歴史の世界

エジプト文明:第1中間期③ 文化の変容

古王国時代の崩壊とともに、それまでの文化も破壊された。

飢餓をも含む絶望的な状況から回復する中で、旧来の文化の復活とともに新しい文化も興った。

文学作品に現れる当時の悲惨な情景

前々回の記事「第1中間期① 第7王朝、第8王朝」で書いたように、古王国時代末期に気候変動が起こり、ナイル川の水位が低下し古代エジプトは数十年に及ぶ飢餓を経験した。このような中で、古王国時代の文化も破壊された。

その当時の情景を語る物語がwikipediaの記事で紹介されている。

当時の雰囲気を伝える文書として『イプエルの訓戒』と呼ばれる文学作品が知られている。

旧秩序の崩壊と社会の混乱を指摘し、現状の変革などを主張するこの文書には、同一の導入句を反復する形式に沿ってエジプトの混乱が描写されている。それによれば門番や職人や洗濯屋が自らの仕事をせず掠奪に出かけており、海上の支配権はクレタ人に奪われ、下エジプトには蛮族が侵入して「エジプト人となった」[注釈 6]。掠奪者は至るところに現れ、ナイルが氾濫しても土地を耕すものも無く、貴族たちは嘆き、貧乏人は喜びに満ちた。富も失われ、死者をミイラとするための材料も無く、上エジプトは内戦のために租税を納めなくなった。老人も若者も「死んでしまいたい」と言い、幼児は「産んでくれなければよかったのに」といい自殺者があふれた。呪文は民衆に知れ渡ったために効力を失い、王は民衆によって廃され、貴婦人は筏の上に住み貴族達は強制労働に従事していたという。

貧乏人による掠奪、貴族の没落、納税の停滞などを嘆くこの文書は、古い有力者の立場を代弁したものであると考えられるが、当時のエジプトを襲っていた厭世的な雰囲気をまざまざと知ることができる。また解釈を巡って議論のある文書ではあるが、『生活に疲れた者の魂との対話』と呼ばれる文書でも「善はいたるところで退けられ、地を歩む悪は止まるところがない。」と語られている。

  • [注釈 6]文書内では「人となった。」と表記されている。本当の「人」とはエジプト人のみであるとする伝統的な見解が存在した

出典:エジプト第1中間期 - Wikipedia

引用の中の『イプエルの訓戒』や『生活に疲れた者の魂との対話』は第1中間期より後世に作られたかもしれないが、これらの情景は「古王国時代⑪ 政治・行政の歴史 後編」で紹介した第9王朝時代(前2160年頃 - 前2130年頃)のヒエラコンポリス州侯アンクティフィの石碑の文と合致する。

民主化

古王国時代において永遠の来世の観念は既に成立していたが、そのための手続きは王によって保証された。王は臣下の来世を保障するために臣下の墓に対しても供物を供給していた。しかし中央権力の瓦解とともに、王による来世の保障は説得力を持たなくなった。かつて王によって独占されていた葬祭儀礼は臣下の間にも広がり、各人は独自に葬祭儀礼を行って来世を保障する努力を行った。王の永生を保障するピラミッド・テキストに類似した呪文が臣下の墓にも記されるようになり、これはコフィン・テキスト(棺柩文)と呼ばれている。こうした動きはやがて一般民衆にまで及んだ。この過程は葬祭の「民主化」と呼ばれている。

出典:エジプト第1中間期 - Wikipedia

この引用文の後にオシリス信仰についても書いている。

オシリス神は冥界の王として知られ、第5王朝末には、王は死後に冥界の王オシリスと合一するということになっていた*1

これが第1中間期になると「人は死ねば誰もがオシリス神となり、復活して来世を迎える」という信仰になった。まさに終末思想だ。日本の平安時代末期の末法思想も同じだろう。

上の引用元によれば、「第11王朝によるエジプトの再統一を迎えると人々はこぞってアビュドスへの巡礼を行」ったとしているが、この顛末がちょっと面白い。

中王国時代に神官たちが、第1王朝のジェル王の墓を冥界の神オシリスの埋葬地と断定して以来、アビドスは聖地として重要な巡礼の中心地となった。年に1度、オシリスとその復活を祝う祭礼がおこなわれ、国中から巡礼者が訪れた。

出典:特集:古代エジプトの聖地 アビドス 2005年4月号 ナショナルジオグラフィック NATIONAL GEOGRAPHIC.JP

文学作品に見える「社会正義」

上述の「エジプト第1中間期 - Wikipedia」には『文学作品が伝えるエジプトの思想上の「革命」』というものがある。

さらにこの節の中で「社会正義」について書かれている。

社会正義とは何か?

