歴史の世界

人類の進化:アウストラロピテクス各種(前編 「華奢型」グループ)

(注:アウストラロピテクス(Australopithecus)を「A.」と略す場合がある。)

人類はアルディピテクス属からアウストラロピテクス属が誕生し、アウストラロピテクス属からホモ属が誕生すると考えられている。ただし、アウストラロピテクス属は多くの種を持ち、ホモ属につながる種はその中の一つに過ぎない。

420万年前頃に(今のところ)最初のアウストラロピテクス属であるA.アナメンシスが登場するが、270万年前頃から「頑丈型アウストラロピテクス」と呼ばれる数種のグループが出てきた。彼らは「パラントロプス」と呼ばれることもある。

歯や顎が頑丈だから「頑丈型」と呼ばれるのだが、このグループについては次回に書くことにしよう。

「頑丈型」以外をまとめて「華奢型アウストラロピテクス」と言う。「華奢型」とは「非頑丈型」くらいの意味だ。華奢とは言えない種も「華奢型」のグループに入れられている*1

この記事では、タイトル通り、華奢型アウストラロピテクスについて書く。このグループに属する種を紹介する(全てではない)。

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出典:第263回 特別講演会 人類の起源 河合信和先生(2007.11.25)邪馬台国の会

以下に紹介する種で、確実に人類直系の祖先だと考えられているものはない。

ただし、アファレンシス(有名な化石「ルーシー」を含む種)は、比較的直系だと考えられているようだ。そのほかは新しい同種の化石が出てこない限り分からない、もしくは論争が続く。

アウストラロピテクス・アナメンシス (A. anamensis)

生息年代

420~390万年前

推測の材料

下あご、犬歯や臼歯、大腿骨や手足の断片骨など

特徴

アルディピクス属よりも犬歯が縮小、臼歯が拡大、エナメル質が厚くなっている。前回書いたアウストラロピテクスの特徴そのもの。

後代のA.アファレンシスになると上の傾向がさらに進む。

発見・公表

  • 1965年、ハーバード大学研究チームにより、トゥルカナ湖の西、Kanapoi で上腕骨が発見された。しかし発表は1987年までほとんどされなかった。

  • 1987年、ハーバード大学のAllan Mortonらによって、トゥルカナ湖の東、Allia Bayで骨の断片が発見された。

  • 1994年、Meave Leakey と archaeologist Alan Walkerにより、Allia Bayで下あごを含む骨の断片が発見された。1995年にMeave Leakeyはこれらの骨が独立の種であると断定し、A.アナメンシスと名付けた。

  • 2006年、カルフォルニアバークレー校のTim D. Whiteによって、エチオピアのアワシュ川中流域で犬歯や臼歯,大腿骨や手足の断片骨などが発見された。同年、犬歯と臼歯の研究の結果、アルディピテクス属とA.アファレンシスの中間の進化過程にあることを発表した。

その他

  • 今のところ、アウストラロピテクス属の最古の種。

  • 発見場所の一つ、エチオピアのアワシュ川中流域は化石の宝庫として知られている。有名な「ルーシー」が属するアウストラロピテクス・アファレンシス(アファール猿人,約360万年前)や,アルディピテクス・ラミダス(ラミダス猿人,約450万年前)も同地域から発見された。*2

  • ラミダス猿人(アルディピテクス・ラミダス)とアナメンシス猿人(アウストラロピテクス・アナメンシス)の歯にはかなりの違いがあり,食性の変化をうかがわせるのだが,《年代的な差は30万年ほどにすぎない。比較的短期間に大きな変化が起こったことになる》。《その過程はあくまで連続的で,系統の分岐も起こらなかったようだ。今回の発見は「人類の種分化は枝分かれを伴い,多様性を促進していく」と考える多くの理論派研究者の予想を裏切る実例にもなると発掘チームは考えている》。*3

参考文献

アウストラロピテクス・アファレンシス(A. afarensis)(アファール猿人)

生息年代

390~300万年前

推測の材料

全体骨格2体ほか。

特徴

  • A.アファレンシスの特徴の傾向が進んでいる。
  • 脳の大きさは380-430mlで類人猿とほとんど変わらない。
  • 性差が大きい。犬歯には性差は表れていない。
  • 腕が脚よりもわずかに長い。

発見・公表

  • 1973年11月、ドナルド・ジョハンソン、ティム・ホワイトらのチームによりエチオピアのアワッシュ川中流域、アファール渓谷で膝関節が発見された。この発見が翌年のルーシーの発見につながる。

  • 1974年11月、トム・グレイ、ドナルド・ジョハンソン、ティム・ホワイトらのチームにより、エチオピアのアワッシュ川下流域、アファール渓谷で全身骨格が発見された。全身の骨の40%にあたる。通名ルーシー。

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出典:ルーシー (アウストラロピテクス)<wikipedia*4

  • 1974年、Mary Leakey により、タンザニアのラエトリ Laetoli で全ての臼歯と犬歯1つがついた下あごが発見される。

  • 1975年、ドナルド・ジョハンソンの生徒のマイケル・ブッシュがルーシーが発見された隣の丘で計13個体の200以上の骨の欠片を発見した。通名サイト333。

  • 2006年9月、エチオピア人の古人類学者ゼレゼネイ・アレムゼゲド (Zeresenay Alemseged)により、アワッシュ川の南4kmに位置する「ディキカ1」(Locality Dikika-1) と呼ばれる地域で幼女の全体骨格が発見された。2006年9月にサイエンティフィック・アメリカン誌により公表。通名セラム。

  • その他にもサンプルがある。

その他

現生人類の直系の祖先と書かれることが多いようだが、否定する意見もある。

参考文献

アウストラロピテクス・アフリカヌス(A. africanus)

生息年代

390~300万年前

推測の材料

頭蓋骨ほか断片。

特徴

  • A.アファレンシス同様、腕が脚よりもわずかに長い。

  • A.アファレンシスより、二足歩行に適した脚を持つ。

  • 頭蓋の特徴によると、人類直系の祖先よりではなく、頑丈型アウストラロピテクスピテカントロプス属)の系統に近い。A.ロブストゥス(ピテカントロプス・ロブストゥス)はアフリカヌスの子孫だとされている。ただしアフリカヌスの歯は丈型アウストラロピテクスほど頑丈なつくりではない。類人猿よりもヒトに近く、歯列はU字型よりも放物線に近い。

  • 2015年のマシュー・スキナー氏の発表によれば、手の構造の研究の結果、アフリカヌスは道具を使用していた可能性が高い、とのこと。

発見・公表

  • 1924年南アフリカ共和国キンバリー近郊の町タウン (Taung) で、石灰採掘者が2、3の骨断片と頭蓋を見つけた。これらを解剖学者レイモンド・ダートらが調べて、翌1925年にヒトと類人猿の中間にあたる化石だと発表した。しかし学界に受け入れられなかった。のちにA.アフリカヌスに属すると判断された。通名:タウンチャイルド。

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タウン・チャイルドの頭蓋骨の複製

出典:アウストラロピテクス・アフリカヌス<wikipedia*5

  • 1947年、ロバート・ブルームとジョン・ロビンソンにより、南アフリカのスタークフォンテイン石灰採集場で、頭蓋骨を発見された。当時女性のものと判断されたため「ミセス・プレス」(標本番号:Sts 5)と呼ばれた(現在では男性のものとされている)。類人猿並みの脳容量で二足歩行をしていたと発表した初めてのケースとなる(当時は脳容量の拡大の後に二足歩行をするようになったと考えられていた)。

その他

  • 「タウンチャイルド」を発見したレイモンドダートはこれを新種として のちに「アウストラロピテクス・プロメテウス」と命名した。アウストラロピテクスという名称が初めてつけられたのはこの時である(上述の通りタウンチャイルドはA.アフリカヌスにカテゴられた)。

  • これまで道具を使用した最古の例は250万年前とされていたのでA.アフリカヌス(生息年代:390~300万年前)が使用していたとなると300万年前よりも前ということになる。

  • 上でも触れたが、現生人類直系の子孫からはずれて、頑丈型アウストラロピテクスの一部の祖先と考えられている。

参考文献

アウストラロピテクス・ガルヒ(Australopithecus garhi)

