歴史の世界

メソポタミア文明:初期王朝時代① 時代区分/範囲/民族および言語

これから数個の記事に亘って初期王朝時代のことを書いていく。

初期王朝時代を簡単に言ってしまえば、「(都市)国家分立時代」となる。同様の時代は古代ギリシアや中国の春秋戦国時代などがある。

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Map showing the extent of the Early Dynastic Period (Mesopotamia)

出典:Early Dynastic Period<wikipedia英語版*1

時代区分

初期王朝時代(Early Dynastic Period、前2900-紀元前2350年)は考古学の時代区分で、シュメール文明の3番目の時代に当たる。

  • ウルク期(前3500-3100年)
  • ジェムデト・ナスル期(前3100-2900年)
  • 初期王朝時代(前2900-紀元前2335年)

初期王朝時代にはさらに以下のように分かれる

  • 第Ⅰ期(前2900-2750年)
  • 第Ⅱ期(前2750-2600年)
  • 第ⅢA期(前2600-2500年)
  • 第ⅢB期(前2500-2335年)

上の時代区分については小林登志子著『シュメル』*2による。

さて、上の時代区分は考古学の研究成果による区分であることは要注意だ。

この考古学における時代区分(編年)については、小口裕通「メソポタミア考古学研究の近年の歩み」(PDF)(西アジア考古学 第9号/2008/p19-25/©日本西アジア考古学会)に書いてあったので抜粋する。

《初期王朝時代についての編年は、バグダードの北東のディヤラ川流域にあるテル・アスマル(Tell Asmar)及びカファジェ(Khafaje)の発掘調査からの層位的証拠を基盤にして樹立されたものであることは周知のことがらであろう。》

《南メソポタミアでも、そのような時期細分を採用し、ディヤラ地域との遺物の比較によってそれぞれの遺跡の層位の時期決定を行うようになっていった。》

  • ディヤラ(Diyala)川は上の地図参照。

なぜディヤラ川流域の発掘調査に頼らなければならないのかというと、『西アジアの考古学』*3によれば、遺物による考古学的復元が比較的可能になるのがこの地帯に限定して頼らざるをえないとのことだ。

この編年を南メソポタミアに当てる問題として小口氏は、《第Ⅱ期の指標となる土器(2 タイプのみ)が出土しない》ということを挙げている。

さらに、《初期王朝時代第Ⅲb期の土器のタイプのほとんどが所謂アッカド王朝時代に入っても継続して製作され、使われ続けていたのではないか》という「疑問」を呈している。この「疑問」が正しければ、《史的観点からなされる政治史的区分と考古学的観点から行われる物の編年が》一致しないという。

考古学の編年は土器などの遺物から物質文化の変容によって算出されるのだから、考古学の編年と政治史における時代区分が一致しなくても全く不思議ではない。

考古学学界学会その他で使用されている編年は、だいたいが数十年前に提示され普及されたものが、その後の研究により実態に合わなくなったにも関わらず学界の多くが納得する新たな編年が生まれないために、昔の実態に合わない編年を「便宜的に」使用している場合が多い。

初期王朝時代はさらに考古学編年と政治史時代区分のズレがあるので、さらに実態に合っていない。そういうわけで上の時代区分も便宜的なものに過ぎない。

範囲(舞台)

上の地図で分かるように南メソポタミアに限定されている。

下は初期王朝時代最末期にルガルザゲシが南メソポタミアをほぼ統一した時の勢力図。この後に彼はアッカドサルゴンによって滅ぼされ、初期王朝時代は終わり、アッカド王国時代が始まる。

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Lugal-Zage-Si’s domains (red), c. 2350 BC

出典:Lugal-Zage-Si<wikipedia英語版*4

ちなみに、北メソポタミアではニネヴェ5期という考古学編年の時期。

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出典:中田一郎/メソポタミア文明入門/岩波ジュニア新書/2007/巻頭ⅵページ

民族および言語

メソポタミアで発掘された文書により言語と民族の構成について分かることがある。

言語は主としてシュメール語であるが、南メソポタミアの北部(のちにアッカド地方と呼ばれる)ではOld Akkadianというセム語族の言語の人名が含まれていることから、セム系の人々(のちのアッカド人?)がいたことが分かる(南部つまりシュメール地方はシュメール人が住んでいた)。



*1:著作者:Zunkir/ダウンロード先:https://en.wikipedia.org/wiki/Early_Dynastic_Period_(Mesopotamia)#/media/File:Basse_Mesopotamie_DA.PNG

*2:小林登志子/シュメル/中公新書/2005/巻頭の本書関連年表より

*3:大津忠彦・常木晃・西秋良宏/西アジアの考古学/同成社/1997/p148

*4:著作者:Zunkir、ダウンロード先:https://en.wikipedia.org/wiki/Lugal-zage-si