歴史の世界

前漢・武帝⑯:武帝の死/武帝の評価

皇太子を冤罪で失うという悲劇のわずか4年に武帝は亡くなる。参考文献には武帝が後悔のうちに死んでいくような描写が多い。なんとなく情けないような感じで終わってしまった武帝の治世だが、その治世の全体を見渡せば武帝の才能は高く評価されるべきだろう。この治世が前漢の最盛期であることを考えれば前漢武帝がつくったとも言える(武帝以前は秦の政治を多く引きずっていた)。「秦漢帝国」がその後の中国史をつくったのであれば、武帝の影響力は後世まで絶大だったと言える。約2800字。

武帝の死

前91年の巫蠱の乱から武帝の死までわずか4年。江充と皇太子に関するこの乱以外にも巫蠱による事件が何件か起きている。武帝の判断力の低下を表しているのかもしれない。

武帝自身もこのころになると外征によって国力を疲弊させたことを後悔して、民力の回復を願い、新しい辺境の開発を中止させ、また、その意図を知らせるために、この田千秋を恩沢侯とするばあい、これを富民侯と名づけた。桑公羊が計画した輪台地方の屯田開発を中止させて、いわゆる「輪台の詔」を出したのもこのころであった。

こうして武帝の時代は終末に近づいた。後元二年(前87)二月丁卯の日、武帝は老病のために長安城南方の五柞(ごさく)宮でその寿命を終えた。即位して55年目、年70歳であった。

出典:西嶋定生/秦漢帝国講談社学術文庫/1997年(同氏著/中国の歴史2 秦漢帝国講談社/1974年の文庫版)/p283

  • 恩沢侯とは列侯でなかった者が丞相に就く前にそれに先立って列侯に封ぜられたばあいの名称。儒家の公孫弘がその始め。

  • 「輪台の詔」は武帝の積極軍事指向を終止する命令のこと。

武帝の評価

私が参考にしている書籍には武帝の評価を論ずるものはなかった。参考図書が通史ものばかりだからかもしれない。

武帝 評価」でgoogle検索してみるとブック検索で守屋洋著『中国皇帝列伝: 歴史を創った名君・暴君たち』が引っかかった。適当な長さの評価が書いてある。

これによると武帝は秦始皇帝と並び称されて「秦皇漢武」という言葉があるとのこと。

始皇帝武帝の二人はたしかにスケールの多き傑物であって、その政治的業績は余人の継い付いを許さないものがあったと言えよう。しかし、この二人には顕著な違いもある。始皇帝秦帝国という大伽藍をつくりあげたが、皇帝の位にあること十年という短い在位年数のせいもあって、その内容となると物足りない。これに対し武帝は、創業以来六十年、すでに安定した基礎のうえに立つ漢王朝を引き継ぎ、これをさらに発展させ、軍事、政治、外交、経済、文化すべての面にわたって、まことに絢爛たる時代を築きあげた。

この違いは、人材の面から見るとよくわかる。始皇帝の時代に活躍した人物をあげよ、と言われても、丞相の李斯、将軍の王翦ぐらいしか浮かんでこない。ところが武帝の時代となると、多士済々だ。[中略]

この時代に多くの人材が輩出したのは、武帝の人材登用が能力本位に徹し、しかもその選択眼が優れていたからであったし、また、副宰相の卜式は羊使い、大蔵大臣の桑公羊は商人、大将軍として対匈奴作戦に大活躍する衛青のごときは奴隷の出身であった。かれらの能力を見出し、それを発揮する機会を与えたところに、武帝の偉さがあったのである。[中略]

漢の武帝はいろいろな意味で幸運の星の下に生まれてきた皇帝であったように思われる。

出典:守屋洋中国皇帝列伝: 歴史を創った名君・暴君たちPHP研究所/2013年

  • 衛青が将軍になったのは能力というより外戚武帝の寵姫の弟)だったからだろう。将軍で外戚であった李広利には能力は無かった。

  • 引用以外のところでは武帝の批判に言及し曰く、「苛酷な人民使役」をした。

  • 氏の短評は、「功七罪三」。

中国皇帝列伝 歴史を創った名君・暴君たち (PHP文庫)

中国皇帝列伝 歴史を創った名君・暴君たち (PHP文庫)

さらに引用以外のところでは皇帝二人以外に孔子を加えて「教えは孔子より成り、政は始皇より立ち、境は武帝より定まる」と評した史家を紹介している。「境」は版図のこと。

版図拡大だけでなく武帝の内政の後世への影響力は始皇帝を凌ぐものがある。塩鉄専売、五銖銭の中央政府の鋳造独占、専制体制、儒教の復興などなど。

秦漢帝国」という言葉がある。この二つの帝国が後世の中国王朝の性格を決めたのだが、秦始皇帝と漢武帝の寄与度は他の皇帝の比較にならないだろう。



武帝の治世がやっと終わった。丸数字がなくなってしまうのではないかと心配していたほどだ(google日本語入力の丸数字は50までだから余裕だったが)。

思えば、文帝・景帝・武帝と三人名君が続いたと言える。中国王朝の大興隆の時代だが、少なくとも武帝の時代の人民はそれを良き事とは思わなかっただろう。