生息年代

250万年前

推測の材料

頭蓋骨の一部と四肢骨ほか。

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出典:アウストラロピテクス・ガルヒ<wikipedia*6

特徴

  • 脳容量は他のアウストラロピテクス属と同様、類人猿と変わらない(450cc)。

  • 歯の特徴は頑丈型アウストラロピテクスの特徴に近い(A.アファレンシスに比べて、臼歯だけでなく、犬歯も拡大している。歯列もU字形であった。ホモ属は放物線形。)

  • A.アファレンシスに比べて、脚は若干長い。身長も高い。

発見・公表

  • 1996年にエチオピア人古人類学者のBerhane Asfawとアメリカ人古人類学者のティム・ホワイトに率いられたチームがエチオピアのアワッシュ川中流域のBouri村近郊で頭蓋骨の一部 (BOU-VP-12/130) が発見された。1997年に新種としてアウストラロピテクス・ガルヒ(Australopithecus garhi)と名づけられた。

  • 1998年までに同チームが同地の近辺で別の頭蓋骨と四肢骨を含む胴部の骨を発見した。

その他

  • 現生人類直系の先祖であるという説と頑丈型アウストラロピテクスの先祖であるという説とがある。どちらかは分からない。

  • 道具の使用の最古の例は250年前だという説があるが(異説あり)、この説とA.ガルヒと関連付ける説がある。

250万から260万年前のアウストラロピテクス・ガルヒの化石の近くから、オルドワン石器によく似た原始的な石器がわずかに見つかり、1999年4月23日付けのサイエンス誌で、現代の人類に繋がるホモ・ハビリスよりも前に道具が使われていたようだと発表された[3]。それまで長い間、古人類学者たちは、ヒト属の初期の種が最初に道具を使い始めたと推測していた。さらにエチオピアのBouri村の別の場所からは約250万年前のものと推定される3000もの石器が発見されている。

出典:アウストラロピテクス・ガルヒ<wikipedia

参考文献

アウストラロピテクス・セディバ(セディバ猿人、Australopithecus sediba)

生息年代

200~180万年前(標本が生息した可能性がある領域)

推測の材料

少年と大人の女性の化石2体(両者とも部分的なもの)

特徴

  • 研究チームによれば、A.セディバはアウストラロピテクス属とホモ属の両方の特徴を持っていると主張している。

  • ホモ属としての特徴は「小さな歯と現生人類に似た鼻の形」と「右脳、左脳の形が人間と同じように不揃い」なところ。*7

  • アウストラロピテクス的な特徴は、「脳が極めて小さい」ところと「原始的な手首と長い腕という木登りに適した猿人の特徴も兼ね備えている」。これらの点から、研究チームはホモ属ではなく、アウストラロピテクス属に分類せざるをえなかったとしている。*8

発見・公表

2008年に、古人類学者リー・バーガー( Lee Berger、ベルガーとも)の息子マシュー(9歳)により、南アフリカ共和国のマラバ地方の洞窟で左鎖骨が発見された。発掘作業は続けられ、翌2009年には少年と大人の女性の化石2体(両者とも部分的なもの)が発見された。

上記の発表はバーガー氏らによって、2010年4月にされた。

その他

ナショナル・ジオグラフィック日本語版のニュース記事「セディバ猿人、ヒト属の祖先か猿人か」(2010.04.08)によれば、「アウストラロピテクス属とヒト属をつなぐ有力な証拠はほとんどない」とか(230年前のホモ・ハビリスを念頭に置いて)「50万年近くも遅れて登場したセディバはヒト属の祖先と断定できないだろう」など権キューチームの発表に懐疑的だ。

またNatureのニュース記事「Claim over 'human ancestor' sparks furore」(8 April 2010)によれば、有名な古人類学者ティム・ホワイトはA.セディバはA.アフリカヌスのchronospecies(時種:種内の僅かな進化的差異)に過ぎないとし、ホモ属に無理やり結びつけようとする研究チームの姿勢を批難した。*9

参考文献

アウストラロピテクス・プロメテウス?(リトルフット)

  • 「プロメテウス」という名称はリトルフットと名付けられた化石(標本番号:Stw 573)を発見したRonald J. Clarkeが、この化石を新種として名づけたもので、一般に通用していない(リトルフットは通用している)。

  • この名称は先に1924年にレイモンド・ダートが発見した化石(通名:タウン・チャイルド、標本番号:Taung 1)に新種として名づけた名称だが、この化石はのちにA.アフリカヌスと名づけられた。

  • 「プロメテウス」については、クラーク氏らのリトルフットの研究結果以外に情報がなく、学界で現在どの程度認められているかは分からない。

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新しい年代測定法により、南アフリカのスタークフォンテイン洞窟で発見された初期人類化石「リトルフット」が370万年近く前のものであることがわかった。

出典:南アの初期人類化石、370万年前のものと判明<ナショナル・ジオグラフィック日本語版(2015.04.02のニュース記事)(PHOTOGRAPH BY JASON HEATON)

生息年代

367万±16万年前

(上の数字は2015年にクラーク氏らが発表したもの。他の測定結果は220万年前とするものから400万年以上前までばらつきがあり、論争中。)

推測の材料

  • 全身骨格の90%
  • 生息年代については化石の周りの石を測定の材料にしている

特徴

  • 足の親指が長く、樹上生活に適応している。

  • その他の特徴はよく分からないが、クラーク氏によれば、今まで発見されたどの種とも違う特徴をもっている新種だとのこと。

発見・公表

  • 1994年にレイモンド・クラークらにより南アフリカヨハネスブルク近郊のスタークフォンテイン洞窟で足首の化石が発見されたが、その後クラーク氏らは十数年かけて全身骨格の90%を採掘することに成功した。

  • 発見の翌年1995年から数度にわたって研究報告がされている。

  • 2015年の発表では推測年代が367万±16万年前であると発表。

その他

  • リトルフットはA.アフリカヌスとされていた時期もあったが、現在クラーク氏らの研究発表では新種だとされている。

  • 頑丈型アウストラロピテクス(パラントロプス Paranthropus属)の系統ににていると報告されている。

参考文献

人類の進化:アウストラロピテクス ~森林からサバンナへ?~

アウストラロピテクスネアンデルタール人と並んで最も有名な化石人類だ。

正式にはアウストラロピテクスという名称は属名でアウストラロピテクス・アファレンシスやアウストラロピテクス・アナメンシスなど複数の種がアウストラロピテクス属に属する。

しかしこの記事ではダニエル・リーバーマン著『人体 600万年史』*1に倣って、便宜的に「アウストラロピテクス」という名称をアウストラロピテクス属全体の総称として使う。

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実線は系統関係が予想されるもの、破線は不明瞭なもの

出典:篠田謙一 監修/ホモ・サピエンスの誕生と拡散/洋泉社 歴史新書/2017/p14

上の系統樹のように、今のところ、アウストラロピテクス(属)はアルディピテクス属の後継と考えられている。

アウストラロピテクスとそれより前の人類の人類には大きな違いがあると考えられている。

この違いは人類の進化にとって新たな段階を迎えたことを意味する。

アウストラロピテクスの最大の特徴:土踏まず

アウストラロピテクスとそれより前の人類の最大の違いは土踏まずにある。

土踏まずの役割・機能についてはいろいろあるが*2、その中で3点だけ挙げておこう。

  • 直立時にバランスをとり、腰・膝を伸ばした状態を保つ。*3
  • 歩行運動の足の着地時のショックの吸収。*4
  • 歩行時にバネのように機能して蹴り出す推進力をつくる。*5

「扁平足」の類人猿や初期の人類は、土踏まずがまで形成されていない赤ちゃんと同じくぎこちない二足歩行しかできないが、アウストラロピテクスは、背筋はいく分か曲がっているものの現生人類に似た二足歩行が可能になった。

効率よく歩行できるようになるということは、エネルギー消費が少なくなるということ。食糧を得ることと共に、エネルギー消費を抑えることは、文字通り死活問題だ。低カロリーや有酸素運動をありがたがる現代日本にいる私には想像しにくい状況だ。

(二足歩行の効率化には土踏まず以外にも足腰の骨・筋肉などの進化も当然おこったが、ここでは省略する。)

