古王国時代の宗教観とピラミッドがどのように結びついているのかを書いていく。
この記事では、民間を含むエジプト全体の来世観・死生観・宗教を書いていく。
来世観と宗教
古代エジプト人は死への脅迫概念が強く、死をひどく恐れていた。その恐怖をできるだけ拭い去るための解決策として、彼らは死を理解可能なものにしたのだ。それが、「死後も、来世で永遠に生き続ける」という再生復活の死生観である。
出典:馬場匡浩/古代エジプトを学ぶ/六一書房/2017/p304
ただし、エジプトの来世観においては、現世で死んだら すぐに来世に行くというものではない。開口の儀式など様々な過程を必要とする。
エジプトの宗教は、来世で永遠に生き続けるために必要な知識と行動を指す。
古代エジプト人が来世をどのようにイメージしていたのか気になるところだが、高宮いづみ氏によれば*1、一通りではなく幾つものイメージがあるものの、「最も受け入れやすく、実際に普及していたイメージは、おそらくこの世と似たような世界であろう」としている。
来世で永遠に生き続けるために必要な知識と行動
「カー」と「バー」
私たち日本人は生死の話をする時に人間を肉体と霊魂に分けて話すことがある。古代エジプト人はこの霊魂に当たる部分を「カー」と「バー」に分けている*2。
「カー」は「生命力」や「活力」、「バー」は「個性」「人格」と訳される。人間の死は肉体からカーとバーが分離することで起こる。
カーは単なるエネルギーではなく、死後も実体の無い個人として存続する。カーは活力を維持するために供物を必要とする。他の諸宗教における精神の概念に類似している。
バーは日本人がイメージする霊に近いかもしれない。バーは現世と冥界を往来することができるが、夜になると現世の肉体(ミイラ)に戻らなければいけないという制約はある。
3要素の再合一
まずカーとバーが合一して「アク」となる。アクは「祝福された死者」と呼ばれる。そして再生復活するためにはもう一つ、肉体が必要になる。このため、古代エジプト人は遺体が朽ち果てることを防ぐためにミイラ処理を行って丁重に棺に納めた。
開口の儀式
3要素の再合一を果たしても、来世における再生復活はできない。いくつかの過程を必要とする。
その中で最重要の儀式が現世における葬祭「開口の儀式」。
死者が再生復活を遂げるためには一連の儀式すなわち葬祭が必要であり、葬祭の中で最重要の儀式は「開口の儀式」であった。この儀式は、ナイフのような道具を使って葬祭神官が死者の口を開くまねをする儀式で、一旦は物を食べたり呼吸をしたりという生命活動を停止した死者が、ミイラの口を開くまねをする儀式を行うことによって、生命活動を再開することを呪術的に引き起こす目的をもって行われた。
この儀式は王朝時代の葬祭の中心であったが、先王朝時代(ナカダⅠ期以降)にも行われていたという説もある(同氏/p233)。
『フネフェルのパピルス』に描かれた開口の儀式。
- フネフェルは、第19王朝(新王国時代)の書記官。
ほかに、冥界における「最後の審判」と呼ばれるものがあるのだが、これは新王国時代の『死者の書』登場以降のものなので、ここでは書かない。「死者の書 最後の審判 オシリス」でネット検索すればいろいろ出てくるだろう。
まとめ
重要なのは来世観だ。人々は来世で復活できることを望んでいるということ。
そしてこの来世観はピラミッドの宗教つまり太陽神信仰よりも長く存続した。
と言うよりも、おそらく太陽神信仰は、来世に復活再生するための道具に過ぎなかったのではないか、とすら私は思っている。
ピラミッドと太陽神信仰については次回書いていく。
*1:高宮いづみ/古代エジプト文明社会の形成/京都大学学術出版会/2006/p232
*2:「古代エジプト人の魂 - Wikipedia」によれば、これらの他に3つの要素があるとしているが、ここでは「カー」と「バー」のみを扱う