歴史の世界

メソポタミア文明:文字の誕生 後編(楔形文字)

世界最古の文字「ウルク古拙文字」は数詞と物を表す絵文字だけで記録をつけるために使われていた。

これからまた時が経つと、物と数字の記録だけでなく、「物と数字」の関係者たちの名前も書かれるようになっていった。例えば物の貸し借りの債権者と債務者、物を納入の時の納入者と受領者といったように。そして絵文字と数詞しか無い文字から物語も書ける文字「楔形文字」が出現した。

楔形文字が「完全な文字体系に整えられるのは前2500年頃である。」*1

表音文字と助辞の誕生

絵文字と数詞しか無い文字しか無い状態でどのように人名を表したかというと、その名前の一部に似た音の文字や、似た意味の文字を利用して表した。

次に、表音文字が現れた。絵文字は一字で意味と音を表す文字だが(表語文字という)、絵文字から特定の音(音素)を表す文字が現れた。つまり、漢字からひらがなが産まれたことと同じことが起こった。これが表音文字だ。

シュメール人の言語は膠着語と言われるカテゴリの中にあり、日本語の「てにをは」のような助詞を使う。これを表す必要性から表音文字が産まれた。

こうして、表語文字表音文字を使うことにより、かなり自由に記録することができるようになった。*2

線画文字(ウルク古拙文字)から楔形文字

いったいなぜ、線画から楔形になったのか。私の手元にある参考文献には詳しく書かれていないので想像を加えて書いてみよう。

ウルク古拙文字から楔形文字への変遷の図がある。

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出典:シュメール文字<世界の文字<地球ことば村

ここでまず、数詞に注目する。

葦の丸い端をそのまま押し付けると円形が、斜めに押し付けると爪形が押捺される。重要なのは円と爪形の印であり、後の楔形文字の粘土板で表現されている数字と全く同じ形で、爪形が1を円形が10をというように、数字を表現していると考えられる。

出典:大津忠彦・常木晃・西秋良宏/西アジアの考古学/同成社/1997/p119

ウルク古拙文字の時代の筆記具は葦だった。「葦といっても日本の河川で生えているような細いものではなく、直径2.5cmもある太いもの」だ*3。それでも粘土に細いペン先で線画を書こうとなると簡単にオレてしまうことは想像に難くない。

そこで思いついたのが、始めに太い先端を粘土に押し付けて、その後にペンを横に倒して直線の痕をつける、という方法だ。線の痕をより明確にするためにペンの形を細長い三角錐にすれば、楔形文字の筆跡が出来上がる。(この部分は文献になかったので私の想像)。

下の写真は楔形文字の実物、

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イラク,ドレヘム遺跡より出土した手紙。紀元前 20 世紀頃(ウル第三王朝時代)。

シュメール文字<世界の文字<地球ことば村 *4

楔形文字の普及

楔形文字表音文字としても使用できるようになると、楔形文字が持つ音価を利用して、シュメール語とは全く異なる言葉を表記することが可能になります。

初期王朝時代のメソポタミア南部には、シュメール人の他に、セム語族に属するアッカド語を話すアッカド人も住んでいました。アッカド人は自分たちの言葉を表記する文字を持っていませんでしたが、シュメール人楔形文字をもっぱら表音文字として利用して、自分たちの言葉であるアッカド語を表記しました。このアッカド語は、後で述べるように、古代オリエント世界の最初の共通語となりました。

出典:中田一郎/メソポタミア文明入門/岩波ジュニア新書/2007/p74-75

こうして文字は単なる業務の備忘の道具としてだけでななく、手紙のやり取りをしたり ギルガメシュ叙事詩のような物語を書いたりできるようになった。




*1:小林登志子/シュメル/中公新書/2005/p40

*2:中田一郎/メソポタミア文明入門/岩波ジュニア新書/2007/p74

*3:シュメル/p41

*4:リンク先には「手紙」の内容を知ることができる