土踏まずが形成された原因:気候変動

アウストラロピテクスが誕生した頃の気候はそれまでよりも乾燥して熱帯雨林が減少したようだ。

彼らが生きていたのは地質学的に言うと鮮新世という時代(530万-260万年前)で、地球がわずかに寒冷化し、アフリカが乾燥の一途をたどっていた。こうした変化は[中略]間欠的に起こっていたが、アウストラロピテクスが生きていた時代のアフリカでは全体的な傾向として、疎開林とサバンナが拡大し、それまで採れていた果実がぐっと減り、採れる場所もあちこちに分散してしまった。この果実危機によって、間違いなくアウストラロピテクスには強い選択圧がかかった。果実以外の食物を手に入れられる個体が有利になったのである。

出典:ダニエル・リーバーマン/人体 600万年史 上巻/早川書房/2015(原著は2013年出版)/p89

果実が不足した時、類人猿や初期の人類は、葉(ブドウの葉のようなもの)や、茎(生のアスパラガスのようなもの)や、ハーブ(生のローリエのようなもの)を食べてやり過ごしていたが、アウストラロピテクス(とその直近の祖先)は地面を掘って根茎や塊茎、球根を食べるようになった。*6

こうして彼らは地上を歩き回るようになるが、素早く、効率よく歩ける個体は、食糧にありつける可能性が高く、また肉食獣に襲われる可能性を低くした。

素早い行動ができない個体は淘汰される。そして土踏まずがある個体は生き残り、その子孫がアウストラロピテクスになった。

もうひとつの重要な特徴:歯

前々回で初期の人類の歯の特徴で歯(臼歯の拡大、犬歯の縮小、エナメル質の厚化)を挙げたが、この特徴がさらに進んだ。

おさらいしておくと、

  • 臼歯が大きい方が固くてかみにくい食物を噛み砕くことができる。
  • 臼歯の拡大に伴い、トレードオフとして犬歯が縮小した。
  • エナメル質が厚い方が硬いものを食べても歯が削れることが少ない。

上述したようにアウストラロピテクスは根茎や塊茎、球根を食べるようになった。しかしこれらの食物繊維は果実の半分ほど(p91)らしい。

こうなると、アウストラロピテクスが初期の人類より臼歯が大きくなったのは根茎や塊茎、球根を食べるようになったからだとは言えない。

研究者は長い時間をかけて、アウストラロピテクスの臼歯がどうしてこんなに大きく、分厚く、平らになったのかを調べた。結果として引き出された新鮮味のない答えは、こうした特徴は、噛み切りにくく、ときに硬質な食物を噛むための適応だったというものだ。

出典:p94

「噛み切りにくく、ときに硬質な食物」は類人猿も初期の人類も食べていた。ということは、そのような食物を食べる頻度と臼歯の大きさに正の相関関係があるということになるのだろうか。

森林からサバンナへ?

なぜ「?」をつけたかを説明する。前座としてイーストサイドストーリー仮説の話から始めよう。

アウストラロピテクスイーストサイドストーリー仮説

イーストサイドストーリー」仮説については以前に触れたが、人類がサバンナで誕生したという仮説だ。この仮説はアルディピテクス属などの初期の人類の化石が当時森林だった箇所から発見されたことで破綻した。

アルディピテクス属の化石が発見される前はアウストラロピテクスが最古の人類だと考えられていた。アウストラロピテクスはサバンナの住人だと考えられていた。

この考え方は訂正あるいは修正が必要だ。

樹上生活の適応を失っていなかった

アウストラロピテクスには多くの種があり、川や湖に接する疎開林に棲んでいた種から草原に棲んでいた種までさまざまだが、いずれにしても彼らの住環境は、部分的に開けた土地だった。そうした環境は、そもそも果樹が少ないうえに、類人猿の一般的な住環境である熱帯雨林と比べて季節差がある。結果として、アウストラロピテクスは広く分散してしまった食べ物を探しに出たに違いない。必要十分な食料を見つけるために毎日長い距離を歩いていたこともほぼ確実だ。ときには開けた土地の真ん中も進んでいかなければならなくて、危険な捕食動物と灼熱の太陽に自らの身をさらしたことだろう。しかし一方で、アウストラロピテクスはまだ木にも登っていた。食物を得るためだけでなく、安全な寝場所を確保するためにも、木登りを辞めるわけにはいかなかった。(p99)

したがって当然ながら、その骨格には類人猿から受け継いだ、木登りに便利な特徴が保持されている。チンパンジーやゴリラのように、彼らの脚は比較的短く、腕は比較的長く、手足の指は長くて少々湾曲していた。さらに、多くのアウストラロピテクスの種は、前腕の筋肉が強く、いかり肩をしていたこれは木のえだからぶら下がったり、自分の身体を引っ張り上げたりするのに適応していたしるしだ。(p105)

出典:リーバーマン

  • 肉食獣から身を守るような武器はアウストラロピテクスは作ることができなかった。狩りが始まるのはまだ先だ。
  • 余談になるが、二足歩行の利点の一つとして日光が当たる面積が縮小が挙げられる。体温調整のコストを下げることができる。

そういうわけで、アウストラロピテクスは、サバンナで行動していた種もいたかもしれないが、基本的には疎開林と開けた土地で生活していた。

食生活の変化が地上生活を定着させた

上の方で、アウストラロピテクスは根茎や塊茎、球根を食べていたことを紹介した。

これらを地下貯蔵器官と言い、ジャガイモ、キャッサバ、玉ねぎもこれに相当するらしい。アウストラロピテクスは火の使用を知らなかったのでこれらを生で食べた。当然だが、食べやすいように品種改良などしていない。食物繊維豊富どころか繊維だらけで私たち現代人には食えたものではないが、彼らは時間をかけて発達した臼歯と咀嚼筋で噛み砕いて消化した。

ただしこれらの食物にはメリットがある。チンパンジーが食べる果実と比べて、デンプンとエネルギーが豊富で食物繊維が果実の半分ほどだということだ(p91)。これによりアウストラロピテクスは果実の不足を地下貯蔵器官に移すことができた。

食性

以上の情報でアウストラロピテクスの食性を推測すると、彼らはサバンナあるいは熱帯季節林地帯*7に生息し、樹上で果実を、地上で地下貯蔵器官を食べていたようだ。これらの地域には雨季・乾季があるので、季節によって両者の割合が変わったことだろう(ほかにも、可食の葉・茎・種や昆虫・シロアリも食べ、腐肉漁りもしていたらしい)。

C4植物

地下貯蔵器官に関して。

気候変動による乾燥化で熱帯雨林が後退したところにはC4植物*8が生えていた。乾季になるとこれらの植物は雨季を待つように栄養分を地下貯蔵器官に蓄える。アウストラロピテクスは乾季にこれを掘り出して食べていたらしい(可食の葉・茎・種も食べていたようだ)。C4植物を食べていたかどうかは化石の歯や骨を調べれば分かる。*9

もしかしたら、根拠はないが、乾燥に強いCAM植物(多肉植物やサボテンなど)も食べていたかもしれない。

さらなる進化への可能性

土踏まず他の二足歩行への適応も重要だが、地下貯蔵器官がなければ、果樹と決別して地上生活に(より)適応することは不可能だったろう。

アフリカは300万年前から始まるさらなる乾燥化に襲われることになる*10。そして人類はさらなる進化を迫られることになる。

地上生活の適応した人類は次の段階ヘ否応なく進むことになった。



*1:上巻/早川書房/2015(原著は2013年出版)/p82

*2:「土踏まず 役割」で検索すると、いろいろと出てくる

*3:土踏まずのメカニズム<あの日にかえる 参照

*4:足部の重要な2つの機構!トラス機構とウィンドラス機構<理学療法士Y成長日記!のトラス機構の節を参照。トラスメカニズム(Truss mechanism)ともいう。

*5:足部の重要な2つの機構!トラス機構とウィンドラス機構<理学療法士Y成長日記!のウィンドラス機構の節を参照。ウインドラスメカニズム(windlass mechanism)ともいう。

