可乎可,不可乎不可……凡物无成與毀,復通為一

道家(21)荘子(斉物論篇 その1)

荘子』全33篇は逍遥遊篇から始まり、その次に斉物論篇が来る。

逍遥遊篇と斉物論篇は荘子の思想の真髄とされる *1

この記事では、斉物論篇を扱う。

ただし一つの記事に書ききれなかったので、何回かに分けて書く。

「斉物論」は「斉物」の論(意見)のこと。「斉」は斉(ひと)しい、「物」は万物(人間を含むあらゆる物)を指す。

「斉物」とは「万物斉同」と同じ意味で、簡単に言えば「万物は道の観点からみれば等価であるという思想である」 *2

ただし、「万物斉同」を説明する時、上の説明では十分ではない。「万物斉同」については次回に書く。

第一章が中核中の中核

斉物論篇は6つの章に分かれている。

池田知久氏によれば、本篇の第一章が最重要の文章である。

本篇の第一章は、中国古代における道家の思想の歴史的展開の開幕を告げる、モニュメンタルな問答である。この問答は、『荘子』を始めとする道家の諸文献の中で、いやそれどころか中国古代の文献の中で、最も難解な思想の表現である。本篇本章の思想内容を理解することができたならば、『荘子」の諸思想、さらには道家の諸思想は、その過半を理解できたと言っても言い過ぎではないほどである。

「道」は、中国古代の道家にとって最重要のものである。その「道」が「一」であり、また結局は「無」であり、人間の知恵によっては決して捉えられない何ものかであるという、この学派にとっての根本テーゼは、ここに始めて定立されたわけであるが、これを継承した後代の諸文章とは異なって、ここには右のテーゼの内容や成立の根拠が、一切の手練(てだ)れた既存の予備知識なしに、極めて明瞭に論じられている点が注目される。

これを直接の起源として、道家の諸思想は、以後多方面に展開していく。──例えば、根源の実在「道」を中心にすえた形而上学存在論、「一」の「無」から「多」の「有」の形成をノベル宇宙生成論、「万物」の法則・質量因としての「気」を論ずる自然論、太初の「混沌」からの人間の知恵による堕落を説く退歩史観、アナキスティックな「至徳の世」に戻ろうと訴えるユートピア思想、等々。このような意味において、本篇は、まことに実り豊かな起源だったのである。

出典:池田知久/荘子 全現代語訳 上/講談社学術文庫/2017(この本は『荘子 全訳注』(上)(2014)から読み下し・注釈を割愛し再構成したもの)/p66

斉物論の哲学

斉物論篇については上の池田氏の本の冒頭の「始めに」で簡単に説明されているので、これに従って書いていこう。

ここで、逍遥遊篇と並んで、『荘子』の最も重要な思想の一つを表現している、斉物論篇の内容を第一章に即して簡単に紹介しておこう。

作者、荘周にとって最大の関心事は、……「我(わたし)」という人間の主体性に関する問題を解くことであった。作者によれば、あらゆる存在者の中で最も主体的であるはずの人間が実はそうでなく、逆にひどく没主体的で疎外された存在者である。

出典:池田氏/p4

この第一章の要旨は《人間が主体性を持つためには、万物の支配者(真の主宰者、世界の主宰者)である「道」を体得することである》。

「主体性」「主体的」とは「自分の意志・判断によって、みずから責任をもって行動する」さまを指す *3

この言葉は「自主性」「自主的」と比較される。「自主的」が あらかじめ決まっていることを率先して行動することを「自主的に行動する」という。

対して、何も決まっていない状況の中で為すべき行動を自分で考えて行動することを「主体的に行動する」という。

もうひとつ、「疎外(または自己疎外)」とは《人間の個性や人格が社会関係の中に埋没して主体性を失ってしまう結果、他人や他の事柄に対してだけでなく、自分自身に対してさえも疎遠な感じにとらわれてしまう状態。》 *4

さて、『荘子』の斉物論の話に戻る。

主体性の無い人間

人間が主体性を持っているかのように見える理由は、人間が知識「知」と言葉「言」を持っていることにある[以下略](p4)

それに対する『荘子』の答えは以下の通り。

実際は逆で、人間は知識「知」と言葉「言」を持ったが故に日々論争に明け暮れ、寝ている時でさえ夢の中であれこれと考えてしまって *5 休む暇がない。そして行き着くところは恐怖だ(論争に負けて立ち直れなくなる未来への恐怖?) *6

