歴史の世界

メソポタミア文明:初期王朝時代⑤ 第ⅢB期(その1)領邦都市国家の成立

「領邦都市国家」という用語は前田徹著『初期メソポタミア史の研究』*1に載っているもので、おそらく独自のものだろう。

点在する都市国家群から勢力を伸張させ諸勢力が相争う時代を経て、第ⅢB期には南メソポタミアは8つの都市に分割される時代となる。

「領邦都市国家

領邦都市国家とは、都市国家の一類型型であり、近隣の都市を服属させることで、地域統合を果たした有力な都市国家を指す。領邦都市国家に数えられるのは北から、キシュ、ニップル、アダブ、シュルッパク、ウンマウルク、ウルの八つであり、成立過程は不明ながら、前2500年頃(初期王朝時代第3期b)には成立していたと考えられる。分権的な都市国家的伝統を体現する領邦都市国家の出現は、王権の展開に大きな影響を持つようになる(前田2009a)。

前の時代の集合都市印章に並立して記された都市国家のなかで、ニップル、アダブ、ウルクウルクなどは領邦都市国家に上昇した。その一方で領邦都市国家に従属する地位に甘んじる都市国家もあった。下位の都市国家として、アダブに服属するケシュ、ウンマに服属するザバラム、ウルクに服属するラルサなどを挙げることができる。

出典:初期メソポタミア史の研究/早稲田大学出版部/2017/p39

  • 第2パラグラフでウルクが二つ並んでいるが、一つはウルの誤植だろう。

参考文献の「前田2009a」の題名は「シュメールにおける地域国家の成立」だが、ネットから(PDF)を入手できる。

この論文では、前2500年頃に画期を置いた原因について、王碑文を挙げている。都市国家間の競争の中で富国強兵と王権の強化が求められ、王自らの権威を誇示するために「王のイニシアティブで行っていることを王碑文で示し始めた」としている(詳しくは本文で)。

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出典:前田徹/シュメールにおける地域国家の成立/2009

まとめ

  • 楔形文字の体系が整うのが前2500年、つまり第ⅢB期が始まる頃。そして王碑文が出始めるのもこの頃。これは偶然ではないだろう。体系が出来たから王碑文が出始めたのではなく、その逆である可能性がある。

  • 王碑文は、王権の正統化であり、富国強兵の一部である。

  • メソポタミアは8つの「領邦都市国家」に分割された。



*1:早稲田大学出版部/2017