*6:リーバーマン氏/p90

*7:熱帯雨林とサバンナの間の地帯

*8:高温・乾燥につよい熱帯性の植物。「C4型光合成wikipedia」参照。

*9:ロビン・ダンバー/人類進化の謎を解き明かす/インターシフト/2016(原著は2014年出版)/p111-117

*10:p111

人類の進化:初期の人類たち/進化のストーリー

初期の人類と言えば、大半の人はアウストラロピテクスを思い浮かべると思うが、今回はアウストラロピテクスより前の4種の人類について書く。

この4種の人類はアウストラロピテクスと比べても、より原始的でサルの特徴をより多く残している。

アウストラロピテクスが樹上と地上の両方で生活していたのに比べ、4種の人類は依然として樹上の生活をしていて地上にいる時間は短かったと考えられているようだ。

4種の人類を紹介

4種の人類の化石はサンプルが少なく、人類であることを否定・疑問視する学者が少なくないらしい。

火や道具の使用などの状況証拠も発見されていないため、この人類を推測する材料はもっぱら少量の骨のサンプルのみとなる。ここで分かるのは(または推測可能なのは)解剖学的特徴のみとなる。

人類であることの特徴として、直立二足歩行と歯の特徴(臼歯の拡大、犬歯の縮小、エナメル質の厚化)などが挙げられる。

では古い年代順に並べていく。

  • サヘラントロプス・チャデンシス
  • オロリン・ツゲネンシス
  • アルディピクス・ラミダス
  • アルディピクス・カダバ

以上の4種の人類は見ての通りサヘラントロプス属、オロリン属、アルディピクス属の3つの属に分類されるのだが、差異はあまり無いらしい。

今後、頭骨と主要四肢骨において、アルディピテクス、オロリン、サヘラントロプスの標本がそれぞれに充実し、三者を直接比較する必要があります。そうでないと、ほんとうに三つの属があったのかどうか、判断のしようがないのが現状です。

出典:ラミダスと、カダバ、オロリン、サヘラントロプスとの関係は?<Q&A<アフリカの骨 縄文の骨 遥かラミダスを望む(諏訪元・洪恒夫 編)/諏訪氏の筆

では次に各人類について少し詳しく書く。生息年代は化石の古さを表したもの(生息した期間ではない)。

サヘラントロプス・チャデンシス (Sahelanthropus tchadensis)

生息年代

700~600年前

推測の材料

頭骨のみ。

特徴

  • 頭骨の大後頭孔が下方にある(二足歩行)
  • 歯→臼歯の拡大、犬歯の縮小(雑食)
  • 脳の大きさは類人猿と変わらない。
  • 眼窩上隆起にかなりの厚みがある(メスのゴリラと見なす少数意見の論拠にもなっている)。

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「グローバル・ハウス」に展示された「トゥーマイ」復元像と発掘されたつぶれた状態から復元した頭骨
提供:フランスーチャド古人類調査隊(MPFT)

出典:700万年前の“人類最初の顔” 4月7日より、愛・地球博「グローバル・ハウス」にて世界初公開愛・地球博((財)2005年日本国際博覧会協会)

発見・公表

  • 化石:頭骨。
  • 年代:2001年に発見。2002年7月 に発表。
  • 場所:中央アフリカのチャド。トロス・メナラ遺跡。
  • 発見者:Alain Beauvilain(フランス人), and three Chadians。

種・属

サヘラントロプス属。1種のみ。

その他

化石の愛称はトゥーマイトゥーマイ猿人とも。

参考文献

オロリン・トゥゲネンシス(Orrorin tugenensis)

生息年代

610~580万年前

推測の材料

  • 大腿骨
  • 歯数本
  • 上腕骨
  • 下あごの骨の後部
  • 基節骨(手の根元から第二関節の指の骨)

計20個の骨(5体)

特徴

  • 大腿骨の臀部側に外閉鎖筋溝がある*1(二足歩行)
  • 大腿骨頸部の緻密質の厚さが、上方が薄く下方が厚い*2(二足歩行)
  • 歯→臼歯の拡大、犬歯の縮小、エナメル質が熱い(雑食)
  • 上腕骨が薄い(頑丈でないため、木登りはできたがチンパンジーのように腕渡りができない)
  • 頭骨が無いので脳の大きさはわからない。
  • アルディ (アルディピテクス)<wikipedia

発見・公表

  • 年代:2000年に発見・公表。2004年に二足歩行の特徴を示す報告を公表。
  • 場所:ケニアのトゥゲンヒルズ (Tugen Hills)。
  • 発見者:フランス国立自然史博物館のBrigitte Senut と Martin Pickford。

上の発見とは別の発見もあり、計5体20個の骨がある。

種・属

オリオン属。1種のみ。

その他

愛称はミレニアム・アンセスター。

参考文献

アルディピクス・カダバ

生息年代

580~520万年前

推測の材料

顎骨片、犬歯ほか。

特徴

  • 後述のラミダスとほぼ同じ。
  • ラミダスとの違いは犬歯が より原始的なところ。

発見・公表

上以外に犬歯などの追加発見がある。

種・属

アルディピクス属。同属には別の種にアルディピクス・ラミダスがいる。

2001年の研究結果公表時には、以前に発見・発表されていたラミダスと大差がなかったことと化石の古さを考慮し、ラミダスの亜種と認定されていた。そして名前はアルディピテクス・ラミドゥス・カダバとされていた。

しかしその後、新たに犬歯その他が発見され、その研究の結果、カダバはラミダスと別個の種だと修正された。そしてアルディピクス・カダバと改名された。

その他

化石の俗称はカダバ猿人。

参考文献

アルディピクス属<wikipedia

アルディピクス・ラミダス(Ardipithecus ramidus)

生息年代

約440万年前

推測の材料

全身。

特徴

  • 頭骨の大後頭孔が下方にある(二足歩行)。
  • 歯→臼歯の拡大、犬歯の縮小(雑食)。
  • アルディの歯の磨耗の度合いなどから、アウストラロピテクス属に比べ、磨耗を促進する砂まじりなどの食物をあまり摂取していなかっただろうとも推測されている。
  • 手にはナックルウォークの形跡が無い(二足歩行)。
  • 足の親指は他の指と対向的についており、物をつかむことができる。
  • 土踏まずが無い。
  • 体格の性差が小さい。
  • 全体の骨格は二足歩行に適応してはいるが、のちのホミニン(ヒト亜科、人類)に比べれば原始的で、長距離の歩行や走行はできなかったであろう。
  • 脳大きさは類人猿と変わらない。

Ardipithecus ramidus, artistic reconstruction.jpg
By Source, Fair use, Link

出典:Ardi<wikipedia英語版

アルディピクス・ラミダスは、おそらく熱帯雨林とサバンナの間の熱帯季節林帯*3で樹上と地上を往来して生活していた。樹上・地上の両方の行動に適応していたが、どちらかに特化した類人猿やホミニンと比べると中途半端、どっちつかずの感がある。

初期の人類たちはラミダスと同じような生活をしていたが、彼らは熱帯季節林帯に適応したという特殊な霊長類といえるかもしれない。

発見・公表

  • 化石:全身(アルディと名づけられた個体1体のみ)。歯については少なくとも35個体分が出土している。
  • 年代:1992~1994年に発見。1994年に公表。2009年に研究成果を公表。
  • 場所:エチオピアのアワッシュ川中流域。
  • 発見者:諏訪元ほか東京大学、カリフォルニア大学およびエチオピアのリフトバレー研究所からなる国際チーム。

種・属

アルディピクス属。同属には別の種にアルディピテクス・カダバがいる。

その他

化石の愛称はアルディ。ラミダス猿人とも。

参考文献

  • アルディピテクス属<wikipedia
  • アルディ (アルディピテクス)<wikipedia
  • 松村秋芳/歩行の比較:初期人類と類人猿の下肢骨形態からみた直立二足歩行の進化

進化のストーリー

松村氏のPDFに進化のストーリーが書いてあったので貼りつけておく。

下の簡潔な引用文は、松村氏の直立二足歩行の研究が現在の有力な進化の説と矛盾しないことを表している。

これまでの知見から以下のような進化のストーリーが考えられる.チンパンジーと人類の共通祖先から分かれた初期人類は,樹上の二足行動に適応したあと地上で二足歩行するようになったが,樹上空間を利用することもあった.手足や骨盤にはヒトと共通する形質のほかに,類人猿と似た部分が残されていた.この中から上下方向に短い骨盤や土踏まずのある足をもち,樹上の生活から離れて地上で日常的に二足歩行する人類の系統が現われ選択された.それに続く過程で,骨格のプロポーションや筋の付着部が調整され,それらと密接に関係した歩容が完成されてきたと思われる.