人間の一生というものは、日々を論争に費やして体をすり減らし、晩秋の枯れた草木のように衰えて精神が老いさらばえたら、もはや元に戻ることはない *7

論者によっては、人間の身体または精神の中に「真宰」(真の主宰者、つまり主体性の意)が存在すると主張するが、そんなものはデタラメもいいところだ *8

これが『荘子』の描く人間の一生だ。なんと悲しいことか(不亦悲乎)。

(つづく)



*1:浅野裕一/雑学図解 諸子百家/ナツメ社/2007/p183

*2:万物斉同 - Wikipedia

*3:主体性(しゅたいせい)の意味や使い方 Weblio辞書

*4:精選版 日本国語大辞典自己疎外(じこそがい)とは - コトバンク

*5:其寐也魂交、其覚也形開、与接為構、日以心闘。

*6:小恐惴惴,大恐縵縵

*7:其發若機栝……莫使復陽也

*8:非彼无我……吾獨且柰何哉

道家(20)荘子(『荘子』と『老子』と「道」)

今回は『老子』と比較することで『荘子』の理解のきっかけを掴もうという趣旨で書いてみた。

荘子老子の関係

荘子老子道家の代表格で、「老荘思想」という言葉で道家の思想を表現されることが多い。

荘子老子の思想の継承者のような書き方がされることがあるが、それは違うようだ。

荘子老子の関係については、列伝[『史記老子韓非列伝 -- 引用者]は「其の要は老子の言に本(ほん)帰す」「老子の術(みち)を明らかにす」、すなわち荘子を祖述した[先人の説を受け継いで述べた *1] と述べていた。しかしながら、この女筒の底辺に流れる司馬遷の、「老子を開祖とし源を発した道家という思想上の一学派」という考えは、前漢武帝期になって始めて道家の諸思想を整理するために生み出された全く新しいアイデアなのである。

出典:池田知久/荘子 全現代語訳 上/講談社学術文庫/2017(この本は『荘子 全訳注』(上)(2014)から読み下し・注釈を割愛し再構成したもの)/p17-18

前漢初に黄老思想が流行ったがこれは老子または道家の思想を意味する。これを老荘思想と言わないのは上の説明のとおりだ。

そして、老荘という言葉が盛んに使われるようになるのは魏晋時代になってからのことだ *2

要するに、荘子老子の学統の継ぐ人ではなく、全く別個に「道」の思想を探求した人だった。

荘子』と『老子』と「道」

老子荘子は共に「道」を探求する道家だが、その根底の「道」の定義に大きな違いがある。

まず『老子』であるが、こう主張する。

「道」があることによって、万物が生み出された。「道」はそれほど大きな働きをしながら、いささかも自分を主張しないし、自分の功績を鼻にかけることもない。そのあり方たるや、無為、無欲、柔軟、謙虚、控えめなど、すばらしい徳を幾つも体現している。わたしども人間も、こういう「道」のありようを自分のものとすることができるなら、厳しい現実をしなやかに生きていくことができるのだという。

いわば『老子』は、「道」を発見することによって弱者の立場に居直り、そこから現実を生きるしたたかな英知を引き出しているのである。

これに対し、『荘子』はこう主張する。

「道」は人知の及ばない広大無辺な存在である。そういう大きな観点に立てば、善だ悪だ、是だ非だと騒ぎまわっても、本質的な違いがあるわけではない。ところが世間の人々は、世俗の価値観にわざわいされて、つまらぬことにこだわり、あくせくと生きている。せっかくの人生ではないか。そんな世俗の価値観にとらわれないで、もと伸びやかに、自由に生きようではないか、というのである。

こちらのほうは、超越の思想と言ってよいかもしれない。

出典:守屋洋/「荘子」の人間学/プレジデント社/1996/p12-13

人間からすればアリの価値観などはつまらないどうでもいいと思う。それとおなじように、「道」の観点から見れば人間の価値観などつまらない、どうでもいいことでしかない、と荘子は主張した。これが『荘子』の重要なキーワードの一つ、「万物斉同(ばんぶつさいどう)」である。

