驚いたことに、ホモ・サピエンスのヨーロッパ進出はオーストラリア進出よりも後になる。ホモ・サピエンスは移住候補地に、近い寒冷な場所より遠くても温暖な場所を好んだようだ。
「45000年前」という数字
ヨーロッパに進出したホモ・サピエンスはクロマニョン人と呼ばれている。「クロマニョン人<wikipedia」によれば、彼らは4万年に進出したとのことだが、2014年8月のウォール・ストリート・ジャーナルの記事によると45000年前だという論文がネイチャーに提出されたという(人類、予想以上に早く欧州に到達-ネアンデルタール人と長期間重複)。
この論文はネアンデルタール人の絶滅のところで書いたハイアム氏の論文だ。
オール・アバウト・サイエンス・ジャパン(AASJ)の2014年8月22日の記事「8月22日:ネアンデルタール人の消滅(Nature誌8月21日号掲載論文)」によれば、論文ではネアンデルタール人とホモ・サピエンスのどちらの文化か論争中のウルッツァ文化(Uluzzian industry)をホモ・サピエンスの文化だと断定したという。
さらにシップマン氏の本にはこの文化圏のグロッタ・デル・カヴァロ(イタリア南部。位置は「Grotta del Cavallo<wikipedia英語版」参照)で発見された歯が45000年前のものだとされていたものが再年代測定により現生人類(ホモ・サピエンス)のものだと分かった、と書いてある。
まとめるとホモ・サピエンスは遅くとも45000年前にヨーロッパ(イタリア南部)で、ウルッツァ文化(Uluzzian industry)の中で居住していた。
新しい(?)問題
ウルッツァ文化はおそらくヨーロッパに進出したホモ・サピエンスの最初の(あるいは最初期の)文化の一つだが、彼らは投擲具などの武器・技術を持っていなかったかもしれないという主張がある。
名古屋大学博物館、及び大学院環境学研究科の門脇誠二助教の研究グループは、獲物を遠距離から射止める狩猟技術の起源論争に一石を投じた:
・・従来、投げ槍や弓矢などの投擲具は、アフリカや西アジア(中近東)にいたホモ・サピエンス集団が開発した技術と考えられていた。そして、この革新的技術を携えたホモ・サピエンス集団の一部が4万2千年ほど前にヨーロッパへ拡散したことが、後のネアンデルタール人絶滅の一因になったという説が提案されてきた・・
これは、投射狩猟具の先端に装着されたと考えられている小型尖頭器(石器)がヨーロッパよりも西アジアで先に出現した、という年代測定結果が得られていたためである。
この時代の遺跡の年代測定には、放射性炭素年代が広く用いられている。遺跡から発掘される植物や骨の有機物に含まれる放射性炭素の割合と、その一定の壊変速度(放射性同位体である炭素14が壊変する速度)に基づいて、生物が死亡した年代を決める。
しかしながら、より古い前処理法や測定方法によって決定された年代は、「コンタミ(異物混入)」の影響を受けていたり、測定年代の誤差が大きいという問題点がある。1950年代以降普及し始めた年代測定は、その測定方法や資料の前処理法などの技術が改善され続けており、つまりは、放射性炭素によって測定された年代を全て同等に比べることはできないのだ。
「年代測定技術が進歩するのに伴って、過去の考古記録をアップデートしていく必要がある。」
門脇助教は、最新の年代測定結果を重視しながら、小型尖頭器(石器)の形態や製作技術の時間的・地理的分布パターンを把握する研究を行い、その結果から人類進化史の新事実を提唱する。
簡単に言うと、新しい測定技術で西アジアの投擲具の技術を含む石器群を調べてみたら、その始まりは約39000年だった。これに対してヨーロッパの投擲具の技術を含む石器群(文化)のプロト・オーリナシアン文化(ウルッツァ文化より後の文化)は約4万2千年前。つまり従来の通説と合致しない結果となった。
こうなると、45000以上前にホモ・サピエンスは舟を使って北アフリカからイタリアを含む南部ヨーロッパに渡航したことを考えに入れないといけないだろう。しかし舟の遺物は出てきていないそうだ。水中考古学なんてものもあるそうなので期待したい。