歴史の世界

エジプト文明:先史⑪ ナイル川下流域 -- エジプト文明の舞台

北東アフリカの砂漠を貫くナイル川。アフリカ大陸の乾燥期に他の川や湖が干上がってもナイル川は干上がることはなかった。

ナイル川下流

ナイル川については「ナイル川wikipedia」に詳しく書いてある。

このページによれば、ナイル川の源流はヴィクトリア湖ではなく、その湖の源流のブルンジ共和国にあるという。ブルンジから河口までは直線で3800km。

ナイル川下流域と呼ばれる地域は、エジプト南部のアスワン(アスワンハイダムがある所)から河口まで、直線で約800km(東京から下関が直線でそのくらい)。

ナイル川下流域はナイル河谷とナイルデルタに分けることができる。これらをそれぞれ上エジプト、下エジプトという。

ナイル河谷(上エジプト)

ナイル河谷(ナイル渓谷 Nile Valley)はその名のとおり、ナイル川が長い年月をかけて台地の断層を侵食して形成した谷、河川侵食谷だ。両岸には高く聳える崖があり、高いところでは300mを越える*1。ただし東岸は絶壁である所が多い*2

断面図

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上エジプト、エジプト河谷の断面図(Butzer 1976:fig 1)

出典:高宮いづみ/古代エジプト文明社会の形成/京都大学学術出版会/2006/p11

地形模式図

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出典:馬場匡浩/古代エジプトを学ぶ/六一書房/2017/p16

上記2つの本に頼って、上エジプトの地理を見ていこう。

ナイル河谷は高校地理で習う河岸段丘になってる。

ナイル川:数千年の間で川筋が変わり、川の水量(流量)が変わっているため、河岸段丘や自然堤防ができている。

②沖積地:農耕の場。肥沃な土はエジプト文明を支え続けた。1年に定期的に増水→冠水する。冠水は不必要なものは流し、新しい沃土をもたらした。断面図にあるように襞(ひだ)状の隆起(自然堤防、高さ1~3m)がナイル川に平行してあり、増水時にも冠水しない微高地に人々は集落をつくった(しかし、度重なる堆積作用や現在の家屋により遺跡の検出例は乏しい)。

③低位砂漠:沖積地の外側の河岸段丘。2~3m高いため、冠水することは稀。幅は平均1~2kmだが、場所によって大きく異なる。沖積地との境界に墓地や神殿など数多くの遺跡が発見されている。人々はこの低位砂漠を利用しつつも沖積地に生活基盤を置いていた。

④涸れ谷:高位砂漠の雨水の侵食によってできた谷。大型の涸れ谷の河口付近は土砂が堆積して舌状地が形成されている。このような場所にも大規模な遺跡が見つかっている。

⑤高位砂漠:低位砂漠との境界は急崖になっていて、ナイル河谷の住人の視界を制限している。高位砂漠では主だった遺跡は検出されていない。

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上エジプトの景観
テーベ西岸からナイル河方向を望む。砂漠の緑にあるのは、ラメセウム(ラメセスⅡ世の葬祭殿。筆者撮影)

出典:古代エジプト文明社会の形成/口絵i

ナイルデルタ(Nile Delta・下エジプト)

ナイルデルタは巨大な三角州。カイロを少し下ったところから始まる。長い年月の中で堆積と侵食を繰り返してきた。その結果、大小の支流とゲジラ(島)と呼ばれる高地が形成された。高地の頂部には墓地が置かれ、集落は低い場所に形成された。遺跡は後世の堆積によって埋もれ、現在の地表の下4~6mで発見される。

ナイル河谷は砂漠気候だが、デルタ地帯は地中海性気候に属する(エジプトで砂漠気候でないのはデルタ地帯だけ)。

非常に肥沃な土地で、河川だけではなく豊富な沼沢地も存在する。現在もエジプト第一の穀倉地帯でウシの放牧も見られる。エジプト総人口8千万人の半数がここに住む。デルタ地帯の中から見えるのは緑で覆われた景観で砂漠は見えず、ナイル河谷とは全く違う。

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出典:Nile Delta Facts | Sciencing

ナイル川とデルタ地帯

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出典:Nile River and delta from orbit - ナイル川デルタ - Wikipedia

中央辺りのハート型の緑の部分はファイユーム低地。ファイユーム低地はファイユーム文化のところで書く。

緑の部分の陸地以外は砂漠。

ナイル川は生命線

ナイル川は、水量の増減はあるものの一年中涸れることなくエジプトに豊かな水をもたらし、同時に肥沃な土壌を運んでくれる。エジプト人の生活圏は、砂漠のオアシスを除いてはナイル渓谷とデルタに限られ、まさにナイルが生命線であり、唯一の恵みなのだ。

また、毎年おこるナイル川の増水もエジプトに大きな恩恵を与えた。水源地域ではモンスーンの影響で雨期に大量の雨が振り、それによりエジプトでは夏から秋にかけて川の水位が上昇し、ナイル渓谷とデルタの沖積地を冠水させた。この増水は「氾濫」や「洪水」などともよばれるが、だが実際は、それからイメージされる激しく危険な水位の変化ではない。7月頃からじわじわと水位が上がって川幅が広がり、9月をピークに徐々に水が退いていき、11月頃に元の水位に戻るという数ヶ月をかけたゆったりとした変化なのである。エジプト人にとってはまさに自然の恩恵であり、増水後にもたらされた水分と養分をたっぷり含んだ沃土(沖積土)を利用して容易に農耕ができ、滞留してできた湿地で漁猟や狩猟も行なうことができた。また、増水は土地を洗い流してくれるので、塩害や疫病を防いでくれたのだ。

出典:古代エジプトを学ぶ/p13-14

上の説明に加えて、ナイル川は交通としても利用されていた。砂漠と冠水した陸路は利用できず、交通の面においても生命線だった。

河口からアスワンの第一急流までの間は古来より交通路として非常に重要な地位を占めてきた。古代エジプト文明の時代より、エジプト人はナイル河畔に居住していた。特に第一急流までの間は河川交通によって密接に結ばれており、河口からここまでが「エジプト」として認識される部分であった。[中略]

冬季においては季節風を利用し、帆掛舟により、川を遡行することができた。

出典:ナイル川wikipedia