出典:松村秋芳/歩行の比較:初期人類と類人猿の下肢骨形態からみた直立二足歩行の進化



*1:松村秋芳氏によれば、「この溝は,直立二足歩行で股関節を過伸展させたときに腱の圧力が大腿骨頸部表面に加わることによって形成される圧痕とされている.アウストラロピテクス・アファレンシス(320万年前)ではこの溝が観察されることが知られている.オロリン・トゥゲネンシス(600 万年前)の大腿骨でも外閉鎖筋溝が観察されたが,このような大腿骨頸部の形態的特徴は 600 万年前の猿人が直立二足歩行をしていた証拠と考えられている」とある

*2:大腿骨頸部の緻密質の厚さがチンパンジーのように均一ではなく、現代人のように上方が薄く下方が厚い

*3:湿潤熱帯に属するが,一年の間に明確な乾季をもつため,ある割合で落葉樹種を含む熱帯林-- 光合成辞典<日本光合成学会 参照

人類の進化:「人類」の誕生

この記事で言うところの「人類」は我々ホモ・サピエンスではなくサルと分かれたばかりの我々の祖先のことを指す。

厳密に言うと(ここで言う)「人類」の誕生とは、ヒト族(Hominini)からヒト亜族(Hominina)への進化のことだ。

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出典:サル目<wikipedia(元の画像の一部を拡大したもの)*1

「人類」の誕生についてはいくつもの仮説があるが、(現在は否定されている)昔の主流の説と現在の主流の説を記しておこう。ただし、学界内で直近で何を話されているかは私には分からない。

人類誕生の時期

現在いちばん古い人類の化石はアフリカ中部のチャドで発見されたサヘラントロプス (Sahelanthropus)の頭骨の化石だ。サヘラントロプスは700万年前に生息していたとされるから、人類が分岐したのは700万年前かそれ以前となる。

ただし学界ではいろいろな説が提出されている。

サル(類人猿)とヒト(人類)を分けたもの

本題に入る前にここで注意点を一つ。それは進化そのものについて。

そもそも進化とは偶然の産物である。

ある生物の種の中で、たまたま突然変異*2を起こした個体が、たまたま起こった環境変化に適応し、自然淘汰(突然変異を起こさなかった他の種は絶滅)が起こった結果が「進化」だ。生物は意図的に進化できない。

(進化については記事「進化:進化について」などで書いた。進化に関する他の記事もある。)

以下の話は、どういう環境変化があったかという話で、それにたまたま突然変異した種が適応しただけ、ということを要留意。

さてそれでは新旧の仮説を紹介しよう。

過去の(破綻した)通説「イーストサイドストーリー」

長くなるがwikipediaから引用。

イーストサイドストーリーとはフランスの人類学者、イブ・コパン(Yves Coppens)が1982年に提唱した人類誕生についての仮説である。[中略]

およそ800万年前から、大地溝帯付近の造山運動が盛んになり、大西洋の水蒸気を含んだ偏西風が大地溝帯の山脈にぶつかって雨を降らすようになり、東側では気候の乾燥化が進んだ。その結果、森林が徐々に草原に変わり、類人猿の祖先は死に絶えてしまった。一方、人類の祖先は以前までの森林での生活で、中臀筋などの二足歩行に欠かせない筋肉を発達させていた(人猿の骨盤の化石より推定)と考えられるため、二足歩行により草原で生活の場を開拓して人類に発展したとする仮説である。

破綻

現在、この仮説は定説ではなくなってきており、人類は森林の中で進化したという仮説が有力である。

この仮説が破綻した理由として、800万年前の大地溝帯付近の造山運動は小さく、大きく隆起したのは400万年前であったと考えられるようになってきたことが挙げられる。これはヒトが二足歩行したと考えられている600万年前よりも後のことであり、大地溝帯形成を人類が類人猿から分岐する原因と考えると矛盾している。また、当時のアフリカ東部の乾燥化は完全ではなく、森林がかなり残存していたことが炭素同位体の分析から明らかになっている。

そして、この仮説が破綻する決定的な証拠が2002年にアフリカ西部であるチャドで600 - 700万年前と考えられるトューマイ猿人の化石が発見されたことである。頭骨から背骨につながる孔の位置から直立二足歩行をしていたことが分かり、顔の特徴から、絶滅した傍系ではなく、ヒト属の直系の祖先である可能性が高いことが判明した。この場所で、魚やワニの化石が発掘されたことからかなり湿潤な地域だったことが考えられる。

2003年2月には、提唱者であるイブ・コパン自身がこの仮説を自ら撤回している[2]。

出典:イーストサイドストーリー<wikipedia

  • トューマイ猿人の発見以前に1990年代にアルディピテクス属の化石が発見されている。1990年代にすでにこの仮説は破綻したか大打撃を受けていただろう。

  • アルディピテクス属の化石やトゥーマイ猿人の化石は、以前は、生息時期には熱帯雨林地帯だったと想定されていたが、その後の研究で森林と開けた場所が混在した地帯だったことが分かってきた(後述)。

上の仮説は十年以上前に破棄されたものだが、これを今だに通説だと思っている人もいるかもしれないので注意が必要だ。20世紀末までの書籍ではこれが通説として語られているだろう。

現在の仮説

ここではダニエル・E・リーバーマン著『人体 600万年史』(早川書房/2015、原著は2013年出版)の説を紹介する。ただし、リーバーマンがこの仮説の発案者では(おそらく)ない。

簡潔にするため箇条書きにしてみよう。

  • まず、人類の祖先となる動物(LCAをアフリカの熱帯雨林に生息した果実食の類人猿とする。(p69)

  • 1000万年前から500万年前までの期間に地球全体が寒冷化し、アフリカは熱帯雨林が縮小し疎開林帯が拡大した。(p69)

  • 熱帯雨林縮小により食糧難(果実不足)に陥ったLCAの中で直立二足歩行が得意なLCAが生存競争の中で生き残っていった。

  • 直立二足歩行の利点は主に二つ。一つは樹上で直立して果実をより多く獲得することができる。高所にぶら下がっているベリーなどの果実を細い枝やつるを掴みながら直立して獲得できる。ただしこれは姿勢の問題。オランウータンやチンパンジーも直立する。著者によれば、「おそらく食料をめぐる競争が熾烈だったため、初期人類のなかでも上手に直立ができる個体ほど、食料の乏しい時期に多くの果実を集められただろう」としている。(p71-72)

  • より重要なもう一つの利点は、四足歩行より直立二足歩行ができる方がエネルギーを節約できる。類人猿は地上を歩行する時はナックル・ウォーク(前足または手の指の外側を地面につけて歩く歩行)で歩く。この歩き方は二足歩行の四倍もかかる。寒冷化して森林が細切れになり、地面を歩行する機会が増え、かつ、食糧自体も少ない時代に類人猿よりエネルギーが節約できた初期人類は生存確率が高かっただろう。(p72)

最期の二つについては以前に紹介したものだ。気候変動により、熱帯雨林が縮小・疎開するにつれ生存競争が起こり(選択圧がかかり)、LCAから進化したのが最初の人類である。

気候変動と二足歩行

ここで竹元博幸氏*3の気候変動に関する文章を引用しよう。

初期人類化石の発見地は、1,500万年前の温暖期のピークには広くアフリカ大陸を覆っていた熱帯林の周辺部にあたると考えられます。季節性気候が強まった影響は避け難いことだったでしょう。実際にラミダス猿人の生息地は乾季が明瞭な森林だったことがわかっています。樹上性でほとんど地面に降りることのなかった人類の祖先にとって、気温の季節変化は地上にいる時間を増やす強い要因となったと考えられます。乾季の出現という季節の始まりがヒトの地上生活のきっかけだったと推測できます。乾季が4〜5か月以上続くと熱帯林は存続できません。森林が後退したあと、樹が点在する開けた環境に適応できたのは、森林内ですでに季節的な地上生活を経験していたからだと思われます。

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出典:竹元博幸/人類はなぜ森林のなかで地上生活を始めたのか – ボノボとチンパンジーの生態から探る/academist Journal/2017年8月18日