さて、『史記』の列伝に、荘子が楚の威王の招聘を断ったエピソードが書かれている。これが事実かどうかは分からないが、後世の人々が「荘子ならそのようにするだろう」と思わせるものが荘子の思想にはあるのだろう。

老子』が為政者に対する教訓のようなことを書いてあるのに対して、『荘子』は政治への関心は薄いようだ。

老子荘子道家の根本原理というべき「道」の解釈からして違っているので、目指すべき方向が違うのも当然だろう。

「道」の体得者についての比較

老子』における「道」の体得者、つまり『老子』の理想の人間像は「無為の政治」を行える為政者だ(『老子』は本来は為政者のための指南書)。体得者を「聖人」と呼ぶ。

「聖人」は自らは作為を行わず、万物の支配者である「道」の働きを利用して政治をする。

対して『荘子』の方では「真人」または「至人」と呼ぶ。

「真人」については諸橋轍次荘子物語』 *3 の「真人の姿」の章に詳しく書かれているが *4、 ここでは「真人」の人間像を幾つか書き出してみる。

[真人は]『徳全くして神(しん)欠けず』、心に邪念なく純粋の気が中に満ちておる。だからそのひとは、生まれるときも死ぬときも自然のまま、生まれたからといって喜ぶこともなく、死んだからといって悲しむ状態もない。

また『感じてしかる後に応じ、迫りてしかる後に動く』、積極的なことは少しもやらず、『その生は浮かぶがごとく、その死は休(いこ)うがごとし』、生きておる間は彼にただようておる水の泡のように、死んだときはただ休んだ人間のように、その間に何ら心を用いることもない。

出典:諸橋轍次荘子物語/講談社文庫/1988/p200-201

上は『荘子』刻意篇(外篇)に依る。

荘子は『人を以て天を助けず』ともいっています。天の自然の運行のままにして、そこに人為を用いてはならぬという意味であります。そしてそれのできた人を『是を之(こ)れ真人と謂う』と述べておりますから、荘子の所謂(いわゆる)真人というものが、自然そのままの姿の人を指していることがわかるのであります。(p204)

上は徳充府(大宗師篇)篇(内篇 )に依る。

[真人は]春夏秋冬の移り変りと自分の心がいつでも一緒になっておる。そこで荘子はまた真人の姿を述べて、『凄然(せいぜん)として秋に似たり、煖然(だんぜん)として春に似たり』とも述べております。秋になってさびしくなってくれば、その人の気持もやはり、凄然としてさびしい形になってくる。春になって暖かになってくれば、その人の気持もまた、煖然として春のようになってくる。であるから、その人の喜ぶことも怒ることも、悲しむことも楽しむことも、すべては自然の移り変りと通じてくる。こういう者をもって荘子は真人と考えておるのであります。(p204)

上も徳充府(大宗師篇)篇(内篇 )に依る。

さて、上に書いてある自然の変化や季節の移り変わりなどは「道」のことを表している。結局のところ、『荘子』は「道」と完全に心を同調させることができる者を「真人」と呼ぶ。

「真人」になったら、どのような事態が起ころうとも動揺することがなくなる。

そして心の奥底に徳を湛えるようになり、その人がたとえ醜男であろうとも、人々は彼に心惹かれて離れがたくなり、女は妾でもいいから生涯を共にしたいと思うようになる *5

最後に『老子』との比較に話を戻すと、『荘子』における「道」の体得者は、ただただ「道」と同調することで達することができるが、『老子』の体得者とは違って「道」を利用しようとはしない。

為政者になることに無関心な荘子にとって「道」を利用して何かをしようなどとは考える必要の無いことなのかもしれない。

荘子物語 (講談社学術文庫)

荘子物語 (講談社学術文庫)

朴訥な『老子』、饒舌な『荘子

老子』と『荘子』には、表現の上でも大きな違いがある。

老子』のほうは、いたって寡黙である。固有名詞の類いは一つもなく、全篇これ箴言集といったおもむきで、ポツン、ポツンと独り言のような言葉が並んでいる。[中略]

これに対し、『荘子』はすこぶる饒舌である。『老子』が全部で五千余字と短いのに対し、今に伝わる『荘子』は六万余字と長い。しかも、虚実とりまぜた寓話の類いをふんだんにつかって自説を補強している。[中略] 相手の意表をつくような話を持ち出して煙に巻いたり、押したり引いたりしながら、これどもか、これでもかとたたみかけてくる。その伸びやかで奔放な語り口は、思想というよりも文学に近い。

