歴史の世界

メソポタミア文明:ウルクの大杯に学ぶ②(牧畜・家畜)

前回の記事「メソポタミア文明:ウルクの大杯に学ぶ①(農耕・栽培)」から引き続いて書く。

今回も前回同様に小林登志子著『シュメル――人類最古の文明』と前川和也編著『図説メソポタミア文明』に頼って書く。

下段:農耕と牧畜の風景

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出典:前川和也(編著)/図説メソポタミア文明/ふくろうの本/2011/p11

ヒツジ

「大杯」下段、大麦となつめやしの上には羊の図像が彫られている。

西アジア世界は、シュメル人が活躍していた時代から今にいたるまで穀物といえば麦、家畜といえば羊の世界である。遊牧民だけでなく、有畜農耕社会であったから農民の身辺にも羊がいた。

シュメルの彫刻師は事物を正確に描写していて、その図像は貴重な資料となりうる。「大杯」には二種類の羊が彫られている。一説によれば牡牝を表現しているという。別の説では羊の種類を表現しているとする。一種類は尾が長くて胸に房毛があって、角が螺旋状に水平に伸びた毛羊であり、もう一種類は角のない羊である。[中略]

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シュメル人は羊を頭部や角では表現せずに、古拙文字の「羊」は肛門の形でした。「牡牛」を表す古拙文字も一見して頭部の形とも見えるが、実際は陰部の形ともいわれている。こうした文字を生み出したシュメル人が特に変わった趣味だったということではない。周囲の荒野には遊牧民がいて有畜農耕社会であったシュメルには、家畜の群れを管理するための去勢や「先頭の山羊」などの技術もあった。シュメル人にとって、麦が豊作になることと同じように、羊が多産であることも大切なことであった。発情を知るためには家畜の生殖器に注目せざるをえず、こうした必要が文字を生み出すさいにも反映したのではないだろうか。

出典:小林登志子/シュメル/中公新書/2005/p65-66

『図説メソポタミア文明』には 「のちの時代の図像にみえる山羊・羊群のように、フリース状の毛が描かれていない。このペア飼育の主目的は、搾乳であったのかもしれない」 と書いている。家畜用のヒツジはいろいろな種類がいて、乳用種、毛用種、肉用種などに分化しているらしい。

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山羊1頭と羊2頭(ウルのスタンダード)
2頭の羊と先導山羊。山羊・羊の体毛が強調されていて、飼育の目的が羊毛獲得にあることはあきらかであるが、現在の羊とちがって大きな角をもっている。
左は外国人に連れられた羊。
前3千年紀中葉。
大英博物館
画像提供:DNP

出典:図説メソポタミア文明/p79

wikipediaのヒツジのページは以下のとおり。

ヒツジを家畜化するにあたって最も重要だったのは、脂肪と毛であったと考えられている。肉や乳、皮の利用はヤギが優れ、家畜化は1000-2000年程度先行していた。しかし山岳や砂漠、ステップなど乾燥地帯に暮らす遊牧民にとって、重要な栄養素である脂肪はヤギからは充分に得ることができず、現代でもヒツジの脂肪が最良の栄養源である。他の地域で脂肪摂取の主流となっているブタは、こうした厳しい環境下での飼育に適さず、宗教的にも忌避されている。こうした乾燥と酷寒の地域では尾や臀部に脂肪を蓄える品種が重視されている。それぞれ、脂尾羊、脂臀羊と分類される。

出典:ヒツジ<wikipedia

ヤギ

家畜としてのヤギ
ヤギは家畜として古くから飼育され、用途により乳用種、毛用種、肉用種、乳肉兼用種などに分化し、その品種は数百種類に及ぶ。ヤギは粗食によく耐え、険しい地形も苦としない。そのような強靭な性質から、山岳部や乾燥地帯で生活する人々にとって貴重な家畜となっている。ユーラシア内陸部の遊牧民にとっては、ヒツジ、ウシ、ウマ、ラクダとともに5種の家畜(五畜)のひとつであり、特にヒツジと比べると乾燥に強いため、西アジアの乾燥地帯では重要な家畜であり、その毛がテントの布地などに使われる。ヤギの乳質はウシに近く、乳量はヒツジよりも多い。

出典:ヤギ<wikipedia

先ほどの小林氏の引用の続き。

「先頭の山羊」とは、羊の群を制御するさいに混ぜる山羊のことである。羊はおとなしいので、性格の激しい山羊を混ぜてやると、山羊が先頭に立ち、羊はその後について行く。牧人は山羊を制御すれば、羊の群れ全体を制御できることになる。第四章で話す「ウルのスタンダード」の「共編の場面」中断に見える一頭の山羊と二頭の羊は「先頭の山羊」とそれにしたがう羊の群れを象徴しているようだ。

出典:小林氏/p66-67

『シュメル』にも『図説 メソポタミア文明』にも「先頭の山羊」以外のヤギの利用はほとんど書いていなかった。ヤギに求められていたものはヒツジ、ウシ、ブタにシェアをとられてしまった。性格の激しさが祟ったのかもしれない。

ウシ

ウルクの大杯」にはウシは描かれていないが、『シュメル』ではウシ、ブタ、魚について触れられているので順に書いていこう。

ウシは食肉として利用されたのではなく、牡牛は犂を牽引させるための役畜、雌牛は乳をとるために利用された。

シュメル社会では力強い牡牛は犂を牽かせる大切な動物であった。シュメルのみならず古代オリエント世界では先史時代以来、この牡牛の力に畏敬の念を抱き、牛の角や頭部は力の象徴として崇められた。これが男神の根源的な姿であるが、やがて、男神は人間の男性の姿で表わされるようになっていった。シュメルでは図像で神であることを表すさいには、角の付いた冠をかぶっている姿が決まりとなっていることもある。この角は牛の角を模している。[中略]

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ウバイド遺跡のニンフルザク女神の神殿からは石製装飾壁(フリーズ)が出土している。この図像では、左側では四人の男が乳製品を作っており、真ん中には牛舎があって、仔牛の頭が見える。

右側は搾乳の場面であり、母牛の前に行使が連れて来られている。これは今日の搾乳とはかなりちがっている。現在の代表的な乳牛、ホルスタイン種のような乳牛は人間が改良して作り出した牛である。あたり前のことながら本来、母牛は人間のために乳を出すのではなく、仔のために出すのであり、この母牛が仔牛の匂いをかぐことで乳を出すことを表している。また、現在は牛の横から搾乳するが、ここでは牛の後ろに搾乳する人がいて、シュメルにおける酪農の様子を伝えている。

出典:シュメル/p68

ブタ

シュメル人は豚肉を食べたが、一般に羊肉の方が上等と考えられ、好まれたらしい。豚肉は女どれの食べ物と考えていたようで、次のようなことわざが残っている。

脂身はおいしい。
羊の脂身はおいしい。
女奴隷にはなにを与えようかしら。
彼女(=女奴隷)には豚のハム(あるいは臀(しり)の肉)を食べさせておけ。

そうはいっても、食べ物のこの実は一概にはいえず、犬の餌にもされている豚肉を后妃が食用とした記録もある。

また、豚の飼育は女性の仕事であったようで、こうした例は羊や牛には見られない。豚は肉だけでなく、皮や油も利用し、ことに豚の脂は皮膚に塗られていた。日本のように湿度の高い土地では身体に油を塗ることはあまりしないが、シュメルでは、直射日光から肌を守る民に胡亥で働くさいに豚の脂を塗っていたようだ。

出典:シュメル/p70-71

現代の豚肉はおいしいが、シュメール人は豚肉をあまり改良していなかったのだろう。

シュメール地方ではティグリス・ユーフラテス両川とペルシア湾で魚がとれた。ただシュメル語で魚の名前・種類を特定することは難しいらしい*1

ロバ

ここでは小泉龍人著『都市の起源』から。

[車輪と荷車の開発と]同時に、野生ロバが家畜化され、橇(そり)や荷車の牽引に利用されはじめる。中部メソポタミアのテル・ルベイデ(ウルク中期)や、ハブーバ・カビーラ南(ウルク後期)などでは、家畜化されたロバの骨が検出されている。また、パレスティナ地方の墓からは、籠を背中に積んだロバ形模型が出土して、ロバが荷物の運搬に利用されていたことを示す。さらに、ロバの引く荷車の車輪らしき土製品がウルでも見つかり、荷車はロバの家畜化とともにウルク期後半の発明とされる。

出典:小泉龍人/都市の起源/講談社選書メチエ/2016/p158



*1:シュメル/p71

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