歴史の世界

メソポタミア文明:文字の誕生 前編(ウルク古拙文字)

世界最古の文字はメソポタミアで誕生した「ウルク古拙文字」だ。

「拙」の字があるように、産まれたばかりの文字は絵文字もしくは記号のようなものだった。これが時を経て使いやすいように変わり、文字大系(現代でいうところのアフファベットや五十音)が出来上がるようになる。そして形を変えながら世界へ伝播していく。

この記事では、文字の誕生までの過程を中心に書く。


前8000年頃 プレイン・トークンの使用、始まる。
前3500年頃 コンプレックス・トークン、ブッラ登場。
前3200年頃 コンプレックストークンからウルク古拙文字へ


文字誕生のきっかけ――トークンとブッラ

文字誕生のきっかけはトークンとブッラというものから始まる。

トークン(token)は「しるし」「代用貨幣」を意味する。これが何かというと計算具だった。文字が無い時代に記録をつけなくてはならない時にこれを使った。

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出典:中田一郎/メソポタミア文明入門/岩波ジュニア新書/2007/p68

初めのうちのトークンは球形、円錐形、円盤形、円筒形など様々な形を成し、それぞれの形に意味を持たせていた。時が経つと形が多様化してさらに線や模様が彫られるようになった。前者をプレイン・トークン(単純トークン)、後者をコンプレックス・トークン(複合トークン)と呼ぶ。

最初に登場したのはプレイン・トークンで、最も古いものは紀元前8000年頃の半定住農耕村落や定住農耕村落の遺跡で発見されました。そして、文字による財の出納管理が、トークンによる財の出納管理に取って代わる紀元前3000年頃まで継続して使われました。プレイン・トークンは、主に穀物の貸し借りや家畜の飼養委託の管理に使われたと思われます。

たとえば、収穫前に主食のオオムギの蓄えがなくなってしまった人は、収穫までの食糧として蓄えにゆとりのある人から大麦を、たとえば3単位量借りることになります。今ならば借用書を書くことになるでしょうが、当時は文字がありませんので、債務者(借りた人)は債権者(貸した人)に大麦1単位量を意味したと思われる円錐形のトークンを3個渡します。債権者はこれら3個のトークンを大事に保管しておき、収穫時に債権者からかした大麦を返済してもらい、代わりにトークンを廃棄処分するのです。[中略]

実際には、富を蓄えた村の有力者は、複数の人に大麦を貸したり、羊の飼養を委託していた可能性があります。また、債務者にとっては、債権者がトークンの数をごまかすのを防ぐ必要もあります。

そこで、それまではたぶん債務者ごとにツボに入れて保管していたトークンを、中空のボールの形をした粘土製封球に入れて封印し、保管するようになりました。紀元前3500年頃のことと思われます。しかし、いったんトークンを封球に入れてしまうと、封球を壊さないかぎり中身が確かめられないという欠陥がありました。この欠陥を解決するために考え出されたのが、生乾きの粘土製封球の表面に、中に保管しているトークンと同じものを同じ数だけくっつけておくことでした。ところが、くっつけたトークンは何かの拍子にはずれてしまうことがあります。

そこで考えついたのが、トークンを封球の中に入れる前に、まず一つ一つのトークンの押印痕を封球の表面に残し、そのあとでトークンを封球の中に入れ、封球を封印することでした。そうすれば、封球を割らなくても中身が何であるかを知ることができる上、トークンの保管も完璧です。

メソポタミア文明入門/p68-70

上にある「粘土製封球」を「ブッラ(bulla)」という。ブッラはラテン語で「球」を意味する。

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A Bulla (or clay envelope) and its contents on display at the Louvre. Uruk period (4000 BC–3100 BC).