そんなところにも『荘子』の大きな魅力があると言ってよい。

出典:守屋氏/p13-14

私からすれば、『老子』は説明が短すぎて理解し難いが『荘子』は冗文が過ぎて理解し難い。

道家(19)荘子(著者と成立時期)

これから複数回に亘って『荘子』について書いていく。

このブログでは著書の『荘子』を二重括弧で表記し、著者を荘子と括弧なしで表記する。

荘子(そうじ)とは - コトバンク》によれば、著書『荘子』は「そうじ」と呼んで著者の荘子を「そうし」と呼ぶことになっているらしい。理由は「曾子」と区別するためらしいがよく分からない。どうでもいいことのようなのでこのことにはもう触れない。

著者の荘子

老子についてはその実在性を疑う学者は少なくないようだが、荘子は実在したとされているようだ。

荘子、名は周。生没年代は明らかではないが、『史記』の老子・韓非列伝(老荘申韓列伝とも)には、「魏の恵王(在位、西暦前370~前319年)、斉の宣王(在位、前319~前301年)と同時代の人である」と記録されている。

現代の学者、馬叙倫は、荘子の生存を前369~前286年と推定している。ほかにも、多くの研究者によって、『荘子』にでてくる歴史上の実在人物や戦国時代の文献による考証がなされているが、いずれも馬叙倫の説と大差ない。荘子が生きたのは、だいたい前4世紀の後半というのが通説であり、いわゆる戦国時代の中期にあたる。

出典:岸陽子・訳/荘子―中国の思想/徳間文庫/2007(原著は1996年に刊行)/p21

池田知久氏によれば、『史記』の著者司馬遷は『荘子』に書かれた荘子像(31条ある)を材料として利用したが、『荘子』に描かれた荘子物語は史実性に乏しいとしている。

例えば、思想家(名家)の恵施(恵子)は荘子の友人かつ論敵だされているが、池田氏は「荘子の活動年代は300年を中心とする戦国後期に設定するのがよいと考える。司馬遷の想定は30年~40年早すぎたのだ」と書いている *1

池田氏は『荘子』全体を精読して活動年代を割り出したとのこと。

成立時期

荘子』と荘周との関係

一般には『荘子』の著者は荘子(荘周)で通っているが、実際は荘子以外の人々が付け足した部分が少なくない。

現代に流通している『荘子』33篇は大きく分けて内篇・外篇・雑篇と3つに分けられるが、荘子自ら書いたものは内篇で他の2つは門弟または亜流の作である、というのが通説であるという *2

しかしこれにも池田氏は異を唱えている。池田氏によれば、上のような通説の淵源は韓愈(768~824)や蘇軾(1036~1101)らまで遡ることができるが、彼らが批判するようになるまでは『荘子』は荘周が自ら全て書いたことを疑う者はなかった、としている。

荘子』33篇を編纂したのは郭象という人だが、その生没年代は252年頃~312年とのこと。

池田氏は「どの部分を荘子の自著と信じるか」というようなことを「狭い世界」と言っている。どうやら突き詰めることは不可能だと判断したようだ。

荘子』の編纂と完成

上に書いたように『荘子』は荘周一人で書いたものではない。荘周が書いたものから始まって新しいものは前漢武帝期まであり、一種の全集である *3

史記』には「十余万言」とあるが、池田氏はこれを「雑然たる堆積」と書いている*4

これを52篇に整理したのが前漢末の劉向(前77-前6年)で彼が内篇・外篇・雑篇の区別を行った、と池田氏は推測している。*5

そして最終的に、というわけではないが上述の郭象が33篇を編纂し、幾つかの「篇本」のバリエーションの中で、この「郭象本」だけが生き残ったという。

荘子 全現代語訳(上) (講談社学術文庫)

荘子 全現代語訳(上) (講談社学術文庫)

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2017/05/12
  • メディア: 文庫



*1:荘子 全現代語訳 上/講談社学術文庫/2017(この本は『荘子 全訳注』(上)(2014)から読み下し・注釈を割愛し再構成したもの)/p17

*2:池田氏/p28

*3:池田氏/p33

*4:p24

*5:p23-26