歴史の世界

人類の進化:「人類」の誕生

この記事で言うところの「人類」は我々ホモ・サピエンスではなくサルと分かれたばかりの我々の祖先のことを指す。

厳密に言うと(ここで言う)「人類」の誕生とは、ヒト族(Hominini)からヒト亜族(Hominina)への進化のことだ。

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出典:サル目<wikipedia(元の画像の一部を拡大したもの)*1

「人類」の誕生についてはいくつもの仮説があるが、(現在は否定されている)昔の主流の説と現在の主流の説を記しておこう。ただし、学界内で直近で何を話されているかは私には分からない。

人類誕生の時期

現在いちばん古い人類の化石はアフリカ中部のチャドで発見されたサヘラントロプス (Sahelanthropus)の頭骨の化石だ。サヘラントロプスは700万年前に生息していたとされるから、人類が分岐したのは700万年前かそれ以前となる。

ただし学界ではいろいろな説が提出されている。

サル(類人猿)とヒト(人類)を分けたもの

本題に入る前にここで注意点を一つ。それは進化そのものについて。

そもそも進化とは偶然の産物である。

ある生物の種の中で、たまたま突然変異*2を起こした個体が、たまたま起こった環境変化に適応し、自然淘汰(突然変異を起こさなかった他の種は絶滅)が起こった結果が「進化」だ。生物は意図的に進化できない。

(進化については記事「進化:進化について」などで書いた。進化に関する他の記事もある。)

以下の話は、どういう環境変化があったかという話で、それにたまたま突然変異した種が適応しただけ、ということを要留意。

さてそれでは新旧の仮説を紹介しよう。

過去の(破綻した)通説「イーストサイドストーリー」

長くなるがwikipediaから引用。

イーストサイドストーリーとはフランスの人類学者、イブ・コパン(Yves Coppens)が1982年に提唱した人類誕生についての仮説である。[中略]

およそ800万年前から、大地溝帯付近の造山運動が盛んになり、大西洋の水蒸気を含んだ偏西風が大地溝帯の山脈にぶつかって雨を降らすようになり、東側では気候の乾燥化が進んだ。その結果、森林が徐々に草原に変わり、類人猿の祖先は死に絶えてしまった。一方、人類の祖先は以前までの森林での生活で、中臀筋などの二足歩行に欠かせない筋肉を発達させていた(人猿の骨盤の化石より推定)と考えられるため、二足歩行により草原で生活の場を開拓して人類に発展したとする仮説である。

破綻

現在、この仮説は定説ではなくなってきており、人類は森林の中で進化したという仮説が有力である。

この仮説が破綻した理由として、800万年前の大地溝帯付近の造山運動は小さく、大きく隆起したのは400万年前であったと考えられるようになってきたことが挙げられる。これはヒトが二足歩行したと考えられている600万年前よりも後のことであり、大地溝帯形成を人類が類人猿から分岐する原因と考えると矛盾している。また、当時のアフリカ東部の乾燥化は完全ではなく、森林がかなり残存していたことが炭素同位体の分析から明らかになっている。

そして、この仮説が破綻する決定的な証拠が2002年にアフリカ西部であるチャドで600 - 700万年前と考えられるトューマイ猿人の化石が発見されたことである。頭骨から背骨につながる孔の位置から直立二足歩行をしていたことが分かり、顔の特徴から、絶滅した傍系ではなく、ヒト属の直系の祖先である可能性が高いことが判明した。この場所で、魚やワニの化石が発掘されたことからかなり湿潤な地域だったことが考えられる。

2003年2月には、提唱者であるイブ・コパン自身がこの仮説を自ら撤回している[2]。

出典:イーストサイドストーリー<wikipedia

  • トューマイ猿人の発見以前に1990年代にアルディピテクス属の化石が発見されている。1990年代にすでにこの仮説は破綻したか大打撃を受けていただろう。

  • アルディピテクス属の化石やトゥーマイ猿人の化石は、以前は、生息時期には熱帯雨林地帯だったと想定されていたが、その後の研究で森林と開けた場所が混在した地帯だったことが分かってきた(後述)。

上の仮説は十年以上前に破棄されたものだが、これを今だに通説だと思っている人もいるかもしれないので注意が必要だ。20世紀末までの書籍ではこれが通説として語られているだろう。

現在の仮説

ここではダニエル・E・リーバーマン著『人体 600万年史』(早川書房/2015、原著は2013年出版)の説を紹介する。ただし、リーバーマンがこの仮説の発案者では(おそらく)ない。

