歴史の世界

2人の歴史家の「歴史とは何か」

私の「歴史とは何か」

歴史を趣味として楽しむ私の定義(?)は以下の通り。

歴史とは、
書き手が過去の出来事を意図的にピックアップして、
その出来事をなんらかの因果関係によってつなぎ合わせて
文章化したものである。

幾つかの捕捉を加えるとすれば、

  • 政治関連の出来事をピックアップすれば政治史ができる。文化関連なら文化史。
  • 「日本史≒日本の政治史+文化史」「西洋史≒西洋の政治史+文化史」

二人の歴史家の定義

E.H. カー『歴史とは何か』より

歴史とは何か (岩波新書)

歴史とは何か (岩波新書)

まず有名な一文を引用する。

歴史とは歴史家と事実との間の相互作用の不断の過程であり、現在と過去との間の尽きることを知らぬ対話なのであります。 (p40)

この文は1章の最後の文で、「歴史的事実と歴史家」という節の中の文である。この節のお題は「歴史的事実と歴史家(の事実に対する解釈)のどちらが重要か」というものだ。これに対して著者の判断はどちらに偏ることなく「どちらも重要だ」と主張している。

歴史家は事実の仮の選択と仮の解釈―この解釈に基づいて、この歴史家にしろ、他の歴史家にしろ、選択を行っているわけですが―で出発するものであります。仕事が進むにしたがって、解釈の方も、事実の選択や整理の方も、両者の相互作用を通じて微妙な半ば無意識的な変化を蒙るようになります。そして、歴史家は現在の一部であり、事実は過去に属しているのですから、この相互作用はまた現在と過去との相互関係を含んでおります。 (p39-40)

これを「歴史とは歴史的事実を歴史家が解釈して記したもの」とすれば私の定義と同じになるがそうではない。繰り返しになるが、著者は歴史的事実だけが重要なのではなくそれと同等に歴史家及び歴史家の解釈が重要だと主張している。

だから彼は歴史家がどのような人物か、どのような思想を持っているかを知ることの重要性を説き、さらに歴史家が生きた時代背景も重要視している。

※この本は私には難しすぎて2章の途中で挫折してしまったのでこれ以上書けない。

岡田英弘『歴史の読み方』より

岡田氏にも「歴史とはなにか」という本を文春新書より出しているがその本は手元にないので、手元にある『歴史の読み方』を参考にする。

honto.jp

岡田氏の歴史の定義。

歴史というものは、単なる「過去に起こった事実の集積」ではないし、また「事実の忠実な記録」でもない。定義すれば、歴史は「人間の住む世界を、時間と空間の両方の軸に沿って、それも一個人が直接体験できる範囲を超えた尺度で、早くし、解釈し、理解し、叙述する営みのことである。」(岡田英弘著『世界史の誕生』ちくま文庫、32頁)(p30)


人間の住む世界は、無数の偶発事件から成り立っていて秩序はなく、そのままでは理解しがたい。この無秩序な世界に構造を与えて理解しやすくする解釈が、歴史である。[中略] 歴史を作るのは、英雄でも人民でもなく、歴史家である。歴史家が文字を使って世界を記述した時に、歴史が創り出されるのである。その意味で、歴史は思想であり、文化の一種である。(p30)

「歴史は思想であり、文化の一種である」が氏の主張である。歴史は司馬遷とヘーロドトスによって創り出されたとして『史記』と『ヒストリアイ』がそれぞれ中国文明地中海文明の文化の一部としてその後の後継文明とその周辺地域に大きな影響を与えたことを記している。

歴史=思想という考え方は歴史がプロパガンダに使われたり思想教育・愛国教育に使われていることを考えれば理解できるだろう。

カー氏と岡田氏の共通するところ

共通するところは「歴史は歴史家が歴史的事実を解釈して叙述しなければ存在しない」。そして岡田氏は歴史=思想としているが、カー氏はこれを否定はしないのではないか。少なくともカー氏は歴史家の書いた歴史にその人の思想がにじみ出ていると考えていることは氏が歴史家の生きた時代背景を重要視していることでも分かることだ。