孤児や寡婦に代表される社会的に弱い立場にある人たちを、強い立場にある人たちの搾取や抑圧から守り、弱い立場にある人たちの正義が蹂躙されたときには、その正義を回復すること

出典:中田一郎/メソポタミア文明入門/岩波ジュニア新書/2007/p106-108

上の引用はウル第三王朝のウルナンム法典についての記述だが、ウルナンム法典が およそ前2100年頃に作られた。ほぼ同時期に社会正義の論が起こったことになるが、なにか関係があるのかもしれない。

さて、エジプト側の社会正義はどのように現れたのだろうか?

第1中間期初頭の混乱は国家との結びつきの強い官吏や神官にも強い衝撃を与えた。彼らは文字を操ることのできる知識階級でもあり、創造神によって定められた宇宙の秩序(マート)の体現者たる王に仕えてマートの維持に貢献するならば、現世における成功が与えられるという理念を古くより持っていた。しかし第1中間期に入り、もはや旧来のような安定した地位の維持や俸給、供物の確保が不可能となり、また彼らが信奉した倫理、道徳的価値観も失われていく中で、彼らの価値観も変容を迫られた。上述の『イプエルの訓戒』においても批判の矛先は従来絶対的存在として扱われていた王やその上にいる神々にさえ向けられることもあった。

一方で、神々に対する崇拝はなお思想の根幹でありつづけ、神は正義の規定者であり続けた。神を正義とする前提のもと、秩序を維持する責任は人間にあるとして、神の定めた正義の下に秩序を確立する最高責任者としての王の役割を強調されるようになっていった。それを反映して従来神の化身であるとされた王のための「教訓」を述べる文学も成立した。第10王朝の王メリカラーに対する『メリカラー王への教訓』がそれである。

更に王はマートを維持する義務を負うが、王によって統治される人々の側にもマートの実現を要求する権利があり、むしろ自ら進んで要求しなければならないという主張も成立した。不当に財産を奪われた農夫が雄弁を振るってそれを取り返す『雄弁な農夫の物語』はまさにこうした考えを全面に出した作品である。

出典:エジプト第1中間期 - Wikipedia

『イプエルの訓戒』は王または神々に対して、眼の前の惨状を語りながら「あなた方は秩序(マート)を保つ義務がある。役目を果たしてください!」と訴えている。

『メリカラー王への教訓』では、王(メリカラー王)に「社会正義を遂行せよ」と繰り返し強調している。

古王国時代の認識では、王は神の化身であり死後も永生が保証されていたが、『メリカラー王への教訓』では死者の「最後の審判」(閻魔大王の裁きのようなもの)を受けるとされた*2

王は社会正義の遂行(すなわちマート(マアト)の保守)を全うしたかどうかが裁かれる。*3

『雄弁な農夫の物語』の内容は、主人公の農夫が貪欲な官吏に持ち物(財産)を不当に取り上げられてことを上官に「社会正義を果たせ」(持ち物を返せ)と訴えて、最終的に取り返す、というものだ。

以上、3つの物語に共通する社会正義は、古王国時代からある考え「マート(マアト)」の一部ではあるが、第1中間期からの新しい風潮は、王が社会正義の遂行を強調しているところであり、「王によって統治される人々の側にもマートの実現を要求する権利」がある、ということにある。

ところで、これらの物語の成立は第1中間期ではなく、中王国時代であったかもしれない。第1中間期であったとしても、おそらく末期で、やはり多くの読みては中王国時代の人々だったろう。

中王国時代は「第1中間期を通じて各地で勢力を延ばした州侯やその他の有力者達は、中王国の覇権を認めてはいても無視できない力を持っていた」*4という状況で、王朝の権威は他を圧倒するものではなかった。おそらく社会正義をまっとうしないような場合は、反乱の危険性は古王国時代の比では無かっただろう。

新王国時代になると、このような価値観は無くなったようだ。

エジプト神話集成 (ちくま学芸文庫)

エジプト神話集成 (ちくま学芸文庫)



*1:古王国時代⑤ ピラミッドと宗教 その3 太陽信仰とオシリス信仰」参照

*2:第1中間期にすでに「最後の審判」の観念が生まれていた

*3: 杉 勇 , 屋形 禎亮 (翻訳)/エジプト神話集成 /ちくま学芸文庫/2016(『筑摩世界文学大系 1 古代オリエント集』(1978年)の「エジプト」の章を文庫化したもの)/p632-638

*4:エジプト中王国 - Wikipedia