簡潔にするため箇条書きにしてみよう。

  • まず、人類の祖先となる動物(LCAをアフリカの熱帯雨林に生息した果実食の類人猿とする。(p69)

  • 1000万年前から500万年前までの期間に地球全体が寒冷化し、アフリカは熱帯雨林が縮小し疎開林帯が拡大した。(p69)

  • 熱帯雨林縮小により食糧難(果実不足)に陥ったLCAの中で直立二足歩行が得意なLCAが生存競争の中で生き残っていった。

  • 直立二足歩行の利点は主に二つ。一つは樹上で直立して果実をより多く獲得することができる。高所にぶら下がっているベリーなどの果実を細い枝やつるを掴みながら直立して獲得できる。ただしこれは姿勢の問題。オランウータンやチンパンジーも直立する。著者によれば、「おそらく食料をめぐる競争が熾烈だったため、初期人類のなかでも上手に直立ができる個体ほど、食料の乏しい時期に多くの果実を集められただろう」としている。(p71-72)

  • より重要なもう一つの利点は、四足歩行より直立二足歩行ができる方がエネルギーを節約できる。類人猿は地上を歩行する時はナックル・ウォーク(前足または手の指の外側を地面につけて歩く歩行)で歩く。この歩き方は二足歩行の四倍もかかる。寒冷化して森林が細切れになり、地面を歩行する機会が増え、かつ、食糧自体も少ない時代に類人猿よりエネルギーが節約できた初期人類は生存確率が高かっただろう。(p72)

最期の二つについては以前に紹介したものだ。気候変動により、熱帯雨林が縮小・疎開するにつれ生存競争が起こり(選択圧がかかり)、LCAから進化したのが最初の人類である。

気候変動と二足歩行

ここで竹元博幸氏*3の気候変動に関する文章を引用しよう。

初期人類化石の発見地は、1,500万年前の温暖期のピークには広くアフリカ大陸を覆っていた熱帯林の周辺部にあたると考えられます。季節性気候が強まった影響は避け難いことだったでしょう。実際にラミダス猿人の生息地は乾季が明瞭な森林だったことがわかっています。樹上性でほとんど地面に降りることのなかった人類の祖先にとって、気温の季節変化は地上にいる時間を増やす強い要因となったと考えられます。乾季の出現という季節の始まりがヒトの地上生活のきっかけだったと推測できます。乾季が4〜5か月以上続くと熱帯林は存続できません。森林が後退したあと、樹が点在する開けた環境に適応できたのは、森林内ですでに季節的な地上生活を経験していたからだと思われます。

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出典:竹元博幸/人類はなぜ森林のなかで地上生活を始めたのか – ボノボとチンパンジーの生態から探る/academist Journal/2017年8月18日

というわけで、おそらく2017年現在でも上に上げた仮説はおそらくは主流なのだろう(リンク先ではリーバーマン氏とは違う竹元氏の仮説が紹介されているがここでは割愛)。

また上の地図にあるように初期の人類たちの化石は熱帯雨林ではなく、大昔の熱帯季節林*4とサバンナの境で発見された。

関連する論文を紹介しよう。

現生人類と現生チンパンジーの最終共通祖先は木の生い茂る環境に生息し、800万〜500万年ほど前に分岐した後、人類の暮らす場所は木の少ない環境に移ったというのが現在の一般的な見方である。その次に我々の祖先に何が起こったのかはよくわかっていないが、二足歩行および食生活の変化は、開けたサバンナ草地への移動を反映したものだと考えられている。今回T Cerlingたちは、現代の熱帯生態系における木本植物の被覆率は定量可能であり、その定量法が地質学的に古い時代にまで拡張可能であることを実証している。アルディピテクスなどの初期人類と関係する多くの遺跡について、採取した化石土壌の分析から、一般に予想されていたような密生した森林ではなく、木本被覆率が40%未満のサバンナに似た環境であったことがわかった。さらに、人類がもっと完全に二足歩行をするようになった後、居住環境は疎林ではなく密生林になった。

出典:考古: 人類進化の背景を彩った森林とサバンナ/Nature 476, 7358/2011

留意すべきこととして、熱帯雨林の中の土壌は酸性で骨は分解されやすく残りにくい。だから化石が遺っている可能性は当時熱帯季節林だった地域よりも少ない。アルディが見つかったことさえ奇跡と思われている。そして、前々回に書いたことだが、サルが直立二足歩行をすることは珍しいことではない。

