歴史の世界

エジプト文明:先史⑤ アフリカにおけるウシの家畜化

以前は農耕・家畜ともに西アジアから流入してきたとされていたが、ウシに関してはアフリカで独自に家畜化されたとする説が出てきた。

この記事ではウシの家畜化と牧畜の状況・環境・その後について書く。

家畜と家畜化

家畜とは「人間の生活に利用する目的で、野生動物から遺伝的に改良した動物をいう」*1

次に家畜化について。

動物の家畜化(かちくか)あるいは植物の栽培化(さいばいか、英: domestication)とは、動物あるいは植物の集団が選択過程を通して、人間に有益な特徴を際立たせるよう遺伝子レベルで変化させられる過程である。この過程では動物の表現型発現および遺伝子型における変化が起きるため、動物を人間の存在に慣らす単純な過程である調教とは異なる。生物の多様性に関する条約では、「飼育種又は栽培種」とは、「人がその必要を満たすため進化の過程に影響を与えた種」とされている[1]。したがって、家畜化・栽培化の決定的な特徴は人為選択である。人間は、食品あるいは価値の高い商品(羊毛、綿、絹など)の生産や様々な種類の労働の補助(交通、保護、戦争など)、科学研究、ペットあるいは観賞植物として単純に楽しむためなど様々な理由でこれらの生物集団を制御下に置き世話をしてきた。

出典:家畜化<wikipedia

  • 英語では家畜化も栽培化も domestication。
  • 人に都合がいいように進化させるので、人為選択または人為淘汰である。
  • 家畜化されると進化するので、種も変わる。

ウシの家畜化について

一般的にウシは、家畜牛のことをさす*2

ウシの祖先はオーロックスaurochsで、ユーラシアとアフリカで生息していた。オーロックスは絶滅している。

一般的には、西アジアとインドで独自に家畜化されたと言われているが、アフリカでも独自に家畜化されたという説もある(後述)。

アフリカのウシの家畜化

ウシの家畜化については、記事「アフリカ大陸の農業の起源について」の節「ウシの家畜化」で書いたことがあるが、ここでは別の引用をしよう。

アフリカ大陸最古の確実な家畜化された牛の例は、アルジェリアのカペレッティから出土した例で、前7~6千年紀に年代づけられるが、これをやや控えめに見積もってか、従来家畜化も西アジアから導入されたという説が主流を占めてきた。

しかし、アフリカ大陸北東部における牛の家畜化が、今から9000年くらい前、すなわち西アジアにおける家畜化に匹敵するくらい古くに始まっていたという説が、1980年代にウェンドルフらから提示された(Wendorf et al. 1984)。西アジアにおける牛の家畜化は前6千年紀に年代づけられるので、この説は、アフリカ大陸において独自に家畜化が始まったことを意味する点でも重要である。

その根拠は、ナブタ・プラヤやビール・キセイバなどのサハラ砂漠東部の遺跡において、少数ながらいまから9000年前よりもはやくから今から5000年前頃まで連続的に大型の牛科動物の骨が出土することであった。断片的な資料から牛の種類を特定するのは困難であるが、さまざまな可能性を検討した結果、野生の牛(Bos primigenius)もしくは家畜化された牛(Bos primigenius f. taurus)であろうと推測されている。いずれの遺跡においても出土数が少なく、形態的特徴からは野生種か家畜種か判別できないために、こうした資料は牛の家畜化を確証するものではないと、この説に否定的な研究者も少なくない。

しかしながら、肯定的な研究者たちは当時の環境を重視する。この頃のサハラ砂漠東部は、現在よりも湿潤であったとはいえ、少なくとも2日に1回は飲み水を必要とする牛にとって、十分な環境ではなかった。実際、これらの遺跡において出土する他の動物骨は、野ウサギ、ガゼル、オリックスなどの乾燥に強い動物に限られる。野生の牛が独自に到達しにくい場所に形成された遺跡からつねに牛の骨が出土することは、その牛の移動に人間が関与したことを示す可能性が高いという。[中略]

もしもウェンドルフらが推測したように、砂漠から出土した牛の骨が家畜化された牛のものであり、その牛が人間によって西部砂漠に連れてこられたものならば、それより古い段階に、牛が自然に生息していたどこかの地域で馴化されていたことになる。砂漠の遺跡との直接の関係は明らかでないものの、ナイル河流域では、すでに後期旧石器時代完新世より前の時代――引用者注]から人びとが牛を重視していたようであり、牛の家畜化がさらに古くまでさかのぼるかもしれない(高橋 1999 a;b)。

出典:出典:高宮いづみ/エジプト文明の誕生(世界の考古学⑭)/同成社/2003/p35-36

  • 「cattle<wikipedia英語版」によれば、西アジアでの家畜化は10500年前に遡るという説を紹介している。

家畜化する前の状態のウシの生息地を人間がどのようにコントロールしたのかが分からない。狩猟採集民の集団が三方から弧を描いて野生の牛(オーロックス)の群を追い立てて一方向に向かわせたのだろうか。