というわけで、おそらく2017年現在でも上に上げた仮説はおそらくは主流なのだろう(リンク先ではリーバーマン氏とは違う竹元氏の仮説が紹介されているがここでは割愛)。

また上の地図にあるように初期の人類たちの化石は熱帯雨林ではなく、大昔の熱帯季節林*4とサバンナの境で発見された。

関連する論文を紹介しよう。

現生人類と現生チンパンジーの最終共通祖先は木の生い茂る環境に生息し、800万〜500万年ほど前に分岐した後、人類の暮らす場所は木の少ない環境に移ったというのが現在の一般的な見方である。その次に我々の祖先に何が起こったのかはよくわかっていないが、二足歩行および食生活の変化は、開けたサバンナ草地への移動を反映したものだと考えられている。今回T Cerlingたちは、現代の熱帯生態系における木本植物の被覆率は定量可能であり、その定量法が地質学的に古い時代にまで拡張可能であることを実証している。アルディピテクスなどの初期人類と関係する多くの遺跡について、採取した化石土壌の分析から、一般に予想されていたような密生した森林ではなく、木本被覆率が40%未満のサバンナに似た環境であったことがわかった。さらに、人類がもっと完全に二足歩行をするようになった後、居住環境は疎林ではなく密生林になった。

出典:考古: 人類進化の背景を彩った森林とサバンナ/Nature 476, 7358/2011

留意すべきこととして、熱帯雨林の中の土壌は酸性で骨は分解されやすく残りにくい。だから化石が遺っている可能性は当時熱帯季節林だった地域よりも少ない。アルディが見つかったことさえ奇跡と思われている。そして、前々回に書いたことだが、サルが直立二足歩行をすることは珍しいことではない。

そう考えれば人類の祖先が熱帯雨林の中で生活していた可能性は消えていない。

初期の人類の生活:樹上か、地上か

初期の人類(ここではラミダス猿人=アルディピテクス・ラミダスまでの人類)は樹上と地上を行き来していたらしい。

アルディ〔アルディピテクス・ラミダスの化石の一つの愛称--引用者注〕の身体には、樹上生活者としての特徴と地上生活者としての特徴が複雑に入り混じっていると考えられています。たとえば腕が長く、足が平たく親指が離れているなどの点は、樹上生活に適していますが、脊髄が脳につながる部分に位置する大後頭孔が前寄りにあること、骨盤と大腿骨が関節している部分や腰の骨と脊椎との関係などは、直立二足歩行に適応した形をしているとされています。

出典:篠田謙一 監修/ホモ・サピエンスの誕生と拡散/洋泉社 歴史新書/p37

このアルディ(440年前)には土踏まずはない。土踏まずの最古の例はアウストラロピテクス・アファレンシス(アファール猿人、320年前)だ。土踏まずのあるアウストラロピテクス属はアルディより長く地上に滞在した。アウストラロピテクスの話は別の記事で。

直立二足歩行以外の特徴:歯、咀嚼筋

人類の進化が進むにしたがって、犬歯が小さくなり、臼歯が大きくなるようだ(ホモ・サピエンスの誕生と拡散/p40)。

臼歯、咀嚼筋

『人体 600万年史』では、類人猿と初期人類を分ける特徴として、直立二足歩行のほかに、臼歯と咀嚼筋を挙げている。

[初期人類]の臼歯はチンパンジーやゴリラといった類人猿の臼歯より、やや大きくてがっしりしている。臼歯が大きくてがっしりとしているほど、植物の茎や葉のような固くて歯ごたえのある植物でも、より上手に噛み砕くことができただろう。次に、アルディやトゥーマイ〔両方とも初期人類。引用者注〕は、類人猿よりも頬骨がやや前方に位置していて、顔面が比較的平らなので、鼻から下がそれほど前に突き出ていない。この形状だと、ちょうど咀嚼筋が強い力を出せる位置に来るため、歯ごたえのある固い食物でも噛み砕ける。

出典:p66

犬歯

犬歯がチンパンジーのオスより小さく短いのは「繊維の多い噛み切りにくい食べ物を噛み切りやすくさせるための適応だった」(p67)という説を紹介している。

類人猿の犬歯は縄張り争いやメスを獲得するための闘争の時に武器となる。また威嚇する時に犬歯をむき出しにする。そのため犬歯は大きく発達し、また、性差が顕著だ。

人類の犬歯が小さくなったのは、なにも上のような闘争が減ったからではなく、「噛み切りやすくするため」の他に、臼歯の拡大のためにトレードオフとして犬歯が縮小したことも挙げられる(p95)。

エナメル質

もうひとつ、歯のエナメル質が厚くなったことが挙げられる。歯の表面は硬いエナメル質で覆われている。上の引用のように、植物の茎や葉のような固くて歯ごたえのある植物でも、より上手に噛み砕くことができるように適応してエナメル質が厚くなったと考えられている。

チンパンジー、現生人類との比較

チンパンジーは人類と共通の祖先を持ち、人類と平行進化した現生の類人猿だ。チンパンジーは咀嚼筋は発達しているが、臼歯は比較的小さい。チンパンジーが繊維の多い果実や茎、葉を食べる時は、臼歯で噛み砕いたいて細かく砕けなかった繊維を前歯と舌の間で絞って汁を飲み込み、残り滓(ワッジ wadge)を捨てる。この食べ方をワッジング(wadging)という。ワッジングはチンパンジー以外のサルはまれにしか見られないという。

いっぽう、現生人類は初期の人類に比べて咀嚼筋、臼歯、共に小さい。肉食や火による調理が原因のようだ。

初期の人類の解剖学的特徴のまとめ

  1. 直立二足歩行

  2. 咀嚼筋の発達

  3. 歯(臼歯の拡大、犬歯の縮小、エナメル質の厚化)



関連記事「先史:ホモ・サピエンスの誕生


*1:著作者:self/ダウンロード先:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:PrimatesTreeJa.svg

*2:突然変異自体が偶然に起こることなのだが、便宜的にこのように書いておく。

*3:京都大学霊長類研究所研究員

*4:湿潤熱帯に属するが,一年の間に明確な乾季をもつため,ある割合で落葉樹種を含む熱帯林-- 光合成辞典<日本光合成学会 参照

人類の進化:霊長類と類人猿と人類の関係

この記事では、あらためて霊長類と類人猿と人類の関係について書く。

霊長類

霊長目(れいちょうもく、Primates)は、哺乳綱に含まれる目。サル目(サルもく)とも呼ばれる[4]。キツネザル類、オナガザル類、類人猿、ヒトなどによって構成され、約220種が現生する。

生物学的には、ヒトはサル目の一員であり、霊長類(=サル類)の1種にほかならないが、一般的には、サル目からヒトを除いた総称を「サル」とする。

分布

(以下の記述はヒトを除いたサル目の種に関するものである)

熱帯系の動物であり、その分布は熱帯域に集中する。東アジアには温帯域まで分布する種があり、特にニホンザルは最も高緯度に分布するサルとして有名である。[中略]

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形態

体重100g以下のコビトガラゴGalagoides demidoviiから、200kgを超すゴリラまで、多様な種が属している。

サル目は、哺乳類としては比較的基本的な体制を維持している。爪や歯などには大きな特殊化は起こっていない。その中で、サル類を特徴づけるのは、以下のような点である。

  • 5本の指をもち、親指が他の4本と多少とも対向しているため、物をつかむことができる。
  • 前肢と後肢の指の爪は、ヒトを含めた狭鼻下目のすべての種ではすべての指の爪が平爪である。曲鼻亜目と広鼻猿類の一部では平爪のほかに鉤爪をそなえる種もある。
  • 両目が顔の正面に位置しており、遠近感をとらえる能力に優れている。

これらの特徴は、樹上生活において、正確に枝から枝に飛び移るために不可欠な能力である。多くの樹上性の哺乳類では、鉤爪を引っかけて木登りをするが、サル類の平爪はこれをあきらめ、代わりに指で捕まるか引っかかるかする方向を選んだものである。また、それが指先の器用さにもつながっている。[中略]

  • 頭部の前方に眼が並び、その面がやや平らになって顔面を形成する。往々にしてこの部分には毛がなく、皮膚が露出する。
  • 大脳がよく発達する。

そして個体間で表情や声によって互いに情報交換をするものが多い。[中略]