そう考えれば人類の祖先が熱帯雨林の中で生活していた可能性は消えていない。

初期の人類の生活:樹上か、地上か

初期の人類(ここではラミダス猿人=アルディピテクス・ラミダスまでの人類)は樹上と地上を行き来していたらしい。

アルディ〔アルディピテクス・ラミダスの化石の一つの愛称--引用者注〕の身体には、樹上生活者としての特徴と地上生活者としての特徴が複雑に入り混じっていると考えられています。たとえば腕が長く、足が平たく親指が離れているなどの点は、樹上生活に適していますが、脊髄が脳につながる部分に位置する大後頭孔が前寄りにあること、骨盤と大腿骨が関節している部分や腰の骨と脊椎との関係などは、直立二足歩行に適応した形をしているとされています。

出典:篠田謙一 監修/ホモ・サピエンスの誕生と拡散/洋泉社 歴史新書/p37

このアルディ(440年前)には土踏まずはない。土踏まずの最古の例はアウストラロピテクス・アファレンシス(アファール猿人、320年前)だ。土踏まずのあるアウストラロピテクス属はアルディより長く地上に滞在した。アウストラロピテクスの話は別の記事で。

直立二足歩行以外の特徴:歯、咀嚼筋

人類の進化が進むにしたがって、犬歯が小さくなり、臼歯が大きくなるようだ(ホモ・サピエンスの誕生と拡散/p40)。

臼歯、咀嚼筋

『人体 600万年史』では、類人猿と初期人類を分ける特徴として、直立二足歩行のほかに、臼歯と咀嚼筋を挙げている。

[初期人類]の臼歯はチンパンジーやゴリラといった類人猿の臼歯より、やや大きくてがっしりしている。臼歯が大きくてがっしりとしているほど、植物の茎や葉のような固くて歯ごたえのある植物でも、より上手に噛み砕くことができただろう。次に、アルディやトゥーマイ〔両方とも初期人類。引用者注〕は、類人猿よりも頬骨がやや前方に位置していて、顔面が比較的平らなので、鼻から下がそれほど前に突き出ていない。この形状だと、ちょうど咀嚼筋が強い力を出せる位置に来るため、歯ごたえのある固い食物でも噛み砕ける。

出典:p66

犬歯

犬歯がチンパンジーのオスより小さく短いのは「繊維の多い噛み切りにくい食べ物を噛み切りやすくさせるための適応だった」(p67)という説を紹介している。

類人猿の犬歯は縄張り争いやメスを獲得するための闘争の時に武器となる。また威嚇する時に犬歯をむき出しにする。そのため犬歯は大きく発達し、また、性差が顕著だ。

人類の犬歯が小さくなったのは、なにも上のような闘争が減ったからではなく、「噛み切りやすくするため」の他に、臼歯の拡大のためにトレードオフとして犬歯が縮小したことも挙げられる(p95)。

エナメル質

もうひとつ、歯のエナメル質が厚くなったことが挙げられる。歯の表面は硬いエナメル質で覆われている。上の引用のように、植物の茎や葉のような固くて歯ごたえのある植物でも、より上手に噛み砕くことができるように適応してエナメル質が厚くなったと考えられている。

チンパンジー、現生人類との比較

チンパンジーは人類と共通の祖先を持ち、人類と平行進化した現生の類人猿だ。チンパンジーは咀嚼筋は発達しているが、臼歯は比較的小さい。チンパンジーが繊維の多い果実や茎、葉を食べる時は、臼歯で噛み砕いたいて細かく砕けなかった繊維を前歯と舌の間で絞って汁を飲み込み、残り滓(ワッジ wadge)を捨てる。この食べ方をワッジング(wadging)という。ワッジングはチンパンジー以外のサルはまれにしか見られないという。

いっぽう、現生人類は初期の人類に比べて咀嚼筋、臼歯、共に小さい。肉食や火による調理が原因のようだ。

初期の人類の解剖学的特徴のまとめ

  1. 直立二足歩行

  2. 咀嚼筋の発達

  3. 歯(臼歯の拡大、犬歯の縮小、エナメル質の厚化)



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*1:著作者:self/ダウンロード先:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:PrimatesTreeJa.svg

*2:突然変異自体が偶然に起こることなのだが、便宜的にこのように書いておく。

*3:京都大学霊長類研究所研究員

*4:湿潤熱帯に属するが,一年の間に明確な乾季をもつため,ある割合で落葉樹種を含む熱帯林-- 光合成辞典<日本光合成学会 参照