出典:Bulla (seal)<wikipedia英語版*1

上の泥粘土で作られた球(ブッラ)の中にトークンを入れて閉じて粘土を乾かす。一度乾かしたら叩き割らないかぎり、中を見ることはできない。当事者(たとえば債務者と債権者)両方が粘土を閉じて乾かしたり叩き割ったりする場面に立ち会えば、不正が起こる可能性が無くなる。

他方、コンプレックス・トークンが出現したのは紀元前3500年頃でした。ちょうどメソポタミア南部で都市文明が成立する時代です。プレイン・トークンが村落遺跡から見つかっているのに対し、コンプレックス・トークンは、神殿など、大きな公的建造物のある都市遺跡――たとえば、イラクのスーサ、シリアのハブバ・カビーラなど――から見つかっている点が注目されます。

シュマント=ベッセラによると、これらコンプレックス・トークンは、それぞれ都市で作られた製品の1単位を表しました。コンプレックス・トークンの多くは孔に細ひもを通し、ひもの結び目を封泥(ブッラ)で封印して保管したものと考えられます(図3-5)。

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メソポタミア文明入門/p71-72

  • 上にあるシュマント=ベッセラ氏は、「トークンとブッラ=文字の起源」という仮説の主唱者の一人(後述)。

小泉龍人『都市の起源』*2によれば、ウルク中期に現れた車輪と家畜化されたロバによる陸上輸送手段の確立が、トークンの利用の複雑化を引き起こした。つまり交易が活発になり西アジアで取引される都市と商品の数が増えたので上のような複雑化が起こった。

トークンから文字へ

先述のシュマント=ベッセラ氏はプレイン・トークンのブッラへの押捺から数詞が、コンプレックス・トークンの複雑な模様/形態から絵文字が誕生したと主張する。

上にプレイン・トークンを封球(ブッラ)に押捺して補助的な記録として利用したことを述べたが、時が経つと、記録の本体であるはずのトークンが消え去り、補助的記録であったトークンの押捺が本体に変わった。記録をする媒体のブッラも消え去り、媒体は粘土板(タブレット)に変わった。これが数詞の誕生である。*3

しかしコンプレックス・トークンは形状・模様が多様なため、上記のように押捺しても間違いなく認識できるような押捺痕を残すことが難しかった。そこで押捺痕の代用として、先の尖った筆記具でコンプレックス・トークンの形状・模様を線画して代用とした。これが線画絵文字つまりウルク古拙文字の起源となった*4

ウルク古拙文字の最も古い証拠はウルクで出土した。前3200年頃のもの*5

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ウルク第4層出土の粘土書板

出典:シュメール文字<世界の文字<地球ことば村 *6

  • 上の粘土板が前3200年頃のものではない(と思う)。

上のような手のひらサイズの粘土板が備忘録として使われていたようだ。手間のかかる「トークン・システム」と比べるとかなり簡略化された。これが行政の記録としても利用されるようになった。ウルク後期から次のジェムデット・ナスル(ジェムデト・ナスル Jemdet Nasr)期(約5300~4900年前)に「ウルク古拙文書」と呼ばれる5000枚以上の粘土板が見つかった。*7

ウルク文字の粘土板の写真は上の地球ことば村のリンク先にある。

アミエ氏とシュマント=ベッセラ氏

以上の「トークンから文字へ」の過程を主張しているのは、シュマント=ベッセラ(Denise Schmandt-Besserat)氏だ。1992年に「Before Writing*8」という本を出版している。邦訳本は「文字はこうして生まれた*9」という題名で2008年に出版されている(私は読んでいない)。

文字はこうして生まれた

文字はこうして生まれた

コンプレックス・トークンから絵文字への転換になる証拠が出土していないため、批判もあるそうだ*10

これに先駆けて、「トークン・システム」を思いついたのはフランスのP.アミエ(Pierre Amiet)氏だ。イランのスーサ遺跡から出土したブッラを見て思いついたそうだ。どうやらこの研究者が上の仮説の起源らしい*11




次回は楔形文字について書こう。

*1:ダウンドード先:https://en.wikipedia.org/wiki/Bulla_(seal)#/media/File:Accountancy_clay_envelope_Louvre_Sb1932.jpg

*2:小泉龍人/都市の起源/講談社選書メチエ/2016/p168

*3:都市の起源/p167-168

*4:メソポタミア文明入門/p72

*5:小林登志子/シュメル/中公新書/2005/p40

*6:『都市の起源』のp169に同じ写真があった。ウルク第4層はウルク期の最末期(前3100-3000年)。

*7:都市の起源/p169

*8:University of Texas Press

*9:岩波書店

*10:都市の起源/p168 またはシュメル/p37

*11:都市の起源/p167