歴史の世界

エジプト文明:先王朝時代⑦ ナカダ文化Ⅲ期 その3(都市化 ほか)

前回の最期に書いたナルメル王のパレットについては別の機会にやる。

今回は都市化について。

J.ウィルソン氏(1958)エジプト文明を「都市なき文明」であった、と主張した。メソポタミアのような都市が発達しないまま、上下エジプトは統一されたのがエジプト文明だというわけだ。しかし1970年以降の発掘の成果より先王朝時代に都市が存在していたことが明らかになった。ウィルソン氏の考える「都市」はメソポタミアにある都市で、エジプトの環境の違いを考慮していなかったらしい*1

それでも都市の出現についてはメソポタミアの研究のほうが遥かに蓄積されているので、メソポタミアの都市論を使ってエジプトの都市化を見ていきたい。

都市あるいは都市化に関する議論

(以下の都市論はメソポタミアのもの)

ある地域が先史時代から歴史時代、つまり未開から文明化へ変わる時、多くの場合 その政治的中心地は都市化する。

しかし、この「都市化」というのは、イメージできても具体的に書き表すというか定義が難しい。というか今だに議論中らしい。

「都市化とは何か」という問題に最初に解答案を世に出したのは、有名な考古学者ゴードン・チャイルド氏。彼の解答案(後述)は今でも影響力を持っているが批判はある。

時代ともに考古学その他の研究が積み重なっていくにつれて、数々の「解答案」が発表されていった。

「小泉龍人/都市論再考─古代西アジアの都市化議論を検証する─/2013(PDF )」には、メソポタミアの都市論を年代別に紹介している。「4.2. 都市化議論抄出」に年代ごとの推移が簡潔にまとめられている。

現在では、考古学による遺物によって構築される各地域(文化)の編年と、人類学から出てきた「複雑化していく社会」(大家族の自給自足する生活様式から王を戴く国家を持つ社会への変遷)を組み合わせて、ある地域の歴史を復元していこうとしているようだ。

先王朝時代の都市化

ここでは、古いが有名な都市(化)の定義であるゴードン・チャイルド氏の10項目(Childe 1950: 9–1 6)*2を見てみよう。

  1. 大規模集落と人口集住
  2. 第一次産業以外の職能者(専業の工人・運送人・商人・役人・神官など)
  3. 生産余剰の物納
  4. 社会余剰の集中する神殿などのモニュメント
  5. 知的労働に専従する支配階級
  6. 文字記録システム
  7. 暦や算術・幾何学天文学
  8. 芸術的表現
  9. 奢侈品や原材料の長距離交易への依存
  10. 支配階級に扶養された専業工

この定義からすると、少なくともⅢ期の超大型集落のヒエラコンポリスとアビュドス(アビドス)は10項目のほとんどをクリアしているようだ。この2つは都市と言っていいと思う。

大城道則『ピラミッド以前の古代エジプト*3では、上の2つ以外に、ナカダ、エレファンティネ(ヌビアとの国境付近。対ヌビアとの交易拠点)、テル・エル=ファルーカ(デルタ東部)、ブト(デルタ西部)、クストゥル(ヌビア)が都市として挙げられている。大城氏はこれ以外にも都市があったと考えているようだ。上述した「複雑化していく社会」の過程も遺物から証明できる。

ピラミッド以前の古代エジプト文明

ピラミッド以前の古代エジプト文明

神殿

前置きとして、エジプトにおける神の出現について。

古代エジプトの宗教を特徴づける多様な神々の存在は、先王朝時代に各地で地方の守護神となる神が信奉されていたことに起源を発すると考えられている。[中略]

おそらくはアニミズム(自然崇拝)に端を発していたと思われる地方の神々は、先王朝時代と王朝時代の初期には動物や物で表わされることが多かった。

出典:高宮いづみ/エジプト文明の誕生・同成社/2003/p219

王朝時代以降、神々は人間形になり、統一国家のもとで神々は体系化されていった。

さて、エジプトにおける最古の神殿は、ヒエラコンポリス遺跡HK29A地区で発見されている。Ⅱ期中葉。ヒエラコンポリスの王朝開闢直前に年代づけられる神殿跡(ネケン神殿跡)では、有名な「サソリ王の棍棒頭」や「ナルメル王のパレット」などが発掘されている。

先王朝時代では、ヒエラコンポリスのほかにも地方神殿が幾つか発掘されている。(高宮いづみ/古代エジプト文明社会の形成/きょうとだいがく学術出版/2006/p220-222)

大城道則氏によれば*4、大きな(儀式用の)パレットが出現するのは先王朝時代の半ば(Ⅱ期後半?)の頃らしい。

王宮

先王朝時代の王宮についてはよく分からない。

馬場匡浩氏によれば(古代エジプトに学ぶ/六一書房/2017/p56)、Ⅲ期のヒエラコンポリスで「厚い日乾レンガの壁体で囲まれた聖域に、神殿や王宮が建造された」とある。

王朝時代の王都の神殿は上のヒエラコンポリスの神殿と同じく聖域とされ、王と一握りの神官だけしか入れなかった。神々への儀式も王が独占した(実際は神官が代行した)*5

これをふまえて推測すれば、先王朝時代の王を戴く都市(都市国家?)では王朝時代の王都の神殿と同じことをすでにやっていたのだろう。ナルメル王のパレットなどの儀式用の、王による奉納物などがその証拠となるだろう。



*1:馬場匡浩/古代エジプトを学ぶ/六一書房/2017/p234-235、高宮いづみ/エジプト文明の誕生/同成社/2003/p97-98

*2:上記の小泉氏の論文から

*3:創元社/2009/p41

*4:ピラミッド以前の古代エジプト文明/創元社/2009/p31

*5:馬場氏/p193