進化

霊長類の最古の化石は、白亜紀末期の北アメリカ西部から発見されており、プレシアダピス類(偽霊長類)と呼ばれる。このように、霊長類の進化は約6,500万年前、白亜紀末期頃に始まったと考えられている

出典:サル目<wikipedia

霊長類はサルの総称と思えばいい。

類人猿

類人猿(るいじんえん、ape)は、ヒトに似た形態を持つ大型と中型の霊長類を指す通称名。ヒトの類縁であり、高度な知能を有し、社会的生活を営んでいる。類人猿は生物学的な分類名称ではないが、便利なので霊長類学などで使われている。一般的には、人類以外のヒト上科に属する種を指すが、分岐分類学を受け入れている生物学者が類人猿(エイプ)と言った場合、ヒトを含める場合がある。ヒトを含める場合、類人猿はヒト上科(ホミノイド)に相当する

出典:類人猿<wikipedia(文字修飾は引用者)


ヒト上科 (Hominoidea) は、ヒトの仲間と大型類人猿をくくるサル目(霊長目)の分類群である。ヒト上科にはヒト科(ヒト科 :ヒト、チンパンジー、ゴリラ、オランウータンが含まれる)とテナガザル科が含まれる。[中略]

狭鼻下目であるヒト上科がオナガザル上科から分岐したのは、2800万年から2400万年前頃であると推定されている

出典:ヒト上科<wikipedia(文字修飾は引用者)

霊長類(霊長目=サル目)以下の分類について

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出典:サル目<wikipedia(下の図は上の図の一部を拡大したもの)*1

上の図でヒト亜族が人類に当たる。人類は「あるヒト族に属する動物」から分岐した。

ここで注目すべきは人類はチンパンジーから分岐したのではなく、「あるヒト族に属する動物」から分岐したと考えられている。さらに言えばチンパンジーもこの動物から分岐したと考えられている。

「あるヒト族に属する動物」は人類とチンパンジーの最も近い共通祖先(last common ancestor 、LCA)と言われているが、この動物が何なのかは今のところわかっていない。気候の変化に適応できなかったか生存競争に負けたかで絶滅したのだろう。

分岐の年代

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図1 ヒトと現生類人猿の系統関係と遺伝子の比較から推定される分岐年代

核のゲノムの比較、ミトコンドリアにあるDNAの比較、そしてタンパク質のアミノ酸配列の比較からヒトと類人猿の系統関係が推定されている。これらは主にゲノムに生じる違いがもたらされる時間を確率的に計算したもの(分子時計)で年代の特定はある程度の誤差を含まざるを得ない。しかし、類縁関係の遠近は確かなものである。それによるとヒトはチンパンジーともっとも近く、ついでゴリラ、オランウータン、テナガザルの順である。それらの共通の祖先が分かれたのは、チンパンジーとはおよそ600万年前、ゴリラとはおよそ800万年前、オランウータンとはおよそ1300万年前、テナガザルとはおよそ1800万年前というものである(図1)。この系統関係は多くの支持を得ているが、分岐年代については最終確定されているわけではない。

出典:臼田秀明/知は地球を救う 2.人類の進化700万年―予断に捉われないことの難しさ―/帝京大学文学部教育学科紀要34(pdf)/2009年3月/p116-117(12-13/40) 

類人猿(ヒト亜科)の分岐が2800万年から2400万年前頃、霊長類の進化は約6,500万年前と考えられている(上述)。

原郷(原産地)と拡散

  • 「霊長類の最古の化石は、白亜紀末期の北アメリカ西部から発見されて」いる(上述)。

  • 類人猿(ヒト上科)の原郷はアフリカ。1650万年前頃、寒冷化のため、陸続きだったユーラシア大陸に拡散した。(臼田氏/p116-117(12-13/40) )

  • 人類(ヒト亜族)の誕生は700万年前頃とされている。トゥーマイ猿人(サヘラントロプス・チャデンシス)の化石がアフリカ大陸中央部のチャドで発見され、700万年前のものとされている。

  • その他の分岐の原郷はよく分かっていない。

人類と類人猿の共通祖先はアフリカ起源か?

2017年8月9日、前1300万年前頃の類人猿の頭蓋骨化石がケニア・トゥルカナで発見された、とNatureで発表された(進化学: 類人猿の祖先の進化/Nature 548, 7666/2017年8月10日)。

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出典:古代類人猿の頭蓋骨の化石が見つかったけれど.../GIZMODO/2017.08.16(著作者:Christopher Kiarie)

頭蓋骨はレモンほどの大きさで歯のの構造から約16ヶ月で亡くなったと推定されている。

前述のNatureの記事によれば、アフリカでは、1400万~1000万年前のヒト族および現生類人猿の直接的な近縁種の頭蓋骨の標本は1つも知られていなかったが、この標本は1300万年前のもので、ニャンザピテクス属(Nyanzapithecus)の新種とされた。また、「この新種が現生類人猿の共通祖先の近縁種であることが示された」としている。

AFPの記事*2によれば、研究チームのリーダーであるストーニーブルック大のアイザイア・ネンゴ(Isaiah Nengo)氏は、「今回の結果により、ヒト上科動物のルーツをアフリカによりしっかりと定着させることができる」と述べた。一部では類人猿と人類の祖先が住んでいたのはアジアだと推測されているらしい。



人類の進化:サルとヒトを分けるもの ~直立二足歩行~

ゴリラ、チンパンジー、テナガザルなどの類人猿と人間との最大の違いは歩き方です。我々人類は直立二足歩行ですが、彼らは四足歩行です。チンパンジーは腕が長く、地面に前の拳を付くように半直立で歩行するナックルウォークを行います。

出典:篠田謙一 監修/ホモ・サピエンスの誕生と拡散/洋泉社 歴史新書/2017/p34

といったわけで今回は直立二足歩行について書く。

直立二足歩行のメリット

まず、直立二足歩行を考える上で前提になることを記す。

上の引用のように「半直立で歩行するナックルウォーク」をする。サルは樹上(森林の木々の枝の上)で生活しているので、前肢は枝や果実をつかむように発達した。その結果、前肢は「前足」ではなく「腕と手」になった。

①エネルギー消費を節約することができる。

前肢が腕・手となったサルが地面を歩く時、ナックルウォークで歩くことになるがこれがかなり非効率である。

そして直立二足歩行だが、ナックルウォークに比べてエネルギー消費が1/4に抑えることができる。食糧不足に縁遠い我々日本人からするとピンと来ないが、自然の中で生きる生物にとってエネルギー消費の増減は死活問題である。地面を歩く機会が増えれば増えるほど直立二足歩行が有利に働く。(ダニエル・E・リーバーマン/人体 600万年史/早川書房/2015、原著は2013年出版/p72)

問題はどうして地面を歩く必要性が増えたのかだが、それは別の機会に。

②多くの物をより、重いものを持って歩くことができる。

ナックルウォークだと、片方の手は地面につけ、もう片方で物を持たなければいけない。

面白い研究の話があるので貼り付けよう。

松沢哲郎 霊長類研究所教授らの研究グループの研究成果が、3月20日公表の米国学術誌カレント・バイオロジーに掲載されました。

研究の概要

一人のおとなの男性が、民家の軒先から三つのパパイヤを盗った。両手と口にもって持ち運んでいる。今回の研究から結論できるのだが、資源が限られていて他者との競合がきついとき、チンパンジーは立って二足で歩くことが多いことが分かった。そのほうが一度にたくさん運べるからである。

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今回の研究から結論できることは次のとおりである。限られた資源を独占するために、1回にできるだけ多くの資源を持ち運ぼうとして、われわれの祖先は四足ではなく立ち上がって二足で歩くようになった、と考えられる。

この研究は、食物資源が限られているときに、チンパンジーたちがどのようにふるまうかを分析したものである。これによって初期の人類ないし人類に近い祖先が、どのようにして二足歩行をするようになったかという過程が解明できる。

今回の観察事実にもとづくと、チンパンジーが四足歩行ではなくて、立ち上がって二足歩行するのは次のようなばあいである。つまり、ある資源を他のなかまにとられないように独占しようとするときである。とくにその資源に限りがあるときや、その貴重な資源にいつ再度でくわすかわからないようなときに、独占しようとして二足で立って持ち歩く。手が自由になる分だけたくさん持ち運べるからだ。[以下略]

出典:初期人類への最初の一歩:なぜわれわれの祖先は二足歩行になったのか、チンパンジー研究から解明されたこと/京都大学/2012年3月20日

チンパンジーの歩行は直立ではないが二足歩行ではある。

③直立して果実をより多く獲得することができる。

高所にぶら下がっているベリーなどの果実を細い枝やつるを掴みながら直立して獲得できる。前述のリーバーマン氏によれば*1「おそらく食料をめぐる競争が熾烈だったため、初期人類のなかでも上手に直立ができる個体ほど、食料の乏しい時期に多くの果実を集められただろう」としている。

ただしこれは歩行ではなく姿勢の問題。

人類の祖先のサルも直立二足歩行をしていた?