また、家畜化はアフリカ独自で行われたが、去勢などの技術や犠牲にするなどの文化的側面その他のいくつかは西アジアのものを取入れたかもしれない。

家畜化と気候変動を関連付ける説もある。前6000年頃に比較的短い乾燥期が訪れたが、この時期に家畜化が行われたという*3。野生の牛はもともと人間が近づいても攻撃することを露わにしなければ警戒しない特性を持ち、さらに気候が乾燥した環境の中で水源から離れようとしなかった。こうした状況で狩猟採集民は容易にコントロールできた、というシナリオ。遅くとも前5500年頃には確実に家畜化されていたという。

ちなみに、「saharan rock art<wikipedia英語版」によれば、7200年前(前5200年)より前からサハラ・サヘル地帯に牧畜の風景の絵が出現しはじめた。

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Photo credit: africanrockart.org

ウシの利用

ウシはその肉を食べるためというよりも血と乳を飲食するために飼われていた。ある本には遊牧民(牧畜民)にとってのウシは「歩く貯蔵庫」と言われるほどの貴重な財産としている*4

牛が雌雄同数の子牛を産むのは、生物学的に避けられない事実であり、牧畜民のもとには繁殖に必要な数を大幅に上回る頭数のオスが生まれた。オスの子牛は殺されるか、去勢されて太らされ、牛乳が不足した場合に備えて肉の供給源として飼育された。こうした余剰分はきわめて貴重な社会的手段であり、妻を娶るために払われ、社会の絆を固め、儀式的な義務をはたすためにも利用された。したがって、それは富と自尊心、社会的名声、そして遠隔地の野営地にクラス人びととの家族的および個人的な関係を象徴していたのである。雄牛は精力的な指導者の象徴であり、重要な族長の象徴となった。

出典:ブライアン・フェイガン/古代文明と気候大変動/河出書房新社/2005(原著は2004年出版)/p222

文明成立以降のウシ

すこし、文明成立以降の話をする。

以上にいくつか引用したように、ウシは信仰の対象であり、富・強い指導者の象徴だった。

サハラ・サヘルの牧畜民の一部が「緑のサハラ」時代以降にナイル川流域に移住したため、上のような文化がエジプト文明に溶け込んだ。

宗教に関しては、神話の中に取入れられた。ブログ『現在位置を確認します。』の記事「丑年+古代エジプト というわけで古代エジプトの牛の話。」によれば、雄牛は「基本的に、気高さや雄雄しさの象徴。」、雌牛は「基本的に、母性や愛の象徴。」となっているという。

古代エジプト人はオシリス、ハトホル信仰を通して雄牛(ハピ、ギリシャ名ではアピス)を聖牛として崇め、第一王朝時代(紀元前2900年ごろ)には「ハピの走り」と呼ばれる行事が行われていた[36]。創造神プタハの化身としてアピス牛信仰は古代エジプトに根を下ろし、ラムセス2世の時代にはアピス牛のための地下墳墓セラペウムが建設された[36]。聖牛の特徴とされる全身が黒く、額に白い菱形の模様を持つウシが生まれると生涯神殿で手厚い世話を受け、死んだ時には国中が喪に服した。

出典:ウシ<wikipedia

もうひとつ、「富・強い指導者の象徴」について。

王朝時代に入ってからのウシの利用は、一般の農民は農作業などの役畜としてだった一方で、王家は領地にウシを飼う施設を設けて飼育していた*5

また王が描かれているパレットや壁画では王の腰に雄牛の尾が着けられている。これが王の象徴・証(あかし)らしい。詳しくは「ナルメルのパレット(3) 牡牛の試練 ( 人類学と考古学 ) - オルタナティブを考えるブログ - Yahoo!ブログ」を参照。

牧畜民のネットワーク

再び文明成立前に話を戻す。

前5000年(7000年前)になると再びサハラ・サヘルは湿潤になり、牧畜民の生活可能な空間が広がった。

これだけ遠距離に散らばっても、牧畜民が使っていた道具は驚くほど似ており、そのなかには精巧なつくりのやじりや、斧や丸のみなど木の加工用の道具のほか、家畜の乳を入れておく椀型の壺もあった。これは驚くべきことではない。氷河時代にシベリアやアラスカにいた狩人と同様、これらの人びとも技術より情報を頼りにしていたのであり、牧草地や水がどこで見つかるかといった知識と、何キロも離れた場所にいる何百もの独立した牧畜民の野営地を結ぶ社会的なネットワークに依存していたからだ。サハラでは今日でも、同じような社会的な絆が結ばれている。

出典:ブライアン氏/p221

このことについてはのちのユーラシア北部(中央ユーラシア)の遊牧民にも当てはまる。



何でもかんでも気候変動に関連付けるのは馬鹿げていると思う人が少なくないと思うが、まあ、可能性のひとつだ。または気候変動が主要因でなくてもマイナーな要因の一つになるかもしれない。

*1:家畜/日本大百科全書(ニッポニカ) - コトバンク

*2:ウシ<wikipediaウシとは - コトバンク 

*3:ブライアン・フェイガン/古代文明と気候大変動/河出書房新社/2005(原著は2004年出版)/p219

*4:馬場匡浩/古代エジプトを学ぶ/六一書房/2017/p37

*5:高宮いづみ/古代エジプト文明社会の形成/京都大学学術出版会/2006/p80