人類の進化について、私がいつも頼りにしているブログから一部引用しよう。

人類と大型類人猿を含むヒト上科において、2000万年以上前のモロトピテクス=ビショッピ以降、二足歩行はありふれたものであり、移動に関する形態について、人間が原始的な形態を保持しているのにたいして、ゴリラやチンパンジーのほうがむしろ特殊化したのだ、との見解もあります(関連記事)。この見解では、ゴリラとチンパンジーに見られるナックルウォークは相同ではなく相似であり、平行進化ということになります。

これはかなり特殊な見解とも言えそうですが、人類系統と考えられてきた中新世~鮮新世の二足歩行のヒト上科化石が多数発見されているのにたいして、チンパンジーの祖先と考えられるナックルウォークを行なっていた生物の化石が50万年前頃までくだらないと発見されないという謎を、より合理的に説明することができます。さらに、450万~430万年前頃のアルディピテクス=ラミダスに関する近年の詳細な研究(関連記事)からも、人類・チンパンジー・ゴリラの最終共通祖先の歩行形態はナックルウォークだっただろう、とする有力説には疑問が投げかけられています。

このラミダスに関する詳細な研究は、2009年の『サイエンス』の科学的ブレークスルートップ10の1位に選ばれるくらいの衝撃をもたらしました(関連記事)。ラミダスに関する詳細な研究では、ナックルウォークの痕跡が見当たりませんでした。このことから、最初期の人類の歩行形態としてナックルウォークを想定してきたじゅうらいの有力説の見直しが提言されています(関連記事)。そうすると、人類・チンパンジー・ゴリラの最終共通祖先の歩行形態は(後の人類ほど特化していないにしても)二足歩行で、チンパンジーとゴリラはそれぞれ独自にナックルウォークへと移行した、という可能性も考えられます。

出典:アウストラロピテクス属の出現より前の人類進化をめぐる研究動向<雑記帳[ブログ]<2014/09/09

上の引用で「ゴリラとチンパンジーに見られるナックルウォークは相同ではなく相似」が事実だったら衝撃は尋常ではない。魅力的な説だが、現在、主流になっていないようだ。


同じブログの記事「直立二足歩行は樹上で始まった? 」では2007年の論文「オランウータンに学ぶ:二足歩行の起源が樹上であった可能性(PDF)」*2

一部引用しよう。

樹上生活をしていた祖先は今日のオランウータンと同様、果物を食べて生活をしていたと思われるが、果物は木の先端部分の細くたわみやすい枝になることが多いため、体を支えるための何らかの策が必要になったと考えられる。二足歩行をしながらバランスを取るために2本の腕を使う「手を使った二足歩行」は、このような枝の上を移動するのに役立ったであろう。

Cromptonらは観察したオランウータンの動き約3000例を分析し、非常に細い枝の上にいるときは手を使って二足歩行をすることが多いことを発見した。オランウータンが二足歩行をしているときは、足の親指を使って複数の枝をつかむという傾向も認められた。

中程度の太さの枝上では、オランウータンは体重を支えるために腕を使うことが多く、ぶら下がるという動きを採り入れて移動スタイルを変化させていた。また、太い枝を渡るときに限り、四つ足で歩行する傾向があることも分かった。

このように、手を補助的に使用する二足歩行はおそらく、樹上生活をしていたわれわれの祖先が細い枝の上を思いきって移動するときに複数の利点があったのではないかと考えられる。二足歩行によって足の親指で一度にたくさんの枝をつかむことができ、体の重心を効果的に分散させることもできる。同時に、長い片腕もしくは両腕が自由になるため果物を取ったり体を支えたりすることもできたのであろう。

オランウータンが曲がった枝の上に立つときに、足を真っ直ぐに保っていると著者らは報告している。足を真っ直ぐにすることの正確な利点は明らかではないが、ヒトが弾力のある地面を走るとき、体重のかかる足を比較的真っ直ぐに保っていることから、これはおそらくエネルギーに関連した利点があるのではないかと考えられる。

「今回の結果から二足歩行は、最も美味しい果物がなる非常に細い枝の上を移動するときや、木の間を渡っていくときにより遠くまで到達できるよう、使われていたと考えられる」とThorpeは述べている。

出典:オランウータンに学ぶ:二足歩行の起源が樹上であった可能性(PDF)/2007

  • 上の論文はリーバーマン氏も参考にしている。直立二足歩行のメリットの③はこの論文に依っている。

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Orangutans can walk on branches with their feet (Credit: dbimages/Alamy)

出典:The real reasons why we walk on two legs, and not fourBBC - Earth - /2016

上のようにサルが二足歩行することは珍しくないことは分かった。ただし、サルが日常的に直立二足歩行をしていない。いっぽう、人類は日常的にしている。逆に言うと日常的に直立二足歩行することで初めて人類とみなされる(ただしこれは定説にはなっていない)。サルとヒトを分けるものは直立姿勢かどうかにあると言ったほうがいいかもしれない。

最古の人類と見なされているサヘラントロプス・チャデンシス(定説ではない)はその化石から直立していたと推定されている(サヘラントロプス<wikipedia 参照)。

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出典:尾<wikipedia*3

人類の進化:「ヒト」「ホモ・サピエンス」について

「ヒト」とカタカナで表記する意味

生物に命名するときはラテン語を使用して名付けることが国際規約で定められている。そしてこのラテン語名に対応する和名(標準和名)が定められている。ただし、和名を名付けるときの規約は無い。(学名<wikipedia学名<世界大百科事典 第2版<株式会社日立ソリューションズ・クリエイト<コトバンク

「ヒト」は学名「ホモ・サピエンス」の標準和名である。生物としての「人間」を表す時、一般的に、「ヒト」とカタカナで表記する。

「サルからヒトへ」の意味

「サル」とは霊長類(霊長目=サル目=Primates)からヒトを除いた総称(サル目<wikipedia)。

「ヒト」は本来はホモ・サピエンスを指すが、「サルからヒトへ」の中の「ヒト」は「ホモ・サピエンス+化石人類」を指す。化石人類とはアウストラロピテクス北京原人など絶滅した人類のこと。つまりここでは「ヒト」は人類全体の総称。

ちなみに化石人類に対応してホモ・サピエンスを現生人類ということもある。

参考:類人猿

類人猿(るいじんえん、ape)は、ヒトに似た形態を持つ大型と中型の霊長類を指す通称名。ヒトの類縁であり、高度な知能を有し、社会的生活を営んでいる。類人猿は生物学的な分類名称ではないが、便利なので霊長類学などで使われている。一般的には、人類以外のヒト上科に属する種を指すが、分岐分類学を受け入れている生物学者が類人猿(エイプ)と言った場合、ヒトを含める場合がある。ヒトを含める場合、類人猿はヒト上科(ホミノイド)に相当する。

出典:類人猿<wikipedia

ホモ・サピエンス」と「ホモ・サピエンス・サピエンス」

ホモ・サピエンス」は国際規約で定められている学名。ラテン語で「知恵のある(サピエンス)人間(ホモ)」という意味。

ホモ・サピエンスの直径の祖先と考えられている化石人類に「ホモ・サピエンス・イダルトゥ」がある。この人類はホモ・サピエンスと種を分けるほどの違いがないため、「亜種」の関係とされる。

ホモ・サピエンス・イダルトゥ」と「ホモ・サピエンス(現生人類)」の混乱を避けるため「ホモ・サピエンス・サピエンス」と表記する場合がある。(記事《「種」「属」について/生物の分類について》第